3,相対


「ウメボシ、もう戻ってよー」

「断る」

「なんで!」


 ステラが召喚した赤狐は、ウメボシと名付けられることになった。

 昔、ヒルおじさんに食べさせて貰った食べ物からもじった名前だ。


 遥か遠い東の国の果実を、干して漬けた酸っぱい食べ物。丸まった姿がよく似ている。


 使い魔、というよりはまるで愛玩動物。授業が終わった途端にステラの膝の上に乗り、毛繕いを始めた。


「何故小生を見て涎を垂らしておるのだ」

「条件反射で」

「それより先ほどから人間の視線が不愉快だ」


 ウメボシの言う通り、何人かの生徒がステラ達を遠巻きに眺めていた。


 結局あの日、使い魔を召喚できた生徒はステラとレオナルドだけ。


 一目置かれる存在、ではなく、名も無い喋れる狐を召喚した異色の平民として、脚光を浴びたのだった。


「皆、ウメボシの可愛さが気になるんだよ」

「当然だ。次の授業でも小生の愛くるしさを炸裂させてくれるわ」

「そんなことしたらウメボシに釘付けになって、授業どころじゃないよ!」

「そうか? それはカルバンに悪いな」

「そうそう、カルバン先生のためにも今回は戻ったら?」

「ならば仕方あるまい」


 ステラの褒めちぎり作戦は大成功に収まった。

 機嫌を良くしたウメボシが、煙を立ててステラの膝から消える。


 隣でやり取りを眺めていたリタが、教科書とノートを持って立ち上がった。



「随分と手懐けたわね」

「なんだろう、純粋って言うか単純?」

「可愛いじゃないの。ほら、私達も行きましょう」

「うん!」


 今日は外で実戦の授業だ。


 入学してから暫くの間、教室に籠もっての勉強だったが、ようやく外で身体が動かせる。

 机に向かうより、走ることを好むステラとしては、誰よりも今日という日を楽しみにしていた。




「それにしても、この学校は本当に広いわよね」

「ねー。下手したら私が住んでいた村の方が狭いよ」


 カルバンに指定された校庭に出るのに休み時間が終わりそうだ。


 校庭と一言で言っても、終わりが何処までなのか、はっきりわからない程の広さ。

 校庭だけで我が家がいくつ入るだろうと考えたが、無駄な時間だと気付いて早々に見切りをつける。




 その広大な校庭に辿り着くと、実戦用のリングが鎮座していた。


「ほい、今日は予告通り実戦するぞー」


 カルバンのほわんほわんした声が、校庭に響く。

 このゆるっと感はステラを含め、一部の生徒から結構好かれている。


「習った魔法を使ってもいいし、武器を使ってもいい。相手が降参するか、場外に追いやったら勝ちなー」

「ふんふん、なるほど。至極シンプルなルールだね」

「めんどくさがりなカルバン先生らしいわ」


 ゴソゴソと鞄を漁るステラを、不審に思ったリタが声を掛けた。


「その手のは何?」

「これ? ナックル」


 指に嵌めて握ってみる。


 自分の魔法属性がわかってから、ずっと愛用している自分専用の武器。変わらず今日もステラの手によく馴染んでいる。


 満足して手を握り締めていると、リタの反対側から声が飛んできた。


「お前、女子がナックルって!」

「これが一番戦いやすいんだよ!」


 男子にしては少し高い声の持ち主。彼の名前はオリバー・ユックス。

 数少ない平民友達として仲良くなった彼は、やや垂れ目で天パがトレードマークだ。


「けど、もうちょっと選択肢はあっただろ!」

「沢山あった選択肢の中からこれを選んだの、五歳の時に」

「止めるなら時を遡らなきゃいけないわよ」

「それは無理!」


 今日もオリバーはテンションが高い。


 生徒の前に立ったカルバンが、ホワイトボードに紙を貼り付けた。


「あ、対戦相手が張り出された!」

「っしゃ! 見に行くぞ!」


 ステラとオリバーが腕を捲って前に出ようとすると、慣れてしまったお嬢様軍団の黄色い声が耳を貫いた。


「まぁ! レオ様のお相手はあの山猿娘よ!」

「たとえ山猿娘でなくともレオ様なら誰にも負けませんわ!」


 お嬢様軍団のお陰で紙を確認する手間が省けた。

 しかし話の内容に全く納得出来ない。


「なんだとぉ……⁉」

「落ち着きなさい。煽りに弱いのがステラのいけないところよ」


 拳を握りしめていると、リタがステラの肩を掴んだ。


「ぐぬぬぬ……!」

「あー……本当だ。この対戦は面白そうだな!」


 背伸びをしてオリバーが対戦表を読み上げた。

