10 マジカル・ミステリー・ツアー




 大学へ通う道を辿る。

 が、今日も大学へは行かない。


 死の危険があることに少しの緊張がある。


 昨日、車に轢かれそうになった場所を目指して、[ビートルズ]を聴きながらモノレールの駅を降りた。


 メガネ型の『ウェル』を外して胸のポケットに入れる。今日はできるだけ身軽な方をと、こっちをチョイスした。ヘッドホン型はアパートの部屋で【解Dr.9】をまた起動させている。


 駅を降りてからそう時間もかかることなく、昨日の場所に辿り着く。


 さあ、『マジカル・ミステリー・ツアー』に出かけよう。


 人通りを気にすることなく一つ伸びをして、人の流れに従いつつ軽い足取りで周囲の路地を確認していく。


 細くて暗い、無数にある路地のひとつに目を留めた。

 そこに足を踏み入れる。


 頭をぐりぐりと回し、手足をブラブラ、その場で軽くジャンプ、背のリュックががしゃがしゃ揺れる。肩、腰、アキレス腱のストレッチ。

 リュックからシースナイフを取り出してベルトに固定。


「……ふ――……」


 深呼吸。


 目を瞑る――集中――さらに集中。


 集中を高めて高めて十数秒――…………──きた。


 目を開く。


 平衡感覚が徐々に失われていく。


 めまい。ふらつき。


 両瞼が痙攣し、不自然な眼球運動。


 激しい酩酊感。


 周囲の風景や光、色が溶け合い、ぐるぐると混ざり合う。


 頭の中でさまざまな感情が暴れる。


 四肢がまるで自分の物では無いかのように、ただそこに存在している。


 視界が狭まり、歪みもますますひどくなる。


 身体から滲み出すように自己が流れていく。


 霧散していく己を必死に繋ぎ留める。


 ひどく気分が悪い。


 自分が立っている場所すら曖昧になっていく。


 世界と世界の間でゆらゆらとさまよう。


 一秒が永遠にも思える中――。


 ――世界が――切り替わる。


    ▼


「おろろろろろろろろろ」


 吐いた。

 コンクリートの瓦礫にぶちまけた。


「おぅえ…………ぅえっ」


 リュックから水を取り出し、口をゆすぐ。

 不自然なほどすぐに、その耐え難い気持ちの悪さは消え去った。


 廃墟と化した街の、青い空を見上げた。


    ▼


 確かめなければならないことがたくさんある。

 一つ一つ試していく。

 まずこの移動現象から。

 なぜこんなことが起こるのかを今考えてもしょうがない。どの程度できるのかが重要だ。

 何度か試す。何度も試す。


 もともとの世界を〝現実世界〟。


 この廃墟と化した街の方を〝荒廃世界〟。


 黒い霧の世界を〝黒霧世界〟と仮称する。


 くろぎり……こくむせかい……なんか呼びにくい気がした。ルビを振るとしたら〝コクムー〟でいいだろう。コクムーと呼ぶ。


 ついでに現実世界をゲンセ、荒廃世界をコウセと呼ぶ。


 現実世界ゲンセから荒廃世界コウセへ。荒廃世界から黒霧世界コクムーへ。なぜか意外に感じたが現実世界から黒霧世界への移動も問題なく行えた。


 ただし、現実世界から黒霧世界を経由して荒廃世界には行けないし、その逆も同様であることがわかった。


 どうやら黒霧世界への転移より、現実世界と荒廃世界の行き来の方が負担が大きい(吐きまくり)ようなので、ならば黒霧世界を間に挟むことで負担を減らせないかと思ったが、どう頑張っても無理だった。

