第 5話 早起きな二人
目を覚ますと、部屋はすっかり明るくなっていた。カーテンのすき間から漏れる朝日が、フローリングの一部分を照らしている。窓の外は見えないけれど、その光が清々しい晴天によるものだとすぐにわかった。雨が降らなくてよかったと、まだ見ぬ青空にほっと胸をなで下ろす。
布団のなかで上半身を反らすと、全身の筋肉が伸びる感覚がした。じんわりと巡る温かさが気持ちいい。
枕元のスマホを手に取り、画面をつける。機械特有の冷たさを肌で感じながら時刻を確認すると、表示された数字につい噴き出してしまった。
時計のアプリを開く。解除したアラームは、約二時間後に鳴る予定のものだった。
「なんだよもー。まだ五時じゃんかよー」
駄々をこねるみたいにもう一度ぐねぐねと身体を伸ばす。喉が引き締まったせいで、発した声は普段よりも一段高くなった。自身に対しての呆れ笑いで口端が緩む。
昨晩はすんなり寝付くことができた。ゴッドアフロさんの言葉や、あさがおとの何気ない会話のおかげで気が紛れたからだろう。
ただ、こんな時間に起きるのは想定外だった。バッチリ睡眠をとるつもりでいたのにこうして早起きしてしまうと、なんだかんだオフ会楽しみなんだね、と自分から指摘された気分だ。「行きたくねー」なんて言っていたことを思い出し、苦笑してしまう。
二度寝しようと試みるも眠気は一切残っていなかった。潔く諦めてベッドから起き上がり、窓に近づく。カーテンを開くと素直な日差しがダイレクトに降りかかり、その眩しさに目を眇めた。不快感とは真逆の透き通った光が、僕へと注がれる。瞼越しでもわかる陽光を大の字にした身体で受け止め、めいっぱいに肺に詰め込む。膨れた肺から巡る太陽の熱が、僕に活力を与えてくれた。
『アラームより二時間も早く起きてしまった。天気が晴れててよかった!』
イスに腰を掛け、ツイートをした。肘掛けになった机は昨日の配信後からなにも変わってなく、時間が止まったみたいにひっそりしている。学生だというのに、そこに勉強道具が置かれることはほとんどない。
視界を蝕んでいた太陽の残光が、やっとおとなしくなってきた。あてもなくネットを眺めていると、不意打ちのごとく急にスマホが震えだした。画面を這っていた親指がびくりと跳ね、思わず落としそうになる。
まさか、こんな朝早いのにもうリプが来たのだろうか。訝しげにツイッターを確認する。そのまさかだった。
『ディーテくんもですか! 私も今日が楽しみすぎて早く起きちゃいましたw おそろいですね!』
アフロ頭のおじさんが佇むアイコンの横に表示された『ゴッドアフロ』の文字。相変わらず反応が早くてびっくりしてしまう。
図らずとも僕とゴッドアフロさんは同じ行動をしていた。判明したその事実に、胸の奥がむず痒くなる。ただ、一人じゃないんだと心強くもあった。
『お互い遠足前の小学生みたいですね』
指を乗せた瞬間、画面に並んだ返信の文字がポンと放たれた。文末に添えた顔文字が、にこやかに僕へと微笑みかけている。
今日はとうとうオフ会当日だ。徐々に増してくる現実味に、ふんと鼻が鳴る。放たれた息はやる気で満ちあふれていた。
◇
生活感が漂う普段の雰囲気とは異なり、早朝の部屋の外はうっすらと青みがかり閑散としていた。なんだか少し肌寒い。リビングへと向かう足取りは、無意識のうちにつま先立ちになっていた。我が家もまだ寝起きのようだった。
いつもならテレビやキッチンなどの生活音が聞こえてくるリビングも、この時間帯では物音一つ聞こえてこなかった。
当然いちばん乗りだろうとドアを開ける。しかし、そこには先客がいた。テーブルに座ったあさがおが、スマホを見つめながらトーストを食べている。
画面を見つめるその顔は、なにやら嬉しそうにニヤついていた。
「おはよう」
声をかけると彼女はスッと真顔になり、「おー」と簡略されすぎた挨拶を返した。
だらけた声音を横目に、自分もトーストを食べようかとキッチンに向かう。食パンをトースターに入れ、標準より少しだけ多めにつまみを回す。濃いきつね色ぐらいになるまで焼いたほうが、ザクザクしていて僕は好きだった。
あさがおの正面に座り、焼き上がるのを待つ。ニヤニヤしていたことを指摘すると、「見ないでよっ」と理不尽な返答が返ってきた。
「こんな時間に起きて、今日はなんかあるの?」
「うん。ちょー大事な用事」
なるほど。昨日の上機嫌はこの『ちょー大事な用事』によるものだったのかと点と点が繋がった。
相槌を打ちながら、ふとあさがおの身なりに目を向ける。ひらひらしてる白い服に、青色の長いスカート。その服装は大人びていて、いつもの彼女の雰囲気とはかけ離れていた。ファッションに疎い僕でも、相当に気合いをいれたものだということがわかる。あまり見覚えがないことから、おそらく今日のために用意した洋服なのだろう。
「それにしてもずいぶん早い時間から用事があるんだね」
「早く起きちゃっただけ。……楽しみすぎて」
「遠足前の小学生じゃん」
「うるさいよっ。同じセリフでもお兄ちゃんに言われるのはムカつく」
同じセリフ云々はよくわからないが、痛いところを突いたらしかった。恥ずかしさをごまかそうとしているのか、むしゃむしゃとパンにかじりついている。動きに合わせてさらさらとなびく黒髪は、心なしかいつもより艶めいて見えた。
会話が途切れ、トースターの音がジジジと沈黙のなかに漂う。窓から差し込む丸みを帯びた陽光が、テーブルの木目を浮かび上がらせていた。もう少しかな。トースターのほうを見ていると、あさがおがはっとしたように僕へと視線を寄越した。
「じゃあ逆に聞くけど、なんでお兄ちゃんもこんなに早起きなの?」
「……あっ」
苦笑いが顔の表面にピタリと張り付く。そういえば僕もあさがおと同じ状況だったじゃないか。彼女をからかっていたら、自分を棚に上げていたことをすっかり忘れていた。
僕の黒目が、あさがおを避けるようにキョロキョロと動く。視界の端に映り込む彼女の目線は、僕とは対照的に真正面からじっと僕を睨んでいた。
「えーっと、俺も予定があって……」
「こんなに早くから?」
「いや、早く起きちゃっただけ。……楽しみで」
バツが悪く口ごもると、あさがおは「フッ」と悪そうに鼻で笑った。意味ありげな弧を描く瞳に、ぎゅっと心臓を握られる。
パンの最後のひとくちが彼女の唇の裏へと消えていく。「ごちそうさまー」と言葉を浮かべると、彼女はキッチンに皿を片付けに行った。
奇妙な沈黙に息が詰まる。恐る恐る目で追っていると、彼女はリビングのドアを開けた。そして、その華奢な体躯がくるりとこちらに回転する。
「お兄ちゃん、遠足前の幼稚園児みたいだね」
上品に口元に手を添えて、ふふふっと愉快げな吐息を吐き出すと、彼女はドアの向こうに消えていった。
鋭いカウンターパンチに言葉が出てこなかった。
放心している僕に追い打ちをかけるように、トースターが「チン!」とノックアウトのゴングを響かせた。
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