◆綾さんの深夜脱走計画◆

俺の義理の母親である綾さん。

親父の再婚相手である綾さんは戸籍上は俺の母親。

だけど、親父とより俺との方が歳の近い綾さんは、俺にとって母親というよりも姉的存在だ。

初めて会った時から親父の息子である俺に媚を売る事もなく、ズカズカと俺の中に入ってきた綾さん。

親父の目の前であろうと俺が間違ったことをすれば当たり前のように殴ったり蹴ったりする女。

ガキの頃に叩き込まれて習慣というのは恐ろしく、未だにケンは綾さんに怯えている・・・。

今まで、繁華街で俺が女といるのを見掛けても大して興味を示さなかった綾さん。

……だけど、美桜に関しては違った。

興味を示さないどころか喰いついてきた。

……まぁ、綾さんや親父は俺が自分の部屋や車に女を連れ込まない理由を知っているから、俺の部屋に美桜がいる事が分かった時点で今までの女とは違う事に気付いたのかも知れない。

初めて綾さんと親父が住んでいる実家に美桜を連れて行った時、微かな心配があった。

綾さんは女らしい女が苦手な人だ。

女嫌いという訳じゃないらしいが・・・。

何度か綾さんの数少ない女友達に会ったことがある。

一見、可愛らしいタイプの女。

だけど、口を開いた途端その印象は一瞬で崩れた。

サバサバとした性格で、口の悪さは綾さんそっくり。

昔、綾さんと凛さんは男のチームに所属していたという話にも納得出来た。

タバコを銜えて過去の想い出話に華を咲かせる二人はどこからどう見てもタチの悪そうな人間だった。

人を外見だけで判断してはいけない。

俺はそれを身を持って学んだ瞬間だった。

その凛さんから聞いた事があった。

『綾は女の子らしい性格の子が苦手なの』

『女の子らしい性格?』

『そう、蓮くんの周りにはいない?“一人じゃ生きていけません……”みたいな女の子。トイレに行く時も誰かを誘ったり、集団の中じゃないと何も出来ないような女の子』

『あぁ』

凛さんに言われて確かにそういう女がいることに俺は頷いた。『綾はそういう子が苦手なのよ』

『……なるほど……』

『だからこそ……』

それまでニコニコと話していた凛さんが急に真剣な顔をした。『……?』

『なんで、綾と私がこんなにも長い付き合いなのかが謎なのよね』

『……』

『ほら、私って女の子の象徴みたいな女じゃない?』

『……』

『綾は男が女の皮を被ったような女だけど、私は身も心も女じゃん?』

『……』

……この人は俺になんて言って欲しいんだ?

同意して欲しいのか?

……いや……。

無理だ。

俺は嘘だけはつきたくねぇ。

『綾さんと凛さんはそっくりだから気が合うんじゃ……』

『は?』

凛さんの眉間に寄った皺。

『……』

『私と綾がそっくり?』

『……』

『そんなはずないでしょ!!』

そう言って楽しそうに笑った凛さん。

……いや……。

誰が見てもそっくりだと思うんじゃねーか?

眉間に皺を寄せた顔なんて同じだったぞ。

この日、俺は綾さんと凛さんがずっと親友でいられる理由が分かった気がした。

美桜は、決して綾さんが苦手なタイプではない。

むしろ、人と行動するより一人で行動する事を選ぶタイプだ。

……でも、見た目的には……。

“弱々しくて守ってやりたくなる女。”

