第17話 みんなの委員長 西宮紗宵

「うわっ!」


 目の前の生物から逃れようと反射的に仰け反った。背中が背もたれにぶつかり、ガタンッと衝撃音が鳴る。

 痛みにもだえていると、くすくすと柔らかな笑い声が耳をかすめた。声の方へと顔を上げると、手をひらひらとさせた女子生徒が僕の正面に立っていた。

 目元を囲む、少々野暮ったい銀縁のメガネがきらりと光る。胸元へと垂れている丁寧にくくられたおさげが、固定されたようにそこに乗っていた。


「うわっ! って失礼な。手だよ、手。私の手。彩風あやかぜくん、いくら呼んでも全然気づかないんだもん」


「あぁ、なんだ委員長か」


 未知の生物の正体は、委員長こと西宮にしみや紗宵さよの右手だった。びっくりしすぎ。そう笑う彼女に、顔の表面が熱くなってくるのを感じる。

 彼女と僕は今年から同じクラスになったことで知り合いになった。みんなから委員長と呼ばれているがじつはこれはあだ名で、本当に学級委員長というわけではない。

 確かに一年生のころは学級委員長をやっていたらしい。だがそれは関係なく、由来はその聡明な知性と大人びた風貌から来ている。

 現に彼女は今年から学級委員長ではなく、この学校でいちばんブラックな委員会である文化祭実行委員に就いていた。不人気すぎて、基本じゃんけんで負けた二人が選出されるこの委員会。今年は委員長が立候補してくれたおかげで枠が一つ減り、クラス中から安堵の息がこぼれたのはつい先月の話だ。


「なに? 物思いにふけって。漫画の主人公みたいだったよ?」


 意識が空に羽ばたいていた姿を見られていたらしい。さぞかし間抜けな顔をしていたんだろう。


 委員長と僕がこうして自然に話をしているのは、僕らの仲が特別いいからというわけではない。彼女は委員長の名のごとく別け隔てなくみんなに優しく接してくれるため、僕含め多くの生徒から親しまれているのだ。彼女はまるで姉もしくは先生のようで、同級生ということを忘れてしまいそうなときがある。


 委員長を前にして、ふと暗闇のなかに光が見えた気がした。僕とあさがおの話。もしかしたら、委員長なら答えに導いてくれるかもしれない。

 固まっている僕を不思議そうにのぞき込んでいる彼女に、意を決して切り出した。


「あのさぁ、委員長。ちょっと相談なんだけど」


「ん? なに?」


「今、妹とけんか……ではないけど、そんな感じになっててさ、何日も話を聞いてもらえてないんだよね。どうしたらいいと思う?」


 配信関連のことを省いたため、自ずと漠然とした質問になってしまう。それでも委員長は真剣に考えてくれた。唇に手を添え、うーんと思案げな声が落ちる。緩やかに円を描く銀色のメガネから、皺の寄った眉間がのぞき見えた。窓から差し込む光が、コトリと傾く彼女の白い肌を優しく撫でる。

 こうして親身になって考えてくれている姿を目の当たりにすると、改めて彼女が多くの生徒から頼られている理由がよくわかった。


「けんかではないって、なんか悪いことしたんじゃないの?」


「いや、確かに僕が原因で傷つけたんだけど、なんていうか……事故、みたいな感じ。偶然と偶然が最悪なほうへ重なり合ったことで起きてしまった不運な事故」


「なるほどねぇ」


 そう言ってまた彼女は自身の頭のなかに入り込んだ。手持ち無沙汰な時間が流れ、喉がごくりと上下する。

 うつむいていた彼女の顔がゆるりと持ち上がり、レンズ越しの茶褐色の瞳と目が合った。


「それってたぶんだけど、その問題に悪者がいないからどうしたらいいかわからないのかな? だからどうやって歩み寄ったらいいか悩んでいる」


 ハッと息を呑んだ。まさにそのとおりだ。

 脳内に電撃がほとばしる。委員長の言葉が、掴みどころのないモヤモヤした気持ちに実体を与えた。


「そう! まさにそんな感じなんだよ! 明確に悪いことをしたわけじゃないからどう謝ったらいいかわからないし、そもそも謝ること自体相手にとっていいことなのかどうかわからなくなってきて。だからとりあえず話だけでもと思って話しかけるんだけど、口を利いてもらえなくて」


 盲点を突かれた弾みで、思わず早口になってしまった。

 僕に動じることなく、委員長は冷静に続ける。


「彩風くん、口を利いてもらえないって言うけど、もしかしてその事故とやらについての話しかしようとしてないんじゃない?」


 オフ会からの自分の行動を振り返ってみた。記憶を一つひとつたどっていくにつれて、身体が凍っていくのを感じる。あさがおとの奮闘の記憶が、そのまま失敗の記憶へと変換されていく。喉奥から紡がれた声には、自ずと自責の念がにじんでいた。


「仰るとおりです……」


「きっと妹さんも彩風くんが悪いことをしたとは思ってないと思うよ。悪者がいない事故って傷つけた側もそうだけど、傷つけられた側も気持ちのやり場がないからどうしたらいいかわからなくなってるんだと思う。きっと彩風くんは結論を急ぎすぎてるんじゃない? すぐに『事故について話す』とか『謝る』とか、最初から本題に入ろうとするんじゃなくて、例えば一緒にお出かけとかして、もっとゆっくりと外堀を埋めていったほうがいい気がする。本題に入るのはそれからでもいいと思うよ」


 開いた口が塞がらなかった。目の前にいる女の子がお姉さんでも先生でもなく、神様に見える。

 委員長の言ったことはあまりにもシンプルで、そして的確だった。そんな簡単なことだったのかと拍子抜けする一方で、それに気づけないほど焦っていたことを自覚する。

 さっきこの問題を知った人にここまであっさりと解決に導かれると、いままでの僕はなんだったんだとつい引け目を感じそうになった。


「すごいね、委員長。まるでなにからなにまで全部知ってたみたい」


「えっ。ま、まあね。ほら私よく人の相談に乗ってるから、こういうこと考えるの得意になったのかも」


 心の底から称賛の気持ちがあふれてくる。

 もやが晴れた目でまっすぐ見つめると、委員長は照れたように顔を逸らした。緩んだ頬がほのかに桃色に染まる。


「ほんっとにありがとう委員長! おかげでなんとかなる気がしてきた!」


「う、うん。どういたしまして」


 お礼を言うとすぐさま机の横に置いてあったリュックを肩にかけた。

 「それじゃ!」と手を上げた僕に、「じゃあね」と委員長も手を振る。


 一目散に教室の外へと走り出すと、後ろから委員長の声が追いかけてきた。


「あっ、違う! そうじゃなくて! 委員会の話があって!」


 その叫びは僕に向けられたもののようだった。だが、きっと気のせいだ。


 委員長のアドバイスを忘れないうちに早く帰らなきゃ。

 そう思うと朝より軽くなった身体は、次第に走る速度を上げていった。

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