第3話 授業


 たっぷり迷った末に辿り着いた俺の研究室は悲しいかな、くっそ狭かった。具体的にどれぐらい狭いかと言うとベッドを三つ置いたら脚の置き場がなくなるぐらいだ。これじゃあ学生寮よりも小さいぞ。

 おいおかしいだろ。ここは世界で魔法の最先端と言われている最大手様で馬鹿みたいに広い土地をお持ちの超優良債権主だぞ。それがどうしてこんな無様な部屋しか用意できなかったんだ。まあ、俺が研究することなんかないっていうのを遠回しに言われてるのだろうが。


 悲しい。実に悲しい。


 教師になったと言っても俺はニート並みの人権しか持っていないのか……。違うな、あるだけマシか。

 悔し涙が頬を使うのを俺は我慢し教材を抱え最初の授業に向かった。


  ◆  


「おっそい!! 新しく来るって言う先生はまだ!?」


「うるせぇですよ。リーヴィアス家のお嬢様なら黙って予習してれば良いですよ」


 廊下まで聞こえてくる癇癪を聞いて俺は教室の前で脚を止めた。落ち着いて時間を確認する。大遅刻だった。研究室に向かうまでに迷ったのが原因だろう。

 とはいえ初っ端の授業からこれじゃあ散々言われても仕方ねぇ。気にするだけ無駄ってものだ。俺は堂々と教室の戸を開けた。


 ――ガラガラ……


「うーっす、遅れてごめん。じゃあ早速始めるわ」


 教室内が一瞬で静まり返りダラダラと教室に入ってきた俺に視線が集まる。俺は注目を浴びているにも関わらず何の説明もせずに頭を掻きながら教壇に立った。

 教室内に居る生徒は20前後。全員が既定の制服を着て既定の杖を持っている。年齢は大体15になるかならないか。教室の最前列に女生徒が二人離れて座っているが恐らくこの二人が廊下にまで声を響かせていた問題児だろう。


 その問題児の片方が俺と目が合った瞬間、バンッと机を叩いて立ち上がった。


「あッ! あんたはさっきの変な奴!」


 前に座っていた少女が指をさしてくる。変な奴とは失礼な奴だ。こんな人の心のないお前は一体誰だ?

 あー、こいつ今朝のパンツの奴か。こんなにうるさい奴だったとは人は外面に寄らないってのは正しかったんだな。


 俺は面倒だと溜息を付いて授業を始めた。


「えーっと、今日は第四層魔法について……か。まあ取り敢えず教科書開いてくれ」


 研究室に置かれていた教材とメモによるとこの授業では第四層魔法を学んでいる途中らしい。つまり俺はそれを引き継いでこの馬鹿っぽい生徒たちに第四層魔法を教えないといけないということだ。それが俺に最初に与えられた教師の仕事だった。


「ねえ、無視しないでよ! あんたさっき女の子を操って包丁で刺されようとしてた奴でしょ!?」


 はぁ? なんだこいつ何言ってんだ? 頭に変な生物でも飼ってんのか?


 何をどう解釈すれば俺がサナに包丁で俺を襲うように指示したことになるんだよ。何だこいつ、身なりが良いから勝手に貴族か何かだと思ってたけどほんとに貴族か?


 ごほんごほん。いかんな。俺は教師として来てるんだから無駄に時間を使ってはいけないよな。俺は堕落の頂点に立つものであるが契約を無下にするほど落ちぶれてはいないんだ。


「魔法は10の階層がある。最も浅い1から始まり最奥に位置する10が最後だ。今日は第四層、魔導士と認められる一歩手前の魔法について話そうと思う」


 何から始めれば良いのか分からず教科書を適当に読んでいたら声を上げて手が上がった。先程の貴族っぽい少女ではなく別の少女だ。


「第三層魔法と第四層魔法って何が違うですか? 二層と三層は実用性があるかねぇかだったですが」


 ふむ、良い質問だ。えーっとなになに……。


「三層と四層の違いは然したるものではない。魔法の質が高いか低いか程度だけである。……なるほど、つまりは四層は三層をより精練したものってわけだ。理解できたか?」


 どうやら理解できたらしい。俺は次に移ろうとページをめくる。


「ちょっと、何私を無視して先に進んでるのよ」


 またうるさいのが口をはさんできた。まったく、授業妨害とは褒められたものではないな。どうやって黙らせようか……。考えるまでもなく本人に直接聞くのが手っ取り早いか。


「どうしてそんなに突っかかるんだ?」


「自己紹介。私達はまだあんたのことをただの変態としか知らないの。私達があんたに教わる程の実力者なのかってのを証明しなさい」


 席を立ち堂々と言ってのけた。他の生徒は少女の言い分に何度も頷いている。

 言われてみれば自己紹介をしてなかったな。確かに道理だ。だがそれは向こうも同じだ。


「人に尋ねるときは自分からってのが鉄則だぞ。先にお嬢さんのことを教えて欲しいね」


 なるべく紳士風に尋ねる。いさかいは無いほうが良いに決まってる。まあ、反論せず黙って俺から自己紹介をすれば良いというのはもっともな意見だが、子供に言われて訂正するのは何か気に入らないんだ。