俺が美桜の強さに気付いたのも言葉を交わすようになってからだった。

綾さんはきっと分かってくれるはず。

そう思う反面微かな心配があったのは確かだった。

……だけど……。

そんな心配は要らなかった。

綾さんは美桜に初めて会った次の日に俺に電話を掛けてきた。空に陽が登り始めうっすらと窓の外が明るくなり始めた頃、俺はケイタイの振動の音で目を覚ました。

俺の腕の中にはスヤスヤと眠る美桜。

片腕は美桜の身体に絡めたまま、もう片方の手を伸ばしケイタイを掴んだ。

ケイタイの液晶に映るのは“神宮 綾”の文字。

俺は美桜の頬に唇を寄せてから、ベッドから離れた。

寝室からリビングに行きソファに腰を下ろして

からケイタイを耳に当てる。

「……はい」

『おはよう、蓮!!』

「……朝っぱらから元気だな……」

目の前のテーブルにあるタバコを手に取ると火を点ける。

『あんたのテンションが低すぎるんでしょ?』

いつもと変わらず口の悪い綾さんに苦笑してしまう。

「……で、なんか用か?」

『えっ?……あっ!!そうそう、忘れる所だったわ』

……忘れるくらいなら大した用事じゃねぇーな。

『美桜ちゃんのことなんだけど……』

その一言に、タバコを銜えようとしていた俺は自然と動きを止めた。

「美桜がどうかしたのか?」

綾さんと美桜は昨日が初対面。

わざわざこんな朝早くに連絡をしてきた綾さん。

その綾さんの口から美桜の名前が出た事で俺が嫌な予感を感じたのは事実だった。

『あの子はとても強い子ね』

自然と低くなった俺の声に気付いていないのか綾さんの口から出た言葉に俺は更に驚いた。

「は?」

『美桜ちゃんは強い子だわ』

「……」

『最初見たときは弱々しい印象だったけど、あの子は弱くなんてない』

「……なんで……」

『うん?』

「なんで、そんな事が分かるんだよ?」

俺の問い掛けに綾さんは小さく笑って答えた。

『瞳よ』

「瞳?」

『私は、伊達にあんたより長く生きてない。瞳を見ればその人間がどんな人間なのか分かるわ』

「……そうか」

『気に入ったわ』

「あ?」

『覚えておきなさい』

「……?」

『もし、あんたと美桜ちゃんがケンカしたら、理由はなんであれ私は美桜ちゃんの味方につくから』

「はぁ?」

『それから、響さんも私と同じ意見だから』

綾さんは楽しそうに笑った。

「……マジかよ」

『私と響さんを敵にまわしたくないなら、何があっても美桜ちゃんを泣かさない事ね』

「……んなこと、当たり前だろ」

『そうね。蓮、いい男になったわね。響さんには負けるけど』

「朝っぱらからそんなノロケ話なんて聞きたくねぇーんだけど」

『あら、ごめんなさいね。私と響さん仲良しだから、つい……てか、蓮』

「……んだよ?」

『あんた、弟か妹欲しくない?』

「はぁ!?」

『あんたがどうしても欲しいっていうなら考えてあげなくもないわよ?』

……。

……マジで、勘弁してくれ……。

「……別に俺の了解なんて取る必要ねぇーだろ?」

『……?』

「あんた達は夫婦なんだから、ガキが欲しいなら作ればいいだろーが」

『……蓮……』

「……出来れば……」

『えっ?』

「……弟より妹がいい」

小さく笑った綾さんの声が微かに震えているような気がした。『あっ!!そろそろ響さんを起こさないと!!』

その言葉に時計に視線を移すとまだ6時過ぎ。

「まだ、早ぇーだろ?」

『味見して貰わないといけないから』

「味見?」

『今、お弁当作ってるの』

「親父と出掛けるのか?」

『美桜ちゃんによ』

「美桜に?」

『えぇ、どうせあなた達外食ばかりでしょ?』

「……」

綾さんの指摘に俺は絶句した。

昨日と言い、今日と言い……。

隠しカメラをつけたり俺達を尾行したりとかしてねぇーよな?

