04 クロスロード




 夜十時頃には遼平と別れた。ジムに行くという。


 俺は引き続きブラブラしながら音楽を聴いた。もう活動休止したロックバンドが、ここはまだ旅の途中だと歌っている。


 夜中の十一時半をいくらか回って、そろそろ寮に帰ろうか、と考えたときに、ふと、視界の上の方に妙なものが映り込んだ。気がした。ビルからビルへと、何かが横切った。「人……!?」のように見えた。


「マジ⋯⋯?」


 呟きつつ俺はその人影を追って走り出していた。


 こちらは地上、向こうは屋上、常に影を視界に捉えて、とはいかない。じれったい思いを抱えて、ビルとビルに挟まれた路地に飛び込んだ。

 道幅は十メートルはあるだろうか。やはりこの幅は飛び越えるには無理があるか、それとも、さっき見た人影は何かの見間違いだったのか。


 上を見据えたまま考えていたところへ、突然声が降ってきた。

 声といっても、それは笑い声。ケタケタケタケタ。なんだろう、ちょっとイラっとくる笑い方。

 ビルの屋上から屋上へ黒い人影と、一瞬なにかの光が横切った。一つじゃない。二つ――二人いる。

 遠ざかるケタケタ笑いを追いかけた。


 ――で。


 あっさり見失った。


「くっそ、もう速すぎんだ」


 十メートルを軽々と飛び越えたことといい、強化スーツでも着ていたのか。義体化が許された超人スポーツの選手か。どちらにしろこんなところで何やってるのかという話だし、どちらでもないとしたら余計に犯罪の臭いがする。


    ▼


 時刻はじきにてっぺんだ。


 場所は繁華街とオフィス街の境、高級ブランドショップが並ぶ通り。この時間、人通りはなく、周囲の建物の明かりも軒並み落ちている。等間隔に並ぶ街路灯のオレンジ光と信号機のLED灯が闇を切り取っていた。


 車の通りがないのをいいことに道の真ん中を諦め半分で歩く。


 あのイラッとくるケタケタ笑いも聞こえない。代わりに、というのも変だけど、回転灯を光らせた夜間清掃ロボットが、むいんむいんと道の端っこのごみを回収している。


 そこの交差点では、犬がしきりに吠えていた。道を横断わんわわん。戻ってきてはわんわわん。右に左に行ったり来たりわんわんわわわん。

 何をそんなに吠えているのかと近づいて、四つ角の直前で足を止めた。正確には、体が勝手に踏み出すことを拒絶した。


 なぜ気付かなかったのか。


 ――影。


 しかし探していた二人組の影ではない。


 なぜわかったか。


 単純に、デカかった。影が。


 こんもりと盛り上がった小山のような影が、ごそごそと動いている――屈んでいた上体が持ち上がる。


 我知らず一歩後退った。


 犬が甲高く鳴いてびくりと飛び退ると、さっさとその場を逃げ去った。

 俺もそうすれば良かった。


 信号機に届きそうな巨大な影。


 俺は『ソイツの顔』を見て、吐き気を覚えずにはいられなかった。

 黒く塗り潰された巨大な影には、巨大な顔がのっかっていた。筋張って、黄色味を帯びた赤い顔。歯と目玉の白色がやたらと目立つ。顔の中心から、まるで花びらのように皮膚が切り開かれている。筋張っているように見えたあれは、顔の筋肉が剥き出しになっているためだ。切り剥がされた皮膚は、髪の毛で縛って固定されている。余った頭髪が触手のようにうねうねとうねっていた。


 なんというか、生々しい肉でできた人面花の巨大オブジェ?


 正直、かなり気持ち悪い。


 目蓋がないため剥き出しの目玉が、ぎょろぎょろと忙しなく動き、やがて俺を捉えた。唇のない剥き出しの歯がガツガツと噛み合わされた後、ゆっくりと口腔が開いた――。


『あたしのだからぁああ! あたしんのだからぁぁぁああああコレェェェエエエエッ!!』


「ナニがっ!?」


    ◆


『クロスロード伝説』ってのがある。


 伝説的なブルースマン、ロバート・ジョンソンが卓越した技術を身につけるために、十字路で悪魔に魂を売った、とそんな話だ。ロバートの一世代前のブルースマン、トミー・ジョンソンにも同様の話があり、ジョンソンという名前の人間は悪魔好きなのか、と思いきや、あの辺の時代には悪魔に魂を売るのがトレンドだったみたい。


