暗黒熊と少女

 

 気が付くと僕は、物語の世界の様な街の中に突っ立っていた。ここは、『ナルリア王国』の『ファスティア』という街らしい。

 周りには重厚な鎧を装備した騎士風の男や、ローブを着た魔術師風の女など、正にファンタジーと言った見た目の人間が沢山歩いている。なんなら只の人間だけではなく、獣の特徴を持つ人である獣人も居た。


 この光景には流石に感動する。


 この光景、空気、喧騒。どれもリアルで、現在のVR技術で再現できるリアリティを超越している様に思えた。本当にファンタジーの世界に入り込んだみたいだ。



 さて、チュートリアルとか説明とか全部スキップしたから何をすればいいか分からないね。困ったよ。

 普通のRPGだと最初からイベントが起きて主人公が流される様に動いていくけど、このVRMMOだと自分が主体で動かなきゃいけないから何をすればいいかが分からない。自由度が高いとも言えるのだろうけど、選択肢が多いのではなく、選択肢がそもそも無いのだから中々難しいね。


 ……そうだね、取り敢えず支給された物の中に、戦闘用のナイフとか採取用の装備とかに加えて、今僕が着ている革の装備くらいはあるからこの街を出て直ぐの敵くらいなら倒せるはずだ。あわよくばテイムもしておきたい。


 よし、そうと決まれば早速この街……『ファスティア』を出ようか。


「すいません、どこから街の外に出ればいいですか?」


 普通に考えて変すぎる質問なのでプレイヤーに対して質問をした。

 ちなみに、初期からあるスキルの解析スキャンでプレイヤーかどうかを確認できる。


「ん? あー、こっから一番近い街門はあっちに真っ直ぐだな」


 完全に初期装備の僕を見た彼は、最後に僕を励ましてから去っていった。






 ♢




 よし、漸く街の外に出れたよ。

 初めてだったせいで少し手間取ってしまった。


 まぁ、身分証明書も持ってない奴は明らかに怪しいよねって話ではあるが、他にも僕と同じ様なプレイヤーは一杯いるんだからもう少し柔軟に対応して欲しかったな。

 結局、最後は異世界人であることを確認されてからやっと仮の通行許可証を出されたし。


 ……うん、グチグチと過去のことに文句を言っていても仕方ないよね。

 さっさとこの森の中を進もう。兵士曰く、魔獣の森ビースト・ウッズと言うらしい。


 ここに行くことを伝えると、兵士には危険だと止められたが、僕がプレイヤーである以上、危険を犯さなければ成長はないだろう。必要なことだ。


 ナイフを構え、周囲を警戒しながら森の中を進む。


 僕が使える攻撃手段はMP量の関係で三回程度しか撃てない【闇魔術】の《闇球ダークボール》と、このナイフだけだ。HPもVITもMNDも低いから警戒し過ぎてもし足りないくらいだろう。


 ……奥の方に何かいるね。


 ゆっくりと足音を立てない様に心掛けながら近付く。

 すると、そこには人の身の丈の半分ほどの大きさの兎が佇んで居た。

 その兎の額からは鋭い角が長く伸びている。あれに貫かれたら一撃だろう。


 まぁ、取り敢えずこういう時は……解析スキャン


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 角兎ホーンラビット (Nameless) Lv.7


 《閲覧権限がありません》


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 HPなどのステータスまでは見れなかったが、レベルが6も離れているということだけは分かった。正直、勝つのはちょっと絶望的かも知れない。

 ……仕方ない、この兎は諦めて違う獲物を探そうかな。






 ♢




 ねぇ、この森、あの兎以上の強さの奴しかいないんだけど。

 ここまで死んでないのは、正直奇跡みたいなもんだよ。


 もう、しょうがないね。あの兎を倒すしかない。若しくはテイムだ。


 でも、あいつを倒す手段を思いついて居ない訳ではない。

 まぁ、今思い付いている作戦はかなりシンプルなものだけどね。

 現実でも良くあるやつだ。所謂……落とし穴作戦だよ。さっき採取用の装備の中にあったシャベルやらで、召喚したスケルトン達と一緒に穴を掘った。


 それと、あの兎の攻撃パターンは既に確認している。

 通りがかったプレイヤーが目にも留まらぬ速さの突撃を食らい、頭蓋骨を鋭利な角で貫かれているのを見てしまったからね。

 要するに、あの兎の主な攻撃手段は角を利用した突撃だということだ。


 僕はその突進を今回は利用する。

 正直、あの兎を釣るための餌は無かった。支給されていた保存食に興味を示すかも試して見たが、あのクソ兎は乾いたお肉に一瞥すらくれなかった。更に言うなら、全身カルシウムのスケルトンにも一切興味は無いらしく、攻撃させても軽く角で突かれて壊されるだけだった。

 だから、もう仕方ない。あの突進を誘うためには僕自身が餌になるしか無いということだ。


 作戦は簡単、今僕の目の前に掘ってある落とし穴に僕を囮にして叩き込むだけだ。


 そしてどうやって兎を誘き寄せるかだけど……これでいいかな。

 僕はそこら辺に落ちていた石ころを拾い、夜の闇で満ちた森の奥へと狙いをつけた。狙いの先には、毛深い獣の背中がチラチラと見えている。

 当てることが目的では無く、僕の存在を気付かせることが目的だ。


 さぁ、ピッチャー。第一投……投げましたッ!


