05 ズレる




 度重なる災害などで、予測されていた未来年表から、現在は大幅に後れを取っていると言われている。


 2020年代~30年代、いく度となく起こる大災害。

 それは日本だけでなく、世界的にも言えることだった。

 地震に津波、火山の噴火。それから、いくつかの戦争。

 2040年を過ぎても、人はそれらを完全に克服することはできていない。


 日本では人口の減少を受け、その利便性から人々は都市部への集中を加速させた。


 都市や集落が廃墟化した地方では、ロボットとその管理者らが食料自給率を上げるためにせっせと働いている。

 産業用のみならず、民生用ロボットも一般化した華やかな都市生活。


 しかしやはりと言うべきか、華やかさの一方では暗い陰と奇妙な噂。


 高齢者と児童の虐待が増加の一途を辿っているし、自殺、殺人、薬物、失踪事件の未解決率などは軒並み上がっている。


 いくつもある街の大型ビジョンに、今日もお馴染みの朝の情報まとめ番組。

 女性MCがコメンテーターに語りかける。


「ここのところ宇宙人の目撃情報が相次いでいます。いわゆる『グレイ』ではなく『リトル・グリーン・マン』と言われる、1950年代当時、異星人のステレオタイプとして一般的だったもののようですが、偶然、監視カメラなどに映り込んでいる姿が確認され物議を醸しております」


「UFOを見たというのなら珍しくもありませんが、リトル・グリーン・マンとはまた意外ですよね。リトル・グリーン・ウーマンはいるんですかね? 興味深いです」


「いったい彼らはどこから来たのでしょうか。本当に火星人なのでしょうか。当番組サイトではリトル・グリーン・マンの動画の投稿を受け付けています。撮影に成功した投稿者の方には――」


    ◆


「上杉? ウエスギ、ハレヲ、だろ?」


 東京都下、大学への道すがら。そう声をかけられた。

 気だるさを抱えて振り向くと、知らない顔があった。ホスト風の若い男。


「だれ?」

「やっぱりそうだっ!」


 ただでさえ頭がぼっとして体調悪いってのに耳障りな声で騒ぐ男に顔をしかめる。


「だから、だれ?」

「おお、悪い悪い。相沢だよ。つってもお前は俺のことなんか覚えちゃいねぇだろうが」


 ……アイザワ、相沢……。


「ああ、あの……」

「思い出してねーだろ?」

「……」

「いいかげんな奴だなあ。お前……そんな感じだったっけ?」


 含み笑いしながら相沢はこちらの目をのぞき込むと、途端に笑みを引っ込めて続けた。


「なあ、お前……パン買って来いよ」

「あ?」


 唐突な発言に、思わず険を含んだ声を上げた。


「おっとジョーダンジョーダン」


 一転、ハハハと笑いつつ、相沢は突き出した両手を振って茶化す。


「悪い悪い。そんな腑抜けたツラしてたっけなって思ってよ」


 相沢はその眼に挑戦的な光を浮かべ、さらに続けた。


「今ならお前に勝てそうだ」


 こいつが誰だか未だに思い出せない俺は、意味の分からなさに片眉を上げて相沢を見つめる。

 どういう意味かを訊ねる前に「せんぱーい!」と相沢を呼ぶ声がした。明るい茶の短髪たれ目、こちらもホスト風の若い男。まだ未成年かもしれない。


「おー」


 相沢は気の抜けた返事をするとその若い男の方へ歩いていく。


「知り合いっスか?」

「いいや、知らねー」


 遠ざかる後ろ姿からそんな会話が聞こえた。

 ちらりと見えた二人の首筋には、目立つ星形のタトゥーが入っていた。またぞろどこかのチームシンボルかなにかだろうか。


 俺も彼らから視線を切ってまた歩き出したところで思い出した。


 ――あー……ねずみ……だっけ?


 俺が適度な不良高校生だった頃、クラスは別だが同じ学年にいたように思う。当時〈喧嘩党〉を名乗るストリートギャングが暴れていたが、相沢はその一員だったはずだ。

 下唇を噛む癖があって、前歯が覗く姿がげっ歯類を思わせるとかなんとか。今のホスト風の格好とは印象が違いすぎてわからなかった。


 仲が良かったわけではないし、喧嘩党とはむしろモメたくらいなので、ほとんど知らないと言っていいはず。それでも相沢に「お前」などと言われたことはなかった。けっこう卑屈なやつだった印象がある。


 ずいぶんと変わったんだな、と思った──が、しかし、よく考えるまでもなく俺にはどうでもいいことだった。


 空を見上げる。


「実にすがすがしい太陽だけど……」


 陽の光で眼の裏に刺すような痛みが走った。くらくらする。


「ぅう……まぢで」


 風邪ひいたかも。


    ▼


 アイツが死んで何年たった?


