第7話 学院長
この学院は恐ろしいほど広く、気を抜くとすぐ迷子になる。過剰なほどに施設が整っており、この学院の生徒ならほとんどの施設を利用できるという。どこからそんな金が出ているんだと思わなくもないが、おおよそ見当はつく。
俺みたいなゴミを多数採用することで給金を削っているのだろう。
と初日は思ったが、今はそうではないのではと疑い始めている。
貴族がやたらと多いのだ。
この学院は学問の場という特性を強くするため、身分の差をほぼ考慮していない。そのため特権を望むであろう貴族からしてみれば上手くない話のはずで、この学院に来るとは考え難い。
だが、どうやら貴族社会では魔法について学ぶことは出世するために重要な要素らしい。そのせいで貴族が多く、貴族の献金が集められるようだ。
まあ、それにしてもこの学院の金銭事情は少し常軌を逸しているとは思うが。
「着きました」
サナに連行されて学院長の部屋の前に来た。部屋の前に居るだけなのに既に嫌な予感が肌に付く。他よりも立派なドアが威圧感を放っているような気がする。
ともあれ、ゴミのような俺を雇ったゴミとの邂逅である。
サナがドアをノックすると中から許可が下りた。女性の声だった。
俺は不吉な何かを感じて、サナを盾にするように後ろに隠れる。
「ちょっと。あなたが先に入ってください」
「どうしてだ? 何か企んでるのか? サナは昨日会ったんだよな。どんな奴だった?」
サナが前に立ちたくない理由はそこにある。ゴミと会って、何らかの密約を交わしたのだろう。なら、俺が前に立つのは悪手だ。
相手が何を考えているのか分からない以上、俺は最大限の警戒をしなくてはならない。
甘いんだよ。俺がそんな簡単に引っ掛かると思ったか。
「…………わかりました。私が先に入ります」
渋々、サナはドアノブに手をかけた。
直後、ガチャ、と何らかの仕掛けが動いたような音が鳴った。
やはり罠だったようだ。サナは学院長と企んで俺をハメる気だった。
俺は予測できていた事態から逃げようと余裕の表情で走り出し、足をくじいたせいで盛大に転がった。
俺の運動不足が祟ったわけではない。サナが俺の脚をひっかけたのだ。
「まったく、すぐに逃げようとするんですから。その腐った根性は直さないといけませんね」
おかしい。何かしらのトラップが作動した音は確かに聞こえたのにサナが巻き込まれてない。
部屋の中から先程の女性の声が聞こえてきた。
「何かあったのか?」
「いえ、何も問題はありません。いつもの発作です」
ひでぇ言い訳だな。
「ほら、学院長が待ってますから早く行きますよ」
サナが転んで伸びてる哀れな俺に手を伸ばしてくる。どうやら俺はとんだ勘違いをしていたらしい。
学院長もサナも何も企んではいなかった。
「疑って悪かったな」
俺はサナにささやかな謝罪をして、晴れやかな気分で学院長の待つ部屋に入った。
そして拘束された。
簀巻き状にされた俺は取り敢えず弁明する。
「罪状は何か」
学院長が俺の顔を覗き込んでくる。
若々しいどころか子供である。一見学院長とは思えない相貌だが俺はこいつを知っていたため、特に「子供じゃん」みたいな反応はなかった。
お前が学院長で大丈夫かよ、みたいな顔はしていたかもしれないが。
「お前は変わってないな」
ニートやってたからな。
言い返す。
「お前は変わったみたいだな」
学院長はふんっと機嫌悪そうにそっぽを向いた。窓の外へ目を向けて、何かあると言わんばかりにぽつりと言葉を漏らした。
「お前が居なかったからな」
「面倒ごとがなくなってよかっただろ。俺みたいな無気力問題児はいない方が社会のためだ」
ゴミがゴミ箱に捨てられるのなら、俺もそうなるべきなのだろう。というより俺は実際にそうなったに過ぎない。
「だからニートになったのか?」
俺は黙って首肯した。床に接地した状態で口を開くと埃を吸いそうになるのだ。
「勿体ない。その能力、私のところで活かしてくれれば良かったのに」
埃を吸わないように注意している俺の代わりにサナが返答する。
「過去の女にもなれなかったくせにえらい言いようですね。今更このアホがあなたに協力するとでも思っているのですか?」
おい、知らん話をするな。なんで俺が振ったみたいな感じになってるんだよ。そんな気配は一瞬たりともなかったろ。
学院長は図星を突かれたのか大げさに声を上げる。
「な、な、何を言う!? 私はそんな気は少しもなかったぞ!? 誤解を生むような変なことを言うな!?」
……図星か? いや、そんなことはないだろ。大体、俺は昔からこんな性格だ。あるはずがない。
学院長が否定したというのにサナは強気な言葉をやめなかった。それどころか学院長に迫るように一歩踏み込み、勝ち誇ったように笑みを浮かべる。
「ああ、そうでだったかもしれませんね。あなたはまだ一度たりともこのアホの身体を刻んだことはありませんでしたね」
刻む?