『あんたはどうでもいいけど、美桜ちゃんは女の子なんだからきちんとバランスの取れた食事をさせてあげないとダメよ』

「あぁ」

『出来たらマサトに持って行かせるから』

「……綾さん」

『うん?』

「ありがとう」

『どういたしまして』

その日から綾さんは弁当を作ったり、美桜を食事に招いたりするようになった。

綾さんがこれだけ美桜を可愛がってくれるのは俺も嬉しい。

最初の頃は一方的に美桜に綾さんが喋っているという感じだったが今では美桜にとって綾さんは大事な存在だ。

母のような姉のような年上の友達のような存在。

綾さんには感謝してもしきれない。

あることを除いては……。

……それは……。

俺の目を盗んで美桜を至る所に連れまわす事。

月に何度か美桜が休みの日に俺は事務所に行かないといけない日がある。

そんな日は俺は美桜を実家に連れて行く。

一人でマンションに置いておくよりも事務所と同じ敷地内にある実家に連れて行った方が俺も安心出来る。

それに、美桜も綾さんに話し相手になってもらえば寂しくないだろうと思った。

だけど、これが大きな間違いだった。

綾さんは俺の目を盗んで美桜を至る所に連れまわす。

美容室、ネイルショップ、ショッピング、自分が気になるランチの美味しい店。

俺が事務所で仕事に追われている間にこっそりと……。

最初の数回はきちんと俺に行き先を告げていた。

……でも……。

最近では、いなくなった美桜を必死で捜す俺を嘲笑うかのように出掛ける。

一度、綾さんは美桜と2人で出掛けて昔の知り合いに会った事があった。

知り合いと言っても仲のいい知り合いじゃない。

昔、親父とその男は綾さんを巡って争ったらしい。

親父と張り合う位だからもちろんこっちの世界の人間。

しかも、ウチの組とはハンメの組。

組織の抗争に厳しい警察の目もあるから表向きは友好状態を保ってるが実際はお互いが相手の言動を監視していてなにかあればいつでも動ける冷戦状態。

そんな男と鉢合わせして俺が出張った結果、綾さんは俺からキレられ、親父からは厳重注意された。

でも、そんな事があったにも関わらず、綾さんが反省する事はなかった。

その時、俺は改めて分かった。

綾さんは、そのくらいの事で落ち込んでしおらしくなるような女じゃない。

俺にキレられる事も蚊に刺されたくらいにしか思っていない。親父に厳重注意されたと言っても、綾さんにベタ惚れの親父が、そう強くも言えるはずがなく……。

結局は、美桜と出掛ける時は必ず組の人間を1人連れて行くと言うことで収まった。

それから、綾さんは美桜が自宅を訪れると俺の目を盗んで出掛けるようになった。

それも昼間ならまだいい。

確かにムカつくと言えばムカつくけど、まだ我慢できる。

……でも……。

あれは美桜が高校に入学する年の春休みだった。

ゴールデンウィークに美桜と旅行に行こうと思っていた俺は4月中に終わらせたい仕事があったから、深夜まで掛かって事務所でパソコンと向き合う予定だった。

マンションに帰るのはかなり遅くなりそうだったので親父と綾さんの勧めでその日は美桜と一緒に実家に泊まることになっていた。

昼間は美桜を連れまわす綾さんもさすがに夜は出掛けないだろうと思っていた。

朝から美桜を綾さんの所に連れて行き、昼食と夕食を親父と綾さんと4人で食った。

それ以外の時間は自分がいない方が美桜もゆっくり出来るだろうと言う親父と事務所で仕事をしていた。

その日、俺は少し不審に思うことがあった。

いつもは、美桜が来るといそいそと出掛ける準備をする綾さんがその日は出掛ける素振りを見せない。

『夕食を楽しそうにキッチンに篭って作ってたぞ』

夕方に美桜の様子を見に行かせたマサトはそう俺に伝えた。

……。

珍しく大人しくしてんな。

そう思って安心した俺が甘かった。

仕事が一段落して時計に視線を向けると22時。

美桜がそろそろ寝るな。

俺は、立ち上がった。

「どうした?」

親父が目の前のパソコンから俺に視線を向けた。

親父の言葉に一斉に俺に向けられる視線。

今日は親父と俺が事務所にいるせいで組の人間も殆どが事務所に残ってる。

「小便。」

俺は事務所になっている部屋を出た。

トイレの前を通り過ぎ俺が向かったのは美桜達がいる住居に続く階段。

親父と綾さんが住む家の地下に組の事務所がある。

外から直接、事務所のある地下に行く事も出来るし、事務所を出て直接階段を上って住居に行く事も出来る。

組の人間でも階段を使って住居にいける人間は限られている。それは組の幹部クラスの人間だけ。

歩き慣れた階段を上り向かったのは美桜がいる筈のゲストルーム。

ゲストルームへと続く直線の廊下に足を踏み入れた時俺は異変に気が付いた。

ゲストルームの前には組の人間が3人。

深刻そうな表情で何かを話している。

……?

「どうした?」

俺の声に3人の身体がビクッと反応した。

恐る恐る振り返った3人は俺の顔を見た瞬間、顔を引き攣らせた。

「か……頭!?」

なんだ?こいつら。

人の顔を見てそんなに驚きやがって。

失礼な奴等だな。

「お……お疲れ様です!!」

深々と頭を下げた3人。

「お疲れ」

俺は3人に近付いた。

でもそれは3人に用事があった訳ではなく、美桜がいる部屋に入ろうとしただけ。

「……」

「……」

「……退けよ」

「……!!」

いつまでも頭を下げたままドアの前から動こうとしない3人にイラついた俺の声は自然と低くなった。

「……あの……」

「あ?」

「……ちょっとお話が……」

「なんだ?」

恐る恐るといった感じで1人が頭を上げた。

「あの……頭は美桜姐さんに……御用事ですか?」

「分かってんなら早くそこを退けよ」

「退きたいのは……山々なんですが……」

「……?」

「姐さんはここには……」

「いねぇーのか?」

「……はい」

「なら、どこにいるんだ?」

「……」

「……おい」

「は……はい!!」

「俺はここでてめぇらと話し込んでる時間はねぇーんだ。さっさと言え」

「すみません!!美桜姐さんは綾姐さんとさっき出掛けられました!!」

「……」

「……」

「……あぁ?」

「す……すみません!!」

再び深々と頭を下げた奴を見て、こいつ等は必死で綾さんを止めようとした事が分かった。

容易に想像できる。

「出掛けたのはどのくらい前だ?」

「30分程前です」

「誰が付いて行った?」

「武田が運転手で付いていきました」

「分かった」

俺は地下の事務所に向かった。

……なんでこんな時間に出掛けてんだよ?

大きな溜息を吐きながら、もっと早い時間に様子を見に来なかった事を心底後悔した。

事務所の前に立った俺は勢い良くドアを開けた。

そのドアが大きな音を響かせる。

一斉に向けられる視線。

だけど、今はそんなことを気にしてる場合じゃない。

「どうした?」

その場にいた全員が息を飲んで俺を見ているなか親父が不思議そうに尋ねてきた。

「美桜がいない」

「いない?どういう事だ?」

「綾さんがどこかに連れて行ったらしい」

俺がそう言うと親父は大きな溜息を吐いた。

「誰が付いて行った?」

「武田」

親父はすぐにケイタイを取り出すと、どこかに発信した。

俺は、机の上に置いてあったケイタイやタバコをスーツのポケットに放り込んだ。

電話の相手と短い言葉を交わした親父がケイタイを閉じ立ち上がった。

「マサト、運転しろ」

「はい」

マサトが急いで事務所を出て行く。

その後を追うように俺と親父は事務所を出た。

地下から外に出ると、エンジンの掛かった車がベタ着けされていた。

後部座席のドアを開け待っているマサト。

俺はすぐに車に乗り込んだ。

俺の後ろからやってきた親父は、車に乗り込む前にマサトに何かを告げた。

それを聞いたマサトが『分かりました』と頭を下げた。

親父が車に乗り込むとドアが閉まり、マサトが運転席に座ると車が動き出した。

「……どこにいるんだ?」

俺の口から出た不機嫌な声。

でも、親父は全く気にしていないように答えた。

「飲み屋にいる」

「飲み屋?クラブか?」

綾さんは昔、クラブでバイトをしていたらしく、その頃の知り合いが今も働いているクラブに顔を出すことがあった。

「……まぁ、クラブと言えばクラブだな」

「あ?」

歯切れの悪い親父の返事に嫌な予感がした。

「ホステスじゃなくてホストがいるクラブだ」

「あぁ?」

隣にいた親父を睨むと、親父は大きな溜息を吐いた。

「……落ち着け」

はっ!?

