第126話 巨大魔物!? 深い海の底にて
船は海面から1メートルほど浮かび上がり、波やうねりの影響を受ける事無く進み続ける。
途中、海面を割ってそびえる岩山や、人や動物が住むには難しい程小さな島を見つけては指差し、歓声をあげるふたり。
だが船が沖へと進むにつれて徐々に海の色は深みを増し、碧から青へ。やがて空を舞う水鳥もその姿を消し、目に映る色は空と海の青だけとなった。
「すごいや。どっちを見ても海だけだ」
「ホントね。流石に私もこんなところまで走って来た事は無いなあ」
普通、人は海の上は走らない。
「それでピノさん、その目的地って、だいたいどの辺りなんですか?」
「ええっと・・・」
カルアの質問に、実は目的地どころか目的そのものもはっきりしていないピノは目を泳がせた。
そう、海では泳ぐものである。
「ごめんねカルア君、聞いた話だと南の方としか・・・」
だからと言って別に誤魔化す必要など無いので、素直にそう答えるピノ。
「そうなんですね。じゃあ
そう言ってコンソールに手を置くと、その上に半透明のスクリーンが浮かび上がった。
今はそこに何も映っていないが、範囲内に何かが見つかれば光となって表示される。
「すごいなあ、たった一日でこんな機能まで作れちゃうんだね」
「イメージと付与だけだから、実はあまり時間が掛からないんです。他にも必要そうなのとか、あれば便利かなって思ったのを色々と付けときました」
怖い事を言う。
そして船は進み、日も中天にかかろうかという頃。
しばらく前から船を止めて窓から釣糸を垂らしていたふたりは、揃って溜息を吐いた。
「釣れないねえ」
「釣れませんねえ」
「もうすぐお昼ご飯の時間ねえ」
「お昼ですねえ」
これまでの釣果はゼロ。
だがそれも当然だろう。ほとんどの魚は陸地の近くに生息しているからだ。
ここまで陸から離れた海で遭遇するのは、海流に乗った大型の回遊魚か、それとも海の魔物か。
そんな事を知る由もないふたりが使用している釣り具は、ヨツツメ付近の海釣りに使用されている小型から中型の魚用のもの。
万が一掛かったところで、大型の魚を釣り上げられる訳がないのだ。
魔法でも使わない限りは。
「よし、じゃあそろそろ時空間魔法を解禁しちゃおっか!」
実はピノの発案で、ここまで海中の『
釣る前の魚が見えてちゃったら、掛かった時にドキドキしないじゃない、と。
そのピノの解除宣言を受け、早速カルアは『俯瞰』を発動して海中の様子を探り始めた。
そして・・・
「ピノさん、残念なお知らせです」
「何となく想像つくけど・・・聞きましょう」
「この辺りには魚がいません」
「やっぱり・・・」
軽く肩を落とすピノ。だがカルアはここで終わらない。
「なので、もうちょっと範囲を広げてみますね」
魚がいないのであれば、いる所まで移動すればいい。
そう判断しての言葉だったが、カルアの言う『ちょっと』がどれ程かと言うと・・・
「あっピノさん、この先もうちょっと行ったところで、海の底のあたりに大きな反応がありますよ」
巨大な聖樹を把握した事で広範囲の俯瞰に慣れ、更に聖樹の魔力でその情報処理もスムーズに行えるようになったカルア。
水平方向に広げたつもりの俯瞰範囲が実際は垂直方向にも広がっていたのだが、反応があった事に気を取られて、その事には気付いていない。
そして、
「やった! あ、でも海の底まで糸届くかなあ」
それを聞くピノもまた、何処かずれている。
「結構深そうだから多分届かないと思います」
「そっかぁ、残念」
「だから、反応があったところまで潜って行ってみましょう」
「潜航モードオン、強化結界よし、水密よし・・・じゃあ行きますね。潜航開始」
海面から浮かび上がっていた船は着水し、そしてそのまま水中に沈んでゆく。
窓から見える景色も海上から海面、そして海中へと変化し、
