船旅と海の怪物

 翌日、昨日をダラダラと過ごしきった僕たちは、結局行きたい場所も特に無かったので早めにサーディアに向かうことを決めた。


 そして現在、僕たちはゆらゆらと船に揺られていた。エトナは外で手すりに腕と顎を乗せ、水平線を眺めている。メトも僕の隣に座って海を見ている。


 船の行き先はウオバン。サーディアに向かうには先ず、港町のウオバンに行く必要があるのだ。

 そこそこ大きめの船にそこそこの数の人が乗っている。となると、当然船に乗るプレイヤーの数も多くなる訳で……



「────あら、もしかして貴方はあのネクロさんですか?」



 当然、そこそこ有名になった僕を知っているプレイヤーも乗っている可能性は高くなる。

 僕の目の前には、白金の長髪と青い目を持った女が立っていた。


「そうだよ。僕があのネクロさんだ」


 あの、がどのネクロを指すのか知らないが、プレイヤーの名前は絶対に被らないようになっているので僕以外にネクロはいないだろうね。


「なるほど。ということはアボン荒野のアースドラゴンを討伐したのは貴方で間違いありませんね?」


「ん? うん、そうだよ」


 倒したっていうか、まぁ、ゾンビ化させたっていうか、ね。


「やっぱり、そうですか……失礼、私はクラペコです。あそこに座っているレンと一緒にサーディアに向かっています」


「……レンだ。よろしく」


 席に座ったまま言ったのは、暗い赤色の髪と目の若い男……レンだ。クラペコに、レン。どっちも有名なベータ版のプレイヤーだ。βベータプレイヤーはCOOが正式リリースされる前からの、謂わば体験版からのプレイヤーで、その時のキャラデータを引き継いでいるので、単純に時間の差で僕たち一般プレイヤーよりも有利だ。

 更に、このクラペコとレンはそんなβベータプレイヤーの中でも強く有名だと言われている。特にレンは『レン君』の呼称で親しまれていて、最強プレイヤー議論にも良く名が上がるらしい。


「へぇ、じゃあ僕らと同じだね。この時期にサーディアってことは、闘技大会?」


「えぇ、そうです。シード枠として呼ばれてしまったので、断る理由も特にありませんでしたし……優勝賞品も、欲しいですからね」


 優勝賞品。まぁ、大会だからそういうのも当然あるよね。


「ふーん、何が貰えるの?」


「さぁ、基本的に大会までは秘匿されていますが……例年通りでしたら、強力な武器や防具か装飾品に、魔道具というのもありましたね。まぁ、価値の高いものであることは間違いないでしょう」


 価値の高いもの、ね。まぁ、僕はあんまり賞品には興味ないんだけど。


「……ネクロ、だったか。俺からも一つ、聞きたいことがある」


 僕らが闘技大会について話していると、レンが席から立ち上がり、揺れる船内を気にすることもなく僕の方まで歩いてきた。周りの黙っていたプレイヤーもチラチラと様子を見ている。


「うん、どうしたの?」


 レンが僕の前に立ち、口を開く。


「あの、黒い執事服の男は誰だ? 風の居所で一騒ぎを起こした、あの男だ」


「あぁ、ネルクスね。誰って、普通に僕の従者だよ。それ以上でもそれ以下でもないね」


 僕は白々しく言った。レンは少し眉を顰めた。


「従者、か。だったら聞くが……種族は、何だ?」


「さぁ、何だろうね? 聞いたこともないけど……誰だって、目の前の相手に種族は何ですか? って聞きはしないでしょ?」


 ネルクスは悪魔だ。だが、当然言う訳にもいかない。悪魔を使役しているのは人類の敵と見なされてもおかしくない。


「……そうか。そのネルクスとやらは、今もお前の影に隠れているのか?」


「あはは。さぁ、どうだろうね?」


 僕は徹底的に惚けることにした。レンもそれを察したのか、話題を変えることにしたらしい。


「だったら、もう一つ聞かせてくれ。紅の森レッド・フォレストのエリアボス……真紅の巨人クリムゾン・ジャイアントは、どうやってテイムした?」


「どうやって……どうやってって、普通にだよ?」


 レンは表情を変えず、もう一度口を開いた。


「質問を変える。あの巨人を、どんな経緯でテイムした?」


「どんな経緯で、か。先ず、最初に冒険者達が襲われてて、それを助けに行ったんだけど、そこには凄く大きな巨人がいたんだ」


 レンは黙って聞いている。


「それが真紅の巨人クリムゾン・ジャイアントなんだけど、まぁ、仲間達と協力して巨人を動けないように拘束したんだ。そして、僕の魔物使いモンスターテイマーとしての能力で語りかけたんだ」