何を言ってんだ?このじじぃは……。

自分の女がホストクラブに行ってんのに落ち着ける奴なんていんのか?

……とうとう、ボケたか?

「お前も知ってるだろ?ホストクラブは飲む場所だ」

「……。」

「綾も美桜さんも浮気をしてる訳じゃない。楽しい時間を過ごしているだけだ」

確かに親父が言ってる事は間違いじゃない。

……でもな……。

美桜が俺以外の男と楽しい時間を過ごしてると思うとムカつくんだよ。

そう言い掛けて、俺は言葉を飲み込んだ。

それを口に出すと自分が押さえられなくなる事が分かっていた。

「……もし……」

「うん?」

「店の奴が、美桜にちょっとでも触れていたら……店潰すぞ」

「そうか……それは大変だな」

親父は困ったような表情で苦笑していた。

◆◆◆◆◆

しばらくすると車が停車した。

ドアが開き先に車を降りた親父に続き俺も車を降りた。

繁華街の中にある飲み屋街。

クラブやラウンジが入っているビルに親父が足を踏み入れた。エレベーターに乗り込み6階のボタンが押される。

いつもと変わらない表情の親父の横で俺はイライラしていた。

エレベーターが静かに止まり、ドアが開くと『いらっしゃいませ!!』と言う男の声が響いた。

その声でさえ耳障りで仕方が無い。

不機嫌な俺の顔を見て親父は笑いを堪えている。

『神宮様、いらっしゃいませ』

入り口にいた男がにこやかに声を掛けてきた。

「あぁ」

そう答えたのは親父だった。

『奥様がおみえになっていますよ』

「あぁ、知っている」

『今、ご案内いたしますので、少々お待ち下さい』

「分かった」

その男が一礼して店の奥に入っていく。

「この店、来た事あるのかよ?」

「あぁ、綾の友達がオーナーだ」

「……」

……んだよ……。

だから、そんなに平然としていられたのかよ?

俺は隣にいる親父を横目で睨んだ。

俺に睨まれていることに気付いているはずの親父は相変わらず涼しい表情だ。

……ムカつく……。

俺は舌打ちをして、壁に視線を移した。

待合い席の壁一面に貼られている男の写真。

一体カメラをどんな女だと思って撮ったんだ?って言いたくなるような表情の男達。

美桜をそんな表情で見てたら殺すぞ……。

『お待たせいたしました。ご案内いたします』

壁に貼ってある写真を全部破ってみようかと考えている時、さっきの店員が目の前に現れた。

営業スマイルを浮かべて手で店の中を差している。

「……蓮、行くぞ」

親父がそう言って店の奥へ入って行く。

再び舌打ちをした俺は両手をポケットの中に突っ込み歩き出した。

店の中には、大勢の人がいた。

たくさんのホスト。

たくさんのスタッフ。

たくさんの女。

薄暗い店内に流れる音楽をかき消すような話声と笑い声。

至る所から聞こえてくる、シャンパンコール。

そのどれもが俺を苛立たせた。

親父と俺が店の中央の通路を歩き出すと賑やかだった店内が一瞬で静まり返った。

注目されてるのが分かる。

その原因が親父だって事も……。

目の前を歩くこの男が、この繁華街で有名人だって事は俺だって嫌ってほど知っている。

突然、現れた有名人に驚くのは当たり前。

しかも、ここはホストクラブ。

父親と息子が揃って2人でホストクラブに来るっていうのはありなのか?

