奈落に散り、深淵に溶ける。

 氷像が砕け散り、欠片が暗黒の地面に呑み込まれていく。


「んー、なるほどね……冥界だとこうなるんだ」


 呑み込まれて消えていくのは砕け散った体だけではない。僕が掠め取ろうとした魂さえも冥界に呑まれてしまった。


「おやおや、消えてしまいましたねぇ……流石の彼らも、抵抗力を無くした魂だけの姿になれば冥界の流れに取り込まれてしまうという訳ですか」


 バラバラすぎてゾンビやスケルトンにするのは無理だと思ってたけど、ウィスプも無理になっちゃったね。


「まぁ、犠牲無しで勝てたし良いかな」


 こちら側の損害はゼロだ。エクスも復活を切っていないし、失ったものと言えば魔力を消費したという程度だ。


「そうだな。いきなり半壊するようなことは無いと思っていたが、ここまで順調に勝てるとは思わなかった」


 イヴォルも満足げに頷いた。


「ん、何か……ッ!」


 空気が揺れているのを感じ取った僕が周囲を見回すと、バリッ、バリッ、と何かが割れて砕けるような音がそこら中から響いた。


「イヴォル……これは?」


「檻の崩壊が始まった。一応、私から離れないようにしておいた方がいい。崩壊の影響で檻の内側は不安定な状態になっている。私がいなければ既に……いや、君の悪魔が居ればそうはならないか」


 檻の崩壊? そういえば、そんな話も聞いていた気がする。


「囚人の居ない檻に意味は無い。故に、この檻は役目を終えて道となったのだ」


「なるほどね」


 態々檻を崩壊させる理由はなんだろう。これだけ強力な結界なら維持にもかなりのコストがかかってもおかしくないし、コスト削減の為に檻をそのままにしておく意味は無いからって感じかな。まぁ、何にしてもこっちとしては好都合だね。


「じゃあ、崩壊が終わるまでの間は休憩と回復の時間にしようか」


 崩壊していく闇の外殻を眺めながら僕はその場に座り込み、無数のポーションをインベントリから生み出した。




 ♢




 回復と休憩を済ませた僕らは、また暗闇の向こう側へと進んだ。


「さて、ここから一歩進めばまた居るってことだよね?」


「あぁ、そうだ」


 既にバフの類は撒いてある。後は進むだけだろう。


「じゃあ、行こうか」


「では、私達が先行します」


 僕が一歩踏み出そうとした瞬間、僕の肩を抑えて複数の影が闇の中へと飛び込んだ。


「心配性だなぁ……みんな、続くよ」


 先行した子たちに追いつくように、僕らも闇の中へと飛び出した。




 ♢




 闇を抜けた先。そこもまた暗黒。しかし、その暗闇の奥に一つの人影が見える。


「……ぐ、ググ、ヴぉ、エ」


 微かに聞こえるのはうめき声。その声の主は当然、闇の向こうに佇む影だ。


「あれは……なんだろう」


 僕は仲間たちと共に一歩ずつ、に近付いていく。


「黒いね」


 黒い影のように見えていたナニカ。闇の中にあるから黒いように見えているのかと思ったが、違った。近付けば近付くほどに、それはハッキリと、黒を主張する。


「人っぽい……ですけど」


 エトナが呟く。


「そうだね。人型ではあるけど……人間ではなさそうだね」


 黒くベタ塗されたかのような滑らかなその体は、よく見れば表面がコポコポと泡立っており、その形以外は人間からかけ離れている。


「う、うヴぉ……ゔ、ぉ、ぇ……」


 蹲っている黒い異形は呻き声を上げながら、近付いて来る僕らを見た。


「やぁ、こんにちは。僕の言葉は分かるかな?」


 ちょっとスライムっぽさもあるそれは、曲げていた膝を起こし、猫背になっていた背を僅かに伸ばし、僕にゆっくりと手を伸ばした。僕は近付いてくるそれをそのまま眺め……


「気を抜くなッッ!!!」


 イヴォルの魔術で大きく後ろに引っ張られた。


「不用意に近付くな。気を抜いて接するな。これは、油断していい相手ではない」


 黒いナニカを睨みつけたまま言うイヴォルに、僕は頷いた。


「しかし、なるほど……そうか、ここだったか。どうやら、我々はハズレの中のハズレを引き当ててしまったようだ」


「ハズレの中のハズレ?」


 僕は聞き返した。厄介な相手の居る檻に来てしまったということだろうか。


「そうだ」


 黒いナニカは、ゆったりとした動きで僕に近付きながら、黒い手のようなものを伸ばす。


「帳を下ろすもの、闇月の雫、攫い食らう者、独り歩く泥沼、塗りつぶす者、黒霧の怪人。幾つもの街を滅ぼした怪物には、当然幾つもの呼び名が付けられた。だが、後世にこの厄災を語り継ぐ者達は殆どが彼をこう呼んだ」


 一歩ずつ、ゆっくりと近付いてくる黒いナニカ。



「――――単に、黒きもの……と」



 どこかで聞いたことがある。僕としてはその程度だったのだが、エトナは大きく目を見開いていた。


「く、黒きもの……ですかッ!?」


「知ってるの? エトナ」


 僕が聞くと、エトナは有り得ないものを見るような目で僕を見た。


「逆に知らないんですかッ!? 街どころか、国を何個も滅ぼしてるんですよッ!? ……ただ、黒きものって言うのは黒い無数の怪物の群れの総称だった筈なので、目の前の彼がどのくらいの強さかは分からないです」


 あぁ、なるほどね。ありがちな話だ。明らかに個人では出来ないレベルの犯罪を犯してる犯罪者が実は複数犯だったみたいな、物語の中ではよくある話だね。まぁ、それなら良かったよ。厄介な能力は持っていそうだけど、僕らでも対処できそうだ。


「……群れの総称?」


 しかし、幾つもの二つ名を語ったイヴォルは怪訝そうな目をしている。


「あぁ、そういえばそんな噂も立っていたな。そうか、今はそう伝わっているのか……残念だが、黒きものは魔物の集合体でもなんでもない。ただ、異常な力を持った一体の魔物だ」


 イヴォルは黒きものを睨んだまま、僕の安堵をぬか喜びに変えた。

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