第22話

その日の夜。カイは私のノートをじっと見つめていた。

ぺらり、ぺらり。電気の仄かな明かりで捲り続けていた。

私はそれに対して何も言えなかった。私が数年間とって来たノートを知識目当てで見ているのだ。

いや、そんな事では無いのかもしれない。私も集落の人を初めて亡くして、ショックなのかもしれない。カイと同じように。


あの後、四足歩行の魔物の遺体は護国軍によって運ばれたらしい。人間よりも大きな魔物をどうやって運ぶのかは些か疑問ではあったが、おばあちゃんが『まぁ、気合いじゃないかね』と言っていたので根性論なのだと思う。

カイはアップルパイを味わいながら、ゆっくり食べていた。それこそ夜ご飯もアップルパイで済ませてしまう程に。

そうして部屋に戻って言われたのが、私のノートを見せて。だったのだから、はいとしか言いようがない。


「……私、先に寝るね」

「うん。クルネは先に寝てて。私はまだ……」


そう言って彼女は横に積み重ねられたノートを見た。


「……眠くなったり辛くなったら寝るんだからね」

「うん」


一応忠告をしてから、私はそっと瞼を閉じた。

______________________________

翌日。起きて着替えようとすると、カイの姿が見えなかった。


「カイ?……カイ!どこ!」


ノートは全て机の横に移動させられていた。私は寝巻きのままおばあちゃんの部屋へ向かう。


「おばあちゃん!カイ知らない!?」

「あれ、クルネの部屋にいないのかい?」

「いない!」


彼女が私に黙って出ていくなんて、何を考えているのだろう。

焦る気持ちを抑えて、考える。


(……カイは服がそのままだろうと関係無しにどこでも行ける。でも、その知識的に行ける場所は限られているはず。村長の家、学校……いや、オオカミの知恵を借りればその外にも……)


そこまで考えて、ふと思う。

カイは明後日出発、という言葉を裏切るような子では無い。

かと言って、私に言えないよう事をする……恐らく、無自覚に後ろめたい気持ちがあるものがあるとしたら。


「おばあちゃん!ちょっと学校行ってくる!」

「あいよ!カイちゃんが戻ってきたらクルネは学校に行ったって伝えておくよ!」


私は着替えを適当に取り出して、外に駆け出す。

微かではあるが、足跡がある。大きさからしてカイのもので間違いないだろう。


(オオカミだ。オオカミと何かするから……!)


私は、必死に走った。息を切らしながら、足を痛くしながら、時に転げそうになりながら。

門番さんも、そんな私に驚いていた。


「あれ、クルネちゃんそんなに息を切らしてどうしたんだい?」

「カイ!カイを見ませんでしたか!?」


そう問いかけると、頷かれる。


「うん。数時間前に通ったよ……ってクルネちゃん!?」


再び走り出す。学校へ。オオカミの元へ。

檻に辿り着くと、そこにカイは居た。


「カイ!」

「……クルネ」


私に向けられる目は、明らかに申し訳なさそうなものだった。


「……カイ、何をしていたの」

「……」


黙っている。カイが答えられないことなど珍しい。逆に言えば、私に言えない言葉だということだ。


「……クルネ、説明は後。物陰に隠れていて」

「……説明してもらうからね」


そう言って、私は物陰に隠れた。

少し時間が経つと、スレイスがやってくる。


「スレイス。名前は決まった?」


その問いに、スレイスが頷く。


「そう。なら、教えて。オオカミの名前は、何?」


その瞬間に、ぞくりと背筋に悪寒が走った。

例えるのならば、瞬間的に後ろに魔物がいるかのような。そんな威圧感があった。


「……ユグドラシル」


恐らく同じような、私以上の威圧を受けながらもスレイスが答えた。


「ユグドラシル。それが今から貴方の名前。それでいい?」


そうオオカミ……ユグドラシルに問いかけた瞬間に、彼は吼える。

その咆哮は気高く、今までダルそうな態度を取っていた獣ではなかった。


「……ユグドラシルは名前を受け取った。約束通り、私は貴方を真人間に戻してあげる」

「どうやって……私は、真人間に……」


そこまで聞いて、少し分かった気がする。

カイはオオカミの名前を代償に、スレイスを真人間にする契約を結んだ。それを悟らせないための早朝だった訳だ。


「スレイス。貴方はこの学校で真人間になることも出来る。けれど、それは周囲が許さない」

「……そう、ね」


今までしてきたことの行いからして当然だろう。ならば何を提示するのか。


「スレイス。単刀直入に言う。

この学校を辞めて、私に着いてきて。貴方を信頼し、貴方が信頼している二人も共に」

「な……そんな事、出来るわけ……」

「学校を辞める方法は沢山ある。後は、スレイスが決意をすれば私は貴方を本当の真人間にしてあげられる」


考えたようだった。それをカイもユグドラシルも見守っていた。

数分考えて、スレイスは頷く。


「……分かったわ。カイについて行く」

「ありがとう。……こっちに来て」


スレイスを呼び寄せると、そっとカイがスレイスの頭に触れる。

その瞬間、スレイスが頭を抱えて倒れる。

私は堪らず飛び出してカイに叫ぶ。


「ちょ、ちょっと!何をしたの!?」

「クルネ。真人間になるには、何が必要だと思う?」


質問に対して、質問で返された。しかしそれに対して私は少し考えつつ答える。


「え、えーっと、人を思いやる心とか……?」

「大体合っている。スレイスは、人を思いやる心に蓋をしていた。なぜなら、彼女が虐められていたから。

私は彼女を真人間にする為に、記憶に干渉した。過去の虐められていた記憶を想起させて、もしもその場に『助けてくれる誰かがいたら』という思念を送り込んだ」

「し、思念ってそんな技どこから……」


そう思ったが、一人……いや、一匹だけ居た。

ユグドラシルだ。転生に転生を繰り返した彼ならば、思念を送り込む方法も知っているだろう。魔法の一種である以上、カイもそれを知っていれば使える。


やがて立ち上がったスレイスに、カイはそっと手を差し伸べる。


「過去は変えられない。けれど、過去にこういう人が居たならば。そして、これからこういう人に出会った時にその存在になれるのなら。……それは、真人間」


スレイスは、泣きそうになりながら、カイの手を取った。

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