第2話

スープを片付け、学校の宿題も終わらせた後。その日のうちに村長が来た。

村長はこの集落で唯一治癒魔法が使えるおじいちゃんだ。彼女に簡易的ではあるが服を着せてから私の部屋に招いた。


「お邪魔するぞクルネや。……それで、この子が雪の中で遭難していたって女の子かね?」

「うん、村長」


どれ、と近づいて村長は手を彼女の額に当てる。

そこから緑の光が溢れ出す。回復魔法の証だ。

回復魔法は一時的に身体の機能を良くする事から、傷を塞ぐ。更に高名な人にまでなると死者寸前の人を蘇生する、なんて噂もある。

村長はその中では一番習得出来る人の多い身体の機能を良くする魔法使いだ。なので医者も兼業している。

ドキドキしながら見守っていると、掌を離してこちらに向きかえる。


「不思議じゃ」

「え、不思議?」


思わず素っ頓狂な声でオウム返ししてしまった。同席していたおばあちゃんが聞く。


「それはどういうことだい?」

「この子の容態じゃが、確かに冷えによる睡眠状態じゃろう。しかし、それ以外の異常が見当たらないんじゃ。

雪の中で遭難すれば少なくとも霜焼け、低体温症、そういったものがあるじゃろう。現にこの子は触った時まだ冷たかった。

だからおかしいんじゃ。聞いたところによると、この子は全裸で雪の中に居たと。ならば低体温症で死んでいて当然なんじゃ。現に身体の機能はどこも死んでも、衰えてもおらん」


言いたい事が分かった。低体温症を発症していたものの、彼女は冷たいだけ。つまり死とは程遠い場所に居た。

余計に分からなくなってきた。この子は一体、どうしてあんな場所に埋もれていたのだろう。起きたら聞いてみよう。


「さあさ、それにしても寝る時間じゃ。儂は帰るとするよ」

「あ、ありがとうございました村長!」


そう言うとおばあちゃんが席から立って見送りに行った。私は、寝ているこの子を傍目に自分はどこで寝ようかと考え始めた。


結果、床。おばあちゃんに毛布を貸してもらって床に敷いて寝ることにした。少し、いやかなり寒いがベッドに病人を連れ込んだのは私な以上、何も言えない。

パチリ、と部屋の電気を消して毛布にくるまって、私も寝始めた。

ごろん、ごろん。寝返りする度考える。

この子はどこから来たのか、何が目的であそこに居たのか。


「あー、やめやめ……。明日も学校なんだし素直に寝よ」


そう呟いて思考を放棄して身体を縮こませながら寝た。

______________________________

翌朝、目を覚ますと慣れない床での睡眠のせいか身体が痛かった。


「いったたた……」


腰の辺りを擦りながら起きると、ベッドの上の子と目が合った。


「……」

「……」


目を合わせてみると、その人外離れした美しさに言葉を無くす。

なんて深く、こちらを見据える濃い蒼の瞳。その子が、こてん、と疑問げに首を傾げた事でようやく私は自我を取り戻した。


「目が覚めたんだね!?ちょっと待ってて!おばあちゃん呼んでくる!!」


こうして毛布を抱えたまま私はおばあちゃんの所へと部屋から駆け出した。


数分後。おばあちゃんの手により朝ごはんが彼女の手にも握られていた。簡素なパンと温かいポタージュだ。彼女は戸惑っているようだった。


「遠慮せずお食べなさいな、まずはそれからよ」

「そうだよ!私もいただきまーす!」


そう言うと、少女は何かハッとした様子を見せてから、ハッキリとした声で言った。


「頂きます」


その声は透き通る空気、一点の曇りもない晴天のような雑音など一切挟まれない声だった。


食べながら彼女を見ていると、おばあちゃんに質問していた。


「これは……何、ですか?」


そう言って見せたのはパンだった。明らかに未知の物体に困惑している顔だ。それに対しておばあちゃんはにこやかな表情をしながら答えた。


「パンだよ。ウチはこの子に学校ついでに買い出しに行ってもらっていてね。そこで買ってきてもらっているのさ」


「……パン。二種類の粉と水、その他を掛け合わせて作られるもの。これはフランスパン、と呼ばれている一種……。ありがとう、ございます」


その答えにはおばあちゃんも私も驚愕せざるを得なかった。

この子の質問の意図は表情から見るに、『何故パンを持たされているか』ではなく『これは何なのか』という顔だった。

なのに、パンの説明を聞いただけでこれがどういったパンなのか、材料から作り方まで簡易的ながら当てて見せた。そして、それは全て正しい。

これはフランスパンと呼ばれる、雪国グレイシアの伝統的なパンである。


「驚いたよ。お前さん、パンの知識があるのかい?」


おばあちゃんの問いに、彼女は不可思議な答えを返した。


「今知った。貴女が教えてくれたパン、という言葉のお陰で」


分からない。彼女は謎に包まれていたがますます謎に包まれていく。


「……アンタ、何者だい?」


おばあちゃんが警戒心を強めながら問いかけると、フルフルと首を横に振る。


「分からない」

「分からない……?何処から来たとか、何しに雪の中まで歩いてきたとか。何かあるだろう」


その問いに彼女は、やはり首を横に振った。


「……分からない。何処に居たのか、何をしてきたのか。私は……雪の中にいたの?」


(……記憶喪失……)


多分おばあちゃんも同じことを考えているのだろう。

恐らくグレイシア出身の子が何らかの理由で記憶喪失になり、辺鄙な雪の中に迷い込んだ。パンと聞いて分かったのは記憶の一部にフランスパンの記憶があったから。


「……そうかい。ならせめて名前は覚えていないかい?」

「うんうん!名前は大事だよ!あ、私クルネって言うの!」

「こらクルネ!」


叱られても彼女は気にすることなく、こちらを見ながらただ一言、やはり曇りない声で名前を届けてくれた。


「カイ。……それが、私の名前」

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