ヴェレッド・ヴェルエール

 僕たちは今、治安の悪いサーディアの南端から抜け出そうと北に向かって歩いていた。


「そういえばネクロさん、もう明日まで来てますけど、緊張とかしてないんですか?」


「んー、別に緊張は無いかな。僕の仲間はみんな強いから、不安も無いしね。僕の役割なんて、後ろで踏ん反り返ってることだけだよ」


 実際、大抵の相手は僕に辿り着く前に倒されちゃうだろうし。


「マスター。それよりも、大会の登録などで顔を出しに行く必要は無いのですか?」


「あ、すっかり忘れたよ。そうだね。僕はシード枠だから大会前日にちょっと来てくれって言われてたんだった」


 僕が言うと、エトナとメトは呆れたような目で僕を見た。メトはともかく、エトナにそんな目で見られるのは屈辱だ。


「あはは、大丈夫大丈夫。時間はまだ大丈夫だから。メト、ありがとね」


 面倒臭いけど、しょうがない。闘技場に向かうとしよう。


「全く、ネクロさんも抜けてるところがあるんですね。私にばっかり言ってられませんよ? ……ところで、いつまで付いて来るつもりなんですか?」


 そう言ってエトナは振り返り、僕らの斜め後ろ辺りの路地裏を睨みつけた。


「あー、どうも。さっき振りですね」


 暗い路地裏に潜む何かが、その姿を隠したままで僕らに語りかけてきた。


「……やっぱり、ベレットさんですか」


 しかし、エトナはその何かの気配を嗅ぎ分けて正体に気づいたようだった。

 ……にしても、ベレットさんかぁ。付いて来てたんだね。


「まぁ、もう人じゃないのもバレちゃったんで言いますけど……俺の名前はヴェレッド・ヴェルエール。ベレットは単なる偽名です」


 そう名乗った男は、路地裏から悠々と歩いて出て来た。


「へぇ……で、名前まで明かして何を伝えに来たのかな?」


 僕がそう言うと、ヴェレッドは不思議そうな顔をした。


「あれ? アンタ、俺のこと知らないんですか? 結構名が売れてると自分では思ってたんですけど」


 僕は首を振り、彼の正体を聞こうとエトナ達の方を見た。


「……ネクロさん、あの名前が本当なら、あの人はヤバイです。ていうか、人じゃないです」


 あ、やっぱり人じゃないんだね。


「まぁ、自分で名乗るのもなんか恥ずかしいですけど……」


 ヴェレッドはゆっくりと僕らの前まで歩いてくると、真っ直ぐに僕の目を見た。



「────俺の二つ名は『烈血の吸血鬼』。大昔、街を幾つも滅ぼした吸血鬼として、今でも人間に恐れられてます」



 全く以って信じ難い話だけど、何となく本当な気がする。というか、ヴェレッドから放たれる尋常じゃない威圧感がこの話に現実味を持たせている。


「……そんな激ヤバ吸血鬼さんが、僕らに何の用かな?」


 戦闘になりそうなら、エトナ達を従魔空間に放り込んで僕が犠牲になるのもありだ。こんな相手と従魔の命を賭けてまで戦う必要は無いからね。


「単純に警告ですよ。俺とミラに手を出したら……絶対に潰す。例えお前が次元の旅人でも、死ぬまで殺す」


 瞬間、ヴェレッドから赤い血のようなオーラが立ち昇った。威圧感が更に増し、体に重圧がかかっているように錯覚し、思わず膝を突きそうになる。


「……と、すみませんね。本当に只の警告なんで、お客さんとしてならいつでも歓迎しますよ。まぁ、場合によっては違う意味で歓迎することになるかも知れませんけど」


 ヴェレッドはハハハと乾いた笑いを漏らした。


「ね、ネクロさん! この人、本物ですッ!絶対、ストラさんと同じかそれ以上に強いですッ!」


 確かに……そのくらいの雰囲気はある。と言っても、僕らが戦ったストラは弱体化してたけどね。


「大丈夫だよ、エトナ。この人はミラさんを守る為にこうして来たんだから……寧ろ、彼女を守りたいなら自分から何かすることは無いと思うよ」


「えぇ、その通りです。俺だって無用な争いをしたい訳じゃないですし……ていうか、あんまり殺しって好きじゃないんで」


 ふーん……その割には昔は幾つも街を滅ぼしてたとかいう話だけど。


