第13話 いまは、このままで
【よお来たぞ。配信なかったらどうしてやろうかと思ってたわ】
「オフ会に偏見持ちすぎ。やましいことなんて一切ない清廉潔白なオフ会だったぞ」
配信が始まった途端、すぐに画面がコメントで覆われた。いつものゲーム配信のときよりも、何倍もの速さで上へと登っていく。流れる文面からは、興味や好奇心といった感情がにじみ出ていた。
【どうだった? オフ会】
【可愛い子いたか?】
【いいから早く話せ】
【オフ会ってどんなことして遊ぶんだ?】
「まあまあ落ち着けって。もう少しみんなが集まってきたら、最初から話すから」
せっかちなリスナーをいなしながら、画面に顔をぐっと近づける。
流れるコメントの横には、その文字を送ったリスナーの名前が表記されている。次々に現れる個性豊かな名前を、一つひとつ見落としがないように必死に目で追っていく。
……やっぱり、いないか。
配信開始とともに当たり前のように顔を出していたあの名前は、いくら目を凝らしても現れる気配がなかった。来ないとわかっていたつもりなのに、気づいたら探してしまう。別の名前が湧き上がるたびに、落胆していくのがわかる。黒く染まっていく心には、根拠のない希望を抱いていた哀れな自分の顔が映り込んでいた。
【今日はありがとうございました! ちょーたのしかったです!】
もう諦めて配信に向き合おうと、名前の欄から目を離そうとしたそのときだった。視界に飛び込んできたのは、オフ会に参加してくれていたリスナーの名前だった。駅で迷子になっていた彼女だ。弾んだ声が聞こえてくるようで、鬱屈に落ちていく寸前だった気持ちがふっと浮上する。
明るい声色になるように声帯に喝を入れると、マイクに向かって微笑みかけた。
「ありがとう。僕も楽しかった。また開催したらそのときもぜひ。あっ、だけど今度はハチ公と間違えてモアイ像のほうに行かないでね!」
【なんでそれ言っちゃうんですか! だいたい駅が迷路みたいなのがイケないんですよ!】
どこか遠くの画面の前で、彼女が頬を膨らませている姿が容易に想像できる。あははっ、と噴き出した笑い声には確かに愉悦が含まれていた。
あさがおのことはやっぱり気になる。だけど彼女の姿を必死に追い求めるより、いまはこれでいいのかもしれないと思った。からかったり、バカにされたり、ときには些細な事でみんなと盛り上がったり。いつもと変わらない雰囲気でリスナーと向き合っていたほうが、きっとあさがおも帰って来やすい気がする。
そう思うとほんの少し身軽になれたようで、マイクの前で自然に笑うことができた。
◇
「で、駅前に戻ってきて、五時過ぎくらいに二人と別れたかな」
オフ会の話がやっと最後までたどり着き、一息つく。時計を見るといつの間にか二時間も経っていて、時間を瞬間移動した気分になった。
【めっちゃ楽しそうやん】
【俺も行けばよかったなー】
【次のオフ会の予定いまから決めようぜ】
オフ会は傍から見ても成功と言えるものだったらしく、話してる途中にもポジティブなコメントが多く見えた。
「昨日も言ったけど僕オフ会って初めてで、だから楽しみな気持ちも当然あったんだけど、それ以上に不安や怖さではち切れそうだったのね。だけどいざ開いてみたら、めーっちゃ楽しかったわ。開催してほんとよかった」
リスナーの素直な言葉に後押しされるように出た台詞は、紛れもない本心だった。一度は崩壊しかけたオフ会。それがこんなにも素敵なものになったのは、参加してくれたリスナーのおかげだった。そして、成功のきっかけをつくってくれたもう一人のリスナーの存在が大きかった。
彼女はいまなにをしてるんだろうか。配信を見に来てくれているのだろうか。
【あれ? 参加者三人って言ってなかったっけ】
さきほどの僕の言葉が気になったのか、リスナーが問いかけてきた。