 とても残念だ。


 この移動現象を簡単に〝転移〟と呼称。


 現実世界ゲンセ荒廃世界コウセ黒霧世界コクムー、転移はこの三つの世界で地理的に同一の座標に移動するみたいだ。


 現実世界から荒廃世界に転移し、荒廃世界で十歩移動してから現実世界に戻る。すると元の位置から十歩移動した位置に出現する。


 さらに、現実世界と荒廃世界では同様に時間が流れるが、黒霧世界コクムーでは事情が異なる。

 現実世界、あるいは荒廃世界から黒霧世界に転移して戻ってきても、時間が経っていないようだ。

 黒霧世界でどれだけの時間を過ごしていても変わらない。


 時間の概念がないのかもしれない。


 なのに動くに支障はない。


 そこを利用すれば疑似的な瞬間移動も可能ということなのだが、実際には黒霧世界コクムーをてくてく歩くなり、たったか走ることになる。


 長距離を移動する際、現実世界と荒廃世界の風景は──その状態はともかく──共通するものも多いからある程度可能だが、黒霧世界の景色はまったく違う。そのため長距離瞬間移動は難しそう。迂闊に高い建物内で黒霧世界に転移すれば、そのまま落下して大地の染みに、なんてこともあり得る。


 それから、黒霧世界コクムーに時間の概念がないのはいいが、そこにいる俺はどうなのか。

 たぶんだが、俺自身のというか、肉体のというか、時間の経過は止まらないような気がしている。あまり黒霧世界に留まっていると、周りより早く年を取っていくことになりそうだ。


 とはいえ、黒霧世界コクムーには怪物が闊歩しているから、長く留まりたいなんて思わないけど。


 そして、試すにはかなり勇気が要ったのが、「おおっと! いしのなかにいる」で死亡なんてことにならないための確認作業だ。


 慎重に実験を重ねてみたが、これはそれほど心配いらないことがわかってほっとした。

 壁に重なる場所で移動を試みると強い忌避感を覚え、集中が途切れて転移できなかった。


 それでも無理矢理集中を続け転移を試みると、今いる場所と移動先の景色が〝重なって視えるような感覚〟があり、かなり特異な空間知覚のようなものが作用しているように思う。

 そこからさらに無理矢理に転移を試み、血管切れそうなほど集中すれば、できないことはなさそうだった。

 が、やる意味もない。


 とりあえず転移については今のところこれくらい。


 誰かを連れて転移ができるのか試してみたいところではあるが、安全かもわからないし、迂闊に話すこともできないのでこれは保留。


    ▼


 改めて昨日の場所に立つ。

 今日は打って変わって静かなものだった。火の玉が飛んでくることもない。

 空には雲が多くなってきていた。

 周囲に気を配りながら歩き回る。


 遠くに見えるトライポッドの屍骸。甲殻のみを残し中身はカラになっていた。

 上下に両断された男の死体もない。しかしそれを誰か人が回収していったというわけでもなさそうだった。

 衣服や外套、荷物の一部、武器の残骸などが周りに見て取れる。

 車のボンネットに残っていたはずの多量の血液の染みすらなく、なにかベトベトネバネバする液体が塗りたくられていた。同様の形跡がいくつか。


「⋯⋯」


 エイリアンとか、怪物系ホラー映画に出てくるクリーチャーのヨダレを連想した。


 瓦礫の隙間からベルトの残骸を拾う。一つ一つ個別に収められている小瓶アンプル

 割れてしまっている物もある。

 無事な物のうち、一本を抜き出してかざし見る。青い液体が微かな音を立て揺れた。

 いくつか種類があるようで青のほかに、緑、赤、白。瓶の大きさや形も微妙に違っているが、厚みがあり、中の液体はどれも大した量じゃない。


 周辺をざっと見て回って、小瓶のほかに、折れた剣、ポーチに入っていたので宝石の可能性があるかもしれない赤い石、指輪、そして懐中時計のように見えなくもない物などを見つけた。


 懐中時計のように見えなくもない物は精緻な意匠が凝らされた金属製で、懐中時計より倍ほども厚みがあるが、蓋が開かないので本当に懐中時計なのかわからない。ただ、値は張りそう。


 それを手の中で弄びながら荒廃した世界を何となしに見渡して、とりあえず拾得物の扱いを気にする必要はなさそうだ、と思った。


 折れた剣を遠くトライポッドの残骸に向け投げ捨てて、宝探しを終わりにした。


    ▼


 胸ポケットからメガネを取り出す。

 メガネ型の端末ウェルをかけて起動する。

 繋がるはずはないと思いつつ、念のため。


 ――通信エラー。


 それは、そうだろう。

 しかし、アップロードが必要、スペックが不足している、などとも出た。

 これは、ネットワークは生きているということか。そのうえ――。


 ――俺の持っている端末と互換性がある……?


