◆距離感◆①

一年以上も美桜を見ている事しか出来なかった俺に転機が訪れたのは、鬱陶しい梅雨が終わりを告げ美桜の存在を知ってから2度目の夏の事だった。

その日、俺は自分の仕事を終えてからいつもの場所に行く予定だった。

事務所の机でパソコンと向き合っている時ケイタイが鳴った。液晶にはケンのチームの幹部の名前。

ケンやヒカルは別としてチームの奴から、引退した俺に直接連絡がある事は滅多にない。

だからその電話の用件は簡単に想像出来た。

ケイタイを耳に当てながら席を立ち、足は外に向かっていた。「……はい」

『蓮さん、お疲れ様です!!』

「あぁ、どうした?」

『……実は……』

電話の内容は俺の予想通りだった。

繁華街で男に声を掛けられている。

別にそれはいつもの事。

ただ、その男が……。

女をナンパして断られたとしても無理矢理連れ去ろうとする男ってこと……。

ケン達は俺が“命令”を出してから、チームの独自の情報網を駆使して要注意人物のリストを作っていた。

今、声を掛けている男もそのリストにしっかりと名前と情報が載っているらしい。

「……すぐに行く」

『分かりました』

「もし、間に合わない時には頼むぞ」

『はい、任せてください』

ケイタイを閉じて事務所を出た時、あとを追って来たマサトに声を掛けられた。

「頭!!俺が運転します」

マサトは組で唯一この話を知っている人間だった。

「あぁ、頼む」

「はい!!」

マサトは嬉しそうに頷いた。

俺が後部座席に乗り込むと急発進した車。

「5分で着きますから」

マサトが前に視線を向けたまま言った。

「あぁ」

窓の外で勢い良く変化する景色を見ながら俺は口を開いた。

「なぁ、マサト」

「はい?」

「今は、敬語を使う必要なんてねぇーだろ?」

マサトがルームミラー越しに俺に視線を向けたのが分かった。「悪ぃ、つい癖で……」

「その癖、早く治せよ」

「……分かった」

やっと敬語を使わなくなったマサト。

その話し方の方がしっくりとくる。

元々マサトは俺がトップを張っていたチームの幹部だった。

別のチームでトップを張っていたマサト。

そのチームを潰したのは俺だった。

そんな俺をマサトは殺したいくらいに憎んで

いたはず。

それでも俺に付いてくる事を決意してくれた。

俺にとってB-BLANDのメンバーに加入したマサトは家族同然の存在。

マサトは口数は少ねぇーけど誰よりも人への気遣いを忘れない奴。

その言動は後輩達にとっていい見本で今でも引き継がれていたりする。

チームを抜けて組に入る時、マサトは俺が予想すら出来なかった決断をした。

組の人間として初めて事務所に行った時。

そこには坊主頭のマサトがいた。

いつもB系の髪型でばっちりと決めていたマサトが……。

絶句する俺に得意気な笑みを浮かべたマサトが深々と頭を下げた。

『今日から世話になります!!』

『・・・』

俺が知らないうちにマサトは親父と会い組に入る許可を貰っていた。

その日からマサトは俺の舎弟になり敬語を使うようになった。人の目があるところでは立場上敬語を使わないといけない。

でも、二人の時には前と同じ話し方をするという事は俺とマサトの間で交わされた約束事だった。

「着いたぞ」

マサトの言葉に窓の外に視線を移すとそこにはあのゲーセン。入り口にはあの女としつこく話し掛けている男。

その光景を見た俺はいつもと同じように込み上げてくるイライラ感を感じ、口からは舌打ちが漏れた。

