赤井の暴走

 増幅された凄まじい膂力でアスコルに迫るレッド井。その行く手を結晶の壁が遮り、鳥の突撃が遮り、鞭が遮り、しかしレッド井は死なず、未だ止まらない。ただ愚直にアスコルへと迫る。


「キ、キシィ……ッ!」


 ビシリ、またレッド井の拳がアスコルに直撃し、大きくヒビが入った。結晶片が落ち、アスコルはジリジリと下がる。


「ぐぉオォおおおおオォッ!」


 レッド井の全身からは炎が噴き上がっており、正に火達磨状態になっている。これは彼自身のスキルによるものではあるが、本来は拳や剣など一部分を覆うように、また魔力で自分を覆い保護した上で行使する力だ。

 しかし、暴走状態の彼にはそれを制御する術はなく、全身を強い炎が覆い尽くしている。突然彼の体は火傷だらけで、爛れ始めているが、増幅された耐久力により皮膚の被害だけで耐えている。


「ぐ、ゥ……お、オォォォ……あ、ァぁ……」


 レッド井の動きが、止まり、強く握り締められた拳から血が溢れる。


「ぅ、ふゥ……は、ァ……戻って、きたぞ。俺、ハ……暴走、しない」


 その目に、理性が宿った。彼を覆う炎が、消えた。


「ほぉ? あそこから復帰するたぁ、よっぽど精神力が強えのか、それとも……」


 レッド井のそこそこなMNDと、プレイヤーとしての性質でなんとか理性を取り戻したらしいレッド井は、自身を覆う炎を消してから直ぐに拳にだけそれを宿らせた。


「ポーションは、効かないか……じゃア、殴る」


 レッド井は減ったHPを戻す為にポーションを取り出して飲むも効果が殆ど無いことを確かめ、再び傷だらけのアスコルに向かって行った。


「喰らエッ!! お前も、MPはあるんだろッ! だったら、その結晶化もそろそろ限界だよなッ! 魔術もなァッ!」


「キシィッ!」


 石の壁が立つ。しかし、今度のそれは結晶化されず、簡単にレッド井に壊された。


「図星って、訳かッ! 蠍の魔物めッ、俺がッ、砕いてやるッ!」


 理性を取り戻したレッド井が、さっきとはまるで違う動きでアスコルを的確に追い詰めていく。


「これなら俺たちも混じれそうだな?」


 ドレッドが言う。さっきまでは炎を纏いながら周りを見ずに暴れるレッド井に巻き込まれる危険性があったため、まともに戦闘に加わることが出来ていなかったが、今は違う。今ならば、全員で連携して化け物どもに挑むことができる。


「熱の剣を喰らえッ!」


「レイピアもねッ!」


「今なら、簡単に攻撃が通るなァ!?」


「砕けて脆くなった場所を更に削りましょう」


 全員で囲い込み、順調にアスコルを潰していく。だが、彼らは一つだけ重要なことを忘れている。


「……ピキ」


 レッド井に巻き込まれる心配を無くし、戦闘に加わっていく仲間達。しかし、それはエノムにとっても同じことだった。


「ぐぼォ、がはッ!? ぐッ、うッ!?」


 結晶の鞭にも槍にも怯まず、ボルドロの突撃でも吹き飛ばなかったレッド井が、膝を突いた。


「げッ、かはッ……ぐぼェッ、じ、ぬ……ど、ぐ……」


 紫色の液体を吹き出しながら、全身が爛れ、溶けていく。吐き出された赤い血に紫が混ざって、ぐちゃぐちゃになっていく。レッド井の肉体と、同じように。


「さい、ごだッ!!」


「キシィッ……!」


 最後の力を振り絞り、崩れ行く肉体で拳を振り上げ、そこに真っ赤で巨大な炎を宿らせて、アスコルを殴りつけた。

 アスコルの鋏は原型が分からない程に潰れ、代わりにレッド井は完全に崩壊して粒子となった。


「ど、毒野郎だッ!」


「焦るなッ、先に蠍だッ!」


 理性を取り戻し、暴走を止めたレッド井だったが、滅茶苦茶に暴れるのがエノムを寄せ付けない最善策であることには気付かぬまま死んでいった。そして、それは他の面々も同じだった。


