4,クロノスの木


「はい、もう大丈夫よ」

「ありがとうございます」

「それにしても無茶をしたわねぇ、あなたは女の子なんだから、もっと自分を大切になさい!」


 元々レオナルドの魔法が弱まっていたところに突っ込んだため、思っていたより軽傷で済んだ。

 白衣を纏った医務室の先生に、軽く頭を下げる。




 医務室を出ると魔法薬で綺麗に治った手を眺め、ギュッと拳を強く握った。


「(負けた……)」


 レオナルドに対する、悔しさと闘争心が一段と濃くなり、自然と次の教室に向かう足が速くなる。


 付き添いで来たカルバンは「次の授業の準備があるから先帰るぞー」と早々に撤退したため、結果ステラは一人で寂しく長い廊下を歩く。




 目的の教室に着くと、後ろの扉からそっと中に入った。授業開始の鐘はまだ鳴っておらず、カルバンも教室に到着していないようだ。

 既に席は殆ど埋まっており、空いているのは後ろの席だけ。

 いつも一緒に座っているリタの隣は、既に別のクラスメイトとオリバーによって陣取られていた。


 やむを得ず、一番後ろの席に腰を掛ける。


「席に着いとけよー」 


 鐘の音がなる直前に、カルバンが前の扉から入ってきた。


「(座学は暇だなぁ……)」


 出来ることなら一日の半分は実習がいい。気だるげに教科書を前に置いた。

 鐘の音が鳴ると同時に、ステラが入室した扉から、誰かが滑り込むようにしてやって来た。


 その人物を目視すると、目を吊り上げて叫ぶ。


「出たな!」

「人を虫みたいに言うな」


 レオナルドだ。

 教科書を無造作に置きながらステラの隣に座る。


「……怪我はどうなったんだ?」

「綺麗に治った」


 利き腕をレオナルドに見えるように捲ってみせる。

 腕を見ると、すぐに目を逸らせて言い淀む。


「そうか、その……」

「なにさ」

「悪かったな」


 ステラの耳に届くか届かないかくらいの、蚊の鳴くような声だ。

 何より驚くべき事は、あのレオナルドが謝ったということだ。


「……私が勝手に突っ込んだの、あんたが謝ることじゃない。

 それより‼」


 ステラの瞳に闘志の炎が宿り、机を拳で叩いた。


「次は絶対負けないんだからね‼」


 言ってやった。それも鼻息荒く、声高らかに。


「おー、ステラはもう元気かー?」

「ばっちりです!」

「唯一の取り柄だからな」


 一番後ろの席から、最前列のカルバンに見えるように大きく手を振った。

 レオナルドの小さな悪態は、一切合切ステラの耳に入っていない。


「何よりだー。それじゃあ授業始めるぞ。

 今日はクロノスの木の歴史についてだ」


 指定されたページを開く。そこに乗っていたのは、ここからでも見える大陸のシンボルである大樹。

 細い字が目に入った瞬間、その教科書を閉じた。


「私、過去は振り返らない主義なんだ」

「バカ言ってないでさっさと開け」


 レオナルドによって再び教科書が捲られるが、いざ読もうと思っても目が紙の上を滑っていくだけだ。額に手を当て、深いため息をつく。


「歴史って何のために勉強するの?」

「未来を担う俺達は、過去を伝えていかなきゃいけない。大人しく頭に叩き込め」

「論破された」


 プリントが前から回ってきた。

 可愛らしいイラストが載っている、幼児向けの絵本のようだ。

 カルバンは皆に行き渡ったのを確認すると、拒否する頭を宥めつつプリントに視線を落とす。


「誰もが聞いたことくらいあるだろー? クロノスの木の絵本だ」


 プリントの見出しに大きく書かれたのは、〝クロノスの木〟という題名。

 如何にも子供向けな、本屋の幼児コーナーに並んでいそうなファンシーさだ。


 誰もが頷く中、ただ一人頭を捻る人間がいる。


「何それ?」


 前に座るクラスメイトも目を見張ってステラを振り返る。

 どうやら相当メジャーな話のようだ。


「知らないのか? クロノスの木って言ったら、一家に一冊ある絵本だぞ」

「全く知らない。初対面です。我が家は、吸血鬼がニンニクを克服して高級ニンニク農家を起業からの一発当てる絵本があったよ」

「それこそ初めて聞いたんだが」


 配られたプリントに目を通す。小さな脳みそをフル回転させ、幼少期を思い返してみるものの、やはり読んだことも聞いたことも無い。


 何故我が家に無かったのだろうか。


「それじゃ誰かに音読して貰おうかー。そうだな……オリバー、頼む」

「はい!」


 リタの隣に座っていたオリバーが立ち上がり、プリントの朗読を始めた。




 昔々あるところに、結婚を約束した、とある国の王様と同盟国のお姫様がいました。

 平和で争いの無い世界で、王様とお姫様は皆から祝福されていました。


 しかし、それを快く思わない者が一人。

 隣国の王様です。

 隣国の王様もまた、お姫様のことが大好きでした。

