第8話 課外授業
くっそ面倒な仕事を今日は二件もこなし、俺は華々しい凱旋に心を躍らせる。学院の自宅はまだ二日目ではあるが、既に俺の居城として十分な機能を有していることが判明しているため、安静の場としては申し分ない。
帰ったら速攻で寝るんだ。そして深夜に起きてサナの飯を食べてまた寝る。丁度明日は授業が無いし、深夜まで起きててもサナは許してくれるだろう。最高の一日になりそうだ。
しかし、それを阻む憎き悪が立ち塞がっていた。
アイネである。
「帰れ」
開幕一言そう言い放った。
「帰れません」
アイネは無理だと断った。
「帰ってほしい」
俺は悲しそうな顔で情に訴えることにした。
「……何かあったんですか?」
俺の思わせぶりな表情に心を揺さぶられたアイネが申し訳なさそうに気を弱くする。
俺は勝利を確信した。この貴族様はプライドが高いように見えて実は叩くと脆いタイプだ。ここに来たのも、気の弱さが原因だろうことは想像に難くない。そもそもプライドが高かったらわざわざ俺のとこまで来ようとは思わないからな。
「実は……。うッ。すまない。お前には話せないことなんだ。今日は一人にしてくれ」
如何にも何かありそうに演じる。
アイネは酷く動揺していた。
「ちょ、わかった。わかりました。今日のところはこれで帰ることにしますから。何かあったのなら力になるから、そんなに思い詰めないでくださいね」
……思った以上に効果があったな。俺の少ない善意が痛んだぞ。
だがまあ、邪魔を排除できたのは大きい。俺は再度の凱旋に胸を躍らせた。
「どこでそんな演技力を身に着けたんですか?」
が、伏兵に背後を取られていることに気付かず、俺の凱旋は最悪なものとなった。
「アイネさん、でしたよね。このアホの言ってることは無視してください。このアホは何かあるとすぐ逃げる癖がありまして、そのためには恥も外聞もお構いなしなんですよ。元ニートという恥の塊ゆえにとんでもない化け物に育ってしまいました」
言っとくが俺がこうなったのはニートになる前からだぞ。ニートは関係ない。ニートは悪くない。ニートを悪く言うな。お前らが思ってるよりもニートは悪くない。
つまり……、ニートは良いものだ。
「はぁ!? ……まあ、そんな感じはしてたけどここまで酷いとは思ってもなかったわ。こんなに健気で可愛らしい使用人さんが大変だとは思わないの!?」
おい、敬語がなくなってるぞ。さっきまでの俺に敬意を払った言葉遣いはどうした。
可愛らしいと言われたサナが嬉しそうに頬に手を当てる。
「それはもう、大変ですよ。このアホの怠け癖は第一級で他の追随を許さない程で、魂に刻まれてますから改善も見込めません。教師になれば少しは変わると思ったのですが、このありさまで」
いい加減にキレるぞ。本人の前なのに遠慮なくぼろくそに言いやがって。
と思ったが面倒だったのでやめた。
俺は二人を無視して家に入る。鍵は持っていた合鍵で開けた。
「てなわけで、ここは俺の家だ。お前は帰れ。何か質問があるなら授業中にしろ」
じゃあな。と、ひらひらと手を振った。これで今日のところは引き返してくれるだろう。
そもそも、俺が貰ってる給料は授業料分だけなのでプライベートにまで侵入されるのは規則違反だ。
大義はこちらにある。俺は大手を振ってベッドに向かった。まだ昼だが、今寝れば夜に起きれる。夜は俺の独壇場なので、それが俺本来の生活習慣と言えるのだ。
しかし、この家において最も地位の高い者は家主である俺ではないらしい。奇しくも、サナがアイネを客間に招き入れることになってしまった。
こういう時のために教師用の家は大きく作られているらしいのが憎たらしい。いっそのことくっそせまい研究室の方が俺には合ってるまである。
俺はサナに引きずられるがまま、客間に連行された。
「さて、アイネさんはどういった御用で家までいらっしゃったのですか?」
サナが淹れてきたコーヒーを人数分テーブルに置く。俺の分はなかった。
きっとこの後すぐに寝る俺のことを思っての気遣いだろう。使用人の思いがけない家主を想う心遣いに感動せざるを得ない。
だが、アイネにはサナの気遣いがわからないようだ。サナと俺を交互に見ては首をかしげている。
ちなみに俺とサナが隣同士で座り、テーブルを挟んでアイネが反対に座っている。
「あの、お二人はどういったご関係で?」
「見て分からないか? というか今朝授業で説明したと思うんだが」
こいつ真面目に授業を聞いてるふりして違ったのか。俺と同類か?