「うわぁ、海の中ってこんな風に見えるんだぁ。何だか幻想的」
生まれて初めて見る海中のその景色を、ふたりはゆっくりと沈む船から眺めていた。
「ねえカルア君、この船って今まっすぐ下に向かってるのよね?」
「ええ、そうです」
「だったらさ、下が見えないって危なくない?」
「あ、そういえば・・・」
先に気付いたのはピノ。
そしてカルアは、
「じゃあ床に外の様子を映す機能を付与しますね」
コンソールに魔力を流し、床への機能を追加付与する。
「わっ、床が無くなった!?」
付与により床全体に下方向の光景が映し出されている。
足元に広がる海中のその光景を見下ろすと、まるで自分自身が体ひとつで海へと沈んでゆくかのような錯覚を覚える。
「大丈夫ですよ。外の様子を映してるだけで床はちゃんとありますから」
ピノももちろん頭では理解しているのだが、
「うーん、慣れるまでちょっと落ち着かないかも」
と、足で床をトントンと叩きながら小さく呟いていた。
「あ、換気を忘れてた」
少し息苦しさを覚えたカルア。
潜航時に展開した結界は、水が入らないよう完全に空間を遮断している。
「窓は開けられないよね? どうするの?」
「あそこの扉を開けてもらえますか?」
カルアが指さすその扉は、
「ああ、ヒトツメのお家に繋がってる扉ね」
席を立ったピノが扉を開けると、その先に見えるのは見慣れたカルアの家の中。
「じゃあ換気モード、オン」
カルアがコンソールに指示を送ると、ピノの足元から扉の向こうへと風が流れ、と同時に扉の向こうから新鮮な空気が流れ込み、ピノの頬を撫でる。
「ふふ、この風カルア君の家の匂いがする」
扉の前に立つピノは、まるで旅から帰ったかのような不思議な感覚を覚えていた。
「あれ? 窓の外の景色は真っ暗なのに、床から下はちゃんと見えてる?」
ふと違和感に気付いたピノ。
「あっそうか、窓は見たままだから・・・」
再びカルアはコンソールに手を伸ばし、
「あ、窓の外も見えるようになった」
窓の外にも、どこまでも続く深い青が見えるようになった。
「さっきの真っ暗なのって何だったの?」
「さっき窓から見えてたのは、中から見える景色そのままだったんです。多分この辺りって海の上からの光が届いてないんじゃないかなあ」
「じゃあ今見えるようになったのは?」
「床と同じように『俯瞰』の映像を映すようにしたんです。これは把握した空間を映像化してるだけだから、光が無くても見えるんです」
かつて光魔法の適性検査で、カルアが適性を誤認したアレである。
こうした小さなイベントを挟みながら、船はゆっくりと海底へと沈んでゆく。
「もうそろそろ海底が見えてくると思いますよ」
カルアの声に床の景色を見つめるピノ。
空間の遮断により外の気配を感じられない為、今頼れるのは視覚情報のみだ。
「あ、あれかな?」
目を凝らすその視界の先に、ぼんやりと海底らしき地面が見えてきた。
船の真下辺りの地面は大きく窪んでおり、その中に大きな赤茶色の塊が見える。
「ね、あの赤茶色いのが反応の主じゃない?」
「ええ、多分そうで――って気付かれた?」
その大きな塊はもぞもぞと動き出し、やがて大きな二つの瞳がこちらを見据えた。
そこからの動きは劇的。
ソレは一瞬で半透明になったかと思うと、その全身を赤・青・緑の3色の光が流れ、海底を照らし出す。
窪みの中の地面や、そこに横たわる数々の船らしきシルエットを。
そして次の瞬間。
「来るよ!!」
「えっ、速――」
一瞬たわんだようその巨体は次の瞬間カルア達の船のすぐ近くに現れ、その触手のような足で船を絡め捕った。
そしてその体の中心にある鳥の嘴のような口を大きく広げると同時に、捕獲した獲物への締め付けを徐々に強めてゆく。
これがこの魔物の必勝パターン。
かつてこの状態から逃れられた獲物は一匹もいない。
そう、既に狩りは終わっているのだ!
