第11話:エルクの故郷

 彼の故郷、アディル村。

 思い出の中のそこはなんとなくひなびた、どこにでもある漁村だったのだが。


「わーぉ。思っていたのよりも結構、賑やかなとこですわ」


「こんなんだったかなぁ……?」


「まぁ十年も経てば、すっかり変わるものですわねぇ」


 ようこそ! アディル村へ!! と書かれた、いかにも南国風な入口をくぐり、二人はあたりを見回した。

 丸々とした身体に角の生えた、微妙に険しい顔の魔獣のマスコットがいたるところに描かれていて。

 真新しい露天街の所々に、大きなぬいぐるみも置いてある。


「あぁ! ここツノマリちゃんの!」


「……なんですそれ?」


 そのぬいぐるみを見たヴァネッサは、嬉しそうに手を叩いた。

 エルクは目が点になって、なにこれとツノマリちゃんをつつく。


「ツノマルリヴァイアサンの、ツノマリちゃんですわよ。かわいいんですのよね~」


「は、はぁ……」


 王国でもグッズ売ってましたわ! と続けた彼女に、彼は。

 まぁ、かわいい……? かわいいのか? と首を傾げた。


「ここがリヴァイアサンウォッチングの聖地でしたのね~。そのうち見たいですわ!」


「温厚な魔獣ですけどねぇ。なかなか見られませんよ」


 ヴァネッサが気づいたように、エルクの故郷は今やエリトリアの一大観光地。

 少し沖に出ると、巨大なリヴァイアサンの群れが見られるということで、各国の貴族がバカンスに訪れるほどの有名な村と化していた。

 そして、各地を回る行商人として、その流行を作り出した張本人が。


「あら、ソルスキア公爵閣下! ウチの村にバカンスに来て頂けたのですね」


「ライラさん! ……んまぁそう、色々あるのですけれど……」


 今は若き村長として働く、人の良い笑顔とよく日に焼けた褐色肌が眩しい、中年の女性。

 ライラ村長はヴァネッサを見つけて、走り寄った。


「か……」


 彼女を見たエルクの目が丸くなり、口が大きく開いて。

 かくかくと震えて、彼は思いっきり。


「母さん!! 母さん!!!!」


 母に向かって突進した。


――


 かなり立派な木造の屋敷。

 ツノマリちゃんで一財産を築いた母は、二人を家に上げるとお茶を出す。

 彼女はずっと背中に抱きついたまま無言のエルクの頭を撫でた。


「……よしよしエルク。自分で帰ってくるなんて、本当に偉いわね」


 母は息子を、穏やかな顔でねぎらう。

 つられてヴァネッサまで笑顔になって、母子を見守っていた。


「ところで、公爵閣下。気になっていたのですが、その首枷は?」


「もう、ヴァネッサと呼び捨てて構いませんわ……色々あって取り潰されましたし」


 聞きづらそうにおずおずと切り出す母に、ヴァネッサの笑顔が消える。

 遠い目をして、言いたくないなぁと顔に出たのを、商売のプロは見逃さなかった。


「まぁ、お父さんの借金でしょ? 公爵閣下、ギャンブル狂いで有名だったしねぇ」


「……その通りですわ。返そうとはしたのですが」


 見事に当てられて、机に潰れる彼女。

 ライラ村長は一度悲しそうに目を伏せて、少し考えて厳しい眼差しを向けた。

 その彼女の背中の後ろで、初めて破産の本当の理由を知ったエルクが、驚いて目を見開く。


「エルクを売らなかったってことには感謝するわ。それでも、力にはなれないわね」


「もとからそのつもりはないですの。ライラさんへのツケもありますし」


 一代で財産を築き上げたライラは、この没落貴族を見定めて。

 父がアレならどうせ娘もアレだろうと、諦めたようにため息をつく。


「ウチのツケ、今度はエルクにたかるつもりかしら。親子二代で情けないわね」


「っ……」


 直球の、厳しい言葉に縮こまる。

 気まずい空気が張り詰めたところで、エルクがやっと声を出した。


「母さん。ヴァネッサは……」


 自身の作った借金でもないのに、たった一人で背負った。

 それを誰に言おうともしない強い彼女が、最後の最後に頼ったのが自分だったのかと。

 気づいたエルクは、武闘会の決勝で負けたことをひたすら悔やむ。

 