「助手兼使用人という話は聞いたけど、それにしてはちょっと……」
アイネは非常に言いづらそうに、かつ正しいのかどうか分からないといった風に首をかしげて言った。
「先生が目下にしか見えないんですけど」
アイネが大きく首を縦に振った。
「その通りです。アイネさんは随分と見る目がありますね」
その通りじゃないんだが。
「お前を雇ってるのは俺で、俺はお前の御主人様だろ。いつからお前の方が権力が上になったよ」
「でも、あなたは私がいないと生きていけませんよね」
「それはお互い様だろ」
お互い様である。
互いに反論が無かったため、本題に移ることにした。
「で、お前は何で俺の家にわざわざ来たんだ?」
しかし、アイネは納得がいかないようである。
「あの! やっぱりお二人の関係がイマイチつかみきれないんですけど!?」
今さっき話しただろ。まだわからんのか。クソアホが。
流石に俺だけでなくサナも面倒に思ったようだ。アイネに質問に答えるよう促す。
アイネは渋々といった風だが、諦めて話を進めた。
「授業で先生が言ってた魔法陣について教えてほしくて来たんだけど、時間は……あるみたいで安心したわ」
こいつサナには敬語の癖に俺にはタメなんだな。まあ、ニートを敬えと言われても無理なのはわかるけどさ。
で、魔法陣を教えてほしい、とな。
「無理だな」
「どうして? 時間ないの?」
「面倒、ゴホンゴホン。俺の給料に含まれてないからだ」
契約以上の仕事をするのはブラックの烙印を押されることになる。俺はこの学院にそんな酷な烙印を押させたくない。
知り合いの学院を守ろうとする俺は今、最高に輝いているに違いない。と確信して、サナの方をちらりとみると、なんとも微妙な顔をしていた。
そんなサナに勝機を見出してか、アイネがサナに協力を要請する。
「サナさん、お願いします。私に協力してください」
サナは厳しい顔持ちでコーヒーを口に含む。口の中でしっかりと味わってからコクリと飲んだ。
「不服ですが、給料分の働き以上をさせるのは難しいですね。契約は契約ですから」
不服という枕詞は余計だが、サナは俺の側についてくれるらしい。これなら俺の勝利は約束されたようなものだ。
ふんぞり返って笑みを浮かべる。これからの睡眠が楽しみになってきた。待ってろよベッド。なんなら今すぐにでも迎えに行ってやる。
「勝ったなベッド行ってくる」
などと俺が勝利宣言をして立ち上がると、テーブルがダンッ! と叩かれた。
一瞬、部屋が静まる。
「お金ならあります」
何枚かの紙が入っているであろう封筒が置かれていた。
アイネは言外に金で雇うと言っているようだ。確かにそれなら給料分を超える仕事をさせることができる。
封筒に入っているところを見るに、予めこうなることを予想していたのだろう。相手は中々に手強そうだ。
だが、サナには敵ではない。
「私達は学院長に雇われているので、後から勝手に別の仕事をするには先に学院長にお伺いを立てなければなりません。副業に関しては私はまだ把握していませんから。それに子供からお金を巻き上げるのはどうかと思うので、できれば学院長を通して話をしてもらえれば……」
学院長には頭がおかしいなどと言われていたが、サナは俺なんかよりも人のふりをするのが圧倒的に上手い。アイネが子供だからと特別視するのは当然だった。
アイネの年齢は定かではないが恐らく15手前。この国は15歳で成人なのでまだ子供である。
現状を整理すると、
アイネは俺に課外授業をしてほしい。だけど、俺は課外授業するだけの契約をしていない。だから、アイネがお金を払って俺と課外授業の契約をする。しかし、子供からお金は受け取れない。
というところか。
つまりは詰みであり、俺の勝ちである。
が、別に詰みではなかったし、俺の勝ちでもなかった。
「この家に学院の規則を記したものはありますか?」
まだ折れないのか。俺みたいなゴミに教えてもらうためによくここまでやるもんだ。何がそんなに良いんだ?
俺は少しだけ感心した。
サナが学院の規則の描かれた小冊子を持ってくる。アイネは小冊子を受け取り、ぱらぱらとページをめくった。
目当てのページを見つけると俺達に見えるように反対にして要約を読み上げる。
「課外授業の規則について書かれてあります。生徒の望む範囲で要請される課外授業に関しては、規則に則る範囲でのみ行うことを許可する。つまりは私と先生の署名を学院に提出すれば問題ないってこと」
そんな規則があったのか。知らなかった。つーか、これを先に言ってればここまで言い合いする必要なかったのにな。
俺がここまで意地っ張りだとは思ってなかったんかね。
まあ、普通は二つ三つ返事で良いって言うのかもしれんしな。
「細かい内容は私の方で読んでおきますね」
「ああ、頼んだ」
ってことは何だ? 俺はこいつに魔法陣について教えないといけないってことか?
一応、拒否はできるんだろうけど、規則で許されてる以上、サナが拒否させてくれないだろうし。
「一つ、言わせてもらうけどさ」
俺は苦し紛れに最後の奥義を持ち出すことにした。褒められた内容じゃないから言いたくなかったけど、恥も外聞も俺の障害にはならない。
プライドのある
「今少し話をしただけで俺がどんだけゴミなのかは伝わったと思う。自分で言うのも何だけど、俺ってとんでもないゴミだよな。仕事は最低限しかせず、生徒がわざわざ家まで来たってのに態度は最悪。おまけにこんなに優秀な使用人がいるのに甘えて堕落を治そうともしない。こんなゴミに教えを乞うなんてお前の格が下がることになるぞ。それでも良いのか?」
間髪入れずアイネは頷いた。
「もちろんです。その覚悟を持ってないとここまで来ていません」
…………さいですか。
そこまで言うなら、しゃーねーかな。
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