 生きる意味なんて今もってわからないけれど、無意味に死ぬのは嫌だな、なんて――。


 迫るルートバンと、フロントガラス越しの驚愕を顔に張り付けた運転手を呆然と見つめて思った。


 車に搭載された事故防止・危機回避システムもこのタイミングでは間に合わないようだ。車は急に止まれない。150年前からの真実だ。


 頭がくらくらしてふらついた拍子に誰かにぶつかったんだと思う。踏ん張りがきかずに車道に飛び出してしまったのが痛恨事。


 やけに時間が引き延ばされて、自分も、周囲もスローモーション。まるで映画の映像効果。

 頭ん中で響いてる音楽も相まって、まるで現実感がない。

 映画『スターシップ・トゥルーパーズ3』で頻繁に流れる『It's a Good Day to Die』。それがスローモーな世界のBGMだった。


 今日は死ぬにはいい日だなんて、俺にはとても思えないんだけれど。


「あーくそ、こんなん――」


 引き延ばされて間の抜けたクラクションとブレーキ音が、瞼の裏で『今日は死に日和』を歌って踊るオマー・アノーキ総司令官を掻き消した――……。


    ▼


「……………………は?」


 ルートバンに轢かれたかと思ったのに、そんなまさに死ぬほどの物理的衝撃なんてものは訪れなかった。代わりに訪れた精神的衝撃に、間抜けな声を洩らした。


 辺りを見回す。


 轢かれたと思った場所から一歩も動いていない。


 見慣れた街だ。


 けどそこはどうしようもなく〝荒廃した見慣れた街〟だった。


 轢かれてボロボロになるはずだった俺は無傷で、一瞬の後には街の方がボロボロになっていた。

 意味がわからない。


「……は?」


 ルートバンも周囲の人々も消え去っている。

 崩れかけ、焼け焦げて黒く煤けた建物。

 倒壊したビルでできた瓦礫の山脈に寸断された大通り。

 放置された自動車や……戦車、その残骸。

 ひび割れて草木の生えたアスファルトの地面。

 何故か赤信号を点滅し続ける錆の浮いた信号機。

 砕けたコンクリの粉が舞い上がり、大気に渦を巻いていた。

 蔦が這うアニメの巨大看板が風で軋む。

 そう音はする。風の音、遠く瓦礫が崩れる音、ゴミが舞う音、鳥の声、虫の羽音。


 でも――。


 人の気配がしない。溢れ返っていたはずの人工的な電子音もない。

 今の今まで駅前の交差点は人でごった返していたはずなのに……。


    ▼


 景色を眺めているうちに、どうにも自身の気が滅入るのを感じていた。埃っぽい空気の向こうに、すがすがしい太陽と青空は変わらずそこにあるのに、ここは自分が知る世界ではなかった。自分の知る現実ではなかった。なのに──。


 こうしてここにいるのは紛れもない現実だ。


 現実と非現実の境い目が曖昧で、自分の記憶それすらも自信が持てなくなってくる。


 夢。


 これは夢か?


 それとも、〝これまでが〟夢か。


 どっちだったにしろ、結局それはとびきりの悪夢の世界だ。


    ▼


 戸惑っている間に、地響きと、金属を擦り合わせるかのような甲高い音が、廃墟となった街にこだまする。

 通りの向こう、四階建てのビル屋上から、動くソレのてっぺんが見えた。すぐにソレはビルの合間から、ぬっと姿を現す。


「…………」


 絶句して、引きつった笑いを浮かべた。

 H.G・ウェルズ原作の『宇宙戦争』に出てくるトライポッドみたいなのがずんずん歩いていた。ただし、三つ脚の歩行機械ではなく、どうやらあれは生物らしい。頭部だかなんだかを支える長い、長すぎる脚。


 ――……虫、か?


 十二、三メートルはあるけれど。あれでなぜ自壊しないんだろう。


 道路を横切っていくそれを呆然と見送る。

 そうしてトライポッドに驚いたのも束の間、今度は大きな破壊音が背後から響く。

 今度は何だと振り返った先、遠く光の閃きのあとに炎が煌めいた。

 火の玉が黒煙を曳きながら見る間に頭上を通過――ビルの横っ腹に飛び込んだ。


 ――爆発――。





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