(SS) かもめ
本能的な話をすれば、彼女が欲しい。彼女をもう一度抱きたい。
横たわった彼女の息づいた肌に手を静かにのばし、砂に触れるかのこどく触れる。
壊れぬようにそっと息をふきかけ、まだ暖かいことを確認し、目を閉じる。
そして、揺れる波音に身をゆだねる。
想像を膨らませ、さあ波よどこへでも連れてゆけ、と。
二度と目は覚めなくてよいから、ここではないどこかへ私達を連れて行ってほしい。
お願いだから。
彼女は美しかった。
彼女を初めて見たのは、彼女の父が王となった戴冠式のことだ。
そこには世界一硬いと言われるダイヤモンドや、スペインから奪い取った銀を身に着けた貴族たちが大勢並んでいた。そして、付け髭やかつらをしているその連中が本当に見たいと思ったのは、異国の王の聖なる日ではない。
その王女、つまり、彼女のことなのだった。
ブロンドヘアに、エメラルドグリーンの瞳を持つと言われる彼女は、王の近くに座っていた。目立たぬようにと、側近の女たちに紛れていたがすぐに分かった。
まるで、かごの中の鳥のようにもの静かで―—だがしかし、内なる輝きを秘めた―
どんな宝石よりも美しい心を持っている。そう確信した。
私は王に忠誠のしるしとして、貢物をせねばならなかった。
私が選んだのは、私の国で作った鋭く勝者にふさわしき、剣であった。
大勢の貴族が王に献上していく中——ついに私の番がやってきた。
私が持つ剣に大勢の貴族は息をもらす―—美しすぎて、誰もが欲しいと思うだろう。
中心には、力強いルビーをはめ込んだ。どんな盾でも貫いて見せる。そんな威厳を込めたのだった。
私は剣を王にゆっくりと授けた。ランプの光が剣の輝きを増し、光が反射してまるで剣が光っているかのように見えた。
王は満足したのか、私に何が欲しいのか、と聞いてきた。
私は、少し考え、まぶたを、瞳を、陰から見ているあの王女へと向けた―—。
王女も目線に気づいた。王女のあの瞳は、寂しそうであった。何かを恐れ、しかしまた何かを欲しがっている―—。届かない先にあるものをとろうと奮闘している。私には火が見えた―—彼女の、瞳に。しばらくして、王女は恥ずかしそうに奥へと行ってしまった。
王はそのことに気づいたのか、私にこちらに来るようにと手招きをした。
王は―——すでに、いいなずけが居る。我々の世界は、こうして生きている。すまないが、君の世界とは別世界なのだ。彼女は、生きられない―—外の世界では。
私はそう聞いてすぐさま立ち去り、王室を出た。
護衛兵に会釈をして、レッドカーペットがしかれた長い階段を降りる。
かろやかなクラシック音楽が聞こえなくなるまで、その長い階段は続く。
…
がしかし、私の何が、一体、私を動かしたのかわからない。
誰かに言われたわけでもなく、体は再び王室へと戻っていた。
護衛兵は不審な目で私を見つめ、私を止めようと追いかけてきたが―——
私は振り払った。お手製の剣を振り回して、誰も近づくなと言い放った。
そのことは王室にも届いたようだ。
側近たちが肉の壁を作るが―———私は構わず、近づいてくるものを刺した。
腹を抱え苦しむものを足でしりぞけ、血塗られた地面を横目で見ながら王室へ向かう。もはや、誰も私に近づかない。私は無敵の状態にあった―——。
王は大金を抱えて待っていた。
私が来ることを知っていたかのように。
頼むから―——、娘は渡せない。これで許してくれないか。
そう命ごいをする王に―——腹が立った。私は王の元に近づいて、そっと囁いた。
なら、なぜ、剣を使わないのです。
あなたのペンは、剣よりも弱いようです。
あなたはふさわしくない。
私は容赦なく王を刺した。
駆け付けた護衛兵に取り押さえられそうになったが、王女がやってきた。
そして、その人を解放せよ―—二人きりにせよと命じた。
護衛兵はおずおずと、私の身体をゆっくりと離した。まるで、猛獣を解き放つかのように。
王女は被っていた側近の服を脱ぎ、下着姿になって私の前に現れた。
