22 そうだ、不法占拠しよう




 おかしい。


 荒廃世界に来ると端末ウェルのバッテリーが減らない。

 メガネ型もヘッドホン型も。


 こちらの世界の端末を入手できる目処は立っていない。

 ショップは見つけたが、店自体が徹底的に破壊されていたり、大量に持ち去られたのか、端末そのものが見当たらなかったり。狙い打ちしている印象さえ受ける。

 かろうじて動いたショップ備え付けのAR機器で映し出された宣伝広告には、現実世界ゲンセではまだ実用化されていない角膜接触型デバイスがあった。


眼窓オクルス〉というらしい。


 洒落たCMの中で文字が描き出される。


 曰く、「窓‘sウィンドウズ。別世界への扉。」だそう。


 一方で、〈水薬ポーション〉やいくらかの〈魔導具アーティファクト〉について、こっちは無事入手の目処がついた。

 ポーションを作るための錬金術の器具や、アーティファクト製作に欠かせない道具ツール一式。関連書物。


 ベルントたち冒険者アドヴェンチュラーのパーティ四人は、一度地上に戻ることを決めたようだ。確かめたいことがあるんだとか。

 何かわかったらぜひ俺にも聞かせて欲しい。あのコボルトたちに関連することだろう。


 特務部隊とは違うみたいだが、奴らもまた帝国軍であるようだし。さて、ラン・クザルには関わってくるのだろうか。


    ▼


 ビュゥゥゥ──と、夏も間近のこの時期にしては考えられないような、冷たく強い風が吹いている。


 半分崩れた雑居ビルの、斜めに傾いだ屋上から、周辺の景色を見渡した。


 周辺の建物はほぼほぼ倒壊している。よくて半壊、といったところ。


 さらに俺が今、視線を向けた先には倒壊どころか何もない。消滅している。直径およそ300mに渡って大地すらない。底も見えない巨大で虚ろの穴が、闇を湛えている。


 俺は今、荒廃世界の代々木に来ていた。


 スカイツリーの様子を見に行く途中、空バスから見下ろした封鎖された代々木は、未来ではどうなっているのか確かめるためだった。


 穴の底から冷たい風が吹き上がってくる。風の音に混じって何かの叫びが響く。風の音の聞き間違いではないだろう。断続的に穴の底から這い出してくるものがあった。羽毛の翼を持つデカい蛇だとか、翼開長二十メートルはありそうな猛禽だとか、虫群れ《スウォーム》が、押し寄せる津波のようにいずこかへ移動していく様を目の当たりにした。


 ここからモンスターが溢れて東京を壊滅させたのか?


 現実世界ゲンセでもこうなるのだろうか?


 防ぐ術は?


「⋯⋯」


 俺は踵を返して、転移した。


    ▼

 

 危険な環境にあり、相応に危険な戦闘もあり得る場所で、あまり薄着ではいられない。さすがに俺は鎧なんて着ちゃいないが、しかしそれでも夏本番には地獄と化すだろうことが予想される。


 着替えを持ち歩くのも、あまり余計な荷物が多いのも困りもの。〈収納の指輪ストレージ・リング〉があったとて、だ。

 とりあえず、荒廃世界にも電気がきている。今のところ。


 だから屋上にソーラー発電なり風力発電機器なりが設置された高級集合住宅にでも、今のうちに拠点を作ろうと思う。部屋数はそう多くなくてもいい。セキュリティのしっかりしているところがいいってことで、ラン・クザルを誘う。


    ◆


「この世界が魔物だの魔力だのに溢れた原因はわかりそう?」


 射貫くような瞳が一瞬こちらを向いた。


「……我々の世界は、負けたのだと思う」


 なにかの咆哮がどこか遠く響いていた。


「負けた?」

「そう。我々はある災厄と戦っていた。大いなる歪み、最も古く巨大な捕食者」


 それは〈混沌の彼方ケイオスビヨンド〉と呼ばれる霊気の海──多元宇宙の世界と世界の狭間を満たす、瓶の中の水──そこで生じた原初の巨神。


「我々の世界は破壊され、千々に砕けて、飛び散り、その欠片がこの世界に融合しようとしている。もしかしたら砕け散った過程で、他の世界をも巻き込んでいる可能性もある。ここと向こうを接続した迷宮もその一つではないかと思う」

