(SS)ギブ・ミー・ドリーム

宇宙を、宇宙を手に入れようと言い出したのはあの男だ。

欲情もエロスも、ついするタナトスも知らない少年を救い出したのは、

紛れもない好奇心だ。

学校に行かなくなり、引きこもりがちになった僕を救ってくれた太陽はあの男だ。

その男はもういない。つい先日のことだった。


男が乗ったロケットが、大気圏を脱出しようとしたとき、空中分解したのだ。

白い煙は、やがて黒い煙となり火の粉が見える。チリジリとなって、かけらが落ちている。

空を見上げる多くの人が、口に手をやって驚きを隠せなかった。

テレビでは生中継され、そのショッキングな映像は世界中に流された。

僕がそのことを知ったのは、それから3日後のことだった。


あの男に比べ、体が元から悪く、学校にもいけなくなった青春時代。

ならば生きる意味などなかろうと、ひたすらに生の意味を問い続けた。

教師や親に反抗し、部屋にこもった。

ゲームなど、くだらないものはする気になれない。

ただあるのは、あの偉大な哲学者ニーチェの本を手に取り、引き寄せられる甘い香りにそそられた自分。

そんな自分を肯定するかのように、あの男は毎日のように僕の部屋へとやってきた。

”生きるのは辛いかい”

お前は、セラピストか何かなのかと問いたかった。

そんなことを口にするやつは、あの男以外に居なかったからだ。

”周りのやつは、どうやって生きているんだろうね。生きるのはつらいよな。どうやって生きていこうか”

あの男は、そう哲学的な事を話しては得意げに知識を披露した。

哲学者たちがどういうことを、考えていたのかを。

美形で、何かそそられるものがあった。僕は惹かれた。

しかし僕は分かっていた。

生きる意味などないということを。

人間など、宇宙という膨大な世界の隅におかれたものに過ぎない。

だから、あの時の僕がしたかったのは、生きる答えを欲しいんじゃない。

そんな風に、生きている自分そのものを肯定して欲しかった。

なら、あの男は自分の何なのかと言えば、なんなのだろう。

とても大事な人だったんじゃないかと、思ったんだ。


”2人で、宇宙に行こう”

あの男は確かにそう言っていた。

星空を観に、2人で家出したあの日。

映像や本だけで、どうしてこの溢れんばかりの気持ちを抑えられようか。

僕たちはこのころから、ある一つの結論に辿りついていたと思う。

”この世界では、僕らを受容することなどできない”

何度あの男と話しても、僕はこう感じていた。

恋人と乗る観覧車も、いつの日が訪れる結婚も、触れたくなるわが子の肌も

すべてすべて、物足りない。満たすことは出来ない。

いいや、僕たちはすでにそれ以上の何かを手に入れていたから。

”もちろん、2人だけで…約束だよ”

星光に照らされていた、あの男の瞳が、僕を震え上がらせた。

僕に最大と最高の肯定を与え、僕は、僕は。

どうか、世界中の光で僕たちを照らしてほしいと思った。

全ての光を奪って、キミに。あの男に捧げたい。


しかし、2人でかなうはずはなかった。

ろくに勉強もせず、卓上の空論を重ねていた僕は、宇宙飛行士の試験に受からなかった。対照的にやつは、受かった。当り前だ。

あの男は、僕を責めた。

裏切ったな、と。首根っこを掴まれて。

なら、自分がこの資格を君に与えてやる。お前も来てくれ。じゃないと、俺は宇宙にいっても意味がない、と。

僕はそれからまた、引きこもった。

興味が無かったゲームに手を出した。ああ、こんなに何も考えず、自分を肯定してくれるものがあったんだなと享受した。バカだ。

そうして、あの男と会わずに月日は流れていった。


あの男は、人類で11番目に宇宙に行く事になる。

人類の進歩、希望、夢。

そういうものを全て抱えて。

あの男は、1人で希望となれる。

僕がいなくても、きっと。

そうして、そうして、自分を肯定しようとした。

でも、出来ない。

なぜだろうね。

”2人で、宇宙に行こう。宇宙を手に入れるんだ”