 うるさかった少女は急に佇まいを整えて軽く一礼した。先程とは一変し身なりに相応しい気品を感じさせる。


「私はリーヴィアス家の長女アイネ・リーヴィアスです」


 ……。


「それだけ?」


 他に何かあるだろ。例えば寝るのが好きだとか得意魔法とかさ。言いたくないのなら良いけど。にしてもリーヴィアス家……俺にはちっともわからんがきっとでっかい歴史ある家なのだろう。


「余り殿方に多くを知られたくない年頃でして。さあ次は先生の番ですよ」


 俺はさらっと教室内を見渡した。誰もこの少女、アイネの態度に口を挟む者はいない。先程の無礼なアイネと今の畏まったアイネの温度差についていけていないのは俺だけのようだ。

 これで平常運転って大変だな。なんてことを考えていると別の少女と目が合った。少女は俺に向かってうんうんと頷く。もしかしたら俺と同じくこの少女もアイネのことを面倒な奴と思っているかもしれない。


 黙っているとアイネが急かしてきたので、こほんと一つ咳をして口を開いた。どうやら俺のとびっきりの武勇伝を伝えねばならぬときが来たようだな。


「俺はそんじゃそこらの男とは一味も二味も違う。そうだな、言うなれば俺はマーマイトみたいなもんだ。マーマイトって知ってるか? 一部の味覚のおかしい偏屈な人には人気があるが他のものにはゲテモノとされてるおおよそ食べ物とは思えない激苦な食べ物だ」


 普通を越え珍味を越え、最果てのゲテモノの地位を獲得した最悪の食べ物。俺を評価するとなるとまさにゲテモノと言える。


 つまり、と俺は一拍置いて言った。


「名前はヨハン・ヒートライト。生まれてから昨日まで一度たりとも定職に就いたことのない生粋のニートだった者だ。これからよろしく」


 んじゃ授業を再開しますか。


「ちょ、ちょっと待ってよ。意味不明なんだけど」


 俺は無視して黒板に文字を書き始めた。もちろん教科書に載っているものを丸写しだ。


「ヨハンせんせー字が汚ねぇですよ。もっと読めるように書いてくれです」


 アイネを差し置いて指摘が来た。


「ごめんな、俺って面倒臭がりだから省略して書く癖があるんだよ。そのうち慣れるだろうから慣れるまでは教科書読んでくれ。えーっと、名前は?」


 どうせ書いてることは教科書とは変わらないので読めなくても問題ないはずだ。


「ルルです。そこの貴族様とは違って田舎の中の田舎育ちなんで言葉遣いがてきとーなんでよろしくですよ」


 ルルか、覚えやすくて良いじゃん。一般生徒なだけあって貴族のお嬢さまよりも弁えてるのが高評価だな。


 アレミラス魔法学院の生徒には一般生徒と特別生徒がいて、それぞれ入学条件は異なるものの基本的に同じ教室内で授業を受ける決まりになっている。そのため特別生徒のアイネと一般生徒のルル、貴族と平民が同じ場で魔法を学んでいるのだ。


「だから!」


 うるさいなぁ、またアイネ様かよ。何回俺の初授業を邪魔すれば落ち着くんだ。これはもう無理やり黙らせても良いよな?


「私を無視しない――」


 ――ちょっと寝てろ


 俺はアイネを指さした。うるさかったアイネが急に目を閉じ机に突っ伏す。


 うるさいのも静まったし続きを……。


 ――ゴーン。ゴーン。


 鐘の音が響き渡る。はぁ、やっとか。


「じゃあ、今日はここまでな。復習と予習をしっかりしておくこと。そうそう、魔法陣を描いた紙を全員分用意してるから明日までに使えるようになっといてくれ」


 課題を出すって教師っぽいよな。俺はなんか仕事をした気になりながら紙を教卓に置いて教室を後にした。面倒な授業も終わったし次は飯だ飯だ。


  ◆  


 ヨハンの去った後の教室内は随分と荒れていた。


「今回もまた面白そうな先生です。貴族様もそう思っちゃいますよね? おっと、貴族様はおねむみたいですよ。授業中に寝るだなんて、いけねぇですね」


 前任者も面白かったが今回はもっと面白いことになりそうだとルルは上機嫌にアイネを小突く。


「むにゃぁ」


 アイネは頬を小突かれるたびにだらしのない声を漏らす癖があった。それが楽しくてルルはつんつんと頬をつつく。貴族にするにはあからさまに不敬な行為。だがここにはルルを止めるものはいない。この教室にいるアイネを除いたメンバーには不敬などといった価値観は抜け落ちていた。


「メガネ、それ課題です?」


 ルルは教室内で配られていた課題をメガネの少年から受け取った。そして課題の魔法陣を見て確信する。


「見たことない魔法陣……。期待が膨らむってもんですよ」


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