俺も学院長もサナが何を言ってるのか理解できなかった。ニート生活が長かったせいで、ついに俺の理解力も衰えてしまったのかもしれない。
「私は既にこのアホの四肢を幾度も落としてきました。随分と喜んでくれましたよ。最近は……慣れてしまったのか叫んだり喚いたりしてくれませんが、最初の頃は、それはもう大層素敵な声を私にくれたものです」
頬を染め、恥ずかしそうに身を縮める。まるで恋する乙女のようだった。
…………何を言っている?
俺はついに自分で考えることをやめて、理解力の高い学院長にヘルプを求めた。
ヘルプ・ミーの視線を学院長に飛ばす。
「…………何を言っている?」
学院長も理解できていなかった。
しかし、サナはその不可解な言葉を聞いて満足そうに頷いた。
「分からないふりをしなくても良いですよ。ですがまあ、私も大人げなかったですね。この辺にしておきます」
何が言いたかったのかはわからないが、とりあえず話は終わったようだ。
頭の整理のため、少しの間、室内が静かになる。結果、学院長も俺と同様に考えることをやめたようだ。態度が元に戻った。
「授業はしっかりできているか?」
俺はサナに代わりに喋らせないように拘束から脱して埃の床から空気の世界に戻った。よく見たら床は綺麗に磨かれており、埃は無かった。流石は学院長室である。
「問題ないな。昨日出した第四階魔法の課題もみんなやれてたし、今日の授業も文句とか来なかったぞ」
「生徒のことはどれだけ見ている?」
「んー、まあまあだな。一人うるさいのがいるってぐらいか。他はみんな普通な感じだぞ」
言うと、学院長は大きなため息をついた。
「はぁ、先ずはお前のサボり癖から直す必要がありそうだな」
失礼な奴だな。俺の授業が如何に無難にできていたのか観てないくせに。そういう文句は見てから言ってくれ。やっぱりこの上司はゴミだな。
「このアホの授業には私も参加しましたが、できていたと思いますよ」
サナが珍しく俺を擁護してくれた。
だが、学院長はサナにも冷たく当たった。
「サナ、お前もだ。他人に興味ないのはお前たちの悪い所だぞ。長い間ニートを介護するためとはいえ、閉じこもるのを許容している時点でお前もどこかおかしいことに気付け」
確かに。サナは俺と比べると普通に見えるが十分に頭が狂っている。さっきの謎発言もそうだが、昨日の包丁を持って校内に入っていたのもトチ狂ってる。
「だってよ」
「そう、かもしれませんね」
納得はできないが、言われてみればそうかもしれない。
その程度にはサナは学院長の言っていることにも一理あると感じたようだ。
学院長がお高そうな椅子に座る。とても疲れているようだった。
「本当はお前たちに協力してほしかったのだが、先にお前たちにはやる気を出してもらう必要があるみたいだな」
「やる気? そう言われなくても、給料分はしっかり働くつもりだぞ。今のところ授業程度なら何とかなりそうだしな」
「それだけじゃ足りないんだ。人手不足でな。お前達みたいな使える人には、それだけ沢山働いてほしい」
ブラックかよ。無能と同等の仕事量でいいじゃねーか。一部が苦しい思いをするのは間違ってる。みんなで楽をするのが最善だろ。
でも、そう上手くはいかないのが世の中で、結局、誰かが無理をしないと回らないようになってる。
今の場合だと学院長がそうなのだろう。
「言っとくが俺は今よりも多くの仕事はやらんぞ」
学院長は苦い顔をするも、文句は言わなかった。
「今はそれだけで十分だ。お前を脱ニートできただけでも私の成果は大きいと思っている」
意地でも俺に何かをさせたいらしい。面倒な奴だ。
「そうかよ。お前が何を企んでるのかはどうでも良いが、俺はお前の思い通りにならないようにするよ」
俺はサナの手を引き、部屋から出るよう言った。
「なんだ、もう出るのか? 久しぶりに会ったんだ。仕事の話以外もしたいんだが」
「これぐらいで良いだろ。俺はここの教師だ。今日みたいに話がしたいのならいつでも呼び出せる。お前は俺の上司に当たるからな」
まあ、呼ばれたからと言って行くとは限らんが。
俺は二日目の勤労を無事に終え、帰宅することにした。
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