06 位相転移
燃え盛る塊がビルに飛び込み、炎と煙と音と瓦礫を撒き散らす。
慌てて拉(ひしゃ)げた自動車の陰に駆け込んだ。
火の球は二度、三度と飛んできたが、それに混じって人が――。
──飛んでいた。
吹っ飛ばされたとかそういうんじゃない。
地上から十数メートルの位置を、炎を右に左にと躱しながら【飛行】している。
顔の半分を覆う、二本の角のような突起がある兜。印象としては鬼のよう。
長い黒髪と外套をはためかせ、滑るように空中を移動するその姿は、どこかフィギュアスケートの挙動を思い起こさせた。
一瞬――目が合ったような気がした。
冷たい金属片の先のような目。
背骨に沿って氷柱を刺し込まれたかのような感覚に襲われる。が、兜の男はこちらから遠ざかるように空中を滑っていくのを見届けて、知らず詰めていた息を吐き出した。
別方向から怒号が聞こえ、目を細め手をかざして遠望する。
そこには地上を走る人の姿があった。
パッと見で二十人ほど。瓦礫の山もなんのその、全員が兜の男を追っているようだ。外套に革鎧、剣に盾、弓、杖。
あまりにもこの街には場違いだと思った。
杖から赤い光が閃く。渦を巻いて出来上がった火球が飛び出す。
とんだファンタジーだ。
飛行する人物が炎を躱す。
飛んでいった炎は、ビルの合間から姿を現したあのトライポッドに着弾、爆発炎上した。
巨大な頭部を支えていた長い脚が根元から四散し、頭部がビルの端を崩しながら落下。道路をめくり上げ⋯⋯止まった。
トライポッドの無残な姿を見ている間に、ファンタジーの住人たちは激しい戦闘を始めていた。
飛翔する矢、連続する剣戟音、衝撃波や炎がそれを彩っている。
放置された自動車の陰から陰へ渡って近づいた。
▼
クルマを盾にしながら様子を窺う内に、俺はこのでたらめな状況の混乱からようやく立ち直りかけていた。
無意識に呼吸が乱れていたことを自覚する。心臓が弾み、鳩尾の辺りからせり上がる恐怖を感じる一方で、どこか愉快だと感じている自分がいる。血が体内を駆け巡る。
「――!
響いてくる幾人もの声に耳を傾ける。彼らの言葉はどこか妙で、まったく知らない言葉の中に、いくつか知った単語が混ざっていた。
男の苦鳴と女の悲鳴が周囲のビルに反響する。
兜の男の長剣が、一人の男の胴体を両断していた。
あろうことか分かたれた上半身と下半身が、切断された際の勢いのままにこちらへと飛んできた。
下半身が瓦礫に激突して回転しながら跳ね飛び、上半身は俺が隠れている自動車のボンネットに派手な音と共に落下した。
男が身に着けていたものと、男の中身が飛散する。
同時に男の手に握られたままだった剣が俺の上に降ってきた。
刃に青い光を帯びた小剣が迫る。
後ろへ倒れこむようにしながら身体を捻りとっさに避けたが、刃の先端が腕を掠めた。着ていたパーカーとジャケットは何の意味もなく、焼けるような痛みが皮膚を突いた。
反射的に腕を押さえる。興味本位に近づき過ぎた。
兜の男と、集団と、どちらが勝利を収めるかわからないが、どちらにしろ発見されたときに友好的であるかどうかとても疑わしい。両者が互いに向けて発している敵意がこちらへと向けられることを恐れた。
――ヤァ、はじめまして。突然すまないね。
――ああ、はじめまして。死ね!
――ぎゃああああっ!
