39 バッド・テイスト
今のところ連携は上手く機能している。
前衛は新九郎、沢木雪花。宮持環は精神攻撃への対処、マルオが宮持環への物理的な防壁と道具による回復のサポート。俺が物理、精神の支援、遊撃。
一つ苦く思うのは、この場が地下空間であるため、
▼
(──どういうことだ?──)
新九郎が一瞬の目線と共に
ウォルラスが何事もなかったかのように今、平静そのもので話していることへの疑問。
(──自前の再生能力から考えて、治癒術ではないと思う──)
高い再生能力は吸血鬼にも言える共通項。だからこそ今も昔も治癒術をそう重要視していないと考える。しかし今のウォルラスの状態は再生能力というには度を越している。
(──血の汚れすら消えていた。治癒術だったならその後わざわざ【
(──なんらかの別の魔術──)
(──そう──)
▼
誰も言葉を発せないうちに、何層にも重なる声。
『こちらも欺瞞戦は専門なんだ
I’m an deceptive warfare specialist too. 』
どきりとした。こちらのテレパシーを聞いていたかのようなタイミング。
◆
ウォルラスが使いそうな魔法をラン・クザルに聞いてきてはいたが、多過ぎる。一流の魔術師でも使えるのは13くらいって話だったはずなのに。げんなり。
衣服までまっさらになってることを考えて、時間系の魔術を疑う。
俺に対抗できるだろうか。
◆
『私の元にいなさい。私がお前の未来を作ってやる。
You stick with me. I’ll build a future for you.』
ウォルラスは宮持環へと喋っていた。
宮持環がべっと舌を出す。
ひとつ、俺は息を吸って吐いた。ウォルラスを睨みつけ、話に割り込む。
「うっせーッ! お前ちょっと黙って待ってろ! 今どうするか考えてんだ!」
ええぇ──……。みたいな目で見てくる仲間たちにも言った。「うっせー!」
またあの笑い声が響いた途端、軋むような頭痛に襲われた。
全員が思わず頭を押さえ震えた。
『精神に侵入するのが得意なのはお前だけではないぞ。
You’re not only one good at infiltrating mind.』
相変わらずウォルラスは宮持環にそう語りかける。
言い知れぬ不安に晒され、のし掛かる重圧。
精神が削られる。
痛すぎて吐きそうだ。
宮持環の思考が皆の心に滑り込む。
(──〈
「っ、各自、
「心を堅固に」
沢木雪花。
「心を堅固に」
マルオが、どん、と胸を叩く。
「〈
「〈
宮持環と同時に魔術を発動。
精神防壁が構築され、言いようのない不安が遠のく、震えが止まる。
が──、
『無駄だ。どれ、少し遊んでやろう。
It’s useless. Now I’ll play with you for a moment.』
電源が切れるかのように音を立てて視界が暗転した──。
▼
無意識の内に俯いていた顔を上げると、そこは巨大な回廊だった。ぽつんと独り、そこに立っていた。
片側は終わりの見えない壁、もう片側は等間隔に石の柱が並び建つ。
柱と柱のアーチの先を見れば、遠く別の回廊や尖塔が見える。
下を覗けば底の見えない暗闇が広がるばかり。
必要が知識を引っ張り出した。すぐに思い当たるものがあった。
「くそ、【
◆
【
周囲の空間ごと切り取り、異空間に対象を捕える。目視されてしまえば逃れられないという悪質極まりない呪文だが、術者は対象を物理的に害すことはできない。
防衛策は高度な呪文抵抗の重ねがけと、指定された空間へ干渉し呪文効果を霧散させること。
囚われた場合、脱出方法は二つ。術者の解除を待つか、この異次元空間に存在する"ほつれ"を看破し解くこと。
呪文によって一時的に構成された異世界。世界の構成など容易ではないだけに、この空間には綻びが複数存在している。意図的なものもそうでないものもある。それらの点を見極め、しかるべき手順で結び、繋ぎ合わせる。この仮想世界を崩壊させ元の空間へ戻るための要素は必ず存在している。
至極簡単な話、迷路にはゴールがあるということだ。
◆
しかしそれにしたって。
──ヤバい。
普通の術者なら、十分程度で走り抜けられる程度の迷路か、そもそもそれくらいしか維持できない嫌がらせかってくらいの呪文だが、ウォルラスなら精神的な干渉で心を壊しにかかることも十分にやれるだろうし、単純にそれまで放置することだって可能だろう。
何より今、みんなと分断されたことがまずい。簡単に各個撃破される。おそらく、まずは宮持環が狙われる。彼女はウォルラスの執着を引き出してしまった。今、彼女だけが現実に残されていると予測する。
「ヤバいヤバい──」
悠長に迷路を踏破してる余裕はない。
連続で転移することになるし、負担も隙も大きいが、やるしかない。
「よし──ん、あれ?」
普通に元の現実に帰還できる?
