第11話 夜の営み


 それほど高価ではないがベッドの質はとてもよく、疲れ切った俺の身体を良く癒してくれる。一緒に寝ている少女の肌は冷たくすべすべで、ほどよい温かさの毛布と合わせて心地が良い。

 ふと、生徒のアイネに俺とサナの関係は何なんだと尋ねられたことを思い出した。だが結局答えは分からなかった。ただの主従関係以上の関係はあるとは思うが、それが言葉にできない。


「急に黙ってどうしたんですか?」


 俺が考え事をしていると、サナがぐっと身体を俺に押し付けてきた。サナの身体は少女のように背が低く軽い。戯れに背中に手を回すと、更に身体を寄せてきた。


 首筋に白い手が伸びる。俺は死を覚悟した。


「ふふ、そんなに怯えなくても良いですよ。今日は頑張っていましたから、そこまで激しいことはしません」


 夜目の効く俺は暗い中でもある程度の視界を確保することができる。

 サナの表情は笑っているようだった。


「ほんとに?」


 俺は安堵した。


 だが、救われるわけではなかった。


「どこからが良いですか?」


「どこからって……。サナは、どこからが良いんだ?」


 ふふふ。


 サナが可愛らしさを多く含んだ声を漏らす。すると、それを見計らったかのように部屋が僅かに明るくなった。

 カーテンから漏れた月明かりがサナの表情を照らしたのだ。


 ほんのりと上気した頬と期待一杯に見つめる大きな瞳。白く整った容姿と相まって、悪魔をも惚れさせるような魅惑的だった。

 表情が明るみに出てしまい、サナが恥ずかしそうに両手で顔を覆う。片手には何度となく見てきた包丁が握られていた。


「あ、」


 俺はつい声を漏らしてしまった。

 俺に包丁を見せてしまったサナは先程以上に恥じらいを感じたようだ。両手で赤く染まった頬を隠しながら、興奮が抑えられないと言ったように身をくねらせる。


「やっぱり反応しちゃいますよね。だってこれ、いつも使ってる奴だから。で、でも、安心してください。今日は、激しくするつもりはありませんから。だって、あなたは昨日も今日も頑張ってましたし」


 個性であるはずの冷静さをどこかに落としてきたようだ。興奮と何らかの感情によってサナがとても心を乱されている。いや、乱されているのではなく、サナ自身が自分で心を乱しているのかもしれない。

 はぁはぁと荒い息を上げながら包丁を俺の腕に当ててきた。


「少しだけ、少しだけですから


 包丁がぐっと押し込まれる。幾度となく俺を切り裂いた包丁は俺の血を吸ったことで、俺の身体を刻むことに関しては一級品と言っても良い。肉が裂け、骨に届き、再び肉が裂ける。腕が、左腕が切り落とされた。

 流れる血は真っ赤で、俺の心臓の鼓動に合わせてドクドクと溢れ出ていた。

 大量の鮮血がベッドに大きなシミを作り始める。赤く、熱く、強い魔力を帯びた血だ。月光に照らされた室内はまるで一種の儀式場のような神秘さがあった。


 俺の真っ赤で熱い血がサナの白い手を赤く染めていく。


「暖かい。あなたから頂いたこの温もり、嬉しいです。私の身体は冷たいから、あなたの温もりがとても特別に思えます」


 その暖かい手で俺の首筋を撫でる。こんな状況であってもサナの手はとてもきれいに見えた。

 冷たい手は俺の血を浴びたことで熱い。


「このベッドは魔道具じゃないから、汚したら大変じゃないか?」


 俺は被害を抑えるため、柄にもなくベッドのことを心配してみる。以前に住んでいた家ではベッドが魔道具だったため、血で汚れても直ぐに綺麗になっていた。

 そのため、このようなことが起きても問題なかったが、このベッドはそのような魔道具ではない。


 サナが口を尖らせる。


「それ今言いますか。あなたにはデリカシーが足りてませんね」


 デリカシーとは何だろうか。俺は疑問に思ったが口にはしなかった。

 残された右手でサナの頭をそっと撫でる。


「俺の身体は特別だから腕が落ちてもすぐに元に戻る。でもさ、痛いものは痛いんだ。少しは勘弁してくれないか?」


 むっ、としたサナがそっぽを向いた。少し尖った声で俺に文句を付けてくる。


「私知ってるんですからね! 今日、学院長さんに縛られた時、ちょっと嬉しそうにしてました!」


 そうだったかなぁ。


 俺は学院長に会った時のことを鮮明に思い出したが、サナが言っているような事実があるとは思えなかった。

 だが、今のサナには真偽で論争したとしても通用するとは思えない。俺は渋々サナの主張を肯定する。


「ああ、そうだったかもしれないな。確かに俺は学院長に縛られて嬉し、う、嬉しそうにしてたかもしれない。でも、それとこれとは話が別だろ? 片手で勘弁してくれないか?」


「してたかもしれないではなく、嬉しそうにしてました! 学院長さんはあなたの上司ですから、どうせ学院長さんに言われたら何でもするんでしょ!?」


 一体何が起きているんだ。

 今までにサナがこんなに興奮していることなかった。俺の身体に傷を入れようとするのはいつものことだが、こんなに激しく心を乱すところはみたことがない。

 俺が職に就いてサナも何か変化があったのかもしれない。


 はぁはぁと熱のこもった吐息を吐きながら、サナが俺の残された右腕にも包丁を当てる。


「ここ、好きなんですよね。私はもうあなたの身体のことなら何でも知ってるんですよ」


 右腕が切り落とされる。

 流れてくる血は左腕の時より少なかった。全身の血の量が減っているのだ。そろそろ限界かもしれない。


 ベッドは赤く染まり、染まった量だけサナも真っ赤に染まっている。艶めかしい白い肌はもう大半が俺の血の色だ。

 それが嬉しいのか、サナは俺の血をすくって全身に塗っていた。


 天使に作られた少女は天使の性質を持っている。真面目で実直で融通が利かなくて。委員長のような優等生だ。

 だから、自由奔放で自分勝手で不真面目な不良とは常に敵対関係にある。不良と言うのは要するに悪魔だ。


 不良がクラスの輪を乱すから、委員長が不良を懲らしめようとする。不良は反発し、クラス全体が荒れる。それが大昔の天使と悪魔の大戦の元凶だった。


 サナは多分、俺が悪魔だから俺を殺したいのだろう。でも、俺を殺したら機械人形のサナも死ぬことになるから俺を殺せない。

 だから、折衷案として俺を痛めつけるのが好きなんだろう。


 いや、俺を痛めるのが好きってなんだ。

 わからない。俺は分からなかった。


 血が足りないのだ。頭が上手く回らない。


「ふふ、お疲れのようですね」


 サナが俺の頭を両腕で抱えて、胸に押し当てた。慎ましいながらもしっかりと膨らみのある胸はサナが機械人形であるのにも関わらず柔らかい。


「ごめんな。もう、寝る」


 俺は息を引き取るように瞼を閉じた。


 教師を始めてしばらくは忙しいけど、また今日みたいにサナと一緒に……。

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