 大好きな故、いつしかお姫様を自分の花嫁にしてしまいたいと考えるようになったのです。


 そこで隣国の王様は思いつきました。


「そうだ、この世界を手に入れればお姫様も自分の所に来るだろう」


 隣国の王様は大陸の中心にある森に、家来を連れて出発しました。


 森の奥に住む妖精の力を自分の物にするためです。

 妖精の力はとても巨大で、普通の人間が扱えるようなものではありません。

 しかし、高貴な血を引く隣国の王様は、妖精の力を手にしてしまいました。


「世界を我が物に!」


 そう唱えると、空から太陽が消えました。

 海は割れ、風が吹き荒れました。

 沢山の動物が苦しみ、人々は恐怖のどん底に突き落とされます。


 そんな人々をなんとか助けたいと立ち上がったのがお姫様です。


「私が隣国の王様の元に参りましょう」


 美しい絹のドレスを纏い、闇を払う鈴を手に取り、行くべき道を照らしました。


 お姫様は一人で隣国の王様の元へ赴きます。


「どうかお止めください、民が苦しんでおります」

「ならば我の妃となれ」

「それは出来ません」


 隣国の王様は既に妖精の力に取り付かれ、人ではない〝何か〟になっていました。

 それでもお姫様は恐れません。


「私が愛しているのは、あなたではありません。あなたからこの世界を解放し、私はあの人の元へ帰ります」

「許さん!」


 隣国の王様は怒り狂いました。

 そしてお姫様に鋭い爪を立てようとしたのです。


「やめろ!」


 間一髪。


 お姫様を庇ったのは、婚約者の王様でした。

剣で爪を押し返し、隣国の王様を弾き飛ばします。


「この世界と姫を返して貰う!」

「おのれ!」


 王様が隣国の王様に剣を突き立てました。

 するとどうでしょう。


 隣国の王様の身体が砕け散り、世界が色を取り戻しました。


 太陽が大地を照らし、海は穏やかな波が寄せ、柔らかな風が吹きます。


そして隣国の王様を倒した王様とお姫様は、一本の木を植えました。


「どうか未来ではこんな悲しい出来事が起こりませんように」と、願いを込めて。

 こうして平和な世界で、王様とお姫様はいつまでも仲良く暮らしました。






「……ほい、ありがとなー」


 カルバンの指示でオリバーが席に着くと、拍手が湧き上がった。


「へぇ。こんな話あったんだ」

「ずっと昔から語り継がれてきた寝物語だ」


 プリントの最後のページでは、王様とお姫様が手を取り合って、幸せそうに微笑んでいる。

 真面目なカルバンの声が、ステラの鼓膜を震わせ始める。


「この絵本はいつ、誰が書いたかはわからない。しかし――」




「……おい、白目をむくな」

「はっ!」


 レオナルドに小突かれて現実に戻される。

 小難しい話になると意識が飛ぶのは、ステラの悪い癖だ。


 頭を小さく振るい、なんとか眠気を飛ばす。


「興味が向いていないことを覚えるのって、なんでこんなに難しいんだろうね」

「……興味か。そうだな」


 ステラとの距離を縮め、レオナルドがプリントに描かれた王様を指さした。

 正確には、王様の持っている剣だ。


「ここに書かれている剣、俺の家にある」

「そんなことある?」


 どんなドッキリだ。


「ある。この王は、俺の祖先だからな」

「…………あぁ!」

「なんだ、今の間は」


 たまに、レオナルドが皇子ということを忘れてしまうのだ。

 カルバンの話はもう二人に届いていない。前の生徒に隠れてステラは身を屈める。


「存在するんだ! どんな剣? やっぱりごついの?」

「そうだな。ごついし、魔法が掛かってる」

「盗難防止の魔法とか?」

「その通りだ。王族以外がこの剣を持つと、電気が流れる」

「急にバラエティ要素入ってきた」


 図解して貰うが、にわかに信じがたい。

 王様の横に書かれたレオナルド作の棒人間が、電気により麻痺していた。……絵心の無さはこの際触れないでいてやろう。


「鈴の行方はわからないが、剣は城で厳重に保管されている」

「闇を払う鈴、ね。残っていたら並んで国宝になっていただろうに」


 お姫様が掲げる鈴は光り、隣国の王様を照らしている。

 これも一種の魔法道具なのだろう。


「これ以外にも言い伝えはいくつかある。例えばここのイラストの森」


 妖精が住まうとされている森を、レオナルドがペンで大きく囲む。


「この森は現在立ち入り禁止だ」

「クロノスの木のある森?」

「そうだ。クロノスの木自体、俺達は近付くことが出来ない。王と姫が魔法を掛けたと言われているからな」


 ほんまかいな。ステラの目が訴える。

 それに気付いているのかいないのか、レオナルドは続けた。


「その魔法はまだ生きていて、招かざる客は追い返される。過去に何人もクロノスの木に行こうとしたが、一人も辿り着けなかった」

