◆毅然◆

美桜はこの数年間で人との絆を大きく繋いできた。

決して人に対して積極的に接するタイプではない美桜。

だけど、俺の身内や親友、チームの奴ら、組の奴らに対して美桜はできる限りの接し方をしてきた。

付き合い出して間もない頃は、美桜にとって緊張の連続だったに違いない。

決してマトモとは言えない人種で特殊な肩書きを持った奴らと接する美桜の笑顔はかなり引きつっていた。

それでも、どんな奴と話す時でも、相手の目をまっすぐに見る美桜。

そいつらと緊張することなく話せるようになるまでに時間はそう掛からなかった。

美桜は俺と一緒にいる事で嫌な思いも辛い思いも怖い思いも数え切れない程してきた。

繁華街を一緒に歩けば耳を塞ぎたくなるような暴言を投げかけられ様々な視線に晒される。

興味本位の視線。

憧れの視線。

羨望の視線。

妬みの視線。

憎しみの視線。

一度だけ美桜に言った事がある。

……あれは、まだ付き合い始めた頃……。

繁華街に買い物に出た俺は躊躇う事なく美桜の肩を抱いて歩いていた。

その時、暴言と視線を浴びせられた美桜が俺に言った。

「ねぇ、蓮さん。肩、離して」

「なんで?」

「蓮さんが私の肩なんか抱いてるから、みんながショック受けてる……」

もしこの時、美桜が『自分が辛いから』と言ったら、間違いなく俺は美桜の肩にまわしていた手を離し、その手で周りにいる奴らを殴ったに違いない。

でも、美桜の言葉は違った。

自分の事では無く、自分に暴言を吐いた奴らに気を使う言葉だった。

だから、俺は美桜に言った。

「美桜」

「うん?」

「お前は、俺の女だろ?」

「……うん……」

一瞬、躊躇って照れたように頷いた美桜。

「だったら、俺の横で堂々としてろ。俺以外の奴に何を言われても気にするな。お前は、俺の事だけ見てればいい。他の奴の言う事は聞くな。分かったな?」

「……うん」

「それでいい」

その日から美桜はどんなに罵られても、どんな視線に晒されても俯く事は無かった。

どんな時でも、まっすぐに前を見据えて堂々と俺の隣を歩いていた。

その毅然とした態度に美桜に投げつけられる暴言は日を追う事に減っていった。

そして、数週間が経つ頃には殆どが無くなった。

美桜の存在を疎ましく思っていた女達の言動が日を追う事に変わっていくのを俺も感じていた。

人混みの中から醜い言葉を投げつけていた女達。

一度だけケンがその女達にブチキレた事があった。

暴言を吐いた女に怒りをぶつけ、しっかりとケジメをつけさせた。

それは美桜の存在が繁華街に知れ渡った瞬間でもあった。

美桜の噂は瞬く間に広まった。

美桜が俺の女だという事。

美桜を敵にまわせば俺やケン達も敵にまわすという事。

美桜のバックには組織とチームがついているという事。

それまで人と関わろうとしていなかった美桜の情報は殆どが謎の状態だった。

噂は噂を呼び真実と虚実を含み繁華街を駆け巡った。

そんな状況の中でも、いつも毅然と俺の隣を歩く美桜。

罵倒を止めた女達は興味の視線を美桜に向けるようになった。

そんなある日俺は美桜と繁華街にいた。

日差しの眩しい午後。

翌日にケン達と海に行く予定だった俺達は水着を買いに出掛けていた。

昼飯を食った後、どんな水着を買おうかと頭を抱え悩む美桜の肩を抱き俺は苦笑しながらメインストリートを歩いていた。「ねぇ、蓮さん」

「ん?」

「可愛い系とセクシー系どっちが好き?」

美桜が突然俺の顔を見上げて尋ねた。

「両方」

「ダメだよ!!」

「なにが?」

「その答えじゃ水着が決まらない……」

「は?」

「えっ?」

「水着の話だったのか?」

「うん、そうだよ」

「……」

「ずっと水着の話だったでしょ?」

「……」

……そうだったか?

