第22話 ピノさんが鍋に属性付与しました
「室長、お帰りなさい」
モリスが自室に転移すると、すかさず秘書のロベリーから声が掛かった。
「やあロベリーただいま。今日はとても内容の濃い一日だったよ。ダンジョンには2度も入ったし転移トラップにも引っ掛かったし――いや、今回はトラップに引っ掛かる為に行ったんだから、ここは『無事引っ掛かる事が出来た』って言うべきかな? まあでも転送先が魔物部屋っていうのは定番だよね。出てきた魔物は弱いのばかりだったんだけどさ――とまあ僕はそんな一日だった訳だけど、こちらは変わりなかったかい?」
「はい! 今日は何故かとっても静かでしたよ、たった今までは」
「うんうん、それは何よりだよ。僕も心から静けさを愛する男だからね。静かで平穏だったのなら、それは最高の一日だったって事だよ。君達に最高の一日をプレゼントする事が出来て僕もうれしく思うよ。だからさ、そんな僕にもう少し外出の機会を用意してくれたら、それはもうお互い最高にハッピーになれるって思わないかい? だからさ、もう少し僕のスケジュールを見直す必要があるんじゃないかな、って僕は君に言ってみるんだけど?」
「本日分の書類はこちらです。
いつもと変わらないモリスとのやり取りも終わり、さて今日もこれで
「あーそうそう、ちょっと手配をお願いしたいんだけどさ、時空間魔法師を適性値順に並べた一覧を用意してくれるかい? そこから一定間隔ごとに5名程フィラストダンジョンに連れて行くから。行くのは明日だからね。あっそうそう、彼らは明日一日だけだけど僕はその後暫く毎日あちらに通うから、スケジュール調整もお願いね」
「はいぃ!? 急に一体何なんですか!? 決裁は!? 受けたアポは!? 会議は!? それに――」
「うん、全部キャンセルで。急な調査が入ったからって言っといて。いやあ、頼まれた相手がオートカだからそれはもう断れないよね。うん断れないよ。ほら、ダンジョンに関する新発見って優先度高いじゃない? あれあれ」
「今日の突然の外出だってかなり無理して調整したんですよ!? 私がどれだけ折衝したと思ってるんですか!!」
「まあまあ。毎日行くとは言っても夕方にはこっちに戻ってるようにするからさ。どうしても外せない急ぎの案件はそのあたりに入れといてよ。あ、でも調査関連でやらなきゃならない事も当然あるから、全部は対応出来ないと思うけどね。まあそういう事だから。で、とりあえず時空間魔法師のリストは今すぐね。ほら、選んだ彼らにはフィラスト行きを伝えないといけないでしょ? だからね、さあ早く早く!」
天を仰ぐロベリー。
彼女のその瞳に、綺麗な青空は映らなかった。
「……こちらがご希望のリストです」
最早ロベリーには怒る気力も残っていなかった。
モリスの部下で時空間魔法師であるスラシュにリスト作成を頼み、そのままアポをキャンセルする事になってしまった各所へ謝罪行脚。
行く先々で起こる悲鳴と怒号の中、ただひたすら先方に謝り倒してのリスケジュール、それを半分ほど終えたところで完成したリストをスラシュから受け取りモリスの元へ。
――そして今に至る。
「いやあすまないねえ、急な事で大変だったろう。いつも苦労をかけて申し訳ないとは思っているよ。もちろん僕の心は君に埋め合わせをする気持ちで一杯さ。だけどそれはもうちょっと待ってね。フィラストが一段落するまではどうにも無理そうなんだ。いやあ、あのダンジョンの関係でちょっと色々とややこしい事になっててね。まあちょっと守秘義務的なアレで詳しくは話せないんだけどさ」
お調子者で無駄にテンションが高く、流れるように放たれる言葉の数々は耳にした者の神経を削る攻撃の如し、ロベリーがそんな評価を下すモリスだが、しかし嘘を吐くことは無い。
そのモリスがこう言うんだから、恐らく本当に大変な事態なんだろう。
それは分かる。それは分かるが――
「室長の財布が空っぽになるレベルのレストランに予約入れときますからね」
「うん分かった。それで手を打ってくれると言うのなら僕としては望外この上ないよ」
仕方ない、今回はこれくらいで許してあげよう。そう思う事にしたロベリーだが。
モリスと『高級レストランでの二人きりの食事』の約束をしたのだという事実に、彼女はまだ気付いていない……
「それにしてもフィラストダンジョンって……確かヒトツメ管轄の初心者レベルのダンジョンだったよね。ややこしいとか言ってたけど何があったんだろう。あっそう言えばヒトツメってあの子の配属先じゃない。……元気にしてるかな、ピノ」
「さあカルア君、それじゃあ早速付与に挑戦しちゃいますよ」
家に着いて早々ピノさんはもうやる気十分。むんって感じで腕まくりとかしちゃいそうな勢いだ。きっと楽しみだったんだろうなあ。
その気持ちはすっごく良く分かる。だって新しい道具って何だかウキウキするもの。そうそう、僕も初めて剣を手に入れた時は――ああっ!?
