前のエピソード――第69話僕は皆さんにお礼がしたいんです

『モリス、例の魔石クリーム、あれはいつ頃売り始めるんだい？』

通信具の向こうから聞こえてきたそのマリアベルの問いに、モリスは一瞬答えに詰まった。

「いやあ、実はあれから全く進んでなくって。単品ずつの製造だったら問題ないんだけど、あれって間違いなく人気が出るでしょう？　量産の目処が立たないんですよねえ」

そんなモリスの答えに、マリアベルは訝しげな声を上げた。

『量産ってモリス、原料を調達したら後は付与と錬成して、そいつを容器に入れるだけじゃあないのかい？』

「まあそうなんですけどね。それを任せられる人材が見つからないっていうか」

『ああ、確かにそのあたりは難しそうだねえ。よっぽど信用できる相手じゃなきゃあ、製造方法を明かせないか。しかも安定供給もってなると・・・』

「そうなんですよ校長。そのあたりさえ解消されれば、あとは商工ギルドに販売を委託させるつもりではいるんだけどねえ」

『ふーむ・・・。どうしたもんかねえ・・・』

通信具の向こうでかなり本気で悩んでいる雰囲気を察し、モリスはふと疑問に思った。

「あの校長？　どうしてまた急にクリームの話を？　もしかして参加されます？」

確かにあのクリームは非常に大きな利権となる。しかも貴族に対してすら優位な立場に立つことが可能だろう。当主と言っても奥方には頭が上がらないものなのだ。

だが、マリアベルからの回答はそれとは違った。

『ふん、今さらそんな面倒くさい事なんてやってられるかい。王族だの貴族だの、そんな連中にこれ以上擦り寄られるなんて真っ平御免だよ。そうじゃなくってさ、あんたこの間ララベル用にって3つほど用意しただろう？　あの娘（こ）さ、顔だけじゃなくって全身に使ってるらしくってね、追加でまた欲しいって言ってきたんだよ』

通信具の向こうから届く溜息。

『それと昨日リアベルから手紙が届いてさ、『ご使用の化粧品等についてお訊きしたい事があります』とか書いてあったんだよ。この前会った時には黙って帰っていったから油断してたんだけど、どうやらしっかり気付かれていたみたいでねえ。あの娘の事だ、多分カルアがいないのを見計らって近々ここに来ちまいそうな気がするんだ。こんなつまらない事でカルアのリスクを上げたくないからね。できるだけ早く流通させたいんだよ』

モリスが思ったよりも小さな理由で、そして深刻な事態だった。

「なるほど・・・カルア君の身に危険がって言われたら急いで何とかしなきゃだけど・・・うーん、どうしようかなあ」

頭を抱えるモリスに、その時一筋の光明が。

『錬成だったらミッチェルに相談してみたらどうだい？　あいつだったら信用できる職人に伝手があるかもしれないよ。付与はどうかわからないけど、錬成だったらありそうじゃないかい？』

マリアベルとの通信を終えたモリスは、そのままミッチェルに発信。

「ミッチェル君、今ちょっといいかい？」

暫く待つと、ミッチェルから応答があった。

『おお、わしじゃ。ホワイトじゃ。今だったら大丈夫じゃよ』

「りょーかーい。じゃあちょっとそっちに行くか・・」

「・・ら、ちょっとそのまま待っててくれよ？」

てっきり通信具で話をするものと思っていたミッチェルは、突然のモリスの出現に驚いた。

まさか言葉の途中で突然転移して来るとは・・・

「うをおぅ、なんじゃい！？　せめて最後まで言い終えてから来んかい！」

「あはははは、ごめんごめん。いやあ最近カルア君も転移に慣れちゃって、というか事前に察知するようになっちゃったからねえ。そういう新鮮な反応に飢えててさ」

ごめんと言いつつ一切悪びれる様子もなく、モリスは本題に入る。

「実はね、魔石を使った化粧品を製造販売する事になってるんだけどさ、製造工程には結構秘密が多くって、信用できる錬成師と付与術師を探してるんだよ。そうしたらさ、マリアベル校長からミッチェル君だったら良い人を紹介してくれるんじゃないかって提案があってね、それでちょっと相談に来たって訳なんだよ」

「ふうむ、そうじゃのお・・・ひとつ訊きたいんじゃが、それはやはり一時（いっとき）の依頼とかじゃあなくって、ずっとの仕事になるっちゅう事じゃな？」

「うん、そうなるね。ほぼその仕事に掛かりっきりになると思って間違いないよ」

「なるほどのう・・・」

そう言ってミッチェルは暫く考え、

「ほんならひとり丁度ええのがおるぞ。名前はミカっちゅってな、里におるわしの妹なんじゃが、錬成の素質はかなりのもんなんじゃよ。もうそろそろ独り立ちする頃じゃから、なんじゃったらちょっくら行って連れてくるぞ？」