「……まぁ良いや。じゃあ、僕たちはそろそろ行くから。また買いに行くよ」


「はい。是非また来て下さいよ。俺も、敵じゃないならアンタらのことは嫌いじゃないんで」


 ヴェレッド……いや、べレットはそう言って手を振り、別れを告げた。


「うん、じゃあね」


「え、えっと、また会いましょう!」


「……また、お会いしましょう」


 僕らは言葉を返し、ベレットに背を向け、明るく活気のある街に向かって歩いて行った。






 ♦︎……ヴェレッド視点




 この暗い街から離れていく三人の姿を、俺は建物の上から眺めていた。


「うーん、悪い奴等じゃなさそうだな。取り敢えずは一旦放っておいても良さそうか。闘技大会に出るみたいな話してたし、見に行くのもありかなぁ……あとさ、さっきから俺の話を聞いてる奴、居るよね?」


 俺は後ろを振り返って言った。


「……何故、分かった」


 言葉と同時に、何も無い空間がゆらゆらと陽炎のように揺らめき、そこから漆黒の仮面と服で体全体を覆い隠した男が現れた。


「んー、匂いだな。お前は、人よりも匂いが濃いからさ」


 俺が言うと、黒装束の男は首を傾げた。


「馬鹿な。おれは匂いも気配も音も、全てを完全に消している……有り得ないな」


 男は自信ありげに言ったが、俺はそれを嘲るように笑った。


「いやいや、有り得てるからバレてんだって。ていうか、話聞いてたんだし分かんだろ? 俺はさ、吸血鬼なんだよね。だから、さ……」


 俺は口角を上げ、剣を抜いた。



「────血の匂いには、誰よりも敏感なんだよ。お前みたいに人を殺しまくってる奴はさ、魂にこびり付いてんだよ。最低な血の匂いがね」



 俺も人のことは言えないけど、と小声で付け加えつつ俺は剣を構えた。


「それと、お前は聖国の犬だろ? お前と同じような諜報員兼暗殺者みたいな奴が居たんだけど、そいつもお前と同じ服を着てたし」


「ッ! やはり、生かしてはおけん」


 男は懐から小刀を取り出して構えた。でも、聖国の犬が端から吸血鬼の俺を逃すとは思えない。


「ハハハッ、元から殺す気だから姿を見せたんでしょ? でもさ、俺の話聞いてたよね? 俺が『烈血の吸血鬼』っての、忘れちゃった?」


 俺が戯けたようなポーズを取りながら言うと、男は鼻で笑ってから語り出した。


「フッ、有り得んな。確かにお前は吸血鬼で、烈血との関わりがあったのかも知れないな。もしかすれば、奴の後を継ぐような存在なのかも知れん。だが、お前が本人? ハッ、絶対に有り得ん。そもそも、奴は我ら聖国が確実に殺した筈だからな」


 自慢気に語る男に俺は少し呆れながらも、イラついたので剣を直した。


「む? 剣を直しただと? 何のつもりだ、貴様」


 男は訝しむように俺を睨み、警戒しながらジリジリと近寄って来ている。


「あー、別にさ。俺は剣が得意だけど、無くても戦えるし……ていうか、剣はメインじゃないからさ」


 俺は言いながらも、自然体で男が近寄って来るのを待ち構えた。


「……愚かな。消えろッ!」


 男は一メートル程の距離を一瞬で詰め、手に持った小刀を俺の心臓めがけて突き刺した。実際、その狙いは正確で、銀色の刃は俺の心臓を寸分の狂い無く貫いていた。その刃は軽く俺の心臓を抉ると、直ぐに抜き去られた。


 当然、皮膚を破られ、筋肉を破壊され、心臓を貫かれた俺の体からはブシャっと豪快に血が噴き出した。まるで噴水のように血が溢れ出ている。


「フッ、他愛無いな。さて、奴らの尾行を再開しなければ……ぐはッ!?」


 満足気な男は、俺の方を見もせずに帰ろうとした。しかし、その瞬間に男の体は幾つもの真紅の刃で貫かれ、串刺しになっていた。その刃の正体は、俺から噴き出した大量の血だ。


「あー、もしかしてお前、烈血の由来も知らない感じ? これだよ、これが由来だ。斬られた側から斬り返す、荒れ狂う血の刃……それが烈血。それが俺だ」


 鮮血に塗れたその死体からは、俺と同じ濃厚な血の匂いがしていた。

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