「……魔物と対話できる能力か」


 僕は頷いた。


「それで、巨人を脅したんだ。殺されてゾンビになるか、素直にテイムを受け入れるか、ね」


「……なるほどな。最後に一つ聞きたい」


 レンは深く頷いてから言った。


「どうやって、巨人を拘束したんだ? あの大きさで、常に高熱を発するあの巨人を並みの手段で捉えることはできない……はずだが」


「レン、その辺りにしておきましょう。プレイヤーに関わらず、戦士の手の内を根掘り葉掘り聞くのはあまりマナーの良いこととは言えませんよ」


「だが……」


 レンはどこか納得のいっていない顔でクラペコを見た。どこか剣呑な雰囲気が船内に漂う。


「マスター、下がってください」


 その雰囲気を察したメトが立ち上がり、僕の前に立った。船の端にいたエトナも首を傾げて僕らの方を見ている。


「……すまん。俺はあまり、人と話すのが得意じゃない。嫌な思いをさせてしまったか」


 レンは軽く頭を下げ、申し訳無さそうに言った。


「あはは、別に良いよ。脅された訳でも無いしね。ただ、仲間の力を勝手に話す訳にもいかないから、ちょっと困っただけだよ」


 僕は出来るだけ声色を穏やかにして言った。


「……そう言ってもらえると助かる。俺は、コミュ障なんだ」


「レン、ではそろそろ席に戻りましょうか」


 クラペコがレンの腕を掴み、自分の席に戻ろうとした……その時だった。突如何かに気づいた様子のエトナが、甲板から走ってきた。


「ネクロさんネクロさんっ、この船の近くになんかおっきいのがいます。おっきな魔物が、この船を狙って接近してます!」


 静かになっていた船に、エトナの声が響いた。


「……大きな魔物?」

「魔物だって?」

「おいおい、この航路は安全なんじゃないのか?」

「船にはでけえ魔除け石がついてるんじゃねえのかよ」


 船客たちの不安そうな声や楽観視する声があがる。


「だ、だがよぉ、それを言ってる奴がなぁ」

「言われてみればあの女……『影刃』か」

「『影刃』? 誰だよそれ」

「知らねえのか? ファスティアの方で有名なA級冒険者だよ」

「おいおい……じゃあ、マジなんじゃねえのか?」


 だが、それを言い放ったのはエトナだ。A級冒険者という肩書きがその不安な一言の信憑性を高め、船内に段々と不安そうな声が増えていく。


「……別に大丈夫だと思うけどなぁ」


 周りがどれだけ不安そうでも、僕は正直楽観視していた。なんてったって、この船にはエトナやメト、ネルクスに加え、クラペコとレンまで乗っているのだ。他にもプレイヤーは数人いるし、問題があるようには思えない。


「……レン、何か音がしませんか?」


「あぁ、確かにするな」


 クラペコの言葉に、皆が耳を傾ける。その音は、きっと海の中からしている。そしてそれは、少しずつ、少しずつ近づいてきて……



「────来ますッ!」



 エトナの声と同時に、海面の複数箇所から水飛沫が舞い上がった。


「お、おいおい……何だ、ありゃあ……」

「化け物だ……デカすぎんだろ、こいつ」

「なぁ、俺たち……生きて帰れんのか? これ」


 絶望する声、呆然とする声、どこか諦めたような声、それに混じって、誰かが言った。


「俺、こいつの名前知ってるぞ。確か、もう少し東の方の暗い海に棲んでるって言われてた……」


 それを言ったのはどうやらただの乗客だった。だが、それでも船の上の人は皆あの化け物の正体を知るべく、黙って耳を傾けた。



「────クラーケンだ。暗青海ディープ・ブルーの、クラーケン」



 海から浮かび上がった巨大なそれは、無数の触手。青みがかかった紫の触手。大小8本ずつのその触手は、合計で16本もあった。

 そして、船首の方からゆっくりと巨大な影が浮き上がる。触手と同じ色をしたそれは頭だった。丸い、青紫色の頭。それは、僕らもよく知っている海の生物……タコに、よく似ていた。

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