11 いつの世も爆発オチは王道




 そいつは、燃えさしがくすぶって大量の黒煙すすを発生させるように、大量の埃を立ち昇らせていた。


 一軒家ほどもあるイノシシ。


 牙の数が異常に多く長い。白っぽい毛皮を持ち、グロテスクなほどに真っ赤な顔をしている。


 イノシシは身体に何頭もの大型犬をぶら下げて、ところどころを赤く染めていた。


 注目すべきは巨大イノシシではなく、群れで狩りをしている大型犬の方なのか。


 三十頭くらいだろうか、次々と現れた犬は果敢にイノシシに喰らいつくが、イノシシが一声吠え、身を震わせると爆風のように粉塵を撒き散らした。周囲一帯を土埃が覆い、イノシシにぶら下がっていたのも含め、十数頭の犬も悲鳴を上げて吹っ飛んだ。


 視界が遮られる中、犬の群れが吠え猛る。


 思いのほか早く土埃の煙幕が晴れる。不自然に風が流れたように思えたのは気のせいか。


 イノシシが蹄を鳴らし、それを包囲し吠える犬の群れ。


 互いが襲いかかる機を見てぐっと発達した筋肉を撓めた瞬間──。

 犬の群れの後陣で痛々しい鳴き声が上がった。

 同時にドスドスと重い足音が地を震わせる。


 今度は平屋二軒分はあるだろう巨大なワニが乱入してきた。


 こんなデカいのになぜ気付かなかったのかと思ったが、ワニの灰色の鱗が奇妙に点滅していてそれらの一部が周囲の風景に完全に溶け込んでいる。おそらくそうやって全身を隠し、光学迷彩さながらの隠密性を発揮して近づいて来たんだろう。


 ワニの巨大な顎に引っ掛けられ、犬の一部が宙を舞い、あるいは口の中へまるごと消えた。


 俺は早いうちに距離をとっていたが、知らない間にワニの前に出ていたなんてことにならなくて本当に良かった。


 ワニはその勢いのままイノシシへも襲いかかる。


 犬の群れも逃げもせず、隙を見つけては両者に喰らいつく。


 三つ巴の戦いが始まり、最も劣勢に立たされていたのはイノシシだった。そして最も優勢なのはワニだろう。


 ワニの強靭な皮は犬の牙や爪どころか、イノシシの鋭い牙すらものともしないし、体当たりの打撃力も、同等以上の質量に対してどれほどの効果があるのかわからない。


 このまま決着するのかと思ったが、予想外の形勢に傾いた。


 いつの間にかイノシシの白い毛皮に模様が浮かび上がっている。どっかの部族の戦化粧のようだった。


 俺の率直な感想としては「Oh! ふぁんたじー」これしかない。


 イノシシは鼻面に飛びかかってきた犬の三頭を、吐き出した炎で消し炭にした。


 火炎放射器いくつ分だよという炎が吐き散らかされる。


 炎の津波で景色は歪み、周囲が火に巻かれていく。


 これで犬の群れは堪らず撤退を決めた。火の勢いの弱いところを見つけ次々飛び越えて逃げていく。


 しかしそれでもワニは平気で前進した。犬を一瞬で炭の塊に変えた炎すら意に介さない。まるで舌なめずりするようにワニの舌が飛び出してのたうった。ワニの舌ってこうだっけかと考えた。この生物の忌まわしさ、陰湿な性根が垣間見えた気がした。


 対してイノシシは、炎を収束させることで迎え撃った。


 吐き出していた炎が白熱する熱線となって地面を溶かし、ワニを縦に両断し背後の建物の数々までも貫いて上空まで迸る。少し遅れて直線状を爆発と炎が連続する。


 ゆっくりと、二分されたワニが地響きを立てて地に沈んだ。


 炎の中イノシシは悠然とワニへ歩み寄ると、融けた断面に鼻面を突っ込んで貪り始めた。あの熱線を横に薙ぎ払われていたら、俺も死んでたと思う。


 恐ろしい。しかし、端末ウェルでしっかり動画を撮ってやった。

 静かにその場を離れた。


    ▼


 犬を殴るか人を殴るか、どっちだと選択を迫られたなら、人を殴る、と俺は答える。


 殴る対象の人物によっては、誰に何を言われようとどちらも殴らないという選択肢も出てくるかもしれないが、犬を殴るという選択肢は最初からない。


 はずだったんだけど。


「grrrr」「bow wow!」


 すぐ後ろをヨダレを撒き散らしながら追ってくる狂犬たち。目の焦点が合っていないし、先刻のイノシシかワニとの戦闘でやられたのだろうと思われる一頭が、裂けた腹からこぼした腸を引き摺りながら走っている姿は哀れを誘う、かと思いきやそうでもない。


 犬を見てこれほどかわいくないと思ったのは初めてだった。


 果たしてこいつらを犬のカテゴリーに入れてよいのかと。


 猿丸街道を外れ、そのまま南下。


 三頭の狂犬に出くわしたのは、不幸な偶然ではなく待ち伏せされていたんだと思う。

 三頭でまだ良かったと言うべきか。

 一頭はあれだし。


「arf……arf……」


 腸をこぼしているやつが遅れ始めている。

 走りながら腕を横に突き出してやると、狂犬はその腕めがけて飛びかかってくる。すっと腕を引っ込めて、そいつの横っ腹に思いっきり体当たり。


 加速してまた走り出す。


 こいつら狂乱状態にあるように見えて、要所要所で巧く連携してくる。

 脚にかじり付かれるのを警戒し過ぎると、一瞬の隙に喉元に喰いつかれていたなんてことになりかねない。


 ただそういった連携は常にというわけではなく、時おり思い出したようにやってくる。

 訓練された猟犬並みの知能と連携で攻められていたら、とっくに美味しく頂かれていたことだろう。


 そんなことを考えていられるのも、彼らが自分の尻尾を追ってくるくる回り始めたりと、ちょくちょくポンコツを発揮してくれるからだ。

 普通ならかわいい仕草だろうが、くわえた自分の尻尾を噛み千切るのを見せられたらもう、閉口するしかない。


    ◆


 黒霧世界コクムーへの転移で逃げようともしたが、これが難しい。心を落ち着かせ、集中する時間が必要だ。現段階では五秒か六秒、とても間に合わない。慣れれば短縮できるのか。いやきっとできるはずだと思う。猿のときはもっとずっと短い時間で転移した。練習が必要だと痛感した。


