第3話 夢の果て、時超えし再会②
☆
十二歳の誕生日を迎え、ひと月が過ぎようというその日。
私はオウルアイズ領の屋敷から王都に呼びだされ、父に連れられて王城に来ていた。
通された謁見の間。
正面の壇上には精緻な細工が施された玉座が置かれ、この国……ハイエルランド王国の統治者である壮年の男性が座っていた。
初めての王城。
初めての王との面会。
失礼のないように。宮廷作法を間違わないように。そんなことで頭がいっぱいだった気がする。
幸か不幸か、この面会が意味するところを私はまだ父から知らされていなかった。
儀礼的な挨拶が終わると、王は「アルヴィンを呼べ」と侍従に申しつけた。
アルヴィン……アルヴィン・サナーク・ハイエルランド。それが第二王子の名だということは、幼い私にもすぐに分かった。
なぜ王子が呼ばれたのか、その理由までは考えが至らなかったけれど。
王子がやって来るまでの間、王からは様々なことを尋ねられた。
家族との仲はどうか。
普段どんな勉強をしているのか。
そして興味があることは何か。
私は正直にそれらの問いに答えていった。もちろん魔導具づくりへの思いも。
そうこうしているうちに第二王子が姿を現す。
王族専用の扉から入室してきたその少年が王に挨拶すると、王は私たちに彼を紹介した。
父と二人、王子と向き合う。
豪奢な金髪。
整った顔立ち。
そして不機嫌そうな青い瞳。
巷の噂に違わぬその容姿に私は目を奪われた。
王子に挨拶する父と私。
彼はそんな私たちを一瞥すると、吐き出すようにこう呟いた。
「斜陽の伯爵家が、権勢を求めて王家と繋がりを持とうとするとは……僕もずいぶんと舐められたものだな」
侮蔑と苛立ちの入り混じった視線。
ゴミを見るような二つの青い瞳。
––––次の瞬間、私は声にならない悲鳴をあげた。
突然頭の中を埋め尽くす、膨大な記憶。
私を睨む二つの青い瞳。
曇天の下、吊り上げられた刃。
二体のテディベア。
雨の中の葬儀。
バランスを崩すオートバイ。
迫る二つの光。
流れるプログラムコード。
3D-CADの画面。
高校の卒業写真。
優しい両親とオタクの兄。
いくつもの光景が頭の中で渦を巻く。
まるで早回しの映画のように。
そうして私は記憶を取り戻し、気を失ったのだった。
☆
「ひゅっっ」
私は必死で息を吸い込み、吐き出す。
「はっ、はっ、はぁっ」
「お嬢さまっ! 大丈夫ですか!!??」
アンナの悲痛な声。
乱れる呼吸。
私はアンナにしがみつき、その腕に顔を埋めた。
心は乱れ、体は言うことを聞かなかった。
落ち着くまでどれほどの時間そうしていたのか。気がつくと私は、アンナに膝枕してもらいながら頭を撫でられていた。
「アン…ナ……」
「! 大丈夫ですか、お嬢さま?」
心配そうに私をのぞき込むアンナ。
近くで見るその顔は、私が最後に見た彼女より幼く見える。
処刑されたとき、アンナは二十代半ばだった。
だけど目の前の彼女にはまだ少女の面影が残っている。せいぜい二十歳か、下手すると十代後半。
私は目を閉じ、深呼吸を繰り返す。
わかってる。
たぶん、そういうことだ。
そうしてなんとか気持ちを落ち着けると、アンナに支えてもらいながら体を起こした。
「ねえ、アンナ。手鏡を持ってきてくれる?」
「え……あ、はいっ」
ドレッサーから手鏡を持ってきて、手渡すアンナ。
私はその鏡をのぞきこんだ。
「…………っ」
思った通りだった。
鏡に映ったのは、長く美しい銀髪と青色の瞳を持つ怜悧な顔だちの十二歳の少女。
彼女は、のちに無実の罪で断頭台の露と消える伯爵令嬢、レティシア・エインズワース。
つまり、幼い頃の『私』だった。
いつのまにか、朝の日差しがカーテンの隙間から差し込んでいた。
「それでは、旦那様に知らせてきますね」
カーテンを引きあけたアンナは、私の目覚めを父に知らせるため、部屋を出る。
「ふぅ…………」
ベッドに腰掛けた私は息を吐き出し、枕元に寝かされていた色違いの二体のテディベアを手にとり、膝の上に乗せた。
彼らは『ココア』と『キャラメル』。略して『ココとメル』だ。
ココはこげ茶色の男の子。
メルは小麦色の女の子。
5歳の誕生日にお母さまがプレゼントしてくれたこの子たちは、その後間もなく母を亡くした私にとって、寂しさを紛らわせてくれる大切な友達だった。
同時に、前の人生では私の最期まで付き合わせてしまった家族でもある。
「ココ、メル、ごめんね。もう二度とあんな思いはさせないから」
二人を、ぎゅっと抱きしめる。
気がつくと涙が頬を伝っていた。
☆
間もなく。
外の廊下からコツコツコツと規則正しく、でもどこか焦るような足音が聞こえてきた。
その足音はどんどん近づいてきて、やがてこの部屋の前で立ち止まる。
そして、ガチャリと扉が開いた。
「レティシア」
扉から現れたのはこの屋敷の主、オウルアイズ伯爵ブラッド・エインズワース。私の父親だ。
ややくすんだグレーの髪色を持つその人は、漂う威厳や鋭い目つきとは裏腹に、私の顔を見ると目に見えて挙動不審になった。
中途半端に広げる両手。
駆け寄ろうかどうしようか、うろうろと迷うように揺れる体。
その姿に、処刑される直前のこの人の姿が、拷問でボロボロになりながら私の助命を求めた姿が重なった。
前の人生で、私は父が苦手だった。
私だけじゃない。
二人の兄も、父とはあまり気軽に話していなかったように思う。
「父上、よろしいですか?」と敬語で話しかける息子たちと、「そうか」「駄目だ」と無愛想な受け答えをする父。
あれは何というか……職場の部下と上司だ。
業務連絡と報告、そして指示。
雑談はほぼなし。
皆で食卓を囲んでいるときですらその調子だったから、まるで軍隊で野営をしているようだった。
今思えば、王都の学園に上がった私がコミュ力不足で『|氷結の薔薇姫 (フローズン・ローズ)』とか『酷薄令嬢』と呼ばれてしまったのも、そういう家庭環境が影響していたのかもしれない。
だけど私は、最期のときになってやっと気づいたのだ。
父は間違いなく私たち兄妹を深く愛していた。
見た目が怖く口数の少ないこの人は、ただただとんでもなく不器用だっただけなのだと。
だから今回、私は自分から動くことにする。
膝の上のココとメルをベッドに移し、筋肉の落ちた両足でゆっくりと立ち上がる。
そして、
「……パパっ!!」
よろよろと父のところまで歩いて行き、その体に抱きついた。
––––結果。
生まれて初めて私に抱きつかれた父はとても驚いていたけれど…………両腕でぎゅっと抱きしめてくれたのだった。
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