……いや……。

ナシだよな。

……多分……。

『こちらになります』

親父の前を歩く店員が店の奥にあったドアを指した。

そのドアには“VIP ROOM”の文字。

店員がドアを軽く叩いて開ける。

親父に続いてその部屋に入った俺はすぐに探した。

一刻も早くその顔を見たくて……。

「……美桜……」

「蓮さん!?」

俺を見た美桜の顔が嬉しそうに崩れた。

「いらっしゃいませ」

ソファの中央。

綾さんと美桜の間に座っている男が笑みを浮かべた。

美桜の隣とテーブルを挟んだ前にはホストがしっかりと陣取っている。

俺は迷わず美桜に近付いた。

「……どけ」

美桜の隣にいるホストを軽く睨むと慌てたように席を空けた。「す……すみません!!」

俺はその席に座った。

俺に席を奪われたホストが顔を引きつらせたまま、テーブルを挟んで向かいにある丸椅子に恐る恐る座った。

こいつの顔は絶対忘れねぇーぞ。

俺はそいつの顔を脳裏に焼き付けた。

そのホストは俺と目が合った瞬間に勢いよく視線を逸らしやがった。

俺の目も見れねぇーくらいなら、美桜の横に座ってんじゃねぇーよ。

その時、俺のスーツの上着の裾が引っ張られた。

「蓮さん」

聞き慣れた声。

「うん?」

俺はその声の方に視線を向けた。

「お仕事終わったの?」

「あぁ、一段落ついた」

「そっかー、お疲れ様」

ニッコリと微笑む美桜。

その笑顔を見た途端、さっきまでの苛立ちが嘘のように消えていく。

その代わりに愛おしさが溢れてくる。

「あぁ」

俺は手を伸ばして美桜の頭を撫でた。

自分の表情が緩むのが分かる。

自分でも分かるくらいだから周りの奴も気付いているはず。

それを見計らったように奴は口を開いた。

『あ……あのお飲み物は……』

ついさっき、俺に『すみません』と謝った声と同じ声。

「あぁ?」

それは自然と出た声だった。

「蓮」

親父が困ったように笑っている。

俺が不機嫌になった原因を作った綾さんは必死で笑いを押し殺していた。

綾さんと美桜の間にいるホストは営業用の笑みを浮かべていて、目の前にいるホスト2人は顔を強張らせている。

美桜だけが状況が飲み込めていないようで不思議そうな表情を浮かべて首を傾げていた。

俺は溜め息を吐いて答えた。

「……ビール……」

『は……はい!!』

目の前のホストが弾かれたように立ち上がり、小走りに部屋を飛び出して行った。

別に、俺は親父や綾さんの顔を立てようと思った訳でも、美桜とヘラヘラと談笑していたホストに嫌悪感が無くなった訳でもない。

ただ、俺が不機嫌な顔をしていると美桜が笑えなくなるから……。

美桜の笑顔が見れないくらいなら、少しぐらい我慢してた方がマシだと思っただけ。

『お……お待たせいたしました』

飛び出して行ったホストがビールの瓶を持って来た。

それから、テーブルの端にセットされていたグラスを微かに震える手で俺の目の前に置いた。

そこで、また空気が張り詰めた。

こいつが注いだ酒なんて飲めるか……と思っている俺と俺が注いでもいいのか?という表情のホスト。

そんな俺達をその場にいる全員が見つめていた。

ここだけは妥協できない。

そう思った俺はホストの手からビールの瓶を奪い取ろうとした。

自分で注いだ方がマシ……。

俺が手を動かした瞬間声を発したのは……。

「蓮さん、私が注いであげる!!」

美桜だった。

ホストからビールの瓶を受け取った美桜が「お疲れ様」と言いながら、俺の手の中のグラスにビールを注ぐ。

張り詰めていた空気が和んでいく。

俺の方を見ていた親父達が楽しそうに話しを始めた。

目の前のホスト達も、まだ顔を引きつらせてはいるもののさっきに比べると多少肩の力が抜けたようだった。

その理由は分かっている。

美桜にビールを注いで貰ってる俺の表情が緩んでいるから……。美桜が瓶をテーブルに置いた時、俺の視界に美桜のグラスが映った。

「美桜」

「うん?」

「何を飲んでるんだ?」

「ん?ウーロン茶」

「なんで?」

「なにが?」

「酒、飲まないのか?」

「はっ?」

「あ?」

「蓮さんが言ったんでしょ?」

「なにを?」

「『俺が一緒の時以外は飲むな』って……」

……。

……。

……そう言えば……。

確かにそんな事を言った気がする。

まだ、美桜と一緒に過ごすようになってすぐの頃。

ケンと3人で焼き肉を食いに行った店。

何度もビールとウーロン茶を間違って飲んだ美桜は酔っていた。

あの時は美桜が初めて酒を飲んだ日だった。

たったグラス一杯のビールで頬を染め、瞳を潤ませていた。

その時の顔があまりにも色っぽくて可愛かったから、俺は美桜に言ったんだ。

『俺と一緒の時以外は酒を飲むなよ』

その言葉は、完全に俺の独占欲の表れだった。

あの日、生まれて初めて酒を飲んだ美桜。

その日を境に、俺と一緒にいる美桜は酒を飲む機会が多くなった。

学校が休みの前の日には俺の晩酌に付き合ってくれるし、何かのイベントの時には酒を飲むことが当たり前になっている。だから、いつの間にかそんな事を言った事さえ俺自身が忘れていた。