あっさりと見つかった候補に喜ぶモリスだが、ひとつ気になる点が。

「でもドワーフの里って随分遠いんじゃないかい？　そんな簡単に行って連れ帰ってきたりなんて出来るのかい？」

「なに、うちの里にはラーバルの奴がちょくちょく出入りしちょったからの。頼めば転移ですぐに連れてってくれるじゃろ」

事も無げにそう話すミッチェル。そしてモリスの反応は当然、

「おおっ！　だったらぜひ僕もドワーフの里に招待してくれよ。うんうん、いいねいいね。ドワーフの里、実に興味深い」

だったが、それに対してミッチェルは渋い表情で返事を返す。

「ううむ、すまんがそれはちと難しいのう。実はの、うちの里は一見さんお断りで里のもんの紹介制になっちょるんじゃ。そんで審査に結構時間がかかるもんじゃから、また今度時間がある時にしたほうがええじゃろ」

「そっかーー、残念だよ。じゃあさ、せめて入り口までは一緒に行って構わないかい？　そうしたら次回は僕が転移で連れて行くからさ」

「ふむ、それじゃったら問題ないぞ」

「よし、じゃあ約束だよ。いやあ実に楽しみだ。じゃあ早速今から一緒にラーバル君のところに行こうか」

そう言ってモリスはラーバルに通信を繋げ、そしてまたしゃべっている最中に転移してラーバルを驚かせ、そして・・・

3人でドワーフの里の入り口に転移した。

「おお、久々じゃのお。なあんも変わっちょらんわい」

「ええ。私も随分久しぶりです。鉄を叩くこの音と匂い、そして煙突から立ち上る煙。昔見た時のままですね」

「へええ、ここがドワーフの里かあ。うんうん、何と言うかイメージ通りって感じだねえ。実に心躍る光景だよ。中に入れないのがほんっとうに残念だ」

里を見た3人はそれぞれに感想を洩らした。

そして、

「入れないのにここにいたら辛くなるばっかりだから、僕はもう帰るよ。ミッチェル君、ラーバル君、後はよろしくね。あとミッチェル君は近いうちに必ず僕を連れてもう一度ここに来てよ。いいかい、約束だからねーーー・・・」