俺は少しだけ記憶を辿った。

美桜は確かにずっと水着の事で悩んでいた。

……だけど……。

それは、話してたんじゃなくて美桜が悩んでいただけ……。「で?どっちの方が好き?」

「……地味系」

「……はい?」

「もしくは……」

「……?」

「目立たない系。

可愛い系とセクシー系。

どっちの水着も美桜が着るなら見てみたい。

でも、海で着る水着となれば話は別。

地味で目立たない水着しか着せたくない。

俺が答えた後、俺の顔を黙って見つめていた美桜が口を開いた。

「じゃあ、セクシー系にする!!」

「はぁ?」

「うん?」

「美桜」

「はい?」

「お前、俺の話を聞いてたか?」

「もちろん」

「じゃあ、なんでセクシー系に決まったんだ?」

「せっかく海に行くんだからセクシーにアピールしてみようと思って」

アピール!?

おい、おい。

誰にアピールするつもりなんだ?

「……却下」

「なんで!?」

「地味で目立たない系以外は全て却下」

「はぁ?」

唖然とする美桜に俺は釘をさした。

「例外はねぇーぞ。地味で目立たない系の水着の上にTシャツを着用すること」

「……なっ……」

「ん?」

「なんでそんな掟が出来てんの?」

「あ?海には男がいっぱい居るからに決まってんだろーが」

「で……でも!!水着の上にはTシャツを着るんだから別に水着は何でも……」

「透けたらどうするんだ?」

「は?」

「Tシャツが濡れて透けたらどうするんだ?」

「そ……それは……」

「可愛い系やセクシー系の水着が着たいなら買ってやる」

「……でも、海では着れないんでしょ?」

「あ。」

「だったら買う意味ないじゃん」

「今度、親父が持ってる別荘のプライベートビーチに連れて行ってやる」

「プ……プライベートビーチ!?」

「そこで俺と2人の時に着ればいい」

自分でも分かっている。

大人げない事を言ってるって……。

だけど、これは絶対に妥協出来ない。

「……分かった」

諦めたように呟いた美桜。

そんな美桜の肩にまわしている腕に力を入れて小さな身体を引き寄せた。

自分がこんなにも独占欲が強いことを最近初めて知った。

美桜の全てを独り占めしたいと思う自分がいる。

俺のそんな気持ちに気付いているのか、いないのか……。

身体を引き寄せられた美桜は俺の腰に絡みつくように手をまわしてくる。

身体の一部が常に触れ合ってないと落ち着かない。

俺みたいに美桜もそう思う日はくるのか?

「地味で目立たない系ってどんな水着だろう?」

「スクール水着とか?」

「……いや、それだったら余計に目立つか……」

再び悩み始めた美桜。

考えている事が独り言のように口に出ている事に全く気付いていない美桜に俺は笑みを零した。

その時だった。

『こんにちは!!』

俺の耳に届いた女の声。

俺の隣にいる美桜にもその声が聞こえたようで、美桜の顔が声のした方に動いた。

美桜の視線の先を俺も辿った。

そこにいたのは美桜よりも少しだけ年上っぽい女。

繁華街では珍しくない派手目で肌を惜しげもなく露出した今風の女。

一瞬、ケンのチームの奴の彼女かと思った。

でも、バッチリとメイクを施したその顔には見覚えが無かった。

俺の知り合いじゃねぇーよな?

その予想は確信に変わっていく。

その女の視線は俺じゃなくて美桜に向けられていた。

美桜の知り合いか?

それも違う事はすぐに分かった。

美桜が不思議そうに首を傾げている。

俺は足を止める事なく、その女の前を通り過ぎようとした。

だけど女の前で美桜は足を止めた。

……?