「飲むか?」

「うん」

嬉しそうに美桜が頷いた瞬間、美桜の前に新しいグラスが置かれた。

そのグラスに俺はビールを注ぐ。

俺が瓶を置くと、美桜がグラスを差し出してきた。

「蓮さん、お仕事お疲れ様」

俺はそのグラスに自分のグラスを当てた。

ガラスがぶつかる高い音が響く。

グラスを口に運び、一口ビールを含むと美桜は一瞬、眉間に皺を寄せる。

それは、毎回の事で……。

飲む機会が増えたにも関わらず、美桜は酒の味に慣れる事が出来ないらしい。

だから、未だに美桜が飲めるのはビールだけだ。

『無理して飲まなくていいんだぞ?』

過去に俺は美桜に言った事があった。

『違うの!!』

『うん?』

『お酒の味は苦手だけど、お酒を飲んだ時のフワフワ感は好きなの!!』

どうやら、酒の味は苦手なクセにほろ酔い気分は好きらしい……。

だから、ビールの一口目を口に含んだ瞬間、美桜は眉を寄せる。

最近では口に出さなくなったけど、今でも『苦っ!!』という美桜の心の声が聞こえてくる。

その表情を見る度に俺は笑いを押し殺す。

美桜がいつも飲むのはせいぜいグラス2~3杯くらい。

その量が増える事は滅多にない。

美桜が心の中に何かを隠していない限り。

『失礼します』

場の空気が和んだ頃、部屋に黒服が入ってきた。

そいつは、綾さんと美桜の間に座るホストに近付くと『オーナー』と呼び掛けた。

床に膝をつき、ホストの耳元で何かを話している。

話を聞き終わった、そいつが小さく頷き、俺の目の前にいるホスト2人に視線を送った。

その視線に気付いたホスト達が立ち上がり『ちょっと失礼します』と頭を下げて黒服と一緒に部屋を出て行った。

“オーナー”と呼ばれた男は立ち上がるとさっきまでホストが座っていた俺の目の前の席に腰を下ろした。

「初めまして、楓です」

にっこりと笑みを浮かべて差し出された名刺。

男というよりも女のような綺麗な顔のそいつの手には模様が入っていた。

正確には、スーツから覗く肌という肌全てに墨が彫ってあった。

ホストの自己紹介といえども正面からの挨拶を無視する事は出来ない。

ましてや、親父の話では綾さんの友達。

その名刺を受け取った俺はスーツのポケットから名刺ケースを取り出し自分の名前が書いてある名刺を差し出した。

「いつも母がお世話になっています。神宮 蓮です」

楓は嬉しそうに俺の名刺を受け取った。

「いいえ、綾さんや響さんにお世話になっているのは自分の方ですよ」

柔らかい笑みと穏やかな口調、そして独特の“間”は知らず知らずのうちに会話の主導権を掴み取っていく。

自分のペースに持っていくのが上手い奴。

それが楓に対する第一印象だった。

客との距離感も絶妙。

親父と綾さんが盛り上がっていると少し距離を取る。

それでも、要所、要所ではきちんと相槌を打つ。

その行動はさりげないのに存在感はちゃんと示している。

ナルシストの多いホストという職業の男。

異性にモテる事はあっても同性には嫌われる事が多いはず。

まぁ、俺も例外じゃねぇーけど。

でも、楓には好感をこそ持てるけど、さっきのホストみたいに嫌悪感は感じない。

「綾さんとはもう10年以上、お付き合いをさせて頂いてるんですよ」

楓がそう言ったのは、3本目のビールが半分くらいになった時だった。

すでに、美桜はほろ酔い気分らしく俺の身体に寄り掛かりニコニコと笑っている。

そんな美桜に苦笑している時に楓は口を開いた。

親父と綾さんは、相変わらず二人の世界にどっぷり浸かって盛り上がっている。

綾さんの話なんて大して興味なんてねぇーけど……。

10年前って言ったら、綾さんがまだ高校生の時じゃねぇーか?

楓はどう見ても綾さんよりかなり年上。

どっちかと言えば綾さんとより親父との方が歳が近いかもしれない。

綾さんと楓の接点はなんだ?

当たり前のように浮かんだ疑問。

それは、俺が楓の話を聞こうと思うには十分なきっかけだった。

親父と楓の間には、俺が見る限り確執なんてもんはないはず。

……って事は、綾さんと楓の間に恋愛感情は無かったはず……。

「綾さんはお客さんだったんですよ」

俺の心を読んだかのように楓が口を開いた。

「……客?」

……さすが、綾さん……。

高校生の頃からホスト通いかよ。

……最低だな……。

「えぇ、私の趣味を兼ねた副業の方のお客さんです」

「副業?」

「楓は、元々ホストじゃなくて彫り師だったのよ」

今まで親父との世界に浸っていた筈の綾さんが急に振り返ってきた。

「は?前からホストじゃねぇーのか?」

「違うわよ。あんた、私が高校生の時からホストクラブに通ってたなんて馬鹿な想像してたんじゃないでしょうね?」

「……」

……なんで、こいつはこういう時だけ人の考えてる事が分かるんだよ?

こいつは、恐怖の女王の前に魔女なんじゃねぇーか?