 どうやらレオナルドとステラの対戦は覆ることはないようだ。


「なーにが面白そうだ、さ! 私が勝つに決まってんでしょ!」


 ステラが闘志の炎に燃えている。飛び火を浴びまいと、リタとオリバーが一歩遠ざかった。


 ステラ達の様子を見て、ホホホホホホホ! とお嬢様達の高笑いが尚大きくなる。綺麗な空に響くのが憎たらしい。

 より一層拳に力が入った。


「俺はリタと対戦だな!」

「気を遣ってくれなくてもいいわよ、私も本気で行くから」

「え、なんか目が怖い……」


 容赦ないリタの魔法が、きっとオリバーを責めることだろう。

 去りゆく友人を背に、自分の相手は何処だ、と振り向くと額に鋭い痛みが走った。


「いった⁉」

「お前、鈍いな」

「レオナルド……!」


 油断した! デコピンだなんてベタなことしやがって!


 レオ様改め、レオナルドが憎たらしくステラの後ろでせせら笑っていたのだ。


「そんなんじゃ、今回の試合は俺の勝ちだな。剣を抜くまでも無い」

「言ってな。十分後に泣いてるのはあんただよ」


 こんな喧嘩売られて買わない人間が世の中にいるだろうか? 否、いない!


「さっさと行くぞ」

「わかってるわ!」


 競うようにリングに向かって走ると、我先にとよじ登った。


「先に言っておくけど! あんたが皇子だからって、手は抜かないからね!」

「抜いて貰う必要は無い。お前こそ負けたときの言い訳を考えておいた方がいいんじゃないか?」

「それはレオナルドが考えることでしょ」

「あまりにも必死で可哀想だったから負けてあげました、って?」

「しばく」

「おーおー、前座試合までしてくれて先生は嬉しいぞー。けどその辺で切りあげろー」


 カルバンは生徒全員がリングに上がったか確認すると腕を上げた。

 その姿を見て流石のステラも口を閉ざす。嫌いじゃない緊張感に、手汗を握った。


「はじめ!」


 カルバンが空に指を向けると、実戦開始を知らせる空気泡が鳴った。




 生徒達が一斉に呪文を唱える中、一角のリングではまだお喋りが続いている。


「重力ほど広範囲な属性なんざないだろうに。なんでナックルなんだ?」

「重力だって欠点は沢山ある。それを補うためのナックルだよ」

「へぇ……。じゃあ見せてみろ!」


 レオナルドの指から炎が放たれた。


 彼の魔法属性は〝火〟だ。

 迫りくる炎の塊に向かってステラが指を鳴らすと、音も無く消滅した。


「重力で火も消せるのか」

「火に掛かってる重力を無くしただけ。無重力だと気流の温度による対流が生じないから、酸素不足ですぐ消えるんだよ」

「お前、馬鹿じゃなかったのか……⁉」

「失礼すぎるわ! なに心の底から驚いてるのさ‼」


 炎の破片が、地面に儚く散った。

 気を取り直して、レオナルドに標的を定めると呪文を唱える。


「パラエキ・ピート! (沈殿)」

「コンセルブオ! (守れ)」


 ステラの魔法が届く前に守護呪文によって相殺される。

 間に合っていれば、今頃レオナルドはリングに埋まっていただろう。


「今度はこちらから行くぞ」


 レオナルドが指を構えた。ワンテンポ遅れたステラが身構える。


「ランビリス! (蛍火)」

「小っちゃい……火?」


 とても小さい、だけれど目視が出来るくらいの、無数の細かい炎がリング上に舞う。一歩進むだけで小さな火傷を負うだろう、とてもではないが身動きが取れない。


 ステラは人差し指と中指を立てると、レオナルドと自分の間の空間を包囲した。


「イントルダ! (真空)」

「そうきたか」


 ステラの指定した空間が、真空状態になった。レオナルドによって作り出された蛍のような火は、酸素不足ですぐに消えた。


 魔法を掛けては防御され、掛けられては防御して。まるでいたちごっこだ。


 とうとう堪忍袋の緒が切れた。


「全く進まない‼」

「それはこっちのセリフだ」


 苛立ちを隠さないステラは、上着を脱いで腰を落とした。手元でナックルが輝く。


「次は肉弾戦か?」

「そうだよ、ここからが私の本当の得意分野なんだか……っら‼」


 地面を蹴ると、レオナルドに向かって大きくジャンプした。


「(なんだ……?)」


 怪訝な顔でステラを見上げる。すると、とんでもないことに気が付いた。


「ちょっと待て……!」


 なんとゆっくり飛び上がった筈のステラが、異様に加速して近付いてくるではないか。

咄嗟に横に飛び退いた。

 

 バゴォ‼ 

 