そう言えば僕の剣、いつもずっと持ち歩いてたけど……折れちゃったのを鞘に入れて持って帰って来たままだ!
そうだった……あれからずっとスティールで戦ってたから完全に忘れてたよ。
僕の錬成で直せるかな? 直せたらいいな。よし、後でやってみようっと。
って今はピノ先生の付与の時間、剣の事なんて考えてる場合じゃないよ!
これから始まる出来事に意識を戻した僕は、テーブルに魔石で作った鍋を取り出した。勿論一緒に持ち帰ってきた二つのグラスもね。
「ありがとうカルア君。ふふっ、透き通った綺麗なお鍋ね」
すごく嬉しそうなピノさん。この喋り方、今はピノ姉さんモード、かな?
「これからやる付与はね、学校の授業で習ったんじゃなくって友達から教えてもらったものなの。だから基本のやり方は分かるけど、仕組みとか詳しいところは私もよく分かってないのよね。だから今日はその友達が教えてくれた通りに説明するね」
おっと、いよいよ始まるみたい。集中集中。
「先生、よろしくお願いします!」
「ふふっ、先生か……何だか新鮮。……コホン、では講義を始めます。ではいきなりだけどカルア君に質問、付与って何だと思う?」
「付与……属性とかを付けるって事、じゃないんですか?」
「そうよね。じゃあそれってどうやったら付けられるのかな。絵具みたいに上から塗る? それとも何とかして混ぜる?」
あれ、そう言われてみると……どうなんだろう?
「その友達が言うにはね、『右を向かせる事』なんだって。後から何かを混ぜたり加えたりするんじゃなくって、付与する対象そのものの性質を変化させるんだって」
右を……?
「あ、今言った『右』っていうのはただの喩えだからそのつもりで聞いていて。つまりね、付与したい物体に魔力で話し掛けて『右を向いたあなたが本当のあなたなのよ』って覚えさせるの。そうするとその物体は魔力を流された時にその事を思い出して右を向くようになる。これが付与魔法よ」
何だか分かったような分からないような……うん、分からないや。
「ふふふ、私も最初に聞いた時はそんな感じだったわ。その後その友達に実際に付与するところを見せてもらってね、それを思い出しながら自分で何度も何度も練習して……それでやっと付与出来るようになって。それでね、付与を成功したその時にこう思った――ううん、実感したの。『ああ、これは他に説明の仕様が無いな』って」
「それってつまり……」
「そう、『あとは実践あるのみ!』って事ね」
そう言ってピノ先生は、鍋に向き直った。
「じゃあ始めるわ。よく見ててね、ちょっと恥ずかしいけど」
失敗したら恥ずかしいとかかな? 大丈夫、僕はそんな事で笑ったりしません!
軽く深呼吸したピノさんは、鍋に手を翳すと表情を改め、真剣な眼差しで鍋に集中し始めた。
そのあまりの緊張感に僕も思わず拳を握り締め、これから起きる出来事を一瞬たりとも見逃さないよう、鍋をじっと見つめる。
そんな緊張感溢れる空気の中、ピノさんはおもむろに鍋に向かってその口を開いた。
「ねえお鍋さん、あなた今はそうして冷静にしてるけど、あなたって本当はとっても熱いひとなのよ。今はまだそんな自分に気付いていないだけ。ほら、あなたに流れてく私の魔力を感じてみて。どう、何か熱くなってきたでしょう? その熱さはあなたが本来持っていたもの、つまりその熱さこそが本当のあなたなの。どうかしら、今とっても心地いいって感じるでしょ? それはね、今のその熱さがあなたにとって一番自然な状態だからなの。今まであなたはその事に気付いていなかった。でも今あなたは本当の自分を理解したわ。そしてそれはとっても素晴らしい事。だから……だからね、おめでとう。おめでとうお鍋さん。あなたは熱くなれるの。熱くなれたの。熱くなっていいの」
言葉を止めたピノさんの前で鍋は強い光りを放ち始め、やがて何事もなかったかのように元に戻った。
これが……付与、なの?
何だか……何だか……思ってたのと違う!
「カルア君、付与は無事成功したわ。これでこの鍋は魔力を流すと熱くなるようになったの」
「ピノさん、これって洗脳――」
「付与よ」
「でもセリフが――」
「付与よ!」
「でも――」
「他に言い様が無いの!!」
こうしてピノ先生の付与講座は幕を閉じた。
付与って凄い! ……何て言うか、ええと……とにかく凄い!
「後はそのグラスね。それはモリスさんからカルア君への宿題だから、さっきのを思い出しながら練習してね。頑張って!」
そうだ、モリスさんがそう言ってたんだった。
でも練習の前に一つ気になる事が。結構大事な事が。
「あのピノさん、これって口に出さずにやれるようになるんですか?」
「どうかしら? そういう話は聞いてないけど、もしかしたら出来るかもしれないわね。でもカルア君、その友達が言うにはね……付与術師って付与するところは絶対誰にも見せないんだって」
そっか……どの付与術師もみんな……そっか。
声を出さずに付与するのは、きっと無理なんだろう……
ピノさんが付与してくれたこの鍋、もの凄い便利だった。
だって魔力を注ぐだけで中身を煮込む事が出来るんだ。火を起こさなくてもいいってのがこんなに便利な事だったなんて!