空間ごと切り取られているため、戻る位置は変えられないが、転移持ちはこの手の
なんでもいいさっさと帰ろう。
▼
転移で戻った瞬間、背後のどこかで小さな悲鳴が上がった。
すぐさま振り返りつつ二柄(ふたえ)の斧を呼び寄せた。ウォルラスの巨体の陰から宮持環が飛び出すのが見えた。
無事だった!
しかしその腕は肩から大きく切り裂かれ、血に染まっていた。
投擲──赤と青、二本の軌跡を描いて飛んだ斧は、宮持環を捕らえるために伸び上がった太い蛸足に重い音と共に食い込み、回転、掘削、切断した。
『baraaaah──‼︎』
怪音を口から迸らせて、反射的に振り向いたウォルラスが同時に腕を振るう。
気付けば俺の視界はぐるぐると回転していた。浮遊感を感じた次の瞬間には床に叩きつけられて転がった。ひどい耳鳴りとふらつく頭で、念動力の波に吹っ飛ばされたのだと悟る。
治癒の術式を構築する。が、失敗、失敗、失敗……して、やっと弱々しい光が手のひらの魔法円から放たれた。
霞む視界の中でウォルラスが宮持環に向け衝撃波を放つ。
宮持環が前へ手を翳すと、少し強いくらいの風へと変えた。暴力的な念動力の波を無効化してみせた。
しかし攻撃手段がほぼない彼女には今のでギリギリだ。
俺はなんとか立ちあがろうとするも上手くいかない。転倒だけは避けて手と膝をついた時──頭の中、声が響いた。
(──
ウォルラスを上から貫く火柱が、石の天井に上半身を生やした新九郎から撃ち降ろされた。
新九郎の声は俺たちにしか聞こえていない。
それでもウォルラスは反応した。首を傾げて頭部を守った。反応できたことが驚きだが、そこまでだ。
肩口から入った灼熱の剣が、ウォルラスの左半身を焼きながら斬割した。
耳を塞いだ。
まるで何人もが一度にヒステリックな叫びを上げたかのような音が空間を叩く。
一瞬意識を奪われかけるほどの不快な爆音。
バランスを欠いた動きで下がろうとするウォルラス。
新九郎が天井からするりと抜け出す。
(──ようやくわかってきた──)
燃え盛る剣を手に追撃する。
ウォルラスは切断された半身から臓物を溢しつつ、こびりつくような炎に焼かれながら、精神エネルギーで作った刃爪で新九郎の剣を弾く。
『GrRoar──!』
新九郎が押されたように後ろに距離を取った。ダメージはないようだ。弱々しい念動力。畳み掛けるなら今。
新九郎が走り出そうとし、俺は投擲斧を手元に喚び戻したが、一瞬ウォルラスを見失って動きを止めざるをえなかった。視線を外してなんかいなかったのに。
ウォルラスは空間が切り取られて長方形の影のようになった場所の横にいた。
それはマルオがいた場所だ。迷路に囚われたマルオが、今なおいる場所だ。
狙いに気付くも一歩遅い。
ウォルラスは【
『さあ、つかまえた。私の捧げもの。
There, I have you now, my tribute. 』
セイウチと同様の長い牙に見えていたそれが、グネグネと動き出し、マルオの羊毛の下に突き立つ。
「マルオっ!」
どくんどくんと液体を飲み干すように脈打った。
ウォルラスは幾分小さくなった毛玉を投げ捨てた。
『……GAAAAAAA──‼︎』
ウォルラスが絶叫する。しかし歓喜のそれではない。
目から口から体液を撒き散らし、ゲーゲーと吐き戻し始めた。吐瀉物には人間の臓器や脳と思われるものが大量に含まれている。明らかにウォルラスの体積を超える量を断続的に吐き続け、それは床を覆い、さざ波となって足元を濡らした。
「見たかっ! 変わり身の術!」
マルオがそう言って穴の空いた革の筒状鞄(ボンサック)を放り捨てた。
ボンサックには厚手のビニール袋に荒廃世界(コウセ)でせしめた錬金術師の薬品や農薬のカクテルが満たされていた。チャンスがあればと思って念のため用意していた物だったが、マルオが見事に活用してみせた。
「うおおお!」
俺たちは両拳を突き上げて快哉を叫んだ。
『────────────────────────』
ウォルラスの苦鳴と悲鳴と怒りの咆哮が塗り潰した。
GLOSSARY
-用語集-
● 【精神迷路/マインド・メイズ】 魔法
術者は捕らえた者を物理的に害すことはできず、迷路には必ず出口がある等の制約を設けることによって呪文の難易度を下げている。
●【時間流の抜け駆け/スリップ・スルー・タイムストリーム】 魔法
一時的に自身の時間の流れを加速させる。加速された時間の中で他の意思ある生物に影響を与えることはできないが移動には有用。直接的な攻撃はできないが、移動直後、時間の流れを戻した瞬間に攻撃することは可能。
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