21 世界はおもちゃ箱かもしれない




 その日、俺が恐れていた重大事が現実のものとなった。


 深く懸念していた、【位相転移フェイジング】に伴う不意の遭遇だった。


 ただしそれは、黒霧世界コクムーの怪物群ではない。

 それは荒廃世界コウセにて起こってしまった不慮の事故。


 転移した視線の先には──猿がいた。あの黄色い猿が。


 転移の際の毎回の気持ち悪ささえ忘れ、呆然とする俺の十メートル先、普通に歩いていやがった。

 長い両手をぶらぶら振って、森でもない荒廃した通りを二足で歩く猿。

 これは本当に偶然なのだろうが、猿は横断歩道を渡っていた。


 横合いに出現した俺を見て固まる猿。

 俺もまたそいつを見て固まった。


 ──が、しかし。


 大丈夫、俺は冷静だ。


 その証拠にヤツより先に俺が再起動を果たしている。

 猿を見たまま、俺はおもむろに〈秘訣集アルカナム〉を開いた。

 手帳に手を滑らせ式を展開、魔法を唱える。

 たとえば、魔法使いが殴り合いの渦中に飛び込むことを可能にする魔法を準備する。


    ◆


被覆シュラウド


 脆弱な物理防御に強力な耐性を付与する。ある程度までのダメージを肩代わりしてくれる。魔法により編まれた不可視の鎧。【魔道士のための鎧アーマー・フォー・メイジ】などとも通称される魔法のひとつ。


    ◆


 繊細な魔法の覆いが鋼鉄より頑丈なこともある。


 ゲーム的な思考で話すなら、自身にHPヒットポイントを設定するようなものだ。HPがある内は死なない。しかしHPの減少値は相対的なもので、自分と相手の実力により変わってくる。一撃で全て吹き飛ぶなんてこともないとは言い切れない。

 俺は猿にファイティングポーズを見せつけながら考える。


 ──よし、そう、わかってる。俺は冷静だ。


 猿の力がどれほどかは知らないが問題なんてない。


「こいよ、野猿モンキー


 ──ぶっ飛ばしてやる。


 それは怒りか屈辱か、いつの間にか互いに互いを見据える俺と猿。

 すぐに忌々しげに顔を歪めた猿が獣声と共に一足飛びに襲いかかって来た。

 上空から迫り来る猿の拳と、地上から迎え撃つ俺の拳が交錯した────。


    ◆


「がっはっはっは!」


 スカイツリー・野営地キャンプに男の野太い笑いが響き渡る。ベルント・アイヒンガーだ。ベルントは俺の微妙に腫れた顔を見て笑っていた。


 目元は腫れ、口の端には青タンがべったり。これでもかなりマシになった方だ。治癒の指輪を使用して、〈秘訣集アルカナム〉から検索した治癒魔法も試し、それでもまだこの状態だった。