美桜の行動を不思議に思い俺も足を止めた。

美桜に声を掛けてきた女も自分の目の前で足を止めた美桜を驚いた目で見つめていた。

美桜はその女の目をまっすぐに見つめて口を開いた。

「こんにちは」

口元には美しい笑みを浮かべて。

一瞬、女の目が大きく見開いた。

そして、嬉しそうに顔を崩した。

「デートですか?」

笑顔で女が尋ねてくる。

「ちょっと水着を買いに行くんです」

「そうなんですか?あっ!!駅の近くのショップに可愛い水着がたくさんありましたよ」

「えっ?本当に?」

美桜の顔が輝いた。

「はい、かなりお勧めです」

「そうなんだ。ありがとう」

美桜が頭を下げるとその女は戸惑ったように胸の前で右手を左右に大きく振った。

「い……いいえ、どういたしまして」

顔を上げた美桜はにっこりと笑みを浮かべ軽く会釈をした。

その女の周りには友達らしい人間が何人かいた。

美桜と女のやり取りを黙って見つめていた。

女と別れ少し離れた所で俺は尋ねた。

「知り合いか?」

「へ?誰と?」

「さっきの女。」

「はっ?」

驚いた顔で俺の顔を見上げた美桜。

「あ?」

そんな美桜を俺も見下ろした。

「蓮さんの知り合いじゃないの?」

「いや、全然知らねぇーし」

「そ……そうなの?」

「あぁ、てか、あの女俺じゃなくてお前に話し掛けてきたじゃねーか」

「ん?そう言われてみれば……」

「……」

「あっ!!誰かと間違ったのかも!!」

「……」

……んな訳ねぇーだろ……。

こいつ、全然分かってねぇーな。

この繁華街で自分がどんだけ目立つ存在なのか。

この繁華街で自分がどんだけ注目されてんのか。

「じゃあ、なんで知らねぇーのにわざわざ立ち止まって挨拶なんて返したんだ?」

「あの人が私に挨拶してくれたから」

「……そうか」

「うん。ねぇ、蓮さん」

「ん?」

「駅の近くのショップに可愛い水着があるんだって」

「あぁ、聞いてた」

「そこには、地味で目立たない系の水着もあるかな?」

「さぁ?どうだろうな?」

「……」

俺の服を美桜が握った。

「行きてぇーのか?」

「うん!!」

美桜はその店で2着の水着を選んだ。

地味で目立たない系の水着と可愛い系の水着。

「セクシー系の水着は買わなくていいのか?」

「……まだ似合わないから来年買う……」

「来年が楽しみだな」

「……楽しみ?」

「セクシーにアピールしてくれるんだろ?」

「そうだね。セクシーにアピールしてあげる」

恥ずかしそうに俯く美桜を予想していたのに……。

余裕の表情の美桜に俺の方が照れて視線を逸らしそうになった。

「……って言うか……」

「……?」

「セクシーにアピールってどうすればいいの?」

真顔の美桜。

「さぁな?」

「……」

「来年までの宿題な」

「宿題!?」

「頑張って考えろ」

「……はい」

シュンと肩を落とした美桜に俺は吹き出した。

その日を境に美桜に投げ掛けられる声が急激に増えた。

それは、妬みや嫉妬の入り混じった暴言では無く挨拶だった。『こんにちは!!』

『こんばんは!!』

『お疲れ様です!!』

今まで刺さるような視線で美桜を見ていた奴らが満面の笑みで話し掛けてくる。

手の平を返したような態度。

今までの態度があるからこそそんな挨拶なんてシカトしても全然いいのに……。

美桜は違った。

俺の隣を歩いている美桜は自分に話し掛けてくる人間がいると必ず足を止めた。

そして、笑みと共に挨拶を返す。

それは媚びているような感じでは無く毅然とした態度だった。

『知り合いか?』

『ううん、違う』

『知り合いじゃないのに挨拶すんのか?』

『うん、挨拶をしてくれたんだからちゃんと返さないと……』

幾度となく繁華街で俺と美桜が交わした会話。

あの日から時間が流れた今でも美桜の言動は変わらない。


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