「早く行ってやれよ」

マサトは運転席から振り返り楽しそうな笑みを浮かべている。「あぁ、マサト、助かった」

「別に。先に事務所に戻ってるからまた足が要るなら連絡してくれ」

「分かった」

車を降りようとして俺は動きを止めた。

「なぁ、マサト」

「うん?」

「今度から二人の時に敬語を使ったら罰金な」

「……マジかよ……」

マサトはガックリと肩を落とした。

「頑張れよ」

俺が笑いを堪えて言うとマサトは軽く右手を上げた。

マサトの存在は前も今も大きい。

ケンと同じくらい。

自分より年下の俺に敬語を使ったり、頭を下げたりする事でマサトはどれだけ自分のプライドを抑えているんだろう。

自分のプライドを捨ててまで俺に付いてきてくれるマサトは組の中でも特別な存在だった。

繁華街のメインストリート。

溢れる人混みの中にケンのチームの幹部の姿がある。

バレねぇーように見張っている奴らの険しい視線の先にはあの女と男。

……あいつらが動いていないって事は間に合ったな。

俺は胸を撫で下ろした。

『お疲れ様です!!』

俺に気付いたそいつらが周りにバレないように小さな声で挨拶をして軽く頭を下げた。

「手間を取らせて悪かったな」

『いいえ、気にしないで下さい。今のところ声を掛けているだけです』

「そうか、分かった」

俺はさりげなく視線を動かした。

……あいつか……。

この距離だと話し掛けている男の顔がよく見える。

繁華街やクラブで何度か見た事がある顔。

その度に挨拶をしてきていたような……。

別にどこかのチームに所属している訳でもなく、ただナンパをするためにここに通っているような男。

俺は再び視線を戻した。

「ありがとう、もういいぞ」

『はい、失礼します』

そいつらが頭を下げてその場を離れた。

その後姿を見送りながら俺は迷っていた。

今すぐにあの男を追っ払うか……。

それともあの男が動くまで待つか……。

……。

……。

……もうしばらく様子を見てみるか……。

俺は、いつもの場所に向かおうとした。

歩きながらふとゲーセンの方を見た時、女と目が合った。

絡み合う視線。

その瞳は俺をまっすぐに見つめていた。

悲しみと絶望感を含んだ瞳で……。

……無理だ……。

もうしばらく様子を見ようという決心は一瞬で吹き飛んだ。

気が付くと人の波の流れに逆らいながら俺の足はゲーセンの入り口に向かっていた。

その時だった。

今まで必死で話し掛けていた男。

その男が自分の思い通りにいかない事に焦ったように女の手首を掴んだ。

手首を掴まれた女が驚いたように視線を男に向けた。

だけど、その表情に恐怖心は全くないように見えた。

「……おい」

俺が声を掛けると男は引っ張っていた力を緩めたのが分かった。

……っていうか、この男は誰の許可を得てこいつに触ってんだ?

そう思った途端、無性にムカついてきた。

「あ?」

しかもナンパを邪魔された事に相当ムカついているらしい男が威嚇するように振り返ってきた。

……こいつ……。

今すぐに殴りたい衝動を抑えて冷静さを保つ。

今、ここでキレて暴れてもこの女が怯えるだけだ。

必死で自分に言い聞かせた。

俺の顔を見た男の顔から一気に血の気が引いていくのが分かる。

『れ……蓮さん!?お……お疲れ様です!!』

・・おい、おい……さっきまでの威勢の良さはどこにいった?

