天丼
小さな悲鳴を上げて気絶したヘルメールを、僕は呆然と眺めていた。
「……そうだ。闘技場なんだから、医務室があるよね」
取り敢えず、医務室に連れて行こう。そう思った僕だったが、当然医務室の場所など分かりっこない。かと言って、施設内を勝手に歩き回るのも不味そうだ。
「いや、ここは普通に……」
人を呼ぼう。人を呼んで、医務室まで連れて行ってもらおう。そうと決めたら直ぐに動くべきだ。僕はアリーナをグルリと見渡し、誰も居ないのを確認した。
「うん。ここには誰も居ないし、やっぱり人を探しに行くしか無いね」
でも、その前にテイマーとしてやっておくべきことがある。
「みんな、その人気絶しちゃったから見張っといてね。誰か来たら直ぐに僕に連絡するように」
ヘルメールはかなりの美人だ。ここに一人で寝かしておくのは危険だろう。だから、僕の従魔を警備に付けておくことにした。
「良し、じゃあ行こう」
僕は気合いを入れてアリーナから戻り、さっきの売店がある部屋に入った。そこには売店の店員と案内役の人に加えて、僕も知っている有名なプレイヤーが居た。
「あ、レン。久し振りだね」
暗い赤色の髪と目、腰に携えられた二本の剣。ステータスを見るまでもなく分かる。間違いなく、彼はこのゲームのトッププレイヤーの一人であるレンだ。
「ん……あぁ、ネクロか。そういえば、お前もシード枠だったな」
「まぁね。今日はクラペコは一緒じゃないんだね」
僕が言うと、レンは溜め息を吐いた。
「……別に、常に一緒にいる訳じゃ無い。そもそも、俺は一人で居る方が好きなんだ。なのに、あいつがいつも付いてくるから……変な噂まで立つ始末だ」
「あー、うん。それは可哀想だね」
僕が笑い、本題に入ろうとしたところで、ヘルメール程では無いが顔立ちの整っている女の案内人が冷たい表情で僕らの間に入り込んだ。
「失礼ですが、此方にも時間の都合がありますので……そろそろ、お話は終わりにして頂けますか?」
その目線はどちらかといえば……いや、確実に僕を睨んでいた。
「あはは、ごめんね。でも、ちょっと緊急事態的な感じのことがあってさ」
僕は無駄に回りくどい日本語を駆使しながら本題を切り込むことにした。
「はぁ……なんですか? どうせ取るに足らないような事態でしょうけど、言ってみて下さい」
……この人、対応悪くない? まぁ、悪いのは僕なんだけどね。
「実は、僕の案内役だったヘルメールさんが気絶しちゃったんだよね」
僕がそう告げると、レンは眉を顰め、売店の人は小さく驚きの声を上げ、案内役の女性は声も出せない様子で震えながら僕を睨みつけた。
「な、ななっ、なんで早くそれを言わないんですかっ!? いや、それよりもッ、ヘルメール先輩に何をしたんですかッ!!」
いや、驚くとは思ってたけどさ、そこまでの反応は予想して無かったよ。特に、案内役の人は凄まじい動揺だ。
「あー、うん。落ち着いてよ。発作とか殴られたとかじゃなくて、驚いて気絶しちゃっただけだからね」
「あ、有り得ませんっ! ヘルメール先輩が驚いただけで気絶なんて……有り得ませんッ!」
いや、知らないよ。
「まぁ、取り敢えず医務室まで運びたいって思ったんだけど、僕じゃ場所も分かんないからさ、人に聞こうかなと思って来たんだ」
「な、何を言ってるんですかッ! ヘルメール先輩を運ぶッ!? 貴方みたいなのが先輩の体に触れるなんて、許される訳が無いでしょうッ! 先輩は私が運びますッ! ……ふ、ふふ、遂に先輩の御身体に触れる機会が……ふふふっ」
あ、なるほどね。この人、おかしい人だ。
しかし、こんなに慕われてるってことはヘルメールさんは凄い人なのかも知れない。
「……ネクロ。何故、そのヘルメールという案内役は気絶したのか、教えてくれ」
レンが呆れた様子で僕に尋ねた。
