37 ブレイク-イン




 ヂリリリリー……ン。


 黒電話のベル音みたいだ、なんてぼんやり思った。昔の刑事映画でみられるようなやつ。

 一拍置いて、エレベーターの扉が開く。


 そこに広がっていたのは地下駐車場だった。


 ただこの第八モンロービルに本来、地下駐車場なんてない。

 不規則に点在する古びたランプが、薄汚れた煙を上げている。なにかの脂を燃料としているよう。なにかってなんだろう。光量は心許なく、辺りは薄暗い。

 それぞれが周囲をきょろきょろと窺う中で、俺は新九郎が微かに口角を上げたのに気づいた。


「なに?」


 聞くと、フンと鼻で笑う。


「なんだよ?」


 再び聞いても無視。このやろう。


「なんだよ?」

「しつこい、行くぞ」

「はいはい。さて──」


(──こっからは改めてラインを確認しながら慎重に行こう──)


 思念伝達テレパシーによる意思の疎通を図る。俺たちは事前に魔術契約による通信回線ラインの構築を終えていた。口に出すより遥かに速いやりとりが可能だ。

 それぞれの思念を受け取りながら進む。

 マルオが毛玉になると、防御術を展開し、魔法円を潜った。


(──術の構築がずいぶんスムーズになったねマルオ──)

(──お、そうだろう?──)

(──魔術の言語で夢を見るようになればもっと伸びるんじゃない?──)

(──マジか。見るのか、夢を──)

(──何度か──)


 沢木雪花が、げー、と変な悲鳴を上げた。


(──あたしは無理だぁ。魔術自体むりぃ──)

(──沢木雪花は無理でいいよ。いつだったか言ったけど、自前の能力が優秀すぎるからね──)

(──なんか負けたようで悔しいじゃんか──)

(──なんかってなんだよ、何と戦ってんだよ。まあ、その環境にどっぷり浸かれば、脳の回路を設定し直せるらしいけど──)

(──サピア=ウォーフの仮説だったか──)


 そう言う新九郎に「知らん、誰」と返したらケツを蹴られた。

 点在していたランプの数が減り、闇が濃くなった。かと思ったら突然──。


 ──ズン──と周囲の空気が明らかに変わったのを全員が感じ身構えた。


 息の詰まるような感覚に足が止まる。


「ぐぉ……」


 マルオが周囲を忙しなく窺う。

 強烈な圧迫感。

 まるで物理的圧力が伴っているかのような重さ。さらに心理的にのし掛かってくる──恐怖。


「なんだこれ、なんだよこれ」


 沢木雪花が自身の震えを抑えるように腕をさすり、宮持環が苦しげな表情で沢木雪花に身を寄せた。

 たぶんこれは大気中の魔力マナが〝誰か〟の意思に反応した結果だ。〝誰か〟が誰なのかは、たぶん俺たちの想像の通りなんだろう。

 しかしこの得体の知れない感覚。

 この気味の悪さはいわく言い難いものがある。けど──。


「まだまだ」


 横で新九郎が頷き、にやりとして言った。


「〝ガン〟つけられてるだけだ。大したことない」

「そういうレベル? これがっ⁉︎」


 沢木雪花が悲鳴混じりに叫んだ。

 実際のところ〝ガン〟どころか、こちらに気づいてただ注意を向けたとかその程度だと思う。威嚇ですらない。


 宮持環が強張った肩の力を意識的に抜き、沢木雪花と二人、目を合わせた。余人に察せない会話を交わしているようだった。すぐに、沢木雪花が改めて何かを見つけたかのように決意を目に閃かせる。

 それでいい。沢木雪花の能力は彼女の精神状態に著しく左右される。宮持環の能力がただ遠話を可能とするだけのものと認識されていた異世界生活当時でも、二人はそのように互いを補い合って生き抜いた。まさに心で通じる仲だった。


『──……goo.goo.g'joob──……』


 認識の外から声が響いた。叫び、歌、そして囁き。まるで三つの声が積み重なったような声が。そしてそれは明らかにこちらを笑っていた。


 警戒をあらわに周囲を窺っていると、どこからか響く音。

 カサカサと乾いた、カラカラと枯れた、それらが重なるざわめき。

 やがて向こうのランプの灯りの下に晒された姿は、男も女も枯れ木のように乾いた身体。

 おぼつかない足取りで、ミイラの群れがユラユラフラフラ、カサカサカラカラ。

 ミイラと言っても彼らが纏うのは一様に現代的な衣服。

 スーツに学生服、エプロン、ランドセル。

 水分を根こそぎ吸い尽くされて殺された犠牲者たち。

 目が離せない。予想してたより遥かに多い。


「そんな……」


 横で震える声。

 息を呑む気配。

 犠牲者である彼らは今、道連れを求めるようにこちらへと手を伸ばし、ウロのようにぽっかり空いた暗い口から絶え間ない呻き声を上げている。

 不自然な立ち姿、引っ張られるかのように歩く。

 ただ戯れに物として操られているだけ。


(──つっきる。走れ──)