「まぁ、通ってたのは、通ってたんだけどね」

「は?」

「なによ?」

「ホストクラブに通ってたのか?」

「えぇ」

「高校生の頃からか?」

「えぇ」

「……やっぱり最低だな……」

「……蓮」

「あ?」

「今、何か言った?」

「……別に……」

綾さんが鋭い眼付きで俺を睨んできたけど、俺は気付かないフリをして視線を逸らした。

俺は疲れてんだよ。

ただでさえ、一日中仕事をして疲れてんのに・・・。

誰かさんが、勝手に人の女をホストクラブなんかに連れ出すから。

……。

……。

……なんか、すっかり忘れてたけど……。

思い出したらムカついてきた。

やっぱ、ここは綾さんが二度とこんなことをしないようにはっきりと言っとくべきだよな。

「綾さ……」

「綾さん!!」

……俺の声は完全に掻き消された……。

今まで、俺に寄り掛かり、起きてんのか寝てんのか分からなかった美桜が突然身を乗り出している。

「なに?美桜ちゃん?」

綾さんが柔らかい笑みを浮かべて美桜の顔を覗き込んだ。

「……あの……」

「ん?」

「聞いてもいいですか?」

「うん、どうぞ」

「何を彫ってるんですか?」

「蝶々よ」

「……蝶々……」

「そう」

「……今度見せて貰ってもいいですか?」

「もちろん」

嬉しそうに笑った美桜。

「美桜」

「なに?」

「そんな事、頼まなくても嫌でも見せられる」

「えっ?」

「なぁ、親父」

楽しそうな表情で俺達の会話を聞きながら、ウィスキーのロックを飲んでいた親父に話を振った。

「は?……あぁ、そうだな……」

突然、話を振られた親父が微妙に動揺した。

「蓮、どういう意味?」

俺の発言に怪訝そうな表情を浮かべる綾さんと不思議そうに首を傾げている美桜。

「どうせ今年も着るんだろ?」

「着る?何を?」

「……夏の旅行……」

俺のその言葉で綾さんは納得したように大きく頷いた。

「もちろん!!」

満面の笑みで顔を輝かせた。

そんな綾さんに俺は大きな溜息を吐き、親父は苦笑した。

「ねえ、蓮さん」

美桜が俺の腕を引っ張った。

「ん?」

「綾さん、何を着るの?夏の旅行って何?」

「去年は行ってねぇーんだけど、毎年、夏になると旅行に行くんだ」

「旅行?」

「あぁ」

「誰が?」

「組の人間全員で」

「は?」

「あ?」

「……」

「……」

「……」

「……」

「それって……」

「……?」

「……かなり恐いんだけど……」

「恐い?なんで?」

「なんでって言われても……」

「……?」

「……」

「……」

しばらくの沈黙の後、美桜が俺の耳元で囁いた。

「旅行の時もみんな黒いスーツを着るの?」

「スーツ?いや、旅行の時は着ねぇーな」

「そっか~。良かった」

「何が良かったんだ?」

「だって、蓮さん。よく考えてみて?」

「ん?」

「蓮さんの組の人って100人くらいいるんでしょ?」

「あぁ。」

「その人達が全員揃って黒のスーツを着てホテルになだれ込んだら、ホテルの人も他のお客さんもびっくりしちゃうでしょ?」

「……まぁ、そうだろうな」

「でしょ!?」

「もし、私が他のお客さんだったらかなり驚くと思うの」

「あぁ、そうだな。でも、心配するな」

「えっ?」

「お前はどっちかと言うと驚く方じゃなくて、驚かせる方だ」

「……?」

「行くだろ?」

「……はい?」

「俺も今年は行くんだよ」

「う……うん……」

「……って事は、お前も強制的に参加する事になる訳だ」

「……」

「結構、楽しいぞ」

「……そうなの?」

「あぁ」

「……そうなんだ……楽しいんだ……」

独り言のように呟く美桜を見て、その場にいた全員が吹き出しそうになった。

「……あっ、でも……それと綾さんが何かを着るのは関係あるの?」

「あぁ、ものすごくある」

「……?」

「毎年、年甲斐も無く張り切って着るんだよ」

「なにを?」

「……ビキニ……」

「ビキニ?」

「あぁ」

「それって、別にいいんじゃ……」

「美桜、冷静に考えてみろ?」

「れ……冷静に!?な……何を?」

……いや、いや……。

美桜。

冷静に考えろって言ってんのに、なんでそんなに動揺してんだ?

「とりあえず、水飲むか?」

「水?……いえ、結構です」

「そうか?じゃあ、よく聞けよ?」

「う……うん」

「海に行って、綾さんがビキニなんか着て、誰が喜ぶと思う?」

「えっ!?誰って……男の人はみんな喜ぶんじゃないの?」

「甘ぇーな」

「は?甘い?なにが?」

「残念だが、綾さんのビキニ姿を見て喜ぶのはちょっと変わってる親父くらいだ」

「か……変わってるの?お父さんが?」

「あぁ、綾さんを嫁に貰うくらいなんだから十分変わってんだろ?」

「……」

「親父しか喜ばないって事は、逆に言えば親父以外の奴は迷惑してるって事だ」

「……」

「大体なんで俺が義理の母親のビキニ姿なんて見ないといけねぇーんだ?」

「……」

「それだったら慰安旅行じゃなくて拷問旅行だろーが」

「……」

「……蓮……」

「あ?」

「言いたいことはそれだけ?」

鋭い眼付きと低くドスの利いた声で遠慮なく俺を威嚇してくる綾さん。

間違いなくこれは綾さんがキレる前兆。

さすがに長い付き合いだからその位は分かる。

……分かってるけど、今日はここで引く訳にはいかねぇーし。

「言いたい事がこれだけな訳ねぇーだろ?」

「それなら、早く終わらせてくれる?」

「じゃあ、遠慮なく」

「どうぞ」

ニッコリと綾さんが微笑んだ。

「誰の許可を得てこんな時間に美桜を連れ出してんだ?」

「許可?そんなモノが必要なの?知らなかったわ」

「知らなかった?それで済ますつもりじゃねぇーだろうな?」

「あんた、本当に面倒くさい男ね。そんなんじゃ美桜ちゃんに嫌われちゃうわよ?」

「はぁ?」

嫌われる?

……俺が……。

美桜に?

「もうちょっと広い心を持ちなさいよ。器の小さい男ね」

「……」

「響さんぐらいとは言わないけど、もう少し成長した方がいいわね」

「……」

「……ったく、図体ばかりデカくなって、肝心な中身と生意気なところは中学生の頃から全然変わらないんだから」

「……」

「響さんに似ててちょっと顔がいいからって調子に乗ってんじゃないわよ」

「……」

「ついでに私に勝とうなんて50年早いのよ」

「……」

「ガキはガキらしく、大人しく飲んでればいいの。一人前に人にカラんでんじゃないわよ」

「……おい、コラ……」

「……」

「なに調子に乗ってんだ?」

「……」

「偉そうに説教垂れる前に自分がした事を反省しろよ」

「……」

綾さんが俺から視線を逸らした。

俺がこれだけ言っても綾さんは全く反省なんてしない。

その証拠に俺から逸らした視線はテーブルの上に向けられている。

静かに動いた手は迷う事なく、綾さんの視線の先にある皿に盛られたチーズに伸ばされた。

人差し指と親指でそのチーズを掴んで自分の口に放り込んだ綾さんが

「美味しい~」

幸せそうな笑みを浮かべた。

……。

……俺の話……。

どこから聞いてなかった?