「不思議だね、人を拒絶する魔法なんて、初めて聞いた」

「どんな呪文なのか、属性もわからない。何百年経った今でも解明されていない。行った人間の話によると、森に辿り着く前に霧掛かった湖があるらしい」

「じゃあ、箒や絨毯で空を飛ぶのは?」

「勿論実証済みだ。結果は同じ、元の場所に帰ってきた」


 ファンシーに描かれた森なのに、ミステリアスさまで持ち合わせるとは。小憎い奴め。

 囲まれた森は只の森だが、一体どんな魔法なんだろう。 


「似たような魔法が掛かっている村が、ドルネアートの何処かに存在するらしい」

「誰も入れないの?」


 それは村ではないだろう。

 そんなステラの疑問は直ぐに解決へと導かれた。

  

「詳しくはわからないが、その村に掛かっている魔法は、少し違うらしい。魔法が入る人物を選ぶ」

「限られた人しか住めないんだ」

「これも噂だけどな」


 そんな大昔の魔法が生きている場所が、他にもあるというのか。


 一体どんな人達が住んでいるのだろうか。そしてどんな暮らしをしているのだろう。


「出入り出来るの?」

「出来るんじゃないか? 一つの村だけで生活が賄えるとは思えない」

「はぁ~……。じゃあ案外身近にその村の人がいるかもね」

「かもな。気付くのは難しいかもしれないけどな」


 ペンを机の上に放り出して、先祖である王様の頭を指でなぞった。


「王は誰よりも強く優しく、この国の未来を見据えていた。歴代の王の中でも、最も王としての器があったと聞いている」

「まぁ国を救った王様だもんね。お姫様は?」

「姫は」


 言葉を句切った。


「……占いが得意だったらしい」

「急に紹介が雑」

「別に雑じゃない。天気をよく当てたって言われてる」

「それはただの勘がいいお姫様では?」


 いつの間にか、レオナルドまで身を屈めて前の生徒に隠れている。

 ステラがお姫様を指先で突く。


「お姫様、凄いじゃん、民のために立ち上がってさ。行動派だよ」

「勇敢な姫だったらしい。天気を占い、作物を実らせ飢えを無くし、繁栄をもたらしたと言われている」

「今でも天気を確実に当てる魔法なんて無いもんね」


 世界にはまだまだ知らない魔法だらけだ。

 ラストの王様とお姫様がなんだか微笑ましくて、ステラの目が柔らかく細まる。


「そんな困難を乗り越えたんだから、二人は余生をラブラブに過ごしたんだろうね」

「そうだな、絵本ではそうなっているな」


 ハッピーエンドを祝福するステラと違い、レオナルドは淡々と言葉を並べる。


「けど、絵本の結末と王族に伝わっている内容は異なっている」

「え?」


 ステラ以外に聞こえないよう、レオナルドは声を潜めた。

 耳を欹てなければ、カルバンのよく通る声に掻き消されてしまうだろう。


「絵本ではクロノスの木は二人が植えたと書かれているだろう?」

「うん」

「俺達王族の間では騒ぎを収めた王と姫が、この木になったと言い伝えられている」


 ステラの指が止まった。


「人間が……木に?」

「あくまで言い伝えだ」

「だって隣国の王様を倒して平和を取り戻したんでしょ? なんで木になるの?」

「少なくとも、今生きている人間で、その理由を知っている人物はいないだろうな」

「まぁ……そうだよね」


 ごもっともだ。

 ステラが考えた所で、真実は誰も教えてくれない。




「っていうか、いいの? 王族の伝えを私に話して」

「別にいいだろ。どうせ三歩歩けば忘れるんだし」

「誰が鶏だ!」

「楽しそうだなー」


 机の横からのんびりとした声。ギリギリと、ステラは頭を上げた。

 そこには肩に教科書を乗せて、死んだ魚の目をしたカルバンが目元に陰を作って立っていた。


「随分と勉強が捗っているようで?」

「えへへ……」

「お前らは、後で追加の課題なー」

「無慈悲!」

「しょうがない、喋っていた俺達が悪い」

「諦めていないで、滅罪するの手伝って‼」

「お! ステラは倍の課題がいいかー?」

「さて。木の名前の由来は……」


 わざとらしくペンを持ち、教科書を読む、フリを決め込む。


「全く……。終わったら前に来いよー」

「はぁい……」


 温情など、ない。


 教壇に戻っていくカルバンの後頭部に効果の無い呪いを吐く。


「ちぇっ! ちょっと喋っていただけなのに……」

「ああいうのは大人しく反省したフリしとけばいい。そうすれば余計な罰を受けずに済むからな」

「私もあんたみたいに器用になりたい」


 こういう時ばかりは、レオナルドの要領のよさを尊敬する。


 暫く放課後は図書室に籠もらなければいけないだろう。

 ステラはノートを取るフリして、プリントの王様とお姫様を大きな丸で囲った。

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