そしてその獲物と言えば・・・
「ねえカルア君・・・これってさ、やっぱりアレよね」
「僕もそう思いました。図鑑や物語の挿絵でしか見た事無かったけど――」
「「クラーケン」」
そう暢気に捕食者を観察していた。そして、
「上の様子が見えないなあ。天井にも外を映しますね」
「うわぁ、すっごい大迫力。食べられちゃいそう」
「ホントですねえ」
完全にアトラクション気分であった。
クラーケン。
巨大なタコのようなイカのような姿を持つその巨大な魔物は、自らをこの海の最強だと自負していた。
そしてその大好物は「ニンゲン」。
水に入るとすぐに死んでしまう「ニンゲン」は、クラーケンにとっては魚よりも獲るのが簡単で、しかも豊富な魔力を持つという、二つの意味で美味しい獲物だ。
これまでクラーケンは、海上に浮かぶ「ニンゲン」の入った木箱を見つけては、8本の足と2本の腕をもってそれを締め上げて水中に引きずり込み、木箱から「ニンゲン」を取り出して捕食してきた。
だがしかし、その木箱が捕食範囲にやって来る事は稀。
いつしかクラーケンは、その木箱を戦利品として巣に持ち帰るようになっていた。
そんなクラーケンが自分の巣に向かって沈んでくる木箱を見つけたのだから、それはもう喜び勇んで捕食しようとするのは当然であろう。
徐々に締め付けを強め、木箱から「ニンゲン」が出てくるのを待ち構える。
だが――
どれだけ強く締め付けても、その木箱は一向に壊れる気配が無い。
木箱を見つけた時には、それが纏う魔力からどれ程のご馳走かと興奮し、久し振りに発光までしてしまった。
それなのに・・・
戦利品として木箱の形を残す事はとうに諦めた。
今は破壊のみを考え、最強が全力で締め上げているのに、どうして壊れないんだ!
・・・木箱の角に当たっている部分がちょっと痛くなってきた。
「そろそろアレ、スティールしちゃいましょうか」
「そうね。おなかもちょっと空いてきちゃったし」
「じゃあ・・・まずは普通に『スティール』」
カルアは『スティール』を唱えた。
だが何も起きなかった。
「うーん、やっぱりこれだけ大きいとそのままじゃダメかあ」
「あれ? でも今っていつでも魔力循環してるんじゃなかった?」
「あ、言われてみれば。じゃあ循環してるのに失敗したって事か。さすがクラーケン」
「それじゃあ、どうする?」
「
「じゃあその時は丸ごと転移で。そしたら私が『えいっ』てやっちゃうから」
魔石の強制摘出か、それとも撲殺か。
いずれにせよ、クラーケンの死期はすぐそこまで迫っている。
「じゃあ行きます。はああああああああああっ!!」
気合いと共に全身の魔力を勢いよく回し始めるカルア。
かつてのドロドロとした重たい魔力を動かす程のその力が、勢いよくサラサラの魔力に加わる。
その結果――
「うわわわわっ!?」
カルアの中の全ての魔力が、途轍もない速さでカルアの全身を駆け巡った。
「ちょ!? これ!? 抑えきれ――」
「カルア君! 制御できてない! 早く循環止めて」
「はっはい! でもその前にっ『スティール』!」
木箱を締め上げている足が段々と痺れてきた。
角が当たっている所も痛いし、続きは別の足で――
クラーケンの意識はそこで永遠に途絶えた・・・
船を掴んでいたクラーケンの足はその力を失い、ふんわりと船から離れていった。
そのクラーケンのすぐ横には、大きな魔石が浮かんでいる。
そして船の中では・・・
「カルア君! 魔力止めなきゃ」
「とっ止まらないーーーーっ」
「少しずつ、少しずつでいいからゆっくりと」
「むぐぐぐぐぐ・・・」
「力入れちゃダメ! 落ち着いて、ね?」
「それが中々難しくって・・・」
「いい? 循環のリズムに合わせて深呼吸して、それを段々ゆっくりにしてくの」
「循環のリズムで深呼吸・・・ひっひっふぅぅ、ひっひっふぅぅ」
「ちょっカルア君、それ誰に教わったの!?」
「??」
もう大騒ぎだった。
「ふうぅぅぅぅぅぅ・・・」
「止まった?」
「はい、お騒がせしました」