 ステラが力いっぱい握った拳を振り下ろした結果、砂煙が舞いリングの一角が叩き割れた。

 このリングの修繕費は学校の備品として経費から落ちるのか、はたまたカルバンの給料から引かれるのか。前者であることを祈るばかりだ。


「あぁっ! レオナルドが避けるから!」

「そのパンチ、重力で強化しただろ!」

「もちろん」


 パンチ強化だけでない。ジャンプの最頂点から下る際、レオナルドの立つ場所と自分自身の引力を高め、パンチの威力を相乗効果で押し上げたのだ。

 力学的エネルギー保存則も真っ青である。


「そのためのナックルだったのか……」

「素手じゃ痛いからね。重力だって近距離戦闘の時代だよ」


 ヒラヒラとレオナルドに見えるように手を振ってみせた。

 しかしナックルを装着していても、強い衝撃は来る。

 まだまだ身体が出来上がっていないステラには、大きすぎる負荷だ。故に一日に何回も無茶なパンチが出来るわけではない。


 再び腰を落とした。


「(こいつが降参なんてするわけない。ゲンコでボコボコにするより、タックルを確実に決めて場外に出した方が早い!)」


 最早魔法の概念が無い。レオナルドが腰に差していた剣を抜いた。


 それを見たステラの顔といったら。本当に正義感溢れる警察官を目指しているのか、と問いたくなるほど、あくどい笑顔だった。


「抜いちゃう? あっ、剣抜いちゃう⁉ 指一本で~とかなんとか言ってなかったカナ~⁉」

「泣かす」


 煽られたレオナルドは素直に挑発に乗っかった。


 剣の切っ先には炎が集められており、確実にステラへ狙いを定めている。

 余談ではあるが、ステラは煽りに弱い。しかし、レオナルドもまたステラと同様煽りに弱く、負けず嫌いだった。


「フラグマ・キテラ! (支配の炎)」


 目に魔力を込めて未来を視た。


 数秒後のレオナルドは、炎で出来た大きなライオンを嗾けてくる。

 それも無重力にしたところで、この短距離では消え切らない大量の炎だ。未来が見えても、ステラ自身の能力が追い付いていないため、回避は不可能だろう。


「これが今の俺の最大魔法だ。どうする?」

「ふん、どうにだってなるわ‼」


 とうとう炎で完成された、レオナルドより大きな獅子がステラに牙を剥く。

 使い魔といい自身の名前といい、この魔法といい。ライオンとなにかしら縁がある奴だ。


「行け!」

「こんな炎くらい‼」


 指を鳴らすが、目が教えた通り半分消えても、ライオンの牙はステラに届く。


 炎の向こうに見える、レオナルドの勝ち誇った顔が悔しさを一層引き立たせた。


「俺の勝ちだな」

「そんなわけ……‼」


 悔しがる理由はもう一つある。数秒未来のレオナルドは、魔法を解いていたのだ。

 襲わせる気はなく寸前の所で炎のライオンを消す、言わば脅しのようなものだった。


 レオナルドも、ステラがこの魔法に勝てるとは思っていない。


 事実なのは間違いない、だが負けず嫌いのステラには耐えがたいこともまた事実。


 一歩大きく前に出た。


「あるかぁ――‼」


 燃え盛るライオンの口の中に拳を突っ込んだ。


「あっづ――‼」

「んなっ……‼」


 ステラの汚い悲鳴と、レオナルドの焦った声が被った。

 流石のステラも逃げるだろう。そう踏んでいたのに、まさか突っ込んでくるとは。


 炎のライオンは完全に消えたが、想像以上の激痛にゆっくりと膝を突いた。



「見せろ!」


 体験したことない痛みと熱さに、きつく目を瞑る。

 炎は炎だ、腕に大きな火傷を負っていた。レオナルドに肩を支えられて立ち上がる。


「医務室へ行くぞ‼」

「まだ試合は終わってない!」

「馬鹿か⁉ 傷が残ったらどうする‼」 

「はいはい! 終わりだー!」


 カルバンがリングによじ登って終了を告げる。

 ステラが我に返り、リングの下を見下ろすとびっくりした。

 なんと、クラスメイトの殆どが集まっているではないか。


「皆もう終わったの⁉」

「お前らの試合長すぎだって。タイムオーバーで二人とも失格!」

「え、えええええ⁉」

「失格でもなんでもいいから行くぞ!」

「レオナルドはここに残って自主練しろー。ステラは先生が連れて行くからなー」


 そんな……! ここまで頑張ったのにタイムオーバーだなんて!


「ステラ!」


 リングから降りると、リタが一直線に駆け寄ってきた。

 彼女の後ろではオリバーが頭にたんこぶを作っている。これだけで二人の結果は聞かなくともわかってしまった。


「なんて無茶するの! ああ、こんなに怪我を……!」

「いだだだだだ! 痛いよリタ!」


 心配してくれるのはありがたいが、空気を揺らさないで欲しい。


 ……空気が揺れるだけで痛いという病気、なんだっけ?


 頭の何処かで他人事のように考えながら、カルバンによって医務室へ連行される。

 そして学校内で密かに囁かれていた〝山猿娘〟に加え、〝怪力娘〟の称号を獲得したのだった。

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