 なんでも夜中の十二時の少し前、一人でとある十字路に行くと、黒い巨大な悪魔が出てくるんだとか。そんでもって悪魔と交互にギターを爪弾いて、曲を完成させたんだと。


 つまり俺は何が言いたいのか。


 夜中の十二時少し前、十字路に立つ黒い巨大な悪魔(かどうかは知らないけど)と俺。


 端的に言えばそう――ロバート・ジョンソンの心持ち。


 彼の『クロスロード・ブルース』が、頭の中に響き始めた。もっともこの曲はそんな伝説を歌った曲ではなく「ヒッチハイクしようと朝から晩まで道端に立っているのに誰も見向きもしやしない。心が沈んで死んじまいたい心持ちだよ」と、要約するとそんな感じ。放浪のブルースマンらしい歌詞であり、またぞろ激しい落ち込みようは、ロバートにして珍しいことでもない心理状態だったらしいけど。


 歌の中ではウィリー・ブラウンに助けを求めているが、ロバートでない俺は一体誰に「助けて」を言えばいいのだろうか。うさのんか?


 現実逃避気味に呆然とそんなことを考えていた。


    ◆


『あ、あたしんだからあああ――――っ!』


 悪魔だかなんなんだかわからない巨大な影は、触手だかなんなんだかわからない髪の毛の束をワサワサさせて叫んでいる。


 背後から九十年代モデルの紺系セダンが、車道に出ていた俺を検知してスピードを落とし横をすれ違い、走り去っていった。

 ネット接続されたあのコネクテッドカーは、俺どころかあの悪魔の横さえも悠々と通過していく。フロントガラス全面のヘッドアップディスプレイに表示された種々の情報の中には、交差点に陣取る巨体は映らなかったのか。


『あたっ、あたしんのなんだからあああアアアア――ッ!』


 しかもこんなにうるさいのに。


 一体コイツは何なんだ。というか、なぜ俺には見える?


 ソイツの脂肪に埋没した首には巨大なネックレスがかかってる。人の頭ほどの真珠が連なっているかと思いきや、そのまま人の頭だった。頭しかないのにその半開きの口からは、まるで読経のように延々と聞き取れない呟きがヨダレと共に垂れ流されている。


 その数珠つなぎの頭の一つに俺の視線は吸い寄せられた。


 ――あの顔は、あれは……そんなまさか、アイツ――ッ!?


    ◆


「ぬっふぉおっ!?」


 毛布を跳ねのけ起き上がり、辺りを見回した。俺の部屋。


 夢か。それは、そうだろう。夢だ。妙な夢。


 途中までは記憶にある懐かしい高校時代の夢。あとは、記憶にない夢特有の意味不明のシロモノなゲテモノ。


 十メートルの距離を軽々飛び越える二人組?


 十字路の巨大なバケモノ?


 なんだそれは。


 あの日、遼平と別れた後どうしたかまるで思い出せない。二年も前なんだから不思議ではないかもしれないがしかし……。


 もちろん、あんなのを見ているはずは――ない。


 当たり前だ。見ていたら大騒ぎだ。俺が。


 でもなんなんだ。なにかが、とても引っかかる。


 なんであんな夢を見たんだろう。


 何かの暗示か。


 疲れているだけか。


 なんだか頭がぼーっとする。


    ▼


 四月。


 東京の大学に通い出して二年。


 大学生になった俺たちは予想以上の苦労を強いられた。


 やんちゃの噂は環境が変わってもどこからか流れてくるもんで、俺は乾いた社会の目に晒されてボッチ街道をひた走り、疲労を覚え、日々の生活に息苦しさを感じながら埋没していく。毎日を必死にもがいて、乗り切って、やがてその場所にも馴染んでいく。


 高校時代の友人たちとは最初のうちこそ定期的に連絡を取るけれど、だんだんと自分たちの生活に手一杯で、次第にむかし聴いた音楽と同じように、懐かしい、こんなことあったな、とよく聴いてた当時を思い返すくらいの感覚になり、やがて、音信不通に。


 結局、俺たちはばらばらになった……――。




 これは、なにかどこかがひずんだ先の物語。


 ゆがんでしまった青春の物語。







GLOSSARY

 -用語集-


● 十字路の悪魔『エヴリシング・イズ・マイン』  悪魔

 対価を渡すことで願いを叶える悪魔。些細な願いなら、取るに足らない対価(駄菓子とか)で叶えてくれる。強気に交渉してみよう。ただし、支払うものをこの悪魔に決めさせることだけは絶対にしてはならない。



Robert Johnson CROSS ROAD BLUES

歌詞の要約について

JASRAC Works Information Database

作品データベース検索サービスにて、著作権の消滅を確認

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