「そうなの?」

「詳しくはわからない。ただ、オレの他にもいるはずだ。ここか、向こうの世界に落ちてきた者が。もっと詳しい事を知っている者が」

「そうなの?」

「必ず」


 どうやら心当たりがあるらしい。


「ラン・クザルはこれからそいつを探すんだ?」

「⋯⋯ああ」

「じゃあ、その前に拠点を作らない? この世界で一時いっとき、くつろげる空間をさ」


    ◆


 文京区の高級住宅街の一角に、物件を見繕った。

 共同のエントランス、一階、二階の四部屋と、二軒のファミリー向け住宅が中庭を囲んだ造りになっている。


 セキュリティがしっかりしていると、そもそも利用できない可能性があったが、そこは魔法で空き巣に入ってなんとかした。そして通常のセキュリティだけでなく、魔法による防犯システムを組み上げる。

 いろいろ意見を言いつつも、その辺はラン・クザルに主に尽力してもらった。


 ファミリー向けの住宅一軒を丸ごと冷蔵庫・冷凍庫に造り変える予定でいる。

 荒廃具合が比較的マシな地域、脅威の少ない地域を回って、物資をかき集める。〈倉庫の指輪リポジトリング〉があるから、効率よく集められるはずだ。


 拠点になりそうな場所を見繕っている間にもちょこちょこと回収はしていた。【巻き戻しリワインド】での食材の復活も試みた。対象に向け手を伸ばし、呪文を展開、ダイヤルを回すように反時計回りに「カチカチ」と動かしていく。


 時間が巻き戻る。


 しかし俺の魔力では半年以上もの時間を巻き戻すというのはやはり難しかった。干からびた食材は、腐りきった食材になった。


 瞑想を続け、研鑽を続けよう。


 そして居心地の良い拠点を作る。良い家具なんかも運び込む。


「たとえ猛暑でもこれで怖いものはないね」


 なんて言ったら、ラン・クザルが淡々と衝撃の事実を口にした。

寒暑に耐えるエンデュア・エレメンツ】という魔法があるらしい。

 拠点の構築と同時に魔法の習得に励む。


    ▼


「ラン・クザルはガイスラー独立国をご存知?」


 拠点の中庭は植えられた木々の周りがレンガ等で囲われ座れるようになっていたり、緑を見ながら周れるちょっとした遊歩道になっていたり、住宅の住人たちでバーベキューなどができるようになっている。

 そんな中庭の石のベンチで茶を飲みながら話を振った。


「よくは知らん。たしか数年前に戦争によって帝国の植民地支配から脱した新興国だ」


 聞けばどうやら相当ヒドイ戦争だったようだ。独立を勝ち取ったものの、ガイスラー独立国は現在も半鎖国状態にあるのだという。


不屈鉱アダマンタイトの産出国で、これまで帝国にいいように搾取されてきたようだ。独立戦争時には、東北部が不死者の群れに沈み、今なお呪いの煙が充満していて誰も近づけない。その東北部には帝国の秘密研究基地があり、人間・亜人を材料に使った人体実験が行われていた」


「詳しいね」


「ガイスラー独立国のことを知っているのではない。帝国のことを少しばかり知っているというだけのことだ。不死者の群れも帝国が最後に証拠隠滅を図った結果だろう。それらを主導していたのが防疫浄化部エプド。本来は防疫活動や医務、浄水などのライフラインの確保を任務としていたが、一部が直属の秘密部隊として生術兵器や錬金術兵器の研究開発機関の役割を担っていた。それが『防疫浄化部227部隊/エプド・ユニット227』通称、サンジェルマン部隊(SGS)」


 部隊には軍人だけでなく、諸州の主要な帝国大学から、優秀な医術士や生術師、錬金術師といった面々が将校クラス待遇で部隊に派遣され、人体実験を繰り返していた。

 部隊設立の過程で人員の派遣などに大きく貢献した大学教授らは、部隊から多額の金を受け取っていたのだという。


 彼らはあくまで防護としての防疫研究であるとして実験を進めた。

 部隊人数は最大三千人。


 戦時、実験材料とされ亡くなった人は五千人とも一万人とも言われている。

 帝国は反発するガイスラーの民をスパイや思想犯として捕らえていた。逆スパイにするなどの利用価値がないと軍が判断すれば、裁判を待たずに部隊に送られたと資料には記されていたらしい。その中には、女性や子供も含まれていたようだ。


