35 乙、凸、押忍




    ◆


 コボルトは、まだ囚われたままの仲間を迎えに、ベルントらと一緒に行った。


    ◆


 現実世界に戻ると、待ち望んだ情報がもたらされた。


「根城が割れた」


 首筋に星形タトゥーを持つ者をリストアップし、過去の足取りを徹底的に洗ったようだ。


「興島のやり方を真似た」


 新九郎は言った。興島と新九郎は仲良いわけではまったくないが、昔からウチと繋がりがあるという点で顔見知りではある。

 俺は席を立ち、冷蔵庫に向かう。


「行ってない場所に隠れることはできんゆえな」


 マルオが言う。

 冷蔵庫からビールを取り出す。

 マルオたちオカルト研も協力していた。彼らが調達した発信器を仕込んで追跡したという。

 俺はこれに関してはノータッチ。報告を受け取るだけだった。

 これまでの報告から、新九郎はわざと情報を堰き止めていた節がある。

 俺が早くこの件に片をつけたいと思っていることを新九郎は知っていたし、新たな犠牲者が報じられるたび、マルオや沢木雪花に宮持環が沈んだ表情を見せるのも承知していた。

 だから、待っていたんだろう。確かな情報が出揃い、訓練がカタチになるまで。早まった真似をしないように。

 俺だってそんなことわかってるというに。まったく。


 俺は二人に背を向けたまま、ビール缶の一つを魔法の念動力で浮かすと、手のひらの上でめちゃくちゃに振り回した。くるくると。後ろの二人からは見えないはずだ。缶を振る動作すらない。