 治癒魔法の使用を、自身の部屋に戻ってから掛けたのは正解だったと改めて思う。

 なんとも言えないダルさがあって、息のしにくい感覚を覚えた。部屋で治癒魔法を使った途端、そのまま意識を失った。


 魔力限界というものを初めて味わった。

 一日経っても未だに疲労感は抜けない。また意識が飛んでも面白くないので、瞑想は継続しより早い回復に努め、【位相転移フェイジング】以外の魔法の使用は控えている。


 もしまた不意に何かと出くわしたなら、今度は一も二もなく逃げ出す心算つもりだ。むしろなぜ俺は猿とガチンコでり合おうと思ったんだろうか。

 俺は冷静だったはずだ。


「冷静じゃなかったんだろ」


 何言ってんだ? みたいな顔でベルントに言われた。そんなバカな。

 深く嘆息して、収納の指輪からクーラーボックスを取り出した。


「お、いいの持ってんなあ」


 俺の指にはまった指輪を覗き込んで、彼らパーティの後衛魔術師ウィザード・ヨスト・ヴァカーノが被ったフードの奥から言った。


「拾った」

「拾ったって⋯⋯ちょっとよく見せてくれ」


 ぐいっと手を握られ引っ張られた。

 ベルントを始め他のメンバーはクーラーボックスをチラチラと伺ったり、ウロウロしている。


「ほーこりゃ〈倉庫の指輪リポジトリング〉だな。空きは五つだろ? 個別に五つか、木箱に五つか、馬車の五台分かはわからんが」

「へぇ、〈倉庫の指輪〉っていうんだ」

「〈収納の指輪ストレージ・リング〉の一種さあ」


 収納アイテムは物によって様々な収納の仕方が設定され製作されている。一口に〈収納の指輪〉といっても、それぞれに差異を出すことで独占を防ぐ企業努力だそう。


「おい! そんなことよりこいつぁなんだ?」


 ベルントがなんか言っているが、構わずヨストとの会話を続ける。


「〈収納の指輪ストレージ・リング〉っていうのは一般的な装備なの?」

「まさか。いや、ま、容量にもよるが、我々はパーティで二つ共有してるなあ」

「へぇ、どんなの?」


 俺はクーラーボックスをじっと見つめるナディヤを見つつ訊く。ナディヤは自身の虎の耳と尻尾をピンと立ててそわそわしている。


「〈金庫の指輪SB・リング〉と〈冷蔵棚の指輪ストッカー・リング〉だなあ。金庫の方は重量二百キロまでで防犯機能が──」

「──おいっ! もういいだろ⁉︎」


 ベルントがついに叫んだ。いや割と最初から叫んでいた。

 興味ないフリをしていた彼らパーティの最後の一人、クラウス・ジョン・ハイドもいつの間にか近くにいた。なんの見栄で、なんの葛藤を抱えているのか知らないが、明後日の方向を向いてまだ興味ないフリを続けている。しかし彼の少し尖った耳がしきりにピクピク揺れている。同い年らしい。


 クーラーボックスを開け、瓶に入ったプリンをスプーンと一緒に順に渡す。

 四人は早速スプーンで掬って一口、ふるぷるプリンを口に入れた。


『──っ!』


 四人が驚愕のイカヅチに打たれた。


「ふわ〜っ、なんだこれ! なんだこるえー⁉︎」


 ナディヤが全身で喜びを露わにプリンを味わう。太い尻尾がぶおんぶおん振り回される。

 ヨストですら驚愕に目を瞠った。


「おかわりもあるけど?」


 そう言うといち早くベルントが笑顔で目の前に並んだが、次の瞬間には笑顔のまま横に吹っ飛んでいった。

 代わりにナディヤが満面の笑みで両手を差し出し、プリンの受け取りを待っている。

 そんな光景が三回続いた。


    ▼


「ああ、こいつはいいね。魔力を生み出してる。〈発雷晶エクトラズム〉だな」


 グウィディオン門下の魔術師だというヨストに、この荒廃世界コウセでちょくちょく集めてきた物を鑑定してもらっている。


 魔法研究の道を志した者というのは、時に政治や司法にまで進出しその辣腕を振るう。

 たとえば宮廷魔導師のような。


 高レベルの戦闘では術者の存在は戦闘の勝率を直接的に左右する。しかし本来、学究の徒である彼らは魔法や呪文のみならず、多くの知識の収集をライフワークとしていることも多い。

 殊に「博識」を掲げるグウィディオン一門は多くの分野にその手を伸ばし、原理と応用、技術の習得に励んでいる。


 ヨストは商人としての顔も持っているらしい。彼の役割はむしろ冒険の事前準備と事後の成果物の売買で貢献することにあると自ら語っていた。


「こっちの指輪は魔法的価値はないな。⋯⋯お? っとこいつは〈灰銀ミスリル〉か」

「え?」


 今ヨストに渡していたのは純度99.9%のプラチナのジュエリーリング十数点だった。


「灰銀の指輪だが真っさらだ。質は良い。かなり良い。しかし何の魔法効果も付与されていない。製作途中? しかし店に置いてあったのだろ? ミスリルの加工なぞ簡単にはできんのに。不思議だ」