モリスはひとり帰っていった。

「さて、それじゃあわしらは家に行くか」

「そうですね。あれだけ楽しみにしているモリスさんをさて置いて、私だけ観光というのも心苦しいですし、今日のところは用件だけ済ませて終わりにしましょう」

そしてふたりは入り口の門をくぐる。

ミッチェルは当然問題なく、そして里で顔を知られるラーバルも無事に入る事が出来た。

そのまま肩を並べて中心部に向けて歩いていくと、そこは職人街といった光景が広がり、通りを歩くドワーフ達は、ミッチェルの顔を見ると一様に笑顔で軽く頭を下げてくる。

「ふふふ、相変わらず慕われているようですね」

「ふん、この狭い里の中で多少顔を知られとっても別に大した事なぞないわい。じゃがまあ、嫌われるよりは大分ましじゃがの」

「まあそれは確かに。『新生ホワイトミッチェル』でしたっけ？」

「おおよ。今じゃあ弟子達とも楽しくやっちょる・・・はずじゃ」

「ふふ、あなたが自分の良くない点を自覚して直そうとしているのであれば、周囲の人達もきっと居心地良く感じていると思いますよ」

「ああ・・・じゃったらええんじゃがなぁ」

そんな事を話しながらふたりは通りを進み、やがて一軒の大きな建物の前で足を止めた。

そこに建つのは、工房と呼ぶにはあまりに大きく、だが屋敷と呼ぶにはあまりに無骨過ぎる、そんな建物。

その門をくぐり、入り口の大きな扉に向かって歩くミッチェルは何の気負いもない。そしてその横を歩くラーバルにも。

「帰ったぞぉー」

扉を開くなりそう声を上げるミッチェル。

すると奥からドダダダダっと激しい足音が鳴り響き、

「おー！　ミッチェル兄貴だったの！　久しぶりだの！」

ミッチェル達のもとに駆け寄り、そう元気よく声を上げる小柄な女の子。

「おおミカ、久しぶりじゃの。前に見た時より随分大きくなったのお」

そのミカの頭をゴツい手で撫で回すミッチェル。

あまりの激しさに首を痛めるんじゃないかと心配するラーバルを余所に、当のミカは首をブンブンと振り回されながら非常に嬉しそうだ。

どうやらドワーフのなかではこれが普通らしい。

「そうだの！　その時から1センチも伸びたんだの！　身長爆上がりだの！」

「ほーかほーか。1年で1センチならあと70年すれば2メートル越えるのう」

「余裕で越えるの！」

「がははははは」

「のははははは」

どうやらドワーフのなかではこれが鉄板のジョークらしい。

「それでミッチェル兄貴、今日はどうしたのだ？」

一頻（ひとしき）り笑った後、ミカはミッチェルに尋ねた。

「おお、お前の事でちょっと話があっての。ラーバルに連れてきてもらったんじゃ」

その言葉にハッと気付いたミカは、澄ました顔でパっとラーバルに向き直り、

「こんにちはラーバルさん。兄を連れてきてくれてありがとうございます。お久しぶりだの」

惜しい！　最後に「だの」が出てしまった。

だがそんな事は意に介さず、ニッコリと笑ったラーバルはミカに挨拶を返す。

「ええ。お久しぶりですミカさん。こうしてまたお会い出来て嬉しいですよ」

「おー！　やっぱりエルフ語はカッコイイんだの！　もっと上手に真似できるようになりたいんだの！」

「・・・いや、以前も言いましたけど、これエルフ語じゃないですからね。王都では全員こんな感じですから」

「ほんでミカ、今日はミゲル兄貴はおるか？」

ラーバルの小さな反論は、ちょうどそこにかぶったミッチェルの質問により、ミカの耳に届く事なく何処かに流れていった。

「奥の部屋にいるの。さっきまで鉄を打ってて、今は書類に打たれてるの！」

「よし、じゃあ行くか」

「おー！　だの」

「はは、相変わらず手強い。まあ王都に行けばすぐに気づくか・・・」

廊下を進み、とある扉の前でミッチェル達は立ち止まった。

「ミゲル兄貴おるか？　わしじゃ、ミッチェルじゃ」

ゴンゴンという大きなノックと共に、扉の中にそう声を掛けるミッチェル。

「ああ、いるぞミッチェル。今手が離せないから、そのまま中に入ってくれ」

その返事を受け中に入ると、大きな机の上に山積みされた書類を黙々と処理していくひとりのドワーフがいた。

「すまんが、ちょっと座って待っててくれ。これだけ片付ける」

この部屋にソファではなくテーブルが用意されているのは、作業テーブルとしても使用するためだろうか。

そのテーブルを囲み、部屋の主が来るのを待つ3人。仕事の邪魔にならないよう静かに待つ3人の耳に届いてくる、紙をめくる音と文字を書くペンの音。

やがてその音が止まり、部屋の主がテーブルにやってきた。

「すまない、来客に無礼をした。ラーバルさん、お久しぶりです」

「いえ、こちらこそ突然の来訪で申し訳ありませんミゲルさん。お仕事の方は大丈夫ですか？」

「ああ、これだったら午前中のうちにはすべて片付くはずだ。午後は鍛冶と錬成にどっぷりと浸かれるだろう」

ミゲルから返ってきたのはドワーフ基準の回答だったが、かつて頻繁にここに訪れていたラーバルに驚きはない。

「それは何よりです。それで今日ですが、実は私はミッチェルさんに同行してきただけで、用件はミッチェルさんからとなります」

「おお、そうなんじゃミゲル兄貴。実はな・・・」

そう言ってミッチェルは、モリスから相談を受けた魔石クリームの錬成の話を始めた。

腕を組んで聞いていたミゲルだったが、ミッチェルの話が終わるとその腕を解き、そして、

「ううむ、いいんじゃないか？　面白そうな仕事だし、話の出処もしっかりしてる。それに王都だったらマイケルやミヒャエルもいるしな。ミカはどうだ？　王都で働いてみたいか？　かなり責任の大きな仕事になりそうだが」

「ミゲル兄貴！　私は王都で働きたいんだの！　こんな面白そうな仕事を誰かに譲る気は無いんだの！」

頭を上げそう答えるミカ。そのまま椅子の上に立ち上がりそうな勢いである。

「そうか、だったらやってみるといい。よし、じゃあミッチェル、ミカを頼んだぞ」

「おお！　みんな信用できる奴らばっかりじゃからな。兄貴もミカも何の心配もせんでええぞ」

ミカの荷物は、大きな物は次回モリスと共に来た時に持って行く事にし、今日は数日分の手荷物だけ纏めて王都に行く事になった。

そしてミカが手荷物を纏めている間に、ミッチェルはモリスに今から向かう事を伝える。

『りょーかい。ありがとう。じゃあラーバル君の部屋に着いたら迎えに行くよ』

「うむ、もうちょっとしたら行くからの」

興味津々と言った表情で通信の様子を眺めるミゲル。

「ほほう、最近はそんなちっちゃな通信具があるのか。随分小型化が進んだな」

その目は完全に技術者のそれだ。

「こいつはわしらチームの特別製じゃ。一般では使われちょらんよ」

「チーム？」

「おお。わしやこのラーバル、それに今度連れてくる事になっちょる冒険者ギルド本部のモリスなんかが参加するチームじゃ。技術者だけのチームっちゅう訳じゃないんじゃが、多分世界一の技術を持ったチームじゃぞ。今回の魔石クリームもそこからの話じゃ」