 席に戻り、二人に缶を渡すと、あろうことか新九郎は目の前の缶を俺のと入れ替えた。俺はすぐさまマルオのと入れ替えた。


「ほう! きさまたちの乾杯のアイサツか? そういえばこの間、おれも〈-R-〉のハンドサインを教わったん──ぷげらっ⁉︎」


 見事なほどにビールを浴びたマルオを確認してから俺は言った。


「そんじゃあ、行くか」

「ああ」

「⋯⋯おい」

「何してるマルオ、行くよ」

「⋯⋯⋯⋯おい」

「あ、ごめん、電話だ」

「謝るのはそこじゃないんだ、おい」


 五分後──。

 俺は飲みかけのビールを手に、迎えに来たパトカーの後部席に揺られていた。


    ▼


 動き出そうとした俺たちの機先を制するタイミング。興島からの強制呼び出し。


「これは、向こうも情報を掴んだかな」


 俺の言葉に新九郎が頷いた。


「必然だな。こっちは犯罪行為も厭わずやった分、少し情報を掴むのが速かっただけだ」


 新九郎が情報共有に待ったをかけている間、それが興島ら警察に情報を掴む猶予を与えた。


「はろは興島と仲いいだろ? そっちは任せる。こっちの邪魔をさせるな」

「無茶を言う」

「い、いよいよだな! 準備を整えておくぞ!」


 迎えにきたパトカーをスルーしていく二人をよそに、俺は独りパトカーに乗り込んだ。


    ▼


 警察署の前で興島に迎えられる。


「外、行くぞ」


 署の敷地の外をアゴをしゃっくって示して歩き出す興島の後を追いかけた。


「飲んでると言うから迎えをやったんだが、まさかお前パトカーの中で飲んでないだろうな」

「飲んでたっつの」

「当たり前みたいに言うな。⋯⋯⋯⋯お前、空き缶どうした?」

「パトカーに置いてきたっつの」

「お、お前それマズイだろ。あれ県警の交通機動隊の車輌なんだぞ、マズイだろ。スピード違反取り締まってんだぞ、そんなとこにビールの空き缶転がってたら⋯⋯マズイだろ」

「⋯⋯⋯⋯」


 俺はわざとらしく咳払いした。


「で、興島サンなんの用なワケ? 忙しんだけど?」

「呑むのにか? いいご身分だな」

「帰る」

「よし、待て。牛丼おごってやるから」


 通りの先の牛丼屋チェーンを指差して、こっちの答えも待たずに入っていく。あれは自分が食いたいだけだろう。

 しばらく互いに無言で牛丼を食った。


「よし、持ってる情報を寄越せ」

「いきなりだな、官憲の横暴だ」

「うるせえ、いいから吐け」

「おごっといて吐かせるとは。食べ物を無駄にしたらいけないんだー」

「うるせえってんだよ」

「ってか、情報は掴んでんだろ? これからガサじゃねーの?」

「やっぱ知ってんだな? 俺たちが動く、お前は動くな。だから情報を吐け。擦り合わせをさせろ」

「これが官憲の弾圧か」

「ふざけてんじゃねえ」

「はいはい。で、そっちはいくつ見つけたんだよ──⋯⋯」


 俺は月極めで部屋を貸し出すレジデンシャルホテルを二つ教えた。


「それだけか?」


 俺は息を吐いて、商業ビルの名を告げる。


「すんなり吐けよ」

「うざぁ。⋯⋯それはそうと、ゴブリン、いや、リトル・グリーン・マンと出くわすかもね」


 そう言うと興島は難しい顔で考え込んだ。

 俺はさっさと席を立つ。


「ごちそうさま」


    ▼


 勘が異常に冴え渡って悪い気──は言い過ぎか、こちらに強い警戒感を向ける奴に自然と目が向く。

 ただわかった。見えた。

 驚くほど周囲の気配が読み取れる。他人の気配にも恐ろしく敏感になる。気配が手にとるように伝わってくる。

 常にない集中力、魔力マナとの共感。


 牛丼屋を出て早々、尾行者の気配を捉えていた。

 私服の刑事。興島の部下だろうか。


 ──ちょっと違う気がするんだけど⋯⋯。


 首を傾げる。

 雰囲気に覚えがある気がしていた。

 とにかく、保護プラス監視がついたらしい。

 沢木雪花に電話。


『あたしら合流したよ。あんたどこいんのよ』

「いや、なんか尾行がついてんだよね」

『尾行?』

「警察関係、かな?」

『素行が悪いのよ、普段からの素行が』

「元ヤンに言われたくない」

『あたしは違うし。とりあえず兄貴に話し通しとくから、単車でかっ飛べば?』


 礼を言って通話を終える。[ザ・クラッシュ]の『Police On My Back(オマワリが追ってくる)』を聴きながら方向を変えた。


    ▼


 スポーツバー『raspy voice軋る声』。

 ドアベルを鳴らして店内へ。

 ロボット掃除機が床のモップがけをしてるのをチラッと見て、奥のカウンターにいる人物に声をかけた。


「ニオさん。ご無沙汰してます」