 石ころが獣の背中に命中する。ブモォオオオッ!!! という大きな叫び声を上げてこちらに突進して来たのは予想通りの兎……ではなく、猪だった。


 茂みの中から現れた黒い猪を反射的に解析スキャンする。




 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 黒猪ブラック・ボア (Nameless) Lv.13


 《閲覧権限がありません》


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 失敗に気付いた僕が全力で逃げようとする。

 が、猪は直ぐに僕の元まで辿り着き……落とし穴の底へと落ちていった。


 穴の底を覗くと、怒りの叫びを上げ続ける猪の姿があった。

 何度も何度も上へと登ろうとするが、垂直に掘られた穴を猪が登れる訳も無かった。



 ……結果オーライ、かな。


 気を取り直した僕は穴の底に向かって闇球ダークボールを放ち続けた。

 魔力が回復しては放ち、魔力が無くなっては木の枝の先に括り付けたナイフで突き刺した。


 約5分後、無機質な声が僕の脳内に響いた。


 《レベルが[5]に上昇しました》


 《SP、APを[40]ずつ取得しました》


 《『称号:下克上』を取得しました》


 《『称号:策士』を取得しました》


 つまり、猪は死んでしまったということだ。

 途中で何度かテイムを試みたのだが、ダメだった。お前なんぞに従ってたまるか、とか言っていた。自分の命を軽んじるのはやめて欲しい。


 テイムできなかったのはやはり、レベル差があり過ぎたからだろうか。確かに、自分よりも格下に従うのは抵抗があるかもしれない。



 ……まぁ、そんなことはどうでもいいよね。いきなりLv.5になったんだ。初心者としては快挙と言ってもいいんじゃ無いだろうか。

 だからと言って、策士は言いすぎだけど。やったことと言えば落とし穴を掘っただけだ。原始人と同じことをして策士と呼ばれるのは少し条件が緩すぎる気もするが、まぁスキルやステータスに頼らない範囲で相手を無力化するとか、倒すとか、取得条件はそこら辺だろうか。


 一応、称号を確認しておこうかな。


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『称号:下克上』

 自分よりも格上の存在に打ち勝った者に与えられる称号。

 [自分よりもレベルの高い相手に与えるダメージがレベル差×1%増加し、受けるダメージがレベル差×1%減少する(どちらも最大75%)]


『称号:策士』

 策略を立て、戦いに挑んだ者に与えられる称号。

 [INTが+30され、MPが+20される]


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 下克上は序盤だと役に立ちそうだね。策士も普通にありがたいよ。特にMP。


 取り敢えず、APとSPだが……APは10をMPに、10をINTに振る。残りの20は温存しておく。SPは全て温存だ。


 さて、ログイン時間が遅かった所為でもうとっくに日が暮れている。

 そろそろ街に戻ってからログアウトしようかな。




 そう思い僕が腰を上げた時、森の奥に二つの影が見えた。

 よく見てみると、黒い髪に青い目を持った人間が真っ黒な熊と戦っているようだった。



 ……解析スキャン


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 暗黒熊ダークネス・ベアー (Nameless) Lv.35


 《閲覧権限がありません》


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 人間ヒューマン (エトナ・アーベント) Lv.42


 《閲覧権限がありません》


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 いや、明らかに強そうな熊もヤバいんだけどさ、それ以上にヤバいのはあの少女だ。黒髪に青い目の少女だ。こんな女の子がLv.42ってどういうこと? Lv.35の暗黒熊ダークネス・ベアーと余裕で戦えてるから、表記バグってことも無さそうだし。


 その異常に興味を惹かれた僕は、戦闘を観察することにした。


 暗黒熊の赤い目が光り、地面から漆黒の巨大な刃が飛び出す。

 だが、黒髪の少女は足元を見るまでもなく簡単に回避し、そのまま熊へと走り出した。そして、呆然とする熊の首を手刀でスルリと刈り取った。少女の真っ黒に染まった手を見るに、何らかの術を使ったのだろう。


 ふぅ、と少女は息を吐いて死体と化した熊の剥ぎ取りを始めた。

 その様子を見て安心した僕は踵を返そうとした。




 が、その瞬間に僕は見てしまった。少女の後ろの茂みから覗く鋭利な角を。




 間違いなく、あれは角兎だ。赤い瞳が少女の首筋を睨みつけている。

 あの熊を倒した実力者とはいえ、あの角を首に刺されればタダでは済まないだろう。


 僕は茂みを飛び出し、力の限り叫んだ。


「後ろだッ! 避けろッ!」


 僕の大声に気付き、視線を熊から僕へと変更した少女。

 だが、もう遅い。角兎は既に少女へと向かって駆けている。


 少女の背後に迫る角兎。私ですか? と自分を指差す少女。


 お前以外いないだろうがッ! クソ、ダメだ。もう回避は間に合わない。


 走りながらだが、一撃で殺せる様に残ったAP20をSTRに振り切る。

 角兎が大地を踏みつけ、その角で少女を突き刺そうと跳躍した瞬間、僕は空中の角兎の首筋に勢い良くナイフを振り下ろした。

 全力で振り下ろされたナイフは角兎の首の半分ほどで止まったが、角兎を地面に叩き落とすには十分だった。余りの痛みと衝撃に地面の上で動きを停止させた角兎の首を掴み上げ、強引に地面に叩きつける。突き刺さったナイフを抜き、仰向けになった角兎の首筋に再度ナイフを叩きつけた。