 そうならこの世界の端末を入手したい。


 さらに重要な情報が――2058年04月18日現在――と記載されてるということだ。

 現実世界の西暦は2045年。つまりこの荒廃世界は未来ということになる。

 果たしてこの2058年の世界は現実世界から地続きの未来なのか。それとも荒廃した未来という並行世界パラレルワールドなのか。


 確かめるすべは……あるのだろうか?


 ネットワークは機能する、情報の取得に希望が持てた。そういえばと道路の向こうを見る。気になっていたのが、ちょくちょく見かける点滅する信号機。つまり電気がきている。


 もしかして各種ライフラインが未だに生きているというのか。

 ということは必然的に、人類はこの荒廃の原因への抵抗を続けている?


 少なくともこの世界の人類が滅んだということはないだろう。


 各分野へのロボットの進出が著しいとはいえ、人間のかかわりは必ずある。すべてお任せというわけにはいかない。少なくとも元の世界では。

 ここも同様だとしたら、街が廃墟と化してからそれほど時間は経っていないのかもしれない。


 半年か、一年か。


 コンビニなどがあればと首を巡らせる。すでに現実世界でも紙の雑誌は置かれていないし、新聞紙は消滅している。でも食べ物の包装紙なんかが落ちていれば、賞味期限などから推し計ることができるかもしれない。


 しかし、ここは荒廃具合が酷すぎてそういった無事な店舗は見つからない。ここから離れた場所ならもっとマシだったりするのだろうか。


 それに、政府がどこかで立て直しを図っているとして、政府や自衛隊が放棄を決めた街に電気を供給し、ライフラインを維持し続ける意味とはなんだろう。


「…………んー」


 この街のどこかに、取り残されている人たちがいる……?

 疑問は尽きないが、今は〝もし〟〝もし〟〝もし〟ばっかりだ。

 仮に本当に取り残されている人たちがいるとして……。


 ――……考えても仕方がないな。


 不確かなことに思い悩むのも馬鹿らしい。


 息を吐き出して、ぐっと伸びをする。とりあえず、まだ始まったばかりさ、と頭を切り替える。


 ここからだ。一つ一つ、進めていけばいい。


    ▼


 一つ確実に言えることは、あの黄色い毛の猿に会いたくないということだ。


 猿に襲われた場所には近づかず、迂回して様子を見る。


 素早くビルの外階段を登って遠望すると、どうやら広範囲に渡って緑が侵食しているようだ。一体何がどうなったらあの一帯だけ鬱蒼とした森が広がる結果になるんだろう。森の中から建物群の頭が飛び出ている。

 ということで、森から離れて真逆へ向かう。

 瓦礫の丘を越え、猿丸街道を南下してみる。


「……」


 猿に会いたくないから猿丸街道を南下する……うん。

 誰もいない虚空に向かって真顔でサムズアップした。


    ▼


 車なら五分の距離を行くのに一時間以上かかった。

 歩いてみて思ったのは、見かける生物の縮尺がおかしい。


 ビルの半分を覆う巨大な蜂の巣。


 鋭角的な装甲を持った自動車並みのカブトムシの飛行編隊。


 50センチくらいの蚊。


 毒々しい赤紫色の模様が入った体を波立たせて這う60センチほどもあるヒル。


 もはやお馴染みのトライポッド。


 街路樹の一本に蠢いている虫は、30センチ大とこれまでのよりは多少大人しめだが、幹がまったく見えないほどに群がり、見る間に街路樹を倒してみせた。群がって来られたらひとたまりもない。立ち木はほかにもあるのに、なぜあの樹だけ、と思ったものの近づきたくない。


 率直に言ってどれも目を付けられると危険そうなので、黒霧世界コクムーを行ったり来たりしながらやり過ごす。


 それにしても、虫、むし、ムシ、蟲、虫多い。


 他にいないのかよ、なんて思っていたら、横合いの二階建ての民家がド派手に吹っ飛んだ。


 粉塵をまとい、巨大な何かが街道に飛び出す。


 民家の残骸がバラバラと雨のように降り注ぐ。

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