 沢木雪花の兄、沢木鳰さわきにおがくわえタバコで振り向いた。


「おつカレー。カレー食う?」

「いやいらないっス。水もらえます?」

「あいよー」


 カウンターに向かい合い、スツールに腰掛けてグラスの水を受け取った。

 懐から取り出した皮袋から小さな包みを取り出して開く。

 そこには大きな塩の結晶に似た錠剤タブレット


「こらこら。ウチはヤバいクスリはご法度だよ」

「たしかに怪しげではありますが、ヤバいものじゃないですよ。酔い醒ましです」

「というタテマエ?」

「いやホントに。〈Alchemist’s Kindness〉っていうんスけど」

「もう名前からしてぜったいやばいやつじゃん」


 グラスへ錠剤を落とす──しゅわしゅわブクブク。


「ぜったいやばいじゃん」


 この〈錬金術師のやさしさ〉は、乗り物酔いから二日酔いまでたちまち治す。特にアルコールの影響をキレイに除去してくれる。

 ベルントたち冒険者パーティに錬金術関連の一式を受け取った時に、もろもろの水薬ポーションと一緒に分けてもらったものだ。

 グラスを飲み干す。

 水に溶かしてから十分以内に飲まねばならない。


「どう? ヤバい?」

「興味津々じゃん。いくつか置いてきますから」



    ▼


 店に居たのは十分足らず、俺はバーの裏手に出ると、青い車体にオレンジのラインが入ったKawasemiのZカスタムにまたがった。

 メットを被ってアクセルをひと吹かし。鉄馬の心臓がビートを刻む。どっどっど。

 公道に飛び出すと、あっという間に尾行者とすれ違う。


「フクシツチョーによろしく!」


 そう叫んで手を振った。

 うだる夏の空気を切り裂いてバイクは駆ける。

 一気に繁華街の合流地点までつっ走った。


    ▼


 辰川ニュータウン二丁目、第八モンロービル。

 駅前から一つ通りを入った十一階建ての雑居ビル。

 テナントには、バー、レストラン、キャバクラ、焼肉店などが入った昔ながらの典型的な飲み屋ビル。

 ずらりとケバケバしい看板が連なるいかにもそれ風の建物を、少し離れたとこから、俺たち五人はそれとなく眺めていた。

 興島に教えた商業ビルとは別のものだ。


「施工した建築会社がかなり問題のあったところらしい」


 新九郎が続ける。


「密航させた外国人を働かせている、不法滞在者を安く使っているという噂が絶えなかった。結局、竣工後に不況で倒産したが、施工費の一部がテナントの所有権で支払われていたようだ」


 そんなこんなで何がどうなったのか、五階から上が中国人と中国系マフィア、下が日本人とヤクザの店ばかりというめんどくさい状況になっているんだとか。

 だからいつも小競り合いが絶えず、いつ何が起きても不思議ではない状態。火薬庫に爆弾。実際に数ヶ月前には発砲事件も起こっていて、さらにその報復によるものと思われる殺人事件。

 一時期、警官を常駐させてみたものの客が嫌がると苦情多し、で断念。

 だからか普段から客引きがあそこだけぽっかりといない。

 うろついているのは中国マフィアとヤクザの連中ばかりなりって感じだったらしいがしかし、いまやそれすらもない。


 最近は、ビル全体がまるで息をひそめ、何かに怯えているかのようという話だった。

 首筋に星形タトゥーが入った者の中でも、決まった小数のみの出入りが認められている。それなのにどのフロアにもヤツらの姿は影も形も見つからない。


「エレベーターに乗ったきり忽然と姿を消すらしい」


    ▼


 首筋に星形のタトゥーを入れた二人組がエレベーターに乗り込んだのを確認した俺と新九郎は、目深にフードを被り、ゴツいサングラスで顔を隠して扉が閉まる寸前にエレベーターに滑り込んだ。


 小さな舌打ちを無視し、適当な階層のボタンを押して後ろに立つ。俺たちは同時にサングラスを外した。

 張り詰めた雰囲気が充満する。ぴりぴりするような緊張感。

 エレベーターが上昇を始めてから俺は口を開いた。


「アイザワユウヒ──ねずみ、だろ?」


 驚いた顔で振り向いたねずみの表情は、すぐに苦々しいものへと変わった。


「ウエスギ、ハレヲ⋯⋯」

「おまえのママ泣いてたぞ」

「てめえ──」


 突然、もう一人の若い男が無言で襲いかかってきた。ズボンのヒップポケットからナイフを取り出して、こちらに切りかかる。

 新九郎が交差させる形で腕を絡めてナイフを止めてもつれ合い、エレベーターの壁に押さえ込む。

 ねずみが叫ぶ。


「文月!」


 背も低く、若い男というより、男の子と形容した方がいいようなカワイイ顔をしたフヅキが、意外なほどの力で新九郎を押し返した。しかし新九郎はその力をいなすと身体を入れ替え、再びフヅキを壁に叩きつけた。

