第6話 父との交渉
☆
その日の夕方。
私は父の書斎を訪れていた。
「レティ、体は大丈夫なのか?」
目を細め、尋ねる父。
私はアンナが用意してくれたイスに腰掛けたまま頷いた。
「うん。まだ一人で歩くのはつらいけど、少しずつでも体を動かすようにしないといけないと思って。心配させちゃってごめんね、パパ」
「いや、いい。お前の気持ちも考えず何も伝えないまま王城に連れ出し、いきなり陛下と殿下に謁見させた私が悪い。おまけに病み上がりの娘に気を遣わせるなど……父親失格だな」
父は小さくため息を吐いた。
どうやら私がお城で倒れたことに責任を感じているらしい。
実際には、私が倒れたのはアルヴィンの顔を見て『未来の記憶』が戻ったことが原因なので、父が責任を感じる必要はないのだけど。
でも今は、負い目を感じてくれた方が良いかもしれない。
「ひょっとして、わざわざここまで出向いたのは、その話か?」
「うん。それにも関係がある、かな」
ずきり、と胸の奥が痛む。
これを言えば、父はさらに苦悩するだろう。
けれどこのまま婚約を受け入れれば、近い将来私たちを待っているのは、破滅。
それだけは、絶対に避けなければ。
私は顔を上げ、まっすぐ父を見つめた。
そして告げる。
「お父さま。私にエインズワースを継がせて下さい」
父の目が、驚愕に見ひらかれた。
「家を、継ぎたい?」
「はい」
父の視線を真っ向から受け止め、頷く。
王子との婚約は絶対に回避しなければならない。
だけど王の手前、断ることもできない。
では、断らずに婚約を回避するにはどうしたらいいか。
その答えが『家を継ぐこと』だった。
家を継ぐとなれば、当然他家に嫁ぐことはできない。王家とて婚約を無理強いすることは難しくなる。
少なくとも、嫁がない言い訳にはなるだろう。
父はどう思うだろうか?
「……………………」
机に目を落とし、難しい顔で考え込む父。
しばしあって、視線を上げた。
「たしかに、それなら婚約の話はなくなるだろう。だが、お前が家を継ぐのは恐らく簡単ではない」
「何が問題なのですか?」
私の問いに、父は「ううむ」と返事を躊躇った。
「問題は色々ある。だが一番の壁は、王国の爵位継承法が女子の継承を認めていないことだ。我が国では女性が家督を継ぐことは基本的にできないのだよ」
苦々しい顔で告げる父。
きっと父なりに言いづらいことを言葉にしてくれている。
しかし、だからと言ってここで諦める訳にはいかない。私たちの命と未来がかかっているのだ。
––––話を先に進めなければ。
「アンナ、先ほどの本を」
「はい、お嬢さま」
私の言葉に、傍らに控えていたアンナが傍らにやって来て分厚い本を差し出す。
「ありがとう」
私は本を受け取ると、一枚のしおりが挟まれていたページを開いた。
「その本は?」
「我がハイエルランド王国の、貴族法の法令集です。執事のブランドンに頼んで、屋敷の書庫からお借りしました」
「法令集? なんでそんなものを???」
「お父さまが先ほど仰ったように、ここから先は法律抜きには話ができません。ですから実際に条文を参照しながら––––」
「いやいやいや、ちょっと待て」
手で私を制止する父。
「お前は、そんな難解なものを読めるのか?! 法律の条文なんて専門用語だらけで、王宮の文官でも慣れるまで年単位で苦労するものだぞ?」
父は『信じられない』という顔で私をみた。
「お父さまには、事毎に感謝しているんです。普通、貴族の娘には礼儀作法やダンスなどを習わせてそれでよしとする家が多いと聞きます。ですがお父さまは私に、魔導具の設計や製作をはじめ興味があることは全て学べるよう優秀な先生方をつけて下さいました。そのおかげでこのような本にも多少なりとも目を通すことができるようになったのです」
これは半分本当で、半分ウソ。
私には各分野の家庭教師がつけられていて、そのことは父にとても感謝している。
ただ、今の私が法律に詳しいのは、実は未来の夢で受けた花嫁修業のおかげだ。王族に嫁ぐため、当時の私は教養として王国法全般について教え込まれていた。
「…………」
私の言葉をポカンとした顔で聞いていた父は、やがて我にかえると、自嘲気味に笑った。
「いつの間にこんなに大きくなったのだろうな。私はお前のことを、まだまだ子供だと思っていたが……認識を改めなければならんな」
「私は十二ですから、まだ子供ですよ?」
「そういう意味ではないんだが。まあいい。先を続けなさい」
「はい。お父さま」
父に促された私は、手元の本に目を落とす。
「お父さまが先ほど仰ったのは『爵位継承法』の第2条1項のことだと思います。『ハイエルランド王国貴族の爵位継承は、原則として初代直系嫡出の男系男子がこれを継承するものとする』」
「その通りだ」
「同2項には長子優先の規定がありますから、これをお父さまが持つ『オウルアイズ伯爵』に当てはめて考えると、長男であるグレアム兄さまが爵位を継承されることになりますね」
「そうだな」
父は深く頷いた。
普通ならこの話はここで終わりになる。
女である私は、爵位を継げない。従って継承を楯に王子との婚約から逃れることはできない。
だが…………
「お父さまは、この法律の第8条を読まれたことはありますか?」
「目を通したことはあるはずだが、具体的な内容までは覚えていないな。……どんな内容だったか」
先を促す父。
私は膝の上に置いた本に、目を落とした。
「読みますね。『第1条から第7条までは、原則としてハイエルランド王国貴族すべてに適用される。ただし––––」
私は顔を上げ、父を見つめた。
「戦時特別叙爵によって定められた爵位については、制定時の勅許状の規定に従う』」
「戦爵の例外規定か!」
父ははっとしたように叫んだ。
戦爵……戦時特別叙爵は、戦争中に元老院による審議を待たず、王が自らの裁量で直接叙爵できる制度だ。
戦時の部隊編成、運用などの必要性から急遽、叙爵や陞爵が必要となった場合、子爵以下の叙爵について元老院の事後承諾という条件つきで王が勅許状を発行できる。
またこの制度によって叙された爵位自体も戦爵と呼ばれていた。
「それで、戦爵が今回の話とどう繋がる? 我が家が持つオウルアイズ伯爵位は戦爵ではなく、事前に元老院での審議を経て叙せられたものだぞ」
「はい。オウルアイズは、そうですね」
私の言葉に、訝しげな顔をする父。
だが……
「レティ、ちょっと待て。今『オウルアイズは』と言ったか?」
「はい。申しました」
父は、はっとした顔で立ち上がると、つかつかとキャビネットの前に歩いて行き、そこに納まっている金庫のダイヤルを回し始めた。
待つことしばし。
金庫から一つの木箱を取り出してきた父は、デスクの上にそれを置いた。
「…………」
手袋をつけ、丁寧にふたを開ける。
中から出てきたのは数枚の古びた書状。
父はその一枚を手に取り、食い入るように見入った。
「『勅許状––––下の者を戦時特別叙爵によりエインズワース男爵に叙する。…………尚、継承については、爵位保持者が自らの三親等以内の者を継承候補者として指名し、存命中の任意の時期または死後速やかに爵位を継承するものとする』」
書類から顔を上げた父は、驚きと戸惑いが入り交じった表情で私を見つめた。
「レティ。お前はさっき『エインズワースを継ぎたい』と言ったな」
「申しました」
「それはつまり『エインズワース男爵位を継承したい』ということか?」
「仰るとおりです」
頷いた私に、父は再び絶句した。
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