 結果、半分まで切れていた首は完全に斬り落とされ、角兎は絶命した。


 《レベルが[6]に上昇しました》


 《SP、APを[10]ずつ取得しました》


 ……なんとか間に合ったみたいだ。かなりギリギリだったけど。


「あ、あの! すみません、迷惑かけて……」


 申し訳なさそうに頭を下げる少女。少女の前に美がつかなければ僕は軽く説教していたところだったが、付いていたので問題はない。


「大丈夫だよ。僕には何の損害も無いし」


 僕は少女を安心させるようにそう言った。


「……とはいえ、大怪我をせずに済んだ礼はしないといけませんね」


「いや、別にいいよ」


 僕はさっさと街に帰ってログアウトしなきゃいけないからね。


「いやいや、そういう訳にはいきません!」


「……まぁ、簡単な物なら貰っておくよ」


 角兎を殺しただけであまり上等な物を貰うわけにはいかないからね。


「うーん……礼と言っても今は渡せるようなものが無いんですよね……」


「いや、だったら別に大丈夫だよ。無理して渡す必要もないから」


 そして、僕はもう帰りたいから。夕飯がやばい。


「そうは言っても……あ、良いこと思いつきましたよ」


 嫌な予感がする。


「えっと、冒険者の成り立てですよね?」


「……まぁ、冒険者ギルドには所属してないけどね」


 近いうちに登録しようとは思ってるよ。便利らしいし。


「ふむふむ、なるほどなるほど……」


 あぁ、頭良い感を出そうとしてるところが最高に頭悪そう。


「ということは、レベルは余り高くはないですよね?」


 まぁ、そうだね。


「そうだね。さっきレベル6になったばっかりだよ」


「ふむふむ……ということはレベルをもっと上げたいですね?」


 顎に手を添えながら僕の方へと歩み寄ってくる少女。


「まぁ、そうだね」


 僕が答えた瞬間、ガバッと手を大きく開いて少女は嬉しそうに言った。


「よし、じゃあ決まりですね! 私があなたのレベル上げを手伝いましょう!」


「あ、僕は養殖とかやらない主義なんで」


 何だかもう色々と面倒になった僕は踵を返し、夜の森へと消えていった。


「ちょっと! 待ってくださいっ! 何で逃げるんですか?!」


 全力で逃げ出した僕の前に現れた黒髪の少女。どうやら逃亡は失敗の様だ。


「さっきも言った通りだけど……僕、養殖はしない主義なんだよね」


「えっと……よ、養殖って何ですか……?」


 あー、プレイヤーならともかくNPCなら知らないよね。


「まぁ、簡単に言えば他人の力に依存したレベル上げかな」


 パワーレベリングとも言う。


「えっと……その養殖? の何がいけないんですか?」


「まぁ、別にいけないってことはないんだけど……やっぱり自分の力で成長したいなってところはあるんだよね。魔物使いの僕が言うのも何だけどさ」


 魔物使い、と言ったところで少女は視線を真っ直ぐ僕に向けた。


「魔物使い……なんですか?」


「うん、そうだけど。それがどうかしたの?」


 少女は深く考え込む様な姿勢を取り、数秒してからそれを解除した。


「いや、何でもないですよ」


「そう? 気になることがあったら聞いていいよ」


 何でもない、と言う割には過剰な反応だった様に見える。きっと、何かはあるだろう。しかし、それを僕から深くまで探ると良くないだろう。


「いえ、本当に大丈夫ですよ……えっと、それでですね……そうです! ついて行くだけです! もし死にそうになったら助けるってくらいです!」


 ただついて行くだけって、それ僕に得ないよね……?


「……いいよ」


 僕は諦めた。


「本当ですか?! 良かったです……誰かと純粋な探検とかしてみたかったんです」


 もう僕に礼をするのが目的じゃなくなってるよね、絶対。


「それで、いつがいい?」


「いつでも構いませんけど……明後日遊びに行きましょう!」


 遊びに……まぁいいや、明後日ね。


「おっけー、それじゃあ……僕はネクロ、魔物使いモンスターテイマーだよ」


「はい、エトナ・アーベントです」


 まぁ、知ってるけど。


「エトナ、ね。明後日はよろしく」


「はい、よろしくです!」


 何だか腑に落ちない様な気持ちはあったが、エトナの邪気の無い笑顔を見ていると、それもどうでもよくなった。


「じゃあ、今日はもう帰るけど……ファスティアまで一緒に行く?」


「はい! ついて行きますよ!」


 謎は多いが、全て忘れて取り敢えず帰ることにした。

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