じゃあ僕を連れて行って。

ねえ。


なんて、言えないし言わない。

言えるほどの資格も地位もない。

なあ、頼むから。

最大の引力で、お前を引き寄せてもいいだろうか。

重力を逆転させて、僕が、受け止める。

行かないで。

置いていかないで。


そんなことを願ったのは、あの男が飛び立つ3日前だった。

気づけば俺は精神不安となり、それから1週間ほど無意識状態に陥った。


その僕の願いは、最大で最悪の結果を招いたことを知ったのは、事故から3日後だ。

あの男は、空中で散った。

皮肉にも、はじめはその散り具合が美しいから、何かの演出だと勘違いしたやつもいたらしい。

はじけるように、散った。

信じられなくて、嘘だと言ってほしくて、また精神不安となった。

事故の原因は不明だそうだ。

僕の願いが、叶ってしまった。





それから、何年たったか分からない、

自分でも分からない。

僕は再び立ち上がった。

そして、宇宙飛行士になった。

勉強なんてしたことがなかった。

けれど、あの男のせなかを追いかけるためにと思えば

どんなことも耐えられた。


そして、ここにいる。

あの男が散った大気圏を脱出しようとしている。

すさまじい音が外部から聞こえる。

地獄かのような音だ。

艦内の温度は上昇し、重力がかかる。

苦しい。あの男も、これほどの重力に一瞬耐えたのだろう。

なあ、僕は今どんな顔をしていると思う。

重力に耐えようと、すこし笑っているんだ。

口角を上げようと必死なのさ。


ああ、大気圏を抜けた。

ふっ、とさっきまでの辛さは消えたが、消えない不安のようなものが僕を襲った。

かつて、ガガーリンが述べた青さは、これほどのものだったか、と。

地球は、青かった。

いや、

かつて、地球は青かった。と。


しばらく浮遊し、もうすぐ国際宇宙ステーションと繋がると知らされた。

地球を眺めながら、僕はこのまま、宇宙のどこへでも行けると思った。

あの男が居ない世界なんぞに、意味はない。

さっさと、滅びればいい。

でも、あの男が愛した世界なら、僕はまた戻ろうと思う。

だけど今は感じれないんだ。愛を。あの男の愛を。

聞かせてくれないか。

僕がこの星に居ていい理由を。


しばらくたって、

僕は目を横にやったとき、小型の宇宙船がついていることに気づいた。

これがSF小説だったら、僕はきっとこの船に一人で乗るのだろう。

そしてあの男を迎えに、宇宙の果てにでも行ってやろうと思う。

しかしこれは現実で。生きなければならないから。

でも、どうしても、


”2人だけで”


その言葉を、かなえたくて。


気づけば、国際宇宙ステーションとの連絡を遮断し、他の乗組員たちを追いやって

気づかれぬよう酸素を抜いていった。

徐々に真空へと近づくことも知らずに、彼らは生きている。

やっと酸素減少アラームが鳴って、でもその時彼らの意識は朦朧としていたから、僕が酸素を抜いたことに気づかずに死んでいった。

これでいい。

僕は大きく息を吸った。わずかな酸素ボンベで、酸素を入れていた。

たった数分でいいから、2人で居たい。

僕の意識が消えるその時まで、2人で居よう。

そう思って、宇宙船のあらゆるものを破壊する自爆装置に手をやろうとした。

しかし僕は、背後のまだ意識のある乗組員に気づかなかった。

僕は頭を殴られ、きを失いかけていた。

でもその瞬間に、僕は自爆装置に手をかけていた。

僕はにやりと笑った。

あと3分で自爆すると艦内放送が流れる。

乗組員はありえない、という顔で僕を見つめ、次第に意識を失った。

これが、僕の、望んだ世界?


”ねえ、どうやって生きようか。この、醜い世界で”


醜さこそ、僕らの生きる意志だ。

他人を這いずり回ってでも、お前に会いたい。

お前もそうじゃないか?


やがて、真空に近づいていく。

生身の人間は、真空に耐えることは出来ない。

それはまるで空虚な世界で生きることを阻む、人間の運命に似ている。


「美しかったかい?最後は」

居るはずのない、お前の声が響いた。

宇宙船の扉を開け、宇宙服を着た、あの日のお前が。

「なん…で?ここ、真空なの、に」

「なんでだと思う?宇宙って不思議だよね。なんでもできてしまうんだ」

相変わらずあの男は美形だ。

「僕、やっとなれたんだ。宇宙飛行士に」

「知ってる。ずっと見てた」

「なあ、どこへ行く?」

あの男は、きっと思い出に過ぎない。

「ひとまず火星に行こうか。それから、ブラックホールを近くでみよう」

あの男は、きっと夢に過ぎない。

「いいね」

僕はそんな独り言をつぶやいて、意識を失った。

最後に聞いたのは、無音で爆発し、美しく飛び散る宇宙船だった。



2人だけで飛行を続ける宇宙船の夢を、

僕はやっと手に入れた。



(SS)ギブ・ミー・ドリーム






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