第 4話 謎の上機嫌
「ごちそうさまでした」
「はい。お粗末さまでした」
手を合わせてお礼を告げると、あさがおはこくりと頷いた。
プリンの余韻に促されるままに、溶けるように机に突っ伏す。右肘を枕にすると、空っぽの瓶と目線の高さが同じになった。ガラスから漏れた電球の明かりが、机の上にぼやけた影を落とす。反対側まで見通せるほどの透明さに、名残惜しさを感じた。
視線だけをあさがおに向けると、「あ、自分がつくったわけじゃないからお粗末さまはおかしいか!」と一人で楽しげにツボっていた。このテンションの高さにはなかなか合わせられそうもない。でも、幸せなオーラを存分にあふれさせる彼女は見ていて飽きなかった。
適当に相槌を打ちながら、じっと観察してみる。控えめながらくっきりとした弧を描く二重瞼に、まっすぐ通った鼻筋。丸みを帯びたEラインには、どことなくあどけなさが残っている。
そして、怒ると怖さを倍増させる大きな双眸は、こうして笑っていると嘘みたいに瞼の裏側に消えてしまう。
「奇遇だね。俺も明日用事があるんだ。彼女と遊びに行く」
「え゛っ!」
貫くような視線を放った彼女の顔には、「お兄ちゃんに彼女!? 信じられない!」と書いてあった。あさがおは感情がそのまま顔に出てしまうタイプなのだ。長く一緒にいると、顔を見ただけでなにを考えているのかだいたいわかってしまう。
感情豊かに表情がコロコロと変わっていく様を見ると、よく疲れないなと感心する。僕が真似をしたらきっと、頬と目尻の辺りが筋肉痛になってしまうだろう。
この整ったルックスと人懐っこい愛嬌ゆえに、聞くところによると結構モテるようだ。僕の友人から、本当に兄妹なのかよと冗談半分に言われることもめずらしくない。
だが、僕らは正真正銘兄妹なのだ。血が繋がっているからこそ、比較されるたびにその事実が僕をより悲しみに追い込む。親が同じなんだから、そのモテる遺伝子をもう少し兄に与えてもよかったんじゃない? そんな理不尽なことを思ってしまうときもたまにある。
「嘘だよ。というか、驚きすぎるのも失礼じゃない?」
「ごめんごめん」
目を細め、唇を尖らせて言う。愉快そうにクツクツと喉を鳴らす彼女の顔には、反省の色など微塵も含まれていなかった。
結局あさがおがなぜこんなにも上機嫌なのかは最後までわからなかった。まあ中学三年生の女の子なのだ。彼氏や好きな人とでも会うのだろうと勝手に納得する。
とりあえず今回はこの謎の上機嫌のおかげで命拾いすることができた。あさがおの想い人がどんな人なのか存じ上げないけれど、助けてくれてありがとうございました、と天を仰ぐ。もし会うことができたら、そのときはちゃんと感謝の気持ちを直接伝えなければ。
時計の針が十一時を過ぎたところで、そろそろ寝るかとどちらからともなく席を立った。使っていたスプーンをシンクで洗っていると、先に部屋から出ようとしていたあさがおが「あ、そうそう」と振り向いた。
「お兄ちゃん、今日のプリンのお礼なら、私いつでも大歓迎だから。律儀に一個じゃなくて数倍にして返してくれてもいいんだからね」
ニヤリと弧を描いた瞼からのぞく真っ黒な瞳に、いつかの面影を見る。五月初めの空気のなかに、一瞬だけ真冬の風が通り抜けた。僕だけを囲むようなその冷たさに、ゾワリと身体がすくみ上がった。
「りょ、了解」
気づいたら了承の言葉が出ていた。言質を取ると満足げに頬を緩ませ、それじゃおやすみー、とあさがおは颯爽と消えていった。
階段を跳ねるように上がる足音が、ドア越しに微かに聞こえてくる。バタンと彼女が部屋に入った音を確認した途端、栓が抜かれたみたいな勢いで息が開放された。
あさがおが仏の顔でいてくれるうちに早く買ってこなきゃ。そう心に誓い、僕も遅れて自分の部屋へと向かった。
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