王が死んだ今、私がすべての権力を持っています―———私は無力です。
どうです、見てください。私の身体はやせ細っています。
あなたに抱かれても、おそらく何も感じません。声も発しません。
18年間———私のからだは、全く成長を遂げていないのです。
初潮もなく、男も知りません。
貴方は―—戴冠式のときから私を知っています。
どうか、私をどうこうしたいのならどうぞ。でなければ、殺しなさい。
彼女の瞳の炎は、輝きを増していた。
メラメラと燃える、必死の覚悟がじわじわと伝わる。私の身体はびりびりとして、強く抱きしめたいと感じた。
私は気づけば、彼女の細く崩れてしまうような手を引っ張って―—
連れてきた馬に乗せ、山道を走っていた。
国は―——私が帰ってこなければ、妹に受け渡す、と告げて。
彼女を山小屋に連れて行った。
彼女は何も言わず、その夜、私を受け入れた。
明け方。
彼女に、どうして、私に連れ出してほしかったのか、と言った。
彼女は、朝露に消える霧のごとく、声を細くし、口を開いた。
私は―—運命に逆らうことはできない、だから、あなたが必要なのだと言った。
私は突如として、彼女をここから別の場所へ連れていかなければ、という気持ちに襲われた。
海を見た事があるか?、と聞いた。彼女はそれはなんだ―—と言った。
私は再び、彼女を馬に乗せ走った。
朝日に照らされながら、海が見える崖へと走った。
彼女はこんな音を初めて聞いたのだ―—と言って、その場にすわりこんだ。
私は哀愁ある彼女の横顔を見つめ、ほおにてをやった。
彼女は嫌なようで―—私の手を振り払った。
1週間後、彼女は弱り始めた。
私の気持ちは、海の中に大事なものを落として、拾い上げようとも出来ない―——そんな虚しく、切ない気持ちでいっぱいであった。
衝動的な自分の気持ちが、彼女の環境を変えてしまった。
しかし彼女は、私に、ありがとうと言ったのだ。
私は、どれだけ心がきれいなのか、と思った。
せめて、消えてしまうのなら。
海の泡として消える方が良いのだと―—童話の人魚姫さえも思うだろうに。
そうして―——
地平線に、太陽が昇っている。
この世を、不条理なこの世を肯定するかのように、美しい。
私は、彼女を浜辺に横たわらせた。
仰向けに寝かせ、息が苦しくないように。
彼女にかかった砂を取り払って、虫や動物を寄せ付けぬように。
美しいまま死なせてやりたい。その一心で―——。
彼女の息はだんだんと、小さくなっていった。
波音にかき消されてしまわぬように、私は彼女の顔に顔を近づけた。
そして彼女は、私につぶやく―—
もう一度、私の手を引いてくれないか。
私を連れ出してくれないか。
不条理な世の中に垂らされた、純粋無垢な、その涙が、私を急き立てる。
私は波音に聞こえぬように、すまなかった、と息をもらす。
彼女はその息を口で受け取った。そしてそれを最後に、彼女は息絶えた。
彼女の暖かさは、この地球の上がっていく温度とはうらはらに、冷たくなってゆく。
目を閉じても、何も思い浮かばない。
私は、彼女の体を持ち上げ、海へ入った。
だが、ここでは違うと思い、崖へと向かう。
波が崖の下で砕けている。
静かな空間はもうどこにもない。
王が言っていたことは本当だったのだ―—彼女は、ここでは生きられない。
不条理な世界に連れ込んでしまったのは、この私なのだから。
彼女の体は宙に舞う。
地球の重力に逆らって、天へと昇ってゆく―——
きっと、そうなのだろう。
あれほど美しいのだから、海の中に体は沈んでも、魂は救われるのだろう。
どうか、私を許してほしい。私は、またここにやってくるから。
私は、そう言って、地平線から昇る太陽を再び見た。
そして―——
私が見たのは、輝く光の中で、
必死に泳いでいる
一羽の美しいかもめであった。
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