なんてことになりかねない。劇画調で目ん玉が飛び出すほどの悲鳴を上げるんだ。いやだ。
しゃがんだまま、砂利の音を極力立てないように後退る。
視線の先の戦闘は、兜の男がとてつもなく効率的な動きで剣を振るい、敵集団を圧倒し始めていた。
▼
身を低くして走り、路地へと飛び込む。
傷口を押さえていた左手は真っ赤に染まり、右腕を血が伝う。思ったより傷が深い。
ふと、右手に何かを握り込んでいることに気が付いた。倒れた拍子に小石でも無意識に拾ってしまっていたのかと思い確かめてみると、そこには俺の血に濡れた指輪が一つ。
訝しんで眉根を寄せた。
銀の指輪には複雑な紋様。白っぽい小さな石が三つ、はめ込まれている。
血に汚れたそれを注意深く観察していると、指輪はぼんやりと光りを発した。
痛みが和らぐ感覚に傷口を確かめる、裂かれた腕が見る見るうちに修復されていく。肉が盛り上がり、表皮が再生されていく。
時間にして十秒程度。血を拭ってみれば痕すらない。
信じがたいが原因はこの指輪としか考えられない。おそらく、両断されたあの男の持ち物だったんだろう。
指輪を改めて見てみると、三つの石の内の一つがくすんでいる。
路地から元来た場所を窺う。
未だ戦闘は続いていた。
両断された男の上半身。そこから少し離れたところに下半身が。いくつかの男の持ち物が散らばっているのが見える。その中に手帳のようなものを見つけ、素早く回収して路地に戻った。
縦長の革の手帳は二センチほどの厚みがあり、ページの一枚一枚も厚く、全部で二十ページあるかどうかといった感じだ。
パラパラと捲ってみるが読めない。詳しく調べるのは後にしてポケットに突っ込んだ。
まずは帰ることを第一に考える。
▼
兜の男たちから離れ、路地を奥に進むと広場に出た。
どこかから、人間のものかもわからないような悲鳴が響いてくる。
広場を見回す。
言葉にならない叫びのようなそれがまた聞こえた。「おえいぁああうぇえあお」みたいな野太い、雄叫び、だろうか。もし人間が発しているのなら、きっとそいつは頭がおかしい。
見通しの良い広場は危険かと、放置されたワゴン車が入口に停まっている路地に走り込む。が、すぐに足を止めた。
そこには今まで見られなかった高い草むら。左右の建物から木々が突き破り、蔦が絡まって容易には見通せない緑の壁を作っていた。
しかも正面に見える草むらの一部が踏み荒らされ、切られて地面にしおれ、乾いた血が斑になっている。まるで誰かが引きずり回され緑の壁の奥へと呑み込まれたかのように。
これを切り開いて進む気にはなれない。
反転して路地から抜け出そうとしたところに、
「ケェェェェッ!」
奇怪な叫びが上から響き、「がッ!?」背中を痛みと衝撃が襲った。
路地の入口のワゴン車のドアに正面から激突。
背中への衝撃で、酸素を求めて口を開けど呼吸ができず、車への激突で、庇った腕を中心に身体が痺れる。
でもこのまま真後ろへ跳ね返るのは危険だと脳が警鐘を鳴らしている。無理矢理に腰を落とし、地面を蹴って、なんとか軌道をずらす。
顔の横を何かがかすめた。
転がって立ち上がり距離をとる。
そこに居たのは――猿。
俺の頭を掴もうとしたのか、貫手で突き刺そうとしたのか定かでないが、長い腕を伸ばした黄色の毛の猿がいた。
背丈は一七〇センチちょいの俺とそう変わらない。
顔はゴリラの方が近いかもしれない。身体の方はゴリラほど逞しい肉体ではない。よりスリムな体躯をしている。ただそれはなんの慰めにもならなかった。筋肉でギチギチに固められていることが容易く見て取れたから。
コイツにどう対処する?
などと考える間もなく獣声──こちらに突進してきた──だが視界はクリアで、猿がやけにゆっくりはっきりと目視できた──全身が兇器のような肉体──殺す気だ──殺しの衝動で煮え滾った瞳──何の躊躇もなく。
ヤツの凶悪に筋肉が盛り上がった右肩に叩きつけられるところを幻視した。
全身の骨を圧迫され破壊されて死ぬ。
臓器を押し潰されて死ぬ。
あるいは、頭を潰されるのかもしれない。
奥歯が軋む。
――いやだ。
こんなところで、こんな奴に、訳もわからないまま殺されるっていうのか。
俺の人生は残りわずか数秒。死ぬか、生きるか、今まさにそれが決定されようとして――――。
――世界が一瞬で切り替わる。
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