「ん? あー、驚いたってのが理由だけど……何で驚いたかって話なら、僕の従魔を見たからじゃないかな? 多分、状況的にはそうだと思うけど」
「見ただけで気絶するような従魔……恐ろしいな、お前は」
別に、どこも恐ろしくないよ。
「取り敢えず、ヘルメールさんはアリーナで気絶してるから……そこまで行こうか」
「分かりました。アリーナですね。……貴方、まさか先輩をそのまま放置して無いですよね?」
触れるなって言ったり放置するなって言ったり、忙しいなぁ。
「大丈夫だよ。僕の従魔達を見張りに付けてるからね」
「……まぁ、良いでしょう」
そう言って案内役の女はヘルメールのようにツカツカとアリーナに向かっていった。尤も、その速度はかなりヘルメールよりも速かったが。
案内役は颯爽と廊下に出て、扉を開け、更に奥の扉を開けようと手を出した。
「あ、一応言っとくけど、驚かないようにね」
アリーナへと繋がる最後の扉を開けようとしている女に、僕は良心を持って忠告した。
「ふん、分かっていますよ。魔物程度でヘルメールさんが気絶なんて考えられま、せ……」
扉が開き、その向こうには広大なアリーナとそこを占領する魔物達の姿があった。彼らは扉が開くと同時に視線を一斉に此方に向けた。
「ぁ……ぇ……やめ……」
バタリ、従魔達の視線を同時に浴びた案内役の女は、恐怖に表情を歪めながら気絶した。
「……ネクロ、どうするつもりだ。この状況」
アリーナで気絶している二人の案内人。僕は暫く考えた後に、一つの案を思いついた。
「良し、売店の人も呼ぼう!」
ポン、とワザとらしく手を叩いて僕は言った。
「……馬鹿なのか、お前は」
しかし、帰ってきたのは冷たいレンの視線だった。
♢
あれから、僕は従魔を戻してレンに売店の人を呼んできてもらい、その人に二人を医務室に運んでもらうようにお願いした。が、運んでいる途中でヘルメールが起きたので、案内は続行ということになった。
「……まぁ、出して下さいと言ったのは私ですので、私が悪いんです。ですが……いや、良いでしょう。今回はすみませんでした」
そして今、僕ら二人は応接室に座ってヘルメールと向かい合っている。が、ヘルメールは全く納得のいっていない表情をしている。
「あはは……いやぁ、ごめんね。僕も悪気があった訳じゃないんだけどさ、僕はほら、もう彼らに慣れちゃってるから……ね?」
「……別に、責めている訳ではありません。ただ、少しばかり招待状を届けたのを後悔しているだけです」
うん、僕でも分かるよ。これは怒ってるね。
「それと、私は少し……少しだけ巨人にトラウマがあるので失神してしまいましたが、ただ魔物が出てくるだけで気絶することは無いですので、ご安心下さい」
へぇ、巨人にトラウマね。珍しいところにトラウマを持ってる人も居るんだね。
「あー、それはごめんね。やっぱり、僕も無遠慮だったよ」
「えぇ、そうですね」
……静かにキレてる。表情が無いのにここまで怒りを伝えてくるのは凄いね。態々、トラウマの話をしてまで弁明してるところから見るに、結構プライドを傷つけちゃったのかもね。
「……優勝賞金、一割渡すから、許してくれない?」
僕が恐る恐るそう言うと、ヘルメールは呆気に取られたような表情になった後、笑みを浮かべた。
「ふふっ、優勝する前提なんですね? でも、それで手を打ちましょう」
「……一応、お前と同じシード枠の俺も隣に居るんだが」
言われてみれば、優勝前提で話してたね。
「あはは、別にそういうつもりじゃなかったんだけど……でも、優勝する自信も無いのにこの大会に出てる人には、負けないかな」
そう言い切った僕は、口元に僅かな笑みを浮かべた。
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