煮込むのに必要な熱さ以上にはならないからうっかり焦がしちゃうなんて事ないし、注いだ魔力が切れれば発熱が止まるから、使い慣れるうちに魔力を注ぐ量で煮込む時間を調節出来るようになるだろう。
ただひとつ大変なのは、ご近所の奥様方には絶対に知られちゃいけないって事だ。
早く透明な魔石が一般的になって欲しいなあ。そうしたらこの鍋を沢山作って、今までのお礼ですって皆さんに配れるのに……
よし、それまでに頑張って付与を覚えよう!
……ところで、ピノさんに付与を教えた友達ってどんな人なんだろう。今は付与術師として働いているのかな。
「室長、今度私もヒトツメのギルドに連れてって下さい」
「それは別に構わないけど、急にどうしたのロベリー君? もしかしてフィラストダンジョンに行ってみたいとか? いやあ、あそこには君の興味を引くようなものは無いと思うよ。転送されて魔物に囲まれるのがちょっと楽しいかなってくらいで他には何も無いみたいだし。ああそうだ、あの部屋の魔物、今度行った時はヒトツメギルドに持って帰ってあげようかな。ボックスに入れるだけだし。よし明日ブラック君に欲しいか訊いてみよう。ああそうそう、あそこのギルドで魔法の鞄の貸し出しやってるのは知ってるよね? あれって結構好評みたいでさ、他の街のギルドでも採用されそうだよ。付与の手が足りなくなったら君も手伝いを頼むよ」
そのモリスの言葉――付与の手伝いと聞いた瞬間、ロベリーの顔色が変わる。
というか露骨に嫌な顔をした。
「室長、私人前で付与するの嫌なんですけど。室長だってその事知ってますよね?」
「ああもちろんさ。だからもし君にお願いする事になったら個室を用意するよ。君の付与は独特だからねえ。僕も初めて見た時は笑いをこらえ――ああいや、びっくりしたものさ。でも付与にかかる時間も付与の安定性もトップクラスどころか世界一といってもいいんじゃない? 君の付与術が広まったらきっと凄いことになると思うよ。そう考えると君が僕の秘書をやってるっていうのは付与術界にとって随分な損失じゃあないかな」
「だからこそです。初めて付与を見せた時のみんなの反応! あれを見れば分かりますよ、絶対誰もやらないって。わたしだってあの時の反応がトラウマで『付与術師です』って名乗るのをやめたんですからね!」
「そうかい? でも僕としては出来たらもう一度くらいは見せて貰いたいところだけどねえ。あれはあれで非常に興味深い技術だと思うよ。何たってアプローチが凄い。まさか付与にあんな解釈があるなんて、君の付与を見るまで想像もしてなかったしねえ」
そんなモリスに、何かに疲れたような、何かを諦めたような表情でロベリーが返す。
「逆に私は他の人の付与って何度説明されても理解出来ませんでしたけどね。いいです。あれは私だけの技術として埋もれてしまえばいいんです」
そしてその後にボソッと独り言。
「あ、でもそう言えば昔ピノに教えた事が……ううん、きっとピノも呆れてそのまま忘れてるわよ。うん大丈夫、ノーカンノーカン」
「それで室長、ヒトツメに行きたいって話は?」
「ああ、構わないよ。まあすぐって訳にはいかないだろうから、今抱えてる案件が落ち着いてからね。でもどうしたんだい? 君がどこかに行きたがるなんて珍しいじゃないか」
「あそこのギルドに学校に行ってた頃の友達が務めてるんですよ。卒業してから一度も会ってないから、久し振りに会いたいなって」
「あそこにいた君と同年代の子って……ああ、確か受付にいたパルム君――だったかな。あの子かい?」
「いえ、その人は知らないですね。私の友達はピノっていう子です。ものすごい優秀な子なんですよ。飛び級で入って、そこでまた飛び級してそのまま卒業。それなのに卒業するまでずっと冒険者クラスの首席でしたからね。まあそういう訳で、同級生だったけど同年代じゃないんですよ。私より3歳くらい年下だったかな?」
「ああ、ピノ君か。そういえば今回の一件では調査のサポート的な事をしていたかな。準備とか報告とかにもずっと同席してたよ。中々の活躍っぷりだったねえ。それに今回の発見者の少年とはずいぶん仲がいいようだ。何だかいい雰囲気だったよ。いやあ、しかし君とピノ君が学校の同期で友達同士とはねえ。世間は狭いっていうか、各地で手広くやってると言ってもギルドは狭いねえ。まあそういう事だったら、君達が旧交を温められるように、ますます僕も頑張って早いとこ片付けちゃわないとね。いやあ頑張る理由がまたまた増えちゃったよ」
モリスの長セリフの中にあった聞き逃せない個所、当然ロベリーがそこに気付かない訳がない。
これはピノに会った時に委細確認せねば、と決意するロベリーであった。
だが――
そこに自分の付与術の孫弟子がいる事を彼女はまだ……知らない。
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