「僕が養うから」


 不意に泣き出しそうに言葉に詰まって、なんとか言葉を絞り出した。


「……若いうちの恋愛は好きにすればいいと思うけれど。私は応援しないわよ」


 息子の決意に、若くして夫を失った彼女はやれやれと首を振る。

 ヴァネッサのような、顔だけはいい駄目女に引っかかってと頭を抱え、絶対に応援などしないと拳を握る。

 そんな母に尊敬する彼女をバカにされたと、エルクは怒った。


「いいよ。僕の好きにするし。……知ってて迎えに来なかったくせに、今更母親ヅラすんなよな、ババア」


「あ? 生意気言ってんじゃねぇぞ。さっきまでピーピー甘えてた癖によ」


 罵倒されて、人の良い顔が怒気に歪むライラ。

 おおぅ。間違いなく親子ですわ。と、ヴァネッサは心の中で呟いた。


「忘れたわクソババア。ともかく、どっか空き家売れよ。買うから」


 エルクがドンと机に叩きつけた金貨の袋を見て、ライラは彼の覚悟の程を知る。

 そして、いい勉強になるでしょと考え直すと、舌打ちして言った。


「チッ……まぁいいわ。前の家、直してないけどまだあるの。タダであげるわよ」


 元々、エルクが帰ってきたら譲るつもりだった、彼の生家。

 ずっと売ることが出来ずに手元に残しておいた、夫の遺産。

 ライラはその家の鍵を渡した。


「……ただ、結婚したいって言うなら私は反対よ。ウチのツケくらいは払うことね」


 そしてそう続けると、いくらだっけと首を傾げるヴァネッサを一度チラッと見て。


「いくらなんだよババア」


 奪うように鍵を取ったエルクに向けて、すっと明細を差し出した。


「えぇと……ゼロがひぃふぅ……ヴァネッサ、いくらって書いてあるんです?」


 なんだかやたらと大きな数字だなと直感した彼に。

 彼女は隣で真っ青になって震え、ライラに向かって叫ぶ。


「ちょちょちょライラさん!? こんなにありましたの!?」


「貴女のお父さんがこの村で遊び散らした代金と、貴女のお母さんが療養してたときの滞在費にウチから買った品物の代金……村の宣伝に協力してくれたから催促を待ってたけど。この村で暮らそうってなら払ってもらわないと困るわね」


「うぐぐぐ……分かりましたわ。エリトリア金貨で1万枚分……」


「王国金貨なら5000枚分ね。エルクにわかりやすく言うと、その袋が王国金貨200枚ちょっとだから、25袋分よ」


 明細を握りしめて項垂れるヴァネッサに説明したライラは、エルクに顔を向ける。

 状況を掴めていない彼にもわかりやすく噛み砕くと、彼も真っ青な顔をした。


「はぁ!? これ十年は遊んで暮らせる額って聞いてますよ!?」


「まぁ、そういうことよ。この女を養うって言うなら、返す努力は見せなさい」


 どうせ完済は無理だろうけど、少しは返してみろ。

 そう、覚悟を見せてみろと。

 真剣な眼差しで彼を見据える母親に、エルクは暫く黙って。


「え、エルク? 無理しないでくださいまし。わたくし、やっぱり身体を売り……」


 悲しそうに、もうどうにもならないと言うヴァネッサの前で。


「……やってやろうじゃねぇかよクソババア」


「ほーん。クソガキ、できるもんならやってみろよ」


 口悪く啖呵を切って、喧嘩っ早い漁師の母は、どこか嬉しそうに応じた。

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