そういえば昨日の僕は、参加者は三人だと言っていたっけ。
「あー、急用ができたらしくて、ひとり参加できなかったんだよね……。残念なことに」
しかたがないと言えど、こうして嘘をつくのは少し後ろめたいものがある。
それに『急用』という理由だ。あのときは冷静じゃなかったと言えばそうなのだが、もっと気の利いたごまかし方があったのではないか。
今更になってそんな些細なことが気になりだしたのは、肩の力が抜けてきたからかもしれない。いつかあさがおにもちゃんと説明しておこう。
「次は参加できるといいんだけどね」
ため息混じりに吐き出した言葉は、なんとも苦悩じみたものだった。この二時間、最後まで【ゴッドアフロ】の文字が流れてくることはなかった。こうして常にいた人物がいなくなると、途端に気になってしまう。
人間は失ってからその大切さに気づくとよく言うが、まさにそんな心境だった。
ゴッドアフロさんがあさがおだと知ったとき抱いた感情は、決してポジティブなものではなかった。自分だけの世界が壊されたような気がしたし、崩れ落ちる彼女を目の前にして胸を刺されたような痛みを覚えた。
でもあさがおが受けた傷はきっと、僕なんかに比べて遥かに大きなものだったはずだ。なんせ好きな人の正体が実の兄だったのだ。さぞショックだったに違いない。想像するだけで、その悲痛さに顔をしかめてしまう。
それでも僕は、あさがおにまた配信に戻ってきてほしいと思った。正体が妹だったとしても、初期から応援してくれていた大切なリスナーであることに変わりはないのだ。
彼女の傷が癒えるのに、どれほどの時間が必要なのかわからない。けれど、いつか彼女が以前のようにコメントを送れるようになれたら嬉しいと、いまはそう素直に思えた。
配信開始時点では滅入っていた心境もいつしか、穏やかなものになっていた。ただでさえオフ会で疲れているというのに、ついついこんな時間まで話してしまった。もうそろそろ終わろうかと、締めに入る。
「話したいことはぜんぶ話したし、今日はこの辺で終わるか。明日はそうだなー、気が向いたらなんかするわ。まあどっちにしろ告知する。というわけで、おつー」
いつもの挨拶をすると、コメント欄に【おつ】の行列が生まれた。とうとう終わったのかと、穴が空いた浮き輪みたいに細い空気が抜けていく。
なんか学生の遠足みたいだなと思った。「遠足は家に帰るまでが遠足」というお決まりのあの言葉。オフ会も配信で話すまでがオフ会だなと、ふとそんなことを考えた。
あまりにも濃密すぎた一日に、背中が重たい。ただその疲れには不快感は少しもなく、充実感によるものだとわかる。
きっと今日はぐっすり眠れる。始まりからいろんなことがあったオフ会だったけれど、今日の出来事は大切な思い出としてずっと残っていく気がした。
リスナーがこの場から退席していくにつれて、徐々に【おつ】の勢いが落ちていく。配信を切ろうと、僕はマウスに手を添えた。
あさがおと僕は幸いなことに、家が同じなのだ。そのため顔を合わせる機会は無限にある。面と向かって話をすればきっと、またもとの関係に戻れるに違いない。
ひとまずこの配信が終わったら、部屋に顔を出してみようかな。いまは拒絶されるかもしれないが、なんとかなるだろう。
あとは明日にバトンタッチするだけになった一日に、達成感がぽこぽこと湧いてくる。我ながら今日は頑張ったんじゃないかと、少しだけ自分を褒めてみた。
ご機嫌な気分でマウスを動かしていると、なんの前触れもなしに『それ』は現れた。
【ゴッドアフロ ¥50000:今日は急用で行けなくてごめんなさい。これは今日のお詫びと、いままでのお礼です】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます