25 ディープ・レッド
空を見上げると、夕闇がもうすぐそこまで近づいてきていた。
渋谷の街はいつも通りの人混みだった。
ハチ公口を出てスクランブル交差点を左方に渡る。
昼間降った雨の名残りに、あちらこちらの電飾が光を投げかける。
沈黙とは無縁の街の雑踏。無数の靴音、声、クラクション、大型ビジョンの音と光が混ざり融け合う。
そのまま道玄坂を進む。
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大通りから逸れ、円山町のホテル街へと続く短い坂道を登っていく。
やがて道は薄暗い路地に達した。
道の両脇にはラブホテルの看板が控えめに連なっている。しかし
午後七時、まだ
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何度か角を曲がり、通りを突っ切り、表通りから奥まった位置にそのクラブはあった。
踊る方のクラブだ。キャパは350名ほどだと聞いた。
いくらかの階段を上ると、入り口の分厚くて重い革張りの扉。上には『deep red』のネオンが微かな電磁音を放っている。
重いドアを開けて、中に入った。
天井には、剥き出しの鉄の
フロアには高価なラグ・カーペットが島のように点々と敷かれ、それに合わせて豪華なソファ・セットや脚の長い丸テーブルやスツールも十分な間隔を空けて配されている。
間接照明やテーブルに置かれたアルコール・ランプがその光で空間を演出し、壁にはどっしりとした額縁に入った絵が掛けられていた。向こうにはグランドピアノまである。
ラウンジスペースだった。
ロフト形式のメインフロアはこの奥にある。
なんというか、秘密基地感があるなと思った。それもきっと悪党が集まる秘密基地だ。戦隊モノの怪人たちの根城だ。
言うなれば、悪の居城。
まだ営業時間には大分早いからか、控えめに抑えられた音量でかかっている[イギー・ポップ]の『ナイトクラビング』は、聴く者にいかがわしい繁華街の匂いや空気を想わせる。この箱に最高に似合っていた。
準備に追われるスタッフが忙しなく行き来している。
反対側にあるバーカウンターの止まり木に座っていた男が、スツールごと体を回転させ振り向いた。
同時に、男の左右に立っていた男女二人もこちらに体を向ける。
まるで悪の総帥とその幹部。玉座じゃなかったことが惜しい。
スツールに座った真ん中の男に向かって歩く。
「よ」と俺。
「ああ」と新九郎が応えた。
「久しぶり」
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ゆったりしたソファ席へと場所を変えた。
都内最大規模のストリート・ギャング・チーム〈-R-〉。前身は辰川町で旗揚げされた『ド
ロングウェーブパーマにシャープな肉体。無口で頼れて、ちょっと大人で、一歩引いてる奴。
チームは言わば裏の顔。周知の事実ではあるけれど。表の顔はナイトクラブやゲーセン、雀荘、喫茶店などの経営をしている、今やリッパな青年実業家。
「んー⋯⋯なんか⋯⋯」
「なんだ?」
俺の呟きに、新九郎が怪訝そうに眉根を寄せた。
「なんかさっきからすんごい睨まれてんですけどっ」
新九郎が座る一人掛けのソファの後ろに控えた男女二人の片方、女の方がこちらをずーっと睨みつけている。不良用語で言うところの『ガンつけられた』、いや現在進行形でつけられてる。
「気にするな」
「あ、そう。いいんだけどね」
それで気にしないことにしたが、「がるるるるる⋯⋯」と女の方から威嚇の唸り声が聞こえてきた。
俺は女を指差して無言で新九郎に抗議する。
新九郎は一瞬、苦笑らしきものを浮かべて「気にするな」と再び言った。
「それより何か食べるか? 軽い物ならココでも出せる」
バーカウンターの裏に調理場があるようだ。このクラブでは軽食も出しているらしい。
「じゃあ頼む」
新九郎が頷くと、後ろの女がバーカウンターの方へ歩き出した。
「あれ? 待って待って。その人が用意するの?」
無表情に振り返った女は、俺を見てニヤと笑った。
「いやいやいやいや」
「単なる悪ふざけだ」
新九郎は振り返って確認することすらせずに言った。
「そういうダサいことはしない。それに、伝えに行くだけだ」
「あ、そう」
脱力した。
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「300人超えたんだって?」
クレープを頬張る。〈トマトツナレタス〉とメニューに載っていた。自家製マヨたっぷり、うまい。
間仕切りや目隠しとして機能するように、天井から垂らされた幕や薄い布の合間から、忙しく働くスタッフの姿が目に入る。彼らも全員〈-R-〉のメンバーだ。
「それだけ今は何もない奴らが多いってことだ。自分を見つけられないでいる奴らが」
新九郎もスタッフの姿に目を留めて言う。
「こいつらのほとんどは別に不幸な生い立ちなわけでも、そういう出来事に見舞われたわけでもない。普通に育って、普通に生きてきた。それでも、はみ出しちまう」
俺たちにも覚えのあることだ。
自分たちでもなぜかはわからない。だから誰かに相談しようにも相談できない。どうすればいいのかわからない。もどかしい。苛立ちが募る。人生に行き詰まる。結果、破壊に走り、薬に逃げて、たとえば盗品故買の犯罪会社で捨て駒にされるとか、このご時世にヤクザかチャイニーズマフィアのいいとこ〝準構〟。果ては自殺か。
実際に今、世の中で問題になっていることの一端だった。
「こいつらは確固としたアイデンティティを持てないことに悩んでる。もっと簡単に、生きる目的、生存理由、夢や野望と言い換えたっていい。だが、チーム人数はこれ以上増えない。ここらで頭打ちだ。いや、俺がそうする」
俺は目線で続きを促した。
「今はチーム内で役割を担わせて、仮の目的を俺たちが与えている形だ」
ここのスタッフとして働くこともその一環。
「その中で何かを見つけた奴らはそれに向かってチームを離れ、歩き出していく。それでいい」
不良たちは束縛を嫌い、自由に生きたいと叫ぶ。本当は誰だって思い通りに生きたい。しかし時に彼らはその衝動に振り回され、折り合いをつけて居場所へと変えることができないはみ出し者。
元適度な不良高校生の俺にもわかる。だってその叫びは、「やりたいことをやってもいいんだ、新しい自由な生き方を自分たちの手でつくるんだ」というパンクを始めた若者たちの主張に通じると思うから。
パンクは不満や怒りから生まれたけれど、必ずしも暴力的なものではなかった。「かまうもんかよ、俺はすげぇんだ」と、自分の信じる道を突き進んでいくジョー・ストラマーの姿勢こそがまさにパンクで、俺はジョー・ストラマーが好きだった。
俺たちは束縛されずに生きることを望みながら、同時に指導者と人生の指標を欲している。
「俺たちはストリート・ギャングだからな。破壊することで、やっと自分が生きていることを実感できるようなどうしようもねぇ馬鹿にも、その衝動を発散させる場を用意してやれる。そんな馬鹿でも何かを見つけて、いずれチームを去っていく」
「そ、か」
「それでも〝何も見つからねえ〟って仕方のねぇ奴は、俺のそばにいればいい」
視線を上向けば、後ろに立つ幹部二人ともが誇らしげに頷いた。
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「で、そんな〈-R-〉に力を貸してもらいたいな、と」
「お前が?」
「まあ」
「珍しいな」
新九郎が微かに笑う。
「そうなんだけどね」
「それで?」
「ゴブリン──じゃない、リトル・グリーン・マンを捕まえる」
「⋯⋯」
目線も動きも変わらないが、新九郎は少し思案しているようだった。
後ろに控えた幹部二人、特に女の方──黒木エルというらしい──は「本気か?」という感情を隠すこともなかった。
新九郎が口を開く。
「たしか、そのリトル・グリーン・マンの仕業だっていう殺人があったな」
「辰川町の事件ですね」
男幹部が手のひらを新九郎の前に持っていく。
「もしかしてお前、まだ国光とつるんでるのか?」
もしかしなくても正解にたどり着いたらしい新九郎が核心をついた。
「最近、久しぶりに会ったよ」
「それでか」
「先輩にイジメられるし女にモテたいんだと」
「相変わらずだな」
俺はまったくだ、と頷いた。
「俺一人なら手伝ってもいいんだが⋯⋯」
「ヘッド。あなたにそんな暇はありません」
「この後もボムズと族の調停の依頼があります。それとヘッドに判断を仰がなければならない陳情がいくつか、それに──」
「──分かった分かった。てことで俺も忙しい。つっても俺一人を誘いに来たわけでもないだろうが」
俺は頷いた。
「リトル・グリーン・マンは東京だけでもいろいろなところで目撃されてる。辰川町での目撃例からも複数いると考えるのが自然だ。国光の狙いも辰川町の殺人犯(仮)だろう。けど、この際リトル・グリーン・マンならなんでもいい。というか区別がつくかもわからんし。ホントに捕まえたら殺人事件がどうのって騒ぎじゃなくなるだろうし。まずは捕まえたのが国光であることが重要なわけだから。それならやっぱ人海戦術が基本かなと。そんで辰川町に馴染みのあるメンバーを借りたい。〈ド
「まあ分かるが、俺だけならともかく、チームを駆り出すならタダってわけにはいかねぇぞ」
「わかってる。期間は一週間。捕まえられずとも、有力な手がかりが見つかればその都度延長。報酬300万と賞金100万を出す。⋯⋯⋯⋯で、その金を新九郎に出してもらおうかなと──」
『──あ゛?』
平静な新九郎をよそに、幹部二人が俺にガンをつけた。
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