そんな弟の姿を眩しげに、そして羨ましげに見るミゲル。

そんな兄を残し、ミッチェル達は王都に転移していった。

「まったく、今日ほど長男に生まれた事を外れクジじゃと感じた事はないな」

ミゲルはそうぼやきながら、書類の積まれた机に戻っていくのだった。

そしてこちらは王都のギルド本部インフラ技術室長室。

「はい到着。ようこそギルド本部へ」

ラーバルの校長室からミッチェルとミカを連れてきたモリスは、両手を広げてにこやかにそう言った。

「お、お邪魔するんだの」

「ほほう、ここがおぬしの部屋か。思ったより普通じゃな」

「あはははは、こう見えてもちゃんと室長としての業務もやってるんだよ僕は」

「こう見えてもって・・・見たまんまじゃないですか室長。いっつもどこかにいなくなっちゃって・・・」

背後から突っ込むロベリー。

「ははは、今日も手厳しいなロベリー君は」

「まったく・・・それでそちらがもしかして？」

そのロベリーの視線を受け、

「ミカです！　よろしくお願いします！　・・・うわぁ、美人のお姉さんだの」

「あらそんな美人のお姉さんだなんて。こんなにかわいい娘（こ）なのに、さすが技術者だけあって物事の本質を掴むいい目を持ってるって事なのかしら。ねえ室長？」

「・・・あはは、いやあ全くその通りだねえ。うんうん、ロベリー君が美人なのはもう疑いようのない事実だよ。僕も君のような秘書がいつも側にいてくれて本当に嬉しい限りさ。さて、それじゃあ早速説明を始めようか」

「何だろうイライラする。褒められてるはずなのに私、イライラする！」

そしてミカへの説明が始まった。

「これがこのクリームの一番の原材料である魔石さ。完全に透明なのと少し黒いのの2種類があるんだ。完全に透明な方が品質が良くって、貴族用の高級品に使われる。作り方そのものはどちらも一緒だよ」

「おー、これが最近話題の錬成できる透明な魔石なんだの！　綺麗なんだの！」

「そうそう。まずはこの状態でロベリー君が効果を付与するんだ。ロベリー君よろしく」

「はい。じゃあ見ててね」

そう言ってロベリーは両手ですくい上げた魔石を額の前に掲げ、小声で付与を行った。

「ほへー！　何て言うか、すごく神秘的な姿だの！　まるで『聖女の祈り』みたいだの！」

そんな率直な感想を漏らすミカ。

「うんうん、何たってロベリー君は『付与の聖女』だからね。そう見えるのも当然さ」

「しっ室長・・・」

ミカの反応が嬉しい反面、モリスの言葉に若干のダメージを受けたロベリー。

そのロベリーに向かって、ミカは思いもよらない一言を発した。

「私、付与もやりたい！　聖女師匠、私に付与を教えてくださいだの！　付与とか今までまったくやった事無くって全然知らないけど、やってみたいの！！」

その言葉に真っ先に反応したのはモリス。

「へええ、『まったくやった事が無くって、付与の事を全然知らない』のかあ。こいつは有望なんじゃないかな、ロベリー君。君の付与を習得する最大の条件はちゃんと満たしてるじゃあないか。どうだいロベリー君？　ミカ君が付与も覚えてくれたらクリームの事は完全にミカ君に任せられるようになるし、お互いハッピー（Ｗｉｎ−Ｗｉｎ）なんじゃない？」

「ですね。じゃあミカ、あなたに私の付与術を教えてあげる。いい？　私の付与術は特殊だから、くれぐれも他の付与術を勉強しようなんて思っちゃダメよ。もしそんな事したら、どれだけ教えても私の付与術は覚えられなくなっちゃうからね」

「はい師匠！　よろしくお願いしますだの！！」

この暫く後、持ち前の錬成能力に加え、無事に聖女（ロベリー）流付与術を習得したミカは、クリーム製造の中枢を担う事となり、そしてその製造が開始される。

これによりついに魔石クリームあらため『聖女のクリーム』の販売が開始され、世の女性達に熱狂の渦を巻き起こしたのである。

なお、容器となるボトルは貴族向け一般向け共にミッチェル工房が一手に請け負い、これがまたクリームの爆発的ヒットの一因となった事は言うまでもない。

ちなみに、ミカはまだ丁寧語の事をエルフ語だと思っている。