第8話 魔法と魔力と魔導具と
☆
翌日。
お屋敷本邸の通用口から伸びる小道を、私はアンナと二人で歩いていた。
「ここって、ちょっとした森ですよね」
両手に掃除道具を抱えたアンナが、うきうきした様子でそんなことを言う。
「そうね。周りに木を植えてあるだけなんだけど……道がうねっているから、まるで森の中にいるみたいね」
木々の間から陽の光が帯のように降り注ぎ、幻想的な景色を作り出している。
視線を横に向けると、きらきらと反射する池の水面の向こうに屋敷が見えた。
この光景にワクワクしているのは、実はアンナだけじゃない。
本当は私も、病み上がりの体が軽く感じるくらいに胸が高鳴っていた。
ここは私の大切な場所。
前の人生で、厳しい花嫁修行の合間に魔導具づくりに没頭した……
「あっ、あれですよね?」
アンナが箒を持つ手で器用に指差す。
その先には––––、
森の中にひっそりと佇む、一軒の小屋があった。
懐かしい森の中の小屋。エインズワースの当主専用研究室を前に、私は思わず足を止めた。
「よかった。変わってない……」
「え? 何か言われましたか???」
思わず漏れてしまった心の声に、先を行くアンナがぴょこ、と振り返った。
「ううん、なんでもないわ」
私は慌てて両手を振る。
幸いなことにアンナは気にした様子もなく、小屋の前まで行くと、持参した掃除道具を広げて準備を始めた。
「ふぅ」
私は小さく息を吐くと、辺りを見回した。
小屋のまわりも、ここまでの道も、屋敷の使用人たちの手で雑草などが抜かれきれいに維持されている。
外については問題ない。
問題なのは、やはり中だろう。
特別な仕組みで施錠された小屋の鍵を開けられるのは、当主とその家族だけ。
父や兄たちは長いことここを使っていなかったらしいので、かなりの埃が積もっていることだろう。
アンナが気合を入れて準備をしてきたのは、つまりそのためだった。
掃除好きの侍女は、てきぱきと用意を進めていた。
箒(ほうき)を壁に立てかけ、ハタキを足踏み台の上に置き、桶(おけ)を足元に置く。
そしてアンナは、その桶の上に両手をかざした。
「『清浄なる水よ。我が手から溢れ、桶を満たせ。水生成(クリエイト・ウォーター)』!」
シンプルな詠唱。
久しぶりに見るそれは、不思議な光景だった。
唱え終わるや、彼女の両手から水が溢れたのだ。『日本』ではありえなかった奇跡が、目の前で起こっている。
桶に注がれる、透明な水。
水生成(クリエイト・ウォーター)は、魔力の少ない人でも簡単に発動できる初級魔法だ。
体内の魔力を変換して水を作り出す。
ちなみに戦闘用としては、この魔法の応用である水竜巻(ウォーター・トルネード)という中級魔法がよく使われる。
学園の実習で習ったので前世の私は使えたけれど……今の私はどうだろうか?
「…………」
好奇心が、うずいた。
「ちょっとだけなら、大丈夫よね?」
せっかく魔法がある世界なのだ。
できるものは、試したい。
好奇心に負けた私は、木々の向こうに見える池に指先を向けた。
試し射ちなので、威力は最小に絞る。
もし私が前と同様に魔法を放てるとすると、最大威力で射てば屋敷が全壊してしまう。
「すぅ〜〜、はぁ〜〜」
深呼吸を一つした私は、小声で詠唱した。
「『カップの水のごとく小さき水の流れよ。我が指先に集い、渦を巻き、指差す方向に徒歩の速さで進め。水竜巻(ウォーター・トルネード)』!」
構築された魔法の詠唱が、体内の魔力(マナ)を誘導する。
次の瞬間、私の指先におもちゃのラッパほどの水の渦が現れ、シュー、という音を立て回転しながら池の方に飛んでいった。
(やった!)
久しぶりの魔法は、どうやら成功したらしい。
私の魔法は人が歩くほどの速度で木々の間を抜け、池の水面に。
そして小さな水の渦は、水しぶきを立て……
「へ?」
バシャシャシャシャシャシャッ!!!!
水面を引き裂き、あたかもスクリューが全力回転するがごとく、盛大に飛沫を撒き散らす。
(ま、まずっ!?)
私の魔法は派手な水煙を立ち上げながら水中に没すると、ゴボゴボと泡を立て池の底につき当たるまで直進したのだった。
幸いなことに、見かけが派手な割には周囲に目立った被害はなく、せいぜい池の淵が水浸しになった程度で収まった。
アンナは気づかなかったみたいだし、屋敷の方で目撃した者もいなかったようだ。
––––が、私は激しく反省していた。
「やっぱり、安易に中級魔法を使っちゃいけないわね……」
ちょっと間違えば、屋敷にテニスボール大の穴が空いていたかもしれない。
先ほどのアレは、明らかに詠唱の失敗によるものだった。
水の量は「カップ程度」「小さき」と指定した。
進行方向は「指差す方向」と指定した。
速度も「徒歩の速さ」と指定した。
だけど、渦の回転力(モーメント)と、魔法の停止条件について指定するのを忘れていたのだ。
その結果が、あれだ。
魔法を発動するときは、その大きさや効果範囲、停止条件などを細かく指定して詠唱しなければならない。
きちんと指定しないと、先ほどのように術者の魔力に比例して暴走してしまう。
魔力の少ない者なら被害は知れているけれど、私のような大量の魔力持ちだと文字通り建物をふき飛ばしかねないのだ。
便利そうで、実はちゃんと使うのは大変。
それが魔法。
実は、詠唱は必ずしも必要不可欠という訳ではない。
頭の中でイメージしながら魔力を動かしても発動はする。けれど、その分制御は甘くなり、暴走のリスクが高まる。
初級魔法ならいざ知らず、中級以上の魔法を行使する者は、王国法で詠唱が義務づけられていた。
魔導具による魔法発動が詠唱・無詠唱魔法に比べて優れているのは、まさにこの点だ。
術式が仕込まれているため、命令の指定漏れがない。決まった威力の魔法を、即座に、確実に発動できる。
しかも使い手を選ばない。
それが魔導具のメリットだった。
私がこれから作る魔導具は、そのメリットを最大限活かしたものになる。
自分の中に、魔導具づくりへの欲求が、これから作る魔導具の構想が、ムクムクと湧き上がってくるのを感じた。
その時、小屋の方から元気な声が聞こえてきた。
「お嬢さまあ。鍵を開けてくださーい!」
ぶんぶんと手を振る私の侍女。
「ふふっ」
アンナはやる気十分。
彼女につられた訳ではないけれど、私もワクワクしながら小屋に向かった。
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