 先頭に立って走る。

 嫌がらせのためだけに動かされている犠牲者たちを見据え、俺は魔力マナとの共感を高めた。

 空間を引っ掻くように腕を振るう。犠牲者の先頭のいく人かが足元を掬われ転倒。後続が雪崩を打って倒れ込む。

 彼らには申し訳ないが、念動力で雑に退かして走り抜ける。


『──……goo.goo.g'joob──……』


 グーグージョーと笑う声。

 闇が濃くなる。

 万が一にも追い付かれないよう走る。

 マルオが断続的にケミカルライトを折って発光させ、前方の暗闇に投げる。

 走り続けてやがて、ぎゃいのぎゃいのと騒がしい声が聞こえた。


「ついに来たな」


 緊張気味の面持ちで、マルオがケミカルライトをまた、ぽーいと投げた。

 俺たちは通路の暗がりに留まり様子を窺う。


 ひたひたひたひた──ゴブリンの影が動く。


 ゴブリンは通路に誰もいないのを確かめると、ごぶごぶそろりとケミカルライトの光の中に入ってきた。

 背は70センチ程度だが、鼻と口は人の三倍。身に着けているのは、いったいいつから着続けているのか想像もつかないほど体液を吸いこんで黒ずんだ獣皮。

 続いて同じようなゴブリンたち三匹が出現した。それぞれ手に思い思いの武器を持っているけど、せいぜいがよくて錆びついた短剣、ひどいものは木を削っただけの槍。

 四匹は、もう一度辺りを見回すと、ケミカルライトを中心に顔をつき合わせた。一匹が手に持った棒でライトを突っつきながらごぶごぶと喋り出す。


『今日はなにか忘れてると思うんだど』

『おでもそう思っだ』

『何かって何だがや』

『さあ?』

『さあ?』

『さあ?』


 首を傾げた拍子に、一匹の腹が大きな音を立てた。


『わがっだ! 今日メシを食っでねえ!』

『おおっ』


 ゴブリンたちは足を踏み鳴らし、手を頭上で叩いて、大きな口からヨダレを垂らして喜んだ。


『危うく餓死するとこだった!』

『んだ』

『んだ』

『おめだち黙れぇバカ! このバカ! 獲物が逃げたらどうすんだ! 代わりにおめえを食っちまうぞバカっ!』


 指さされた一匹が縮こまった。


『獲物ってえなんだい?』

『侵入者だっでよ』

『侵入者? 人間か?』

『たぶんそうだ。肉の固いドワーフや食いでのねえエルフはここじゃ見ねえがら』

『人間か! そりゃいいな!』

『肉のやわらけえ女はいるんか?』

『女⁉︎』

『女!』

『女! 女!』


 ゴブリンたちは狂ったように跳ね出した。

 沢木雪花が険しい顔で一歩踏み出し、両手に烈光を灯す。

 ゴブリンたちが気づいて騒ぎ出した。


侵入者イントルーダー!」

トゥーツ!」

トゥーツ!」

トゥーツ!」


 沢木雪花は烈光を床に叩きつけた反動でゴブリンまでの20メートルを跳躍した。奴らの目の前に跳び出るとぶん殴って吹っ飛ばす。


「ギャ⁉︎」


 蹴り飛ばす。


「ゴッ⁉︎」


 烈光が暗闇に尾を引く。


「ごぼ⁉︎」


 鮮紅をまとった拳を打ち下ろす。


「ごぶぉ」


 沢木雪花はゆらりと立ち上がると、


「行くよ、さっさと」


 こっちに一瞥をくれて奥へ進む。


(──あ、おい、待て──)


 怒ってる。

 俺たちも追って走り出した。


    ▼


 そのあとも何度もゴブリンの集団と交戦エンゲージした。

 一般的な成人男性ではゴブリン一匹の相手もままならないが、怒りで攻撃力の上がった沢木雪花は普通に蹴散らしてた。

 待ち伏せなどもあったが、突っ走りがちな沢木雪花を宮持環がうまくフォローした形だ。


    ▼


 水溜りやそこからの流れに、不快な酸っぱさを鼻や舌に感じた。化学的な悪臭が漂う。

 目の前の二枚の巨大な扉から、中の明かりが漏れ出ていた。


    ▼


 輝くガラスの実験器具が、迷路のようにいくつも組み合わさっている。

 金属製の枠に補強されたその中には、蛍光色の液体が沸騰してるものもあれば、中央でエネルギーが弾けてるようなのもある。


 ──皮膚がざわつく。


 〝圧〟が増大した。

 一瞬にして大気の魔力が淀んだ。

 奥から黒い煙が毒蛇のように大気に噛みつき絡まったかに見えた。


「肚を決めて気合いを入れろ」


 険しい表情で皆うなずいた。

 怯まない。


『goo,goo,g'joob』


 あの笑いが響いた。


『 そう神経質にならぬでもよい、小さき者よ。

   You cannot be so naïve, little one. 』










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