38 ヒ色の研究
◆
ラン・クザル曰く。
ウォルラスを打ち倒す希望があるとするならば、まず注目すべきは奴の
自意識と自尊心が非常に高くナルシスティックなアイツらは、サイコパスの特徴とされるものを有している。
過剰に魅力的な〝外見〟や〝語り〟といったそれらがウォルラスにも当て嵌まる。
扇動と洗脳と魔法が得意なんだから、語りについては論ずるまでもない。
実際、別の個体といえど短期間の内にカルト教団を立ち上げ、自らのために喜んで糧となる狂信者を多数生み出した事例もあるのだから。
ここでよくよく考慮に入れておかねばならないのは、外見的魅力の方。
セイウチの頭に、曲がった背、タコの下半身、バケモノそのもので、外見的魅力、といわれても簡単に理解できるものではないけれど、俺たちにもわかりやすいものとして、身なりというものがある。
吸血鬼がそうであるように、ウォルラスもまた装いにはこだわりがあるようだ。ただし貴族のようなかっちりとした服装はウォルラスの体格には見合わないため、豪奢でゆったりとした司祭服のようなものを好む。
奴らは見る者に恐怖より、威厳と畏怖を感じさせたい意識があるらしい。ウォルラスにとってはその感情を向けられることに充足を感じる。
だからこそ奴らにとって装いとは重要な構成要素である。その肥大した自我が、みすぼらしいローブでいることを自らに許すことはない、本来は。
しかし、動画にチラッと映ったウォルラスはどうだろう。いかにも地味ななんの飾り気もないローブを身に纏っていた。
「吸血鬼であった頃、まだ若いのか知らないが、相対的な位置づけとして、低い立場にいたのではないか」
そこに希望を見出せるかもしれない。
「もし奴が赤や金、青や銀の装束を纏っていたら逃げを打つことを考えろ。それらの色を纏うということは、有力な
◆
林立する巨大ビーカーの間を抜けた。
大きな影が動く。
女のようなスラリと長く、蒼白い腕を軽く広げ、俺たちを迎え入れたウォルラスは、黒と緋色に金線細工が飾られた長衣に身を包んでいた。
「……くそか」
「ヨウコソ、歓迎シヨウ」
ウォルラスは明確に、日本語でそう言った。
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こちらを向いたウォルラスの背後には、外科手術の道具が机の上に散らばっている──各種メスや鉗子、注射器といった物のほか、小型のガラス容器に見たこともない金属のような液体が満たされ、作業台の上に並べられ、他に金属の破片とほつれたワイヤーが、合わないパズルのように散らかっていた。
そしてその中に、人の身体があった。
動いている。
俺は、震えを無理やり押し込めてテレパシーで叫んだ。
(──奴をあの台から引き離せッ‼︎──)
即座に新九郎が拳大の火球を二度、三度と放つ。
ウォルラスは蛸足を撓(たわ)め、軽く跳躍して避けた。
沢木雪花が掌に烈光を灯し、光線に変えて追い撃つ。
今度は蛸足を蠢かせて、滑るように左右に躱した。
その間に俺は台に駆け寄った。
投げ出された四肢。血の細流。
「hmm、モシカシテ、知人デアッタカ? 言エバソノ標本ハ提供シタノダガ」
俺は台の上で磔にされている身体から、針や杭といった類いを念動力ですべて取り除いて床にぶち撒けた。
「…………す、すま……ねえ……兄弟……」
ヒラキにされた国光が言った。
「うっせー、黙ってろ」
何でここにこいつがいやがるんだという思いを怒りと共に無理くり呑み込んで、式を描き治癒の光を当てる。
俺の疑問を察したのか、国光が震える唇を開いた。
「……任せっぱなしじゃ、あ……カッコつかねっちゃ……」
「そんなもん最初からついてねえ」
「ひ、ひでえや……兄弟…………………………」
「おい……」
「……」
▼
『goo,goo,g'joob』
グーグージョーと笑う声。
不気味な喜びが滲んだ声が響く。三つの声が積み重なったような声が。
『人間は憎しみと嫉妬と怖れと欲でいっぱいだ。
Humans are riddled with HATE and ENVY and FEAR and GREED.』
どうやら感情が昂ると日本語を忘れ、あの叫びと歌、そして囁きが積み重なったような声になるよう。
ただ、その言葉を理解できるのは現状は俺だけだ。【
『goo,goo,g'joob』
