第二章:魔獣操者ヴァネッサ

第10話:到着

 先に目が覚めたエルク。

 昨夜はいつの間にか寝てしまっていたのかと目を開けて、すべすべして暖かく、柔らかい壁に包まれていることに気づく。


「はっ」


 ヴァネッサに抱きしめられて安心して、そのまま寝てしまったのだと思い出した。

 彼女はまだ起きていないようだからと、起こさないように慎重に。

 安煙草の匂いの中に、甘い匂いがする彼女の腕を少しずらして。

 殆ど運動していないふにふにとした太ももを、そっとどける。


「平常心……平常心……落ち着け、エルク……」


 彼女の匂いと体温に包まれて、頭がくらくらとする。

 自然と熱くなる身体に、氷の魔法を唱えて冷まそうと一瞬血迷ったほど。

 彼の心臓が高鳴った。


「ん……」


 艶っぽい声が、彼の頭の上で。

 その声を聞いて、血が上るのを感じた彼は、一刻も早く離れなければと焦る。


「これ以上抱きしめられたら……まずい」


 感情が抑えられなくなってくる。

 襲ってしまうかもしれないと、頭を彼女の豊かな胸から引き抜くと。

 唇がなにかに触れた。


「っ~~~~~~!!!!」


 瑞々しい感触。

 恋人など居たことも、願ったこともないエルクにも分かる。

 今、自分の唇が触れたのは。


「あらエルク。寝ちゃってたから、そのまま一緒に寝てましたわ~」


 寝ぼけた瞳と、その下で緩慢に動く艶やかなピンクの唇。

 彼の瞳は、ヴァネッサのそこに釘付けになった。


「お、おおおお」


「? 別に恥ずかしがることないでしょうよ。誰だって泣きたいときくらいありますわ~」


 貴方になら、いつでも付き合ってあげましてよ? と。

 へらっと微笑む彼女に、言葉を失った彼は脱力して膝を付き。


「すみませんでした!」


「ですから、気にしなくても……」


 床に頭を擦り付けて、彼女に欲情してしまったことを謝罪した。



――



 船を降り、エリトリアに降り立つ二人。

 爽やかな海風が吹き抜ける、南国の楽園と呼ばれる色鮮やかな大地の片隅で。


「や~~~っと自由に吸えますわぁぁぁぁ~~~」


 ヴァネッサは狭い喫煙室からやっと解放されたと喜んで、煙管をふかしていた。


「とは言っても、僕の故郷までもう一回船に乗りますよ」


「うえぇぇぇ?」


「すぐですけどね。もうすぐ船が来て、昼には着くみたいです」


 心底がっかりしたように煙を吐く彼女に、待合室の時刻表を読んでいたエルクが教える。

 その声を聞いて、彼女は嬉しそうな顔をした。


「お? 文字が読めてますわね?」


「数字と、地名だけですけど。なんというか、世界が広がった気分です。ありがとうございます」


 照れくさそうに頭をかいて、感謝の言葉を返すと。

 彼女はわしわしと頭を撫でた。


「教えがいがありますわ! きっとすぐ、書けるようにもなりましてよ!」


「えへへ……と、とりあえず行きましょう、ヴァネッサ」


 思わず緩む頬を、きりっと締め付けて。

 彼女の鎖を引こうとして、ふと思い出した。


「エリトリアに着きましたし、首枷外しますね」


「あら! いいんですの!? 逃げられるかもしれなくてよ?」


「逃げる気あるんです? 知らない土地で生きていけるような人じゃないでしょ」


「そりゃあ、ありませんけれど。まさかこんなに早く外してもらえるなんて……」


 およよと泣く真似をする彼女の首枷から、鎖を外す。

 そしてポケットの中から、枷の鍵を取り出そうと弄って。


「あ、あれ?」


「……あれ?」


 慌てた顔で服の中を探り、トランクをひっくり返す。

 そんな様子を、ヴァネッサは真っ青な顔で見つめた。

 しばらくして、エルクは額の脂汗を拭うと、しれっと告げる。


「…………ヴァネッサ。今の話は無しで」


「鍵失くしましたわねエルクゥゥゥゥゥゥゥ!!!」


 怨嗟の悲鳴を上げる彼女と二人、故郷への船を行く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る