第3話

カイ。それが彼女の名前。


「ごめんなさい。名前以外……何も分からない」


そう言って彼女はまたパンを齧り始めた。もぐもぐと食べているが、ポタージュを横に置いて両手でパンを抱えて食べる姿はどこか小動物のような可愛らしさを感じさせる。


「ふぅむ……。親、身請け人探しかねぇ」


おばあちゃんが考えながら言う。カイはそんなことを気にせず、可愛らしくパンを咀嚼して飲み込んでいる。

私は同性愛者ではないが、妹が出来たような感覚に陥る。

だがこの子が居なくなって困っている場所があることも確かだろう。だから、ひとつ提案してみる。


「この子を今日学校に連れていくのはどうかな?」

「クルネ!この子は病み上がりなんだよ!そんな直ぐにあの雪の中を歩けるかい!?」

「う……」


確かにそれはそうだ。しかしカイはポタージュを飲みながら興味を持ったようだ。


「学校、どんなところ?」

「え?ええ?えーっと改めて聞かれると……。色んな知識を学ぶ場所、かな。国語とか歴史、魔法や魔物に対する対抗術とか」


それを聞くと、カイは食べ終わったポタージュとパンを置いてベッドからそっと降りてくる。


「……興味がある。行ってみたい」

「アタシも確かに学校、もっと言えば街に行かせて親元を探してあげたいけど……。カイちゃん、貴女はまだ病み上がりなのよ。無茶はさせられないわ」


言っている事はおばあちゃんが正しい。彼女は病み上がりであり、つい先程まで寝込んでいた身なのだ。

だが同時に思い出す。村長の言葉を。

この雪の中、全裸で埋もれていた。それも、意識を失うほどに。けれど彼女は意識を失っていただけだった。寒さに関して、身体は何も不調を起こしていないのだ。


「おばあちゃん、ちょっと外に出してみようよ。ほら、集落だけでも。それでダメそうなら療養してもらうって形で」


その言葉に呆れたのか、納得したのか。おばあちゃんは溜息をつくと言った。


「……分かったよ。ただし、不調を感じたら直ぐに帰ってくること。いいね?」


「わかった!」

「分かりました、ええと……」


カイはおばあちゃんの呼び方に戸惑っているようだった。おばあちゃんは一転して笑うと、言った。


「おばあちゃん、でいいよ。アタシみたいな老いぼれはね」

「分かった。ありがとう、おばあちゃん」


そう言って、彼女は笑った。それは、女神の微笑みのように可愛らしく、美しかった。


「しかしその服じゃ出られないね。クルネ、服を貸してあげなさい」

「分かった!こっちに来て!カイちゃん!」


今彼女が着ているのはあくまで村長に全裸を隠すための寝巻きだ。これでは外に出られない。もっと厚手のものでなくては。


「どれが好きなのある?」


クローゼットを開いて彼女に見せる。様々な洋服が入っているが、カイは困惑してから一言言った。


「ごめん、分からない。だからクルネに任せたい」

「ん!分かった!」


さてどんな服が良いかな。無難なものでいこう。

雪国グレイシアならではの服、デザイン重視でありながら暖かいものもあるがここは最も暖かい毛皮のブラウンの服とコート、同じ素材のズボンを選択した。


「はい!ごめんね、デザインより安全重視で!」

「クルネは謝らなくて大丈夫。頼んだのは私だから。すぐに着替える」


そう言って寝巻きを丁寧に脱ぐと、私に渡してくる。


「……ええと、その辺りに置いておいていいよ?」

「分かった」


彼女は寝巻きを広げたままベッドの上に置く。そのまま着替え始める。

私も着替えないと、と思って学校に着ていく服を選び始めた。


カイはもこもこ、私はいつも通り少し暗めのオシャレデザインの服を選んだ。部屋を出ておばあちゃんに挨拶する。


「じゃあ、学校行く前に少しだけカイちゃんに外を見せてくるね!」

「あいわかった」


そう言うと外に出るべく扉に向かう。そこでカイが言葉を発した。


「クルネ」

「何?カイちゃん」

「私にちゃん、は要らない。カイでいい」

「……!うん、分かった!行こう!カイ!」


そう言うとやはり彼女は美しい微笑みを見せて、手を握った。

がちゃり、と扉の外に出ると吹雪は収まったものの、まだまだいつもより雪が積もる状態ではあった。


「どう?カイ、寒くない?」

「全然平気」


そう言って彼女は地面の雪に触れる。そうして頷くと、立ち上がる。


「……この中に埋もれていたのね。それは、冷たそう」

「あ、あはは……他人事みたいだね……」


やはり不思議な少女だと思いつつ、村長の家へと案内した。


「村長!クルネです。昨日の子が起きたので一緒に来ました」


そう声をかけるとガチャりと扉が開く。


「おやおや、もう目が覚めたのかい。それはそうとお上がりなさい」


お邪魔します、と言うとカイも釣られてお邪魔します、と返す。


「さて、じゃあもう一度魔法で体調を見ても大丈夫かの?お嬢ちゃん」

「私はカイ。魔法、見せてもらいたい」


ほっほ、と笑いながら村長がカイの額に手を当てる。緑の光が出ると同時に、集中して何かを見ている。

数十秒した後。村長は頷く。


「うむ。体調は大丈夫じゃ。どこも……本当にどこにも不調が見られない」

「ほんと!?やったぁ!」


これで学校に連れて行ける、と思った次の瞬間。カイが思いがけない事を言った。


「クルネも見てあげる」

「え?」

「!?」


そう言った次の瞬間、カイは緑の光を出しながら私の額に手を当てた。


「体温36.7度。体調にこれと言った不調は見られず。……ん、右脚部に少し腫れがある」

「な、なんじゃと!?クルネ!右脚を見せるんじゃ!」


焦ったように言う村長に、私はあたふたしながら座って右脚を出した。

村長は手を当てて、ハッとする。


「確かに、少し霜焼けしたような腫れがある……すぐに治すから待っておれ」


医療道具を取りに行った村長を見送りながら、私はカイに聞いた。


「なんで、魔法を……」

「今、使ってもらったから」


それを聞いて、私は恐ろしい可能性に気がついた。

彼女は確かに何も覚えていない。実際、フランスパンも魔法も『実際に見るまで分からないもの』だった。

逆に、教えてもらえば直ぐに扱えてしまう。もっと言えば、使われるだけでも分かってしまう。そんな神様のような存在だとしたら?

とにかく、釘だけは刺しておこう。


「カイ、回復魔法っていうのはね。使える人が割と少ないの。ここだから良かったけれど、魔法を無闇矢鱈に誰かに見せちゃダメだよ?」

「分かった、教えてくれてありがとう。クルネ」


そう言ったカイはぺこりとお辞儀をしてくれた。

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