余命明日

青斗 輝竜

第1話


 「余命、明日です」


 なんの前触れもなく端的に医者が言う。

 体調が悪くなり病院で検査をしてから数時間後。

 俺の目の前に座っている白衣を着た男が真剣な眼差しでそんなことを口にした……んだと思う。

 正直、全く訳が分からない。

 なにそれ詳しく聞かせてよと、男に縋りたいと思うだけでそんな力は湧いて来なかった。

 

 


 「それって何かのドッキリですかね」

 

 「違います」


 「……マジですか? 」


 「マジです」


 開いた口が塞がらず半開きのまま自分の体を隈なく見るが、どこかに傷がある訳でもなければ痛みがある感じでもない。

 でも大真面目に医者が言うんだからきっと本当なんだろう。

 信じたくはないけど。


 「23時間48分58秒」


 「え? 」


 「あなたが後生きられる時間です」


 そういって医者は手に持っていた100円で買えそうな小さなストップウォッチを見せてきた。

 まるで俺の人生みたいに安っぽいそれは刻一刻と俺の命を終わりへと導いていく。

 もう一日もないんだな。


「あなたには残りの時間を大切にして欲しいので、これをお渡しするのですぐにお帰りください」


「病状とかは……」


「そんな説明してたらあっという間に時間は過ぎてしまいます。なので最後に一つだけ。そのストップウォッチが0になるまであなたの命運が尽きることは絶対にありません。安心して最後の日を楽しんでください」

 

 その人はストップウォッチだけ渡して俺に帰るよう促す。

 細かい説明やらを行わず、医者は立ち上がって俺に背を向けた。


「0になった瞬間、あなたは……死ぬんです。何も気にせずしたいことをしてください」


 実にいいことをしてもらった。

 医者としてではなく、人間として。

 この感謝は一生忘れないだろう……明日でその一生は終わるのだけれど。

 

 俺はその逞しい背中に深く頭を下げ、逃げるように病院から出た。

 外に出ると、陽がじりじりと照りつけてきて眩しい。

 

 さて……これからどうしたものか。

 スマホの画面には14時と表示されている。

 

 余命明日と言われても正直ピンと来なかった。

 だから何をするかなんてこれっぽっちも考えていない。


 「そうだなあ、まずは……」


 腹が減ったのでどこかで食事を済ませよう、と思ったが現在財布の中身はたったの1万円札だけ。

 いつもならコンビニで済まそうと思うので大金になるが、人生最後の昼食がたった1万円に収めるのは勿体無い。


 そうと決まればまずは近場の銀行に行って金を下そう。

 時間は限られているのだ。


 

 俺は逮捕されないギリギリの速さで車を運転する。

 

 人生の期限が分かっていると世界は全く別のものに見えた。

 歩いている子ども、反対車線を走る車、全てが遅いように思える。

 でも、信号機だけはどんな状況においても遅くじれったい。


 「こいつは……多分世界で一番必要とされているのに一番嫌われてもいるよな」


 車の中、一人でそんなことを呟いてしまうくらいには。



 そんなこんなでいつもとは違った世界を見ながら運転していたらあっという間に目的地に着いてしまった。

 ここまで、おおよそ10分くらいだ。

 焦るにはまだ早いが時間は止まってくれない。


 

 俺は車から勢いよく飛び出し銀行の口座にある金を全額引き出した。

 本人確認がなんとかで少し時間が食われたがまあしょうがないだろう。

 

 「これもまた人生! ポジティブに行こう! 」


 腕を突き上げて大の男が駐車場で一人叫んでるものだから、通りすがった男の子に笑われたが恥ずかしいとは思わなかった。むしろ、最後なのだから顔を覚えて俺がいたという証を誰かに残したいくらいだ。

 その子に軽く手を振ると、恥ずかしそうに手を振り返してくれて自然と頬が緩む。

 こういうのも悪くないかも、と思いながら俺は車に乗り込み、掌サイズの安っぽいストップウォッチを見た。

 

 23時間00分50秒。


 まだ時間はたくさんあるからその前に腹ごしらえだ。

 スマホで高級な店でも探そう。


 そう思いスマホを取り出した瞬間――


 「誰だこんな時に……っと、まずいな」


 スマホに着信がかかってきて、画面には糞野郎と表示されている。

 今日は会社を無断欠勤してしまったのを忘れていた。

 あの理不尽で短気な上司はさぞお怒りだろう。


 最後くらいあんなやつのことなんて忘れ、充実した日を過ごしたかったのに……。

 コールは続く。

 あの人のことだから何回も電話をかけてくるだろう。

 なら、ここは出た方が楽か。


 「もしもし……手島です」


 「お……。やっと出た。お前何してたんだよ。無断で会社休みやがって」

 

 「サーセン先輩! 明日隕石落ちてくるんで、それじゃあ! 」


 「は? おま――」


 先輩が何か言いかけてたが無視して通話を切る。

 途端、また電話がかかってきたので今度は着信拒否し、そいつを電話帳から消し去ってやった。

 これくらいは許してもらおう、最後くらい嫌なことは忘れさせてほしかったけど。

 