    ◆


 俺は、この期に及んで未だに少し迷っていた。


 走りながら手に持ったピッケルを弄ぶ。

 彼らが見せるポンコツな行動に閉口しつつも、それが俺の迷いを助長する。


 後ろから顎を大きく開き突っ込んできた赤毛の一頭を躱す。そいつに注力している隙に、黒の一頭が迂回して前から襲いかかってきた。

 タイミングが絶妙だ。

 ほんのわずか意識を逸らした瞬間に襲ってきた。


 正対し構える。

 猛然と飛び出してくる黒い狂犬。口にピッケルの長柄シャフトを咬ませ、足を張り、狂犬の頭から真下に倒れるように重心を落とす。

 レスリングでタックルを防ぐように押さえ込む。適度な不良高校生の頃、仲間相手に練習した経験が役立った。


 目の端に赤毛の一頭が跳躍するのを捉える。

 横から飛びかかってくる赤毛を、押さえ付けた黒いのの側面に回ることでやり過ごす。

 勢いあまって距離をあけた赤毛を尻目に、黒いのの顎を蹴り上げてから走り出す。


    ◆


 咬まれるのはもちろん、爪で引っ掛けられるのもダメだ。絶対に避けねばならない。

 感染症が恐い。

 こいつらが狂犬病に罹っていないとはとても言えない。狂犬病に発症した犬は約一週間で死に至ると言うけれど、こいつらに筋肉のマヒや衰弱といった症状は見られないし、普通の犬と同じに考えていいものかもわからないけど。


    ◆


 走りながらもう一回、左腕を横に突き出すと、懲りずに黒の一頭が喰らいつきに跳躍した。


 鋭く息を吐いた。


 生存闘争に良いも悪いもない。


 時計回りに回転し黒の顎を躱し、その後頭部へと右手に持ったピッケルの先端を導いた――ずりゅ、と嫌な感触が手に伝わった。


 全力で走りながらやったそれらの動きに足がもつれる。


 不慮の事故を避けるためピッケルを離す。

 背負ったリュックの肩紐を外し胸の前に抱え込む。

 前方に転がりつつ、その勢いを利用して立ち上がって走り出す。

 リュックを背負う。ピッケルは諦める。


 すぐに、目についた大規模ショッピングセンターであるアウトレットパークに走り込み、正面広場を疾走する。

 犬が遠くで吠える声が聞こえると同時、不意に横からの強風に煽られた。


「っ!?」


 なんとか踏ん張り、襲いかかってきた赤毛をからくも避けて走り続ける。

 また犬の吠声。正面から風を叩きつけられ一瞬ふわりと足が浮く。

 一声するたびに吹きつける風は犬が起こしているのか。


 ちらりと後ろを確認、追ってきている赤毛じゃない。もっと遠く。後方およそ五十メートルに腹を裂かれ腸をこぼしている茶色の狂犬。


 ――あいつか。


 茶色のがけたたましく連続して吠えると、上下左右からの突風にバランスを崩した。

 転倒。


 すぐ後ろを追ってきていた狂犬が跳躍するのを足音や息遣いで把握する。

 背中のリュックが邪魔で転がって躱すことができない。

 仕方なくリュックに隠れるようにできるだけ小さくなって待ち構える。爪や牙に当たらないことを祈った。

 赤毛が圧し掛かってきたところを勢いをつけて立ち上がる。

 リュックを振り回して犬を弾き飛ばす。

 また走る。


 遠く、茶色の狂犬が倒れているのが見えた。


 左右に店だった建物が連なる崩れたレンガ道を走り抜け、角を曲がる――。


 そこに――いた。


    ▼


 左右に続く並木道の先、パークのどん詰まりに瓦礫の山。

 かつてはカフェテラスだったんだろうそこにはイスやテーブルが散乱している。


 ひときわ大きな樹がそびえ立ち、雲間から射した日の光が木漏れ日となってきらきらと瓦礫の山を照らす。そこに座るその男を荘厳に演出していた。


 剣を横に立て掛け、俯きがちの顔には鬼を模したような顔の半分を覆う兜。流れるような長い黒髪。


 走り込んできたまま立ち尽くした俺の頬を一陣の風が打つ。


 甲高い鳴き声が背後で上がった。狂乱した犬の悲鳴だった。


 からだに突き立つ長剣、広がる血溜まりが狂犬の絶命を知らせていた。


 兜の男が剣を投げるその動きすら捉えられなかった。


 男はそれは静かに、落ち着き払ってそこにいるのに、凄まじい威圧感があった。

 崩落した建物の石と鉄でできた玉座にあるその姿はまるで――。


 ──瓦礫の王。


 兜の向こう、長い睫(まつげ)の奥で鈍く輝く暗い瞳が俺を見据えた。


「……ルガルタ……」


「なんて?」

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