 また、部隊には少年隊員と呼ばれる十四歳からの年若い兵もいて、生術兵器・錬金術兵器に関する教育を受けながら雑用に従事していたという。

 少なくとも十の大学や研究機関から、合わせて四十人のエリートが部隊に集められた。

 部隊には、ある年の一年間だけで300億の国家予算が与えられていた。


「その巨額の予算を動かしていたのが部隊長サンジェルマンこと、ジャーメインだ」


 ジャーメインは各帝国大学教授や幹部と関係を深め、教授たちも部隊の関連施設を度々訪れていたことが記されている。


 そして戦争末期、趨勢がガイスラー有利に決定的に傾くと、部隊はただちに撤退を始めた。証拠隠滅のため全囚人を殺害したとされ、実験施設も徹底的に破壊し、箝口令を敷いた。


 人体実験を主導した学者たちは、特別列車でいち早く本国へ帰国した。戦後、彼らはその行為について罪に問われることはなかった。人体実験のデータ提供と引き替えに、隊員の責任は免除されたのだ。それはガイスラー上層部も承知したことだった。


 部隊との関わりを一切語らないまま、医術士会の重鎮となった者。

 国の上層部に今なお居座っている者。

 大学の教授に就任し変異術の権威になった者は「自分は非人道的な実験は行っていない」と否定し続ける。


「私は軍隊内において、兵隊をいかに守るか部隊長の命令に従って研究したのであって、決して良心を失ったわけでも、悪魔になったわけでもない」


「⋯⋯⋯⋯」


 そんな腐った話。


    ◆


 大学での空いた時間に、今日は珍しく音楽を聴くでもなくヘッドホンをして、テキトーなラジオを垂れ流しつつ、今後どうするかを漠然と考えていた。


 水薬ポーション魔導具アーティファクトに関しては今は待つしかない。

 必然的に黒霧世界(コクムー)の怪物群への対処も後回しだ。

 ラン・クザルの活動の手伝いもしたいところ。

 コボルトたちはどうしてるだろうか。

 拠点造りも出来るだけ早く完成させたい。

 国光の催促もうるさいし。

 黄色い猿へのリベンジも考えなくては。

 そうだ、荒廃世界(コウセ)の端末〈眼窓オクルス〉の入手はどうするか。

 瞑想の時間も欲しい。

 魔法の習得にも時間がかかる。

 などなどなどなど。


「うー⋯⋯あ゛ぁー⋯⋯」


 教室の長机に突っ伏すと、今まで意識の外だったラジオが耳に入ってきた。


『さあ、続いては話題のSSPSについてお知らせするぜ。現在、我が国日本は『宇宙に浮かぶ発電所』を建設中! 十年以内には宇宙太陽光発電所(Space Solar Power Systems)が営業を始めるぜ。家計から電気代が消える日も近いっ、フューチャー・イズ・ナァウ!』

「あ」


 これか。


 荒廃世界コウセで端末のバッテリーが減らなかったのは、宇宙太陽光発電所の稼働に伴い、大都市圏のモバイル機器に対する無線給電が実用化したんだ。


 話には聞いていた。

 今は特定のショップや施設のみの極限定された機能だったはず。意識したことなかったから忘れていた。

 へー、なんて考えていると目の前に影が差した。


「きさまがはろか? リトル・グリーン・マンを探しているのだろ?」









GLOSSARY

 -用語集-


●【寒暑に耐える/エンデュア・エレメンツ】   魔法

熱気や冷気の環境から害を受けない。華氏-50度~140度(-46℃~60℃)の状況下で快適に過ごすことができる。装備も同じく守られる。あくまで気候環境の温度差による影響を受けないだけで、火や冷気の魔法攻撃のダメージからの防護を提供するものではない。



●ガイスラー独立国   国家

住民は世界でも類を見ない混血の亜人種がほとんど。

彼らは長きにわたる帝国の支配の中で仕向けられ、推奨され、強制されて、デザインされた存在たち。

そもそも人との間に子を成すことなどできない純粋な魔物との混血も多いことからも窺える。

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