 フヅキの肘が階数ボタンに当たり次々と点灯。フヅキはチラリとそれを見て、新九郎を見上げて睨む。そのままねずみに向かって語りかける。


「せんぱーい、こいつら〝わかって〟ここにいるんですよぉ」

「なんだと」

「ウォルラスどこだよウォルラス」


 俺がそう訊ねると、


「へぇ、我が神はウォルラスっていうんだ」


 とフヅキが呟いた。


「知らなかったんだ?」

「我々は神に質問しないし、神も答えない。我々は神のお言葉を聞くのみ。そういうものでしょ? 信仰って」


 スッと息を吸ったフヅキが、口を大きく開けた途端、そこから強烈かつ不快な音が炸裂した。


『キィァァァァァァァッ! シィァァァァァッ!』


 金属質の、甲高い凶鳥のような金切り声ソニック・スクリーム


「ぐ⋯⋯」

「がっ!」

「あぎゃ⁉︎」


 エレベーター内の鏡にビシリと無数のヒビ、手摺が音高く割れた。

 俺たちは思わず体を折って耳を押さえた。頭痛と吐き気。鼓膜から脳を揺さぶる音響の波が三半規管を殴打し、意識を刈り取りにかかる。

 十秒──経過したかどうか。


 息継ぎするフヅキの喉を突いて、拳を顎に打ち下ろす。フヅキが倒れて咳き込んだ。

 追い打ちをかけようとした俺の首に、ねずみが後ろからショルダーバッグの紐を巻き付けて引っ張った。


「──っ」


 新九郎がねずみに襲い掛かる。

 弛んだ紐から抜け出すが、今度は俺が咳き込んだ。


 そのかんにフヅキがナイフに飛びつく。


 俺は咄嗟にフヅキの膝裏を蹴る。膝をついたフヅキのナイフを持った方の手首を掴み、手刀でナイフを叩き落とす。


 ナイフが壁にぶつかって跳ね返り、新九郎とネズミの間で滑ってとまる。

 新九郎とねずみが互いとナイフに視線をやって、同時に動く。が、新九郎の腰にフヅキがタックルで邪魔をする、そのまま壁に叩きつける。


 ねずみがナイフを持つ、俺がナイフを蹴った。

 それをきっかけに組み合わせが変わる。

 宙を飛んだナイフが扉の前に落ちた。


 エレベーターが9階の表示。

 軽やかな到着音と共に扉が開いた。

 中国人ホステスと客のおっさんがエレベーターを待っていた。俺たちの狂騒を見て呆然としたまま扉が閉まる。


 それぞれがナイフを取らせないように動きつつ、殴り合う。


 またエレベーターが止まる。

 扉が開く。

 ヘッドフォンを両手で押さえてノリノリの若者。頭を振って目をつむり、ステップを踏む。

 なにを聴いてるんだろう。

 ラブ・イン・アン・エレベーターかな、なんてチラ見した間に、ナイフがねずみの足に当たりエレベーターの外へと蹴り出された。


 ナイフが若者の足元まで滑って止まる。

 ちょうど若者が目を開いたタイミング。

 若者びっくりして飛び退った。


 ねずみがナイフを追って外へ。

 閉まり始めた扉にぶつかりながら、俺はねずみに文字通り飛びかかり、倒れ込んで押さえ込む。


 若者、脱兎のダッシュで走り去る。


 また閉まり始めた扉に新九郎とフヅキも互いをぶつけ合いながら、エレベーターフロアに飛び出してきた。


 俺は腕ひしぎから袈裟固めに変えてねずみをさばく。


 エレベーターの扉がようやく閉まった。

 殴り合いながら廊下の先まで進んでいた新九郎とフヅキは、フヅキが大きく息を吸い、再び魔力の乗った金切り声を発しようとしたが、新九郎が絶妙な間合いからのジャンピングニーを顔面にぶち当てて廊下の角に消えてった。


 必死でもがくねずみを、必死で押さえ込みつつ見ていると、意識を飛ばしたフヅキを引きずって新九郎が戻ってきた。


「すぐに三人上がってくる、それまで頑張れ」

「おーす」

「なんなんだよ! お前らなんなんだよっ」









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