静かに、怒りが湧く。
「癇に障る笑いだ」
新九郎が軽く両手を広げ十の火球を浮かべ、沢木雪花が烈光を輝かせ、俺が
──瞬間、精神にノイズが走る。思考が掻き乱される。
火球が、烈光が、魔力弾が消失。
(──無意識下の精神防壁は貫かれるぞ──)
沢木雪花が再び烈光を両手に灯し、床に叩きつける反動で跳躍。
新九郎は赤熱する剣を手にすでに走り込んでいる。
俺も魔力弾を放ちつつ、真正面からウォルラスに迫った。
精神を侵す魔術が襲ってくるのがわかるが、それらは宮持環が迎えて打ち落とす。
「ウォルラス!」
魔力を乗せた声で叫び、注意を引く。
ウォルラスへ人差し指を向け──「あっち向いて」──ほい、と上に振る。
──【
ウォルラスの小さな瞳から一瞬、光が消えた。意識の空白。
その一瞬を見逃さない。
懐へ入り込んだ新九郎が剣を心臓へと向け、沢木雪花は空中から光線を頭部へと放った。
鈍い音。
二人が伸び上がった蛸足に強打され錐揉みしながら吹っ飛んだ。
意識の空白は確かにあったはず。
(──蛸足は奴の意識の有無に関わらずオートで迎撃に動く?──)
おそらくあの蛸足は文字通りタコと同じなんだ。
◆
脳や神経系を形成する細胞ニューロン。
その多寡はおおむね生物の〝賢さ〟の程度を決める一つの指標といわれる。
タコのニューロンの数は大体イヌと同じ五億個。
しかもタコの場合、ニューロンは体全体に分布していて、「身体全体が脳であり、脳が身体である」というのが実態らしい。
脊椎動物のように脳が身体の各所に命令を下すのではなく、分散処理的な身体制御。
つまりあれらの蛸足は、独自に思考する自律性を備えている。
◆
すでに奴の意識は回復してるが構わず突っ込む。
沢木雪花の援護射撃。その威力の弱さが彼女の被害を知らせるが、事前に治癒の指輪を渡してある。
俺はナイフ片手に、懐に一歩、深く踏み込んでいた。
ウォルラスのスラリと長い女のような指先から、紫色のエネルギーが伸びた。五本の
振り下ろされた刃爪に俺の身体はなす術なく引き裂かれた。
引き裂かれた俺の背後、低い姿勢で俺は飛び出すと、ウォルラスのアゴ下へナイフを突き刺す。
『ッ⁉︎』
髭の代わりに生えている細い触手がいくつか切れて下に落ちる。
追い討ちを嫌がったウォルラスが、両手に【
俺は跳び退さりながら、【
『GiiRI I I IiiiaaaAAAh──⁉︎』
ウォルラスが苦痛に狂乱して暴れた。
『無礼な若造め!
You impertinent kiddo !』
そこへ白いモコモコとしたものか飛んできてウォルラスにくっ着いた。間を置かず火球が着弾、炎が膨れ上る。
轟音と熱波、爆煙が押し寄せる。
『GrrrRoARaAah‼︎』
袖で額から流れる血を拭いながら新九郎が横に並んだ。
「うるさいやつだ」
後ろを確認すれば、毛玉マルオが渡してあったストレージ・リングから道具を取り出しつつ、ちょこまか動き回っている。
しばらくは痛みに悶える感情の波が荒れ狂っていたが、ふいに、カン──とナイフが落ちる音だけが響いた。耳を塞いでも聞こえてきてたウォルラスの叫びが、ぴたりと止まった。
『信じられぬ。本当なのか?
I can’t believe it. did he really? 』
ブォンと蛸足が振り抜かれ煙が蹴散らされた。現れたウォルラスに、何のダメージも確認できない。長衣に付着していた血液の跡すらない。
どうなってる。
『私に侵入した? ……お前……お前か?
Someone hacked me?……You……You, eh?』
そう言ってウォルラスは俺から宮持環に目線を移した。
その視線を遮るように俺たちは動いた。
◆
侵入、それはさっき切り裂かれた身代わりの俺のことを指している。
写し身、鏡像、幻像、などといった名称で分身を作り出す術は様々あるが、宮持環が行ったのは精神魔術により幻を見せる【
相手の精神に直接的に働きかけるため、成功すれば分身を見破るのは非常に難しい。
◆
『すばらしい!
Amazing! ──goo,goo,g'joob.』
GLOSSARY
-用語集-
●【混濁/アドル】 魔法
古い呪文。
思考をかき乱す。
行動阻害、呪文阻害、魔法阻害。
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