 それは、わかる。指輪を作るのにこの世界では誰も魔法なんて念頭に置かない。ファンタジーじゃないんだから。

 白金プラチナ灰銀ミスリルに変わってた。


 新たに覚醒したもの──ルガルタは人だけじゃない。


 その世界のあらゆるものが魔力に影響を受け、本質を変化させる可能性を秘めている。


 宝石が魔力を貯め込むようになる。

 何の変哲もない雑草が魔力の花となる。

 大気や大地から精霊が生まれ出でる。

 今は価値がなくとも今後なにがどのように変質し、どのような効果を持つに至るかわからない。


 これはもうなんというか⋯⋯⋯⋯ガチャか、って感じだ。

 この世界のあらゆるものがカプセルトイと化した。突然とんでもない魔法の品が排出されるかもしれない。


 それに。

 魔法の品でなくとも、荒廃世界のレトルト食品よろしく幻想世界では十分に価値のある物もある。

 水薬ポーション魔導具アーティファクトの調達に希望が出てきた。薬や道具そのものだけでなく、生産するための器具や指南書なんかも入手したいところだ。


「報酬によっちゃあ調達してきてやるぜ! なあ?」

「じゃあ、うまいもん用意するよ」


 さっそく切り札を切る時が来たか。


「いやまあ、それもいいんだがよ?」


 少し困ったように笑いベルントが頭を掻いたとき、周囲の冒険者たちからどよめきが上がった。


 ⋯⋯急に──ヒリつくような緊張感が漂い出す。


 スカイツリー迷宮から降りて来た集団がざわめきを掻き分けて現れた。

 その集団だけで数は二十を超えている。


「あれはー⋯⋯コボルト?」


 思わず呟いてしまったが、それに否定の言葉は上がらなかった。

 コボルトはまんま服を着た二足歩行の犬だった。背は60cmほどのから、2m近い大型犬タイプまでいる。

 しかし、このざわつきの原因は彼らコボルトというわけではなさそうだ。


 コボルトの集団の中に数人、軍服を思わせるかっちりとした仕立ての良い衣服を着た人間たち。


「⋯⋯⋯⋯帝国軍」


 そんな声が冒険者たちのどこかで上がった。


「おい⋯⋯おいっ」


 ナディヤがその虎の耳と尻尾の毛を逆立て、ベルントの胴鎧の縁を掴んで揺らす。必死に怒りを押さえ込んでいる様子だった。


「あいつらまさか、まさか──!」

「落ち着け、そうと決まったわけではない」


 ベルントの言葉にクラウス・ジョン・ハイドが反論した。


「いやあれはどう見ても、防疫浄化部エプドそのものじゃないかッ!」

「だが防疫浄化部エプド部隊ユニットは敗戦を受けすべて解体されたはず⋯⋯⋯⋯」


 その男らは、自身らとは違いボロボロの衣服と革鎧のコボルトたちを追い立てるように歩いていく。時にコボルトを蹴飛ばし、大声で命令を飛ばす。


 一番後ろからは、ポケットが異様に多いロングコートを着た銀髪、中分けで、眼鏡の若い男が、周囲の冒険者を見回して、酷薄な笑みを浮かべていた。


 銀髪眼鏡はおもむろに小柄なコボルトの襟首を掴み上げると後ろに引きずり倒した。そして、いつの間にか手にしていた薬瓶のようなものの中身の液体をコボルトにぶちまけた。


 コボルトの声にならない悲鳴と、ジュゥゥゥと焼ける異音に刺激臭が重なって辺りに拡散した。


 銀髪眼鏡がいきなりコボルトに酸を浴びせたのだった。見せつけるように。

 突然の凶行に他のコボルトたちは呆然とし、歯を食いしばり、しかし喚いたり反抗したりしなかった。暴れるコボルトを押さえ、抱えてこの場を離れていく。ただ堪えきれない涙を零しながら。


「クソ野郎が」


 ナディヤの尻尾が地面を叩いた。


「⋯⋯⋯⋯あー。こいつはアツくなってきたね⋯⋯」


 すでに夏の日差しを感じさせる太陽の眩しさを手で遮って、去り行くヤツらの背を見据えた。









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