俺の口から、大きな溜め息が漏れた。

……いつも、こんな感じ。

どうやら、綾さんは自分の都合の悪い事は一切記憶に残らない。

……いや……耳にすら入らないらしい。

こんな俺と綾さんの会話に付き合い始めの頃はオロオロとしていた美桜も今では全く気にしなくなった。

「お父さん、このイチゴものすごく美味しいですよ」

「うん?これかい?」

「はい」

「本当だ。美味しいね」

「でしょ?」

穏やかな雰囲気で微笑みあっている親父と美桜。

俺や綾さんとは全くの別世界。

……これもいつもの事……。

“放っておくのが一番”

美桜はそう気付いたらしい。

これは相手が綾さんだけに限らず、ケンの時も同様。

周りに誰かがいる時はそいつと話、誰もいない時はケイタイを弄っている。

“我、関せず”的な態度の美桜。

美桜のその作戦は効果絶大だった。

美桜が俺以外の奴と楽しそうに話していたら、その会話の内容が気になるし……。

美桜がケイタイを弄っていたら、何をしているのかがものすごく気になる。

そんな俺が言い合いに集中出来る筈もなく、結局最後は言い合いをしている事さえバカらしく思えてくる。

……そして、今も……。

美桜は、親父や楓とほのぼのな世界を創っている。

その光景を眺めていたら、その視線に気付いたらしい美桜。

「蓮さんもイチゴ食べる?」

俺の目の前に差し出された真っ赤なイチゴ。

俺は、そのイチゴを頬張った。

「ね?甘くて美味しいでしょ?」

「あぁ、美味い」

「でしょ?」

美桜が嬉しそうに笑った。

この笑顔を見れたから、今回だけは綾さんを許してやるか。

そんな事を考えていると、突然綾さんが立ち上がった。

……!?

そして、無言で俺の隣まで移動してきたと思ったらドカっと座った。

「……んだよ?」

「……」

俺の質問に答える事無く、綾さんは俺の方を向いた。

……ニッコリと笑みを浮かべて……。

なんだ?

なんでこいつは笑ってんだ?

……気持ち悪ぃーな……。

……。

……。

……。

……もしかして、さっきの続きか?

しかも、わざわざ俺の隣に移動してきたって事は……。

力勝負ってことか?

口では勝てないから力で黙らせよう!!とか考えてんのか?

笑顔で油断させて、殴るつもりとか?

……この人なら考えそうだな……。

……ったく、面倒くせぇーな。

「なにやってんだよ。早く自分の席に戻れ……」

「蓮」

俺の言葉を遮った綾さん。

その声は何故か小声だった。

「……?」

「『ありがとう。』は?」

「は?」

「私にお礼を言わないといけないんじゃない?」

……礼?

……俺が?

……なんでだ?

「それ、文句の間違いじゃねぇか?」

「文句?なんで私が文句なんて言われないといけないのよ?」

「あ?」

……こいつ……。

また、俺の話を全然聞いて無かったな。

「早く『お母様、ありがとうございます』って言いなさいよ。」

「……いい加減にしねぇーと本気で殴るぞ?」

「なんで、あんたここに来たの?」

はぁ?

こいつ、ボケてんのか?

……ったく、夫婦揃ってボケてんじゃねぇーよ。

「てめぇーが美桜をこんな所に連れて来るからだろーが」

「あら、分かってるじゃない。だったら早くお礼を言いなさいよ?」

「なんでだよ?俺が礼を言うだ?てめぇーが俺に謝らねぇーといけねぇーだろ」

「……イチゴ……」

「あ?」

「美桜ちゃんに“あ~ん”ってしてもらってたじゃない」

「……!?」

「それに、美桜ちゃんの可愛い笑顔を見て鼻の下を伸ばしてたのは誰?」

「……」

「私が美桜ちゃんをここに連れてきたから、あんたはおいしい思いが出来たのよ?」

「……」

「だから、早くお礼を言いなさいよ。」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……どーも……」

俺の言葉に綾さんの顔が輝いた。

……あの顔を俺は一生忘れない……。

「……今回だけだぞ」

「なにが?」

「今度、美桜を夜に連れ回したら、絶対許さねぇーからな」

「はい、はい分かってるってば。さて、私は響さんと飲もうっと」

綾さんは、そそくさと自分の席に戻った。

その後姿を見て俺は思った。

……間違いなく、分かってねぇーな……。

結局、その日は夜明け近くまで楓の店で飲んでいた。

「蓮さん、楽しかったね」

店を出ると美桜が言った。

「ホストクラブが楽しかったのか?」

「はい?」

「あ?」

美桜が驚いた表情で俺を見つめている。

「……ここ、ホストクラブだったの?」

……。

酔ってるのか?

……いや、酔ってると言えばずっと酔ってるっぽいけど……。

「ここが、ホストクラブじゃないならなんの店だ?」

「綾さんのお友達のお店」

「まぁ、それも間違ってはないけどな」

「もう、綾さんったら、ここがホストクラブならそう

言ってくれたちゃんとお断りしたのに……」

俺達の前を親父と歩く綾さんの背中を見つめながら美桜が言った。

「……なるほどな」

美桜がここに来た経緯がなんとなく理解できた。

「……蓮さん……」

「うん?」

「ごめんな……」

「なぁ、美桜」

「え?」

「また、一緒に楓の店に飲みに行こうな」

「また?」

「楽しかったんだろ?」

「うん!!」

満面の笑顔で頷いた美桜。

その後ろの東の空が微かに明るくなり始めていた。








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