スーパーモードのつもりがうっかり暴走モードになってしまったかのようなカルアだったが、ピノのサポートによりようやく通常の状態に戻った。
これでようやく一安心である。
ニッコリ微笑んだピノは窓の外を指さし、
「じゃあ
「はいっ」
既に捕食する側とされる側は入れ替わっている。
いや違う、自らを捕食者だとしていたのはクラーケンの勘違いだ。
何故なら、このふたりは最初からお昼ご飯を求めて海底までやって来たのだから。
生存競争とは、かくも厳しいものなのである。
そしてそのクラーケンは今、魔石とともに海底に向かってゆっくりと漂っている。
ピノとカルアのふたりは、クラーケンの魔石を見て目を見張った。
「こんな大きな魔石、初めて見た」
魔石はカルアとピノの身体を足した体積よりも大きそうだ。
「そうね。こんなのが船の中に出てこなくてよかったよ」
普段スティールした魔石はカルアの目の前に現れるのだが、今回は船の外。
「もしかしたら僕の前に空いたスペースが無かったから外に出たのかも」
「え? そういうものなの?」
「スティールも同じなのかは分からないけど、転移だとその場合は近くの空いたスペースにずれるから」
「へえぇ」
そんな考察ののち、カルアはクラーケンと魔石を収納。
そして――
「最初にクラーケンがいたところって、多分クラーケンの巣だったと思うんです。それでさっきクラーケンが光った時、その中に船みたいなのがたくさん見えたんですよ」
「それってもしかして、あのクラーケンに襲われた・・・」
「たぶん」
カルアの言葉にピノは少し考え、
「カルア君、もし嫌だったら別にいいんだけど、船の中の様子って分かる?」
「ええ、それは大丈夫です。僕だって冒険者ですから」
その船を調べてみる事になった。
「どの船も中には誰もいませんね。荷物だけです」
「そう・・・」
カルアの言葉に、ピノは安心と悲しさが入り混じった表情で短くそう答えた。
だがその後、ギルド職員の顔になってカルアに伝える。
「ではカルア君、魔物に襲われ亡くなった方の持ち物は、ギルドの規定により発見者であるあなたの所有物となります。思うところはあるでしょうが、持ち帰れるものは持ち帰って有効活用する事が亡くなった方への供養である、それが冒険者ギルドとしての考え方です」
ピノの言葉を受け、カルアは全ての船の積み荷や貴重品を収納した。
その際に海水を収納の対象外としたため、それらは全て乾燥した状態でボックスに入っている。
「よし、これで全部です」
「うん、じゃあ海の上に戻ろっか」
「はいっ」
こうして海底の大冒険を終えたふたりは海上へと戻った。
だがその頃にはお昼の時間は大きく過ぎており、
「うーん、今からクラーケンを料理すると時間がかかっちゃうなあ。それにここだと解体するには狭いし」
「じゃあお昼は作り置きのご飯にしましょうか」
「そうね、そうしようか」
結局クラーケン料理は次回に持ち越しとなったのである。
船は進む。一路南に向かって。
やがて日は傾き、そしてふたりは海の彼方へと沈む夕日に目を輝かせ、その感動を共有する。
そして夜。
「ええっと、ピノさん。その扉からヒトツメに帰れますけど――」
「カルア君、それをやっちゃあ冒険って言えないでしょ?」
「あ、はい。そうですね」
結局夕食も作り置きですませ、そのまま船を走らせるふたり。
その足元には今は元通り床が見えている。
そして天井は――
「うわぁ!!」
「凄い! 星ってこんなにたくさんあるんだ!!」
色の付与の応用によって透明化。
見上げればそこには、満天の星空がそのまま見えていた。
操縦席をリクライニングして、ふたりで星空を見上げる。
走行中にふたり揃って前方から目を離してしまっているが、大丈夫問題無い。
何故なら、
やがて、夜空を見上げながらいつしかふたりは眠りについていた。
そのふたりを乗せ、船は南へと走り続ける。
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