 俺はスマホを助手席にひょいっと投げて車を走らせる。

 行先は実家に決めた。

 電話帳を見た時、ちらっと母の名前が画面に表示されており、なんだか懐かしくなって急に行きたくなったからだ。

 どんなに高い店だろうとお袋の味っていうのには叶わないんだよな。

 2年ぶりに両親の顔を見る事にならからだろうか、どこかでこの時間が楽しいと思った。


 「そうか……俺、楽しいんだ」


 明日までしか生きられないこの現状に俺はどこかで納得していたんだ。

 今まで適当に過ごしてきて、自分の人生に意味はあるのか、そんなことをずっと考えながら生きてきた。

 でも、明日死ぬというなら今日という日に何かをすればいい。

 自分の納得の行くことを。


 俺は頬を思いっきり叩いてからハンドルを強く握り直し、信号で止まるためにブレーキペダルを踏んだ。


 ――そう思ってた。


 ――目の前に動かなくなった子供を見るまでは。


 車は動かなくなり周りにいた人たちが駆け寄ってくる。

 俺は……頭が真っ白だった。

 とにかくパニックで、ドアを開けるのすらままならない。

 やっとのことで開いたと思い、勢いよく外に出れば吐き気が止まらず、頭がくらくらする。

 

 地面にこびりついた大量の血と飛び出た臓器を最後に、俺は気を失った。

 

 



 



 目を開けた時、俺は偶然にも知っている天井で目を覚ました。

 つい数時間前までいた場所だ。とは言ってもあれからどのくらい経ったのか分からない。

 子供を轢いてなぜ、俺が病院にいるのだろうか。

 自分が醜くてたまらなかった。


「あんなミスを犯すなんて……」


 俺はアクセルペダルを思い切り踏んだんだ。

 赤信号で子供が渡っているのにも関わらず。

 あの子は無事だろうか。



 ――あ、でも俺はすぐ死ぬ、なら別に悪い事をしても……。



 一瞬そんな考えが過り、罪悪感と自分への失望感で押しつぶされそうになった。


 「調子はどうですか? 」


 また聞いたことのある声が耳に響く。俺はこの人に見せる顔がない。

 自分が滑稽すぎて今すぐにでも死んでしまいたかった。


 「最悪の気分です。どうして人生とはこんなにも上手く行かないのでしょうか」


 俺は天井を見たまま答える。

 その医者はゆっくりと近づいてきて寝ている俺を見下ろした。

 きっとこの医者は全てを知っているだろう。


 「一日を無駄にしてしまいましたね。でもまだ時間はありますよ」


 そういって医者はストップウォッチを見せてきた。

 

 22時間30分27秒。


 あれから30分しか経っていない。

 

 時間、自由、精神あらゆるものから解放されて動いた結果がこれだ。

 自由に捕らわれたんだ俺は。

 結局、最後まで人に迷惑をかけて生きてきた。


 「何か報いはないんだろうか」


 口から零れたその言葉はあの子に向けたものか、それとも俺と関わってきた人たちに向けた言葉なのか。

 もう何も分からなかった。


 「あなたが報いを望むのなら一つだけあります。あなたにしか出来ない事が」


 「明日死ぬ人間に何ができるって言うんだ」


 「命です」


 「――は? 」


 あなたが轢いた子供に臓器を提供すれば、今死ぬ間際のあの子は助かります。どうですか、死ぬ前に人助けしませんか。

 医者が微笑みながら言った。


 自暴自棄になった俺はそれにこくりと頷く。

 



 それからはあっという間だった――


 俺はあの医者の思うがままにされ、気づけば体の臓器はほとんどなくなっていた。

 でもこれで罪が償える。

 そう思うと悪い気はしなかった。

 あの医者には感謝しないと。


 00時間00分10秒。


 視界の隅に見えるストップウォッチがもうすぐ止ろうとしていた。

 俺がここに残せるものはないけど今思えば十分に楽しい時間だったんじゃないかと思える。


 「ありがとう。そして――ごめん」


 その言葉を最後に俺の時間は0になった。

 

 

 


 





 「すまないね手島さん。これも必要なことだったんだ」


 彼が息を引き取ったのを確認し、私は息子の病室に行った。


 「パパ……? 」


 「体調はどうかな」


 「よく分からないけど……僕は助かったの? 」


 「ああ。もう怪我も病気も治るぞ! だからもう少しだけ頑張ってくれ」


 怪我をする前よりは強くなった小さな手を握る。


 彼のおかげでこの子は救われた。

 私は同時に二人を救ったんだ。


 あんな死を迎えるのは非常に可哀想だと思った私が少しだけ未来を変えさせてもらった。元々見えてた死よりもこっちの方がいいと勝手に判断させてもらったが彼なら文句は言うまい。


 「悪く思わないでくれ」


 息子の命を救ってくれてありがとう。

 この御恩は一生忘れない。



 一生だ。


 

 

 



 

 



 



 

 

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余命明日 青斗 輝竜 @KiryuuAoto

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