「……MP、一回分くらいは……あるのです」


 その一回で、どのスキルを使うか。それが最も重要だった。幸い、戦力外と化しているレヴリスをエノムは狙っていない。確実に、一つならスキルを決められる。


「誰に、何を……」


 蠍は傷付き、鋏を無くし、ヒビ割れている。HPで言えば確実に半分は切っているだろう。


 鳥はほぼ無傷だ。傷や異常は無く、MP状況は不明。敵の中では唯一万全の状態かも知れない。


 スライムは無傷だ。しかし、MPはかなり消耗しているはずだ。透明化の力はいずれも消費が激しい。そして、態々透明化して凌ぐということは耐久力に関しては恐らくミュウ程ではない。


 レヴリスは考え、考え、答えを導き出した。


「……蠍、なのです」


 冷静に考えてみれば、今まで蠍にまともな傷を入れられたのはレッド井のみだ。他は結晶の体に弾かれるだけで、有効打は全く無い。

 折角弱っている今も、レヴリスがなにもしない限り蠍は順調に再生していくだけだろう。


「なんか、私デバッファーみたいなのです」


 言いながら、レヴリスはよろよろとアスコルとそれを囲む集団に近付いていき……


「退くのです」


「ちょッ」


 ブレイズの襟を掴んで後ろに引っ張り、代わりに前に出て、紫色のオーラを放つ闇の刃を三本放った。それ自体に殆ど攻撃力はないその刃は、アスコルの体にあっさりと突き刺さる。


「起動」


 爆発。紫色の爆風が溢れ、闇の刃が刺さっていた場所が黒紫色に染まる。脆弱化の効力は、結晶の体相手でも問題なく発揮された。


「デバフ、掛けたのです。あの黒くなった部分を殴るのです」


 言って、レヴリスは直ぐに後ろに下がる。これ以上出来ることが無いからだ。


「やれッ! 今だッ、今しかないッ!」


「ほらッ、僕の緋禍无アカムの味はどうだいッ!」


「おぉ、この状態なら銃も通るなァ。やるじゃねえか、ガキ」


 黒紫色の脆弱化したポイントを的確に削られていくアスコル。流石に再生は間に合わず、限界が近付く中……アスコルはレッド井のことを思い出した。


「……キシ」


 あの男は、死ぬ寸前で命を鑑みずに最大の攻撃を放った。アスコルの考える限り、それは最も正しい選択だったように思える。


 だから、それに倣おう。


「さっさと溶けろッ、溶けちまえッ!」


「おいッ、ちゃんと弱点狙えッ!」


「クケェッ!!」


「あ?! 邪魔ェぞ鳥ッ! オラッ、砕けろやッ!」


 ボルドロの助力も虚しく削られていく体、溶けていく結晶。だが、アスコルはもう体を守ろうとはせず……残った片方の鋏を、集団の奥に見えるレヴリスに向けた。


「キシ、キシ……キシィッ!」


 一、二の……三。ボロボロのアスコルから放たれた結晶弾。直径二十センチほどのそれは、歪で、グチャグチャで、しかしあらゆる箇所から鋭利な突起が飛び出すその形状は、命を刈り取る上では凶悪だった。


「……ぇ」


 役割を終え、意識を緩ませていた中に突然迫る死。レヴリスは呆けたような声を上げ、迫り来る死を視界の中心に捉えた。


「しぬ」


 分かりきった予言を思わず口に出すも、避ける暇は無く、レヴリスはやっと追いついた絶望に身を任せた。



「────退いてくださいッ!」



 が、その死はレヴリスには訪れなかった。


「リーノ、さん……」


「絶対、突破してください……信じていますから」


 まただ。また、レヴリスは自分の代わりに命を失った。タキン、リーノ。クランの仲間の命。それは仮初めのものだったが、二回もそれが目の前で失われると、簡単に感情が揺さぶられた。


「おいッ、呆けてんなッ! 蠍は消えたぞッ!後は透明と鳥だげゔぉぇ」


 叫ぶドレッドの体から、血と毒液が噴き出した。

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