第3章 神のお告げ と 似た者同士

第16話 攻防の日々

 チャイムが鳴る。

 それはどこか遠くから聞こえるようでもあり、また近くで響いてるようにも聞こえる。

 音の余韻が流れていくほうへと顔を向ける。額縁みたいに四角く仕切られた窓の外、色素を抜かれた青空に鳥が一羽飛んでいるのが見えた。自身を阻むものがない空間を、黒い羽が線を引くように羽ばたいている。校舎三階。あの鳥と同じ位置に目線があるというのに、たった一枚のガラスを隔てただけでどうしてこうも違うのか。

 鳥だったものが僕を置き去りにしてだんだん遠ざかり、次第に黒い点へと変わっていった。僕もあの鳥のようにこの青空を自由に飛ぶことができたなら、今身体を支配している陰りも少しは晴れるのだろうか。


 重たいため息を落とし、軽く目を閉じる。

 瞼の裏に浮かんだのは、あさがおとの虚しい攻防の日々だった。


  ***


「ねえあさがお。最近コメント……」


「あっ、用事思い出した」


 あさがおは芝居がかったように手を叩き、軽快な足音を残してどこかに消えていく。最近はずっとこの調子だ。もう何度目かわからないこのやり取りに、頭を抱える。

 あの投げ銭を最後にあさがおがコメント欄に現れなくなってから数日。どうにか戻ってきてくれないかと会話を試みるも、何かしら言い訳をつけて逃げられてしまう。

 やはり知らなかったとは言え、兄の信者だった事実は触れられたくない黒歴史なんだろうか。


「あさがお。配信のこと……」


「うっ。イタッ、イタタッ。ちょっと盲腸のあたりが」


 日常会話はそれなりにしてくれる。

 しかしその内容が配信についてとわかるやいなや、様子がおかしくなる。ついさっきまでぼんやりとした表情でスマホを見ていたはずなのだ。なのに「配信」という言葉が出た途端、スイッチが入ったみたいに顔をしかめだす。

 左脇腹を押さえながら丸まった背中からは、小さなうめき声が漏れている。もはやこの光景には慣れつつあった。


「……盲腸逆だと思うけど」


 やんわりとツッコミを入れると声がピタリと止み、伏せていた顔が持ちあがった。瞳が大きく見開かれたその表情は、豆鉄砲をくらった鳩みたいに驚きを隠せていない。

 時間が止まったような沈黙が、二人の視線のあいだを通り過ぎていく。そして気を取り直したように器用にうなり声を上げ、再び彼女はうずくまった。


「うう、間違った。肝臓だった」


 肝臓も右じゃない? 出かかった言葉を、ごくりと飲み込む。


「昨日は心臓が痛かったのに、今日は肝臓が痛いなんて毎日大変だね」


「うん。思春期だからね」


「ニキビかな?」


「ああ、お腹痛い。トイレ行こ」


 律儀にお腹を抱えながら、あさがおは歩き始める。

 しかしつま先が向いてる方向は、トイレではなく自分の部屋だった。


「そういえば、お母さんがケーキ買ってきたって言ってたけどどうする? あさがおお腹痛いなら俺が食べてもいい?」


 わざと挑発するように言うと、ガタッと音を立ててあさがおは振り向いた。お腹が痛い人とは思えない俊敏さで、僕の目の前に駆け寄ってくる。設定を捨てた背筋がピンと伸び、僕を見上げる夜色の瞳のなかには甘えた光がキラキラと散らばっていた。


「お腹痛いけど食べたら治る気がする」


「羨ましいね。そのお腹」


「でも一個じゃ治らないかもなー」


 あさがおは思い出したかのようにお腹をさすり始める。わざとらしくゆがんだその表情には、強い願望がでかでかと書かれていた。おまえの分も寄こせ、と。

 こんな図々しいお願い、普段だったら当然断っていた。しかし、いまはどんなに小さなきっかけでも欲しかった。ケーキ一つでなにか好転してくれないかと、そんな願いを込めて告げる。


「じゃあ、俺のも食べる?」


「いいの!?」


「いいよ。でもそんなに食べたら本当にニキビできるよ?」


「ありがとっ」


 あさがおは最後まで聞かないうちにリビングへと走っていった。おそらく許可の言葉以外は求めてなく、「いいよ」のあとの台詞は耳に入っていないのだろう。僕の忠告が彼女の背を追いかけるも、届くことなく虚しく散っていった。


 結局このあとも攻防は続き、僕のケーキの犠牲は無駄に終わった。


 例のオフ会事件から数週間経つも、あさがおと配信についての話は未だできていない。


  ***


 瞼を開け、うなだれる頭を頬杖で支える。視界に広がる光景は、目を閉じる前となにも変わらない放課後の教室だった。


 あさがおはいろんな言い訳で僕から逃げ続けている。ただ、そのレパートリーはだんだんととぼしくなってきていた。


「あさがお。今日配信するんだけど」


「ごめん。死んじゃって、私のお母さん。だから、いま、話は……」


「俺のお母さん勝手に殺さないでくれる?」


 このままじゃあさがおが何人もの人をあやめるのか、また何回重い病にかかるのかわかったもんじゃない。配信の話をしようとするたびに「えーっと、ちょっとまって」と考え込むようになり、思いつくまで待ってるのはこちらとしても厳しい。

 だからといって急かしても、あさがおが会話をしてくれなければ意味がない。彼女の気持ちの整理を待つしかできないこの現状は、終わりのない螺旋に落ちているようだ。


 いっそのこと盛大に嫌ってくれたほうが楽だったかも知れない。

 ディーテとゴッドアフロの関係は途絶えてしまった。でも、朝陽とあさがおの関係はなにも変わらず続いているせいで、期待してしまい諦めきれないでいる。

 いつまでこの状態が続くんだろう。誰かに全部ぶちまけてすがりたい。


 窓越しに向かいの校舎を物思いに眺める。

 行き交う人を目で追っていると、突如上下に震える肌色の生物に視界が遮られた。


「うわっ!」

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