目の前の男は、俺と視線を合わせる事も出来ずに狼狽するばかり。

「何してんだ?嫌がってんだろ」

「い……いや……あの……すみません」

「早く行け」

「……あ……はい……し……失礼します!!」

次に会ったら、その時は覚悟しとけよ。

慌ててその場を立ち去る男を眺めながら俺はそんな事を考えていた。

俺と同じように男の背中を見ている女。

その表情は事の成り行きが全く理解出来ていないかのように呆然としていた。

無理もねぇーか。

状況が飲み込めない様子の女。

その女が腕を抑えて顔をしかめた。

「大丈夫か?」

「……はい……」

女が腕を抑えている手を掴んで放すと痛々しく残っている指の跡。

「腫れてんな」

それを見た俺の口からは舌打ちの音が漏れた。

……何か冷やすモノ。

そう思いながら辺りを見渡すとジュースの自販機が目に付いた。

「ちょっと、ここに座って待ってろ」

女が小さく頷いていつもの場所に腰を降ろした。

本当は薬局まで行きてぇーけど、その間にまた声を掛けられるかもしれねぇーし……。

だからってコイツを連れて行くわけにもいかねぇーし。

……仕方ねぇ。

“あれ”で冷やすしかねぇーか。

俺は自販機に向かって歩き出した。

◆◆◆◆◆

缶ジュースを買ってゲーセンの入り口に戻るといつもは人の波を眺めている女が自分の腕をぼんやりと見つめていた。

あれだけ指の跡がくっきり残ってたし……。

……痛ぇーよな。

あの男、今度見付けたら倍にして返してやる。

俺が近付くと女はゆっくりと顔を上げた。

持っていた缶ジュースを赤くなっているところに当ててやると女は小さな声で呟いた。

「……ありがとうございます……」

女のその言葉に自分の顔が自然と緩むのが分かった。

腕を冷やしている女の横に腰を下ろした俺は、タバコを取り出し火を点けた。

見慣れた景色と人混み。

いつもと違うのは女との距離。

いつもは離れたところから見守る事しか出来なかった俺が、今日は隣に座って同じ景色を見ている。

聞きたい事も話したい事もたくさんある。

だけど、今はこの沈黙が心地良い。

時間が流れている事も忘れてしまいそうな時間。

数本目のタバコの火を点けた時、視線を感じた。

ふと見ると、茶色い大きな瞳が俺を見つめていた。

「大丈夫か?痛ぇーのか?」

「……もう、大丈夫です……」

そう言って女は柔らかい笑みを浮かべた。

初めて見た笑顔。

……なんだ、笑えるじゃん……。

「なぁ、お前いつもここに座ってるよな?」

「えっ?どうして知ってるんですか?」

女の大きな瞳がより一層大きくなった。

……正直に話たら……引くよな……。

「俺がここを通るとき、いつも居るなぁって思ってた」

「そうですか」

「いつも、ここで何してるんだ?」

「別に、ただ居るだけ・・・」

女が視線を人混みに戻した。

あんまり話したくねぇーんだな。

そう思った俺は話題を変える事にした。

「そうか。名前は?」

「美桜(みお)」

「美桜か。いくつだ?」

「15」

「ふーん、15か……はぁ!?……15って……ちょっと待てよ……もしかして……中学生か!?」

「うん、3年生。あんまり学校には行ってないけど。」

……。

……中学生!?

マジかよ!?

「……中学生か……まあ……若いと思ったけど……イヤ……それでも……18ぐらいだと思ってた。こんな時間にこんな所に居るし……いや……中学生が居てもいいのか?……そんな事ねぇーか……ダメだよな?」

やべぇ。

頭ん中グチャグチャになってきた。

一体、何が正しくて何が正しくないのかよく分からなくなった時、隣から白い煙が漂ってきた。

……。

……。

タバコの煙?

吸い慣れた俺のタバコと違う香り。

そう言えばコイツはいつもタバコを吸ってたな。

……はぁ!?

タバコ!?

タバコは中学生から吸って良かったか?

・・確か、俺は吸って・・・。

いや、ダメだろ!!

「おい!タバコは吸うな」

「なんで?」

不思議そうな表情で俺を見つめる美桜。

「『何で?』ってお前まだ中学生だろ?」

「うん。なんで、中学生はタバコ吸っちゃダメなの?」

美桜は首を傾げた。

「なんでって……法律で決まってるからか?」

「どうして疑問形なの?」

またしても不思議そうに首を傾げた美桜。

そんな美桜が可愛くて……俺は全身の力が抜けた。

「俺なんかが、法律のことを熱く語っても説得力ねぇーか」

……極道の俺がなんで法律について力強く語ってんだ?

ん?

今コイツ、俺の事“蓮さん”って呼んだよな?

「……てか、お前なんで俺の名前知ってんだ?」

「うん?さっきの人が『蓮さん』って言ってた」

「あぁ。そうか」

……なるほどな。

納得した俺は再びタバコに火を点けた。

「蓮さんだってタバコ吸うじゃん」

美桜が納得できなさそうに言った。

「俺は、二十歳過ぎてるからいいんだよ」

「蓮さんはいくつ?」

「ん?23」

「ふーん」

「お前、家帰らなくていいのかよ?親、心配すんぞ?」

「私、親いないから」

……親がいない?

事故かなんかで亡くなったとか?

だから、コイツはいつも寂しそうで悲しい瞳をしてんのか?

「そうか」

美桜は俺から視線を逸らした。

さすがに初対面の奴にそんな話したくはねぇーよな。

「学校は?」

「今、夏休み。普段から殆ど行ってないけど」

「夏休みか。羨ましい。」

俺は時計に視線を落とした。

そろそろケン達が現れる時間だな。

間違いなくケンがこの状況みたらハイテンションで近寄ってくる。

しかも、ケンがいたらあっという間に他のヤツらもどこからともなく集まってくるだろうし……。

あいつらに囲まれたらコイツはやっぱ怯えるよな?

「まだ、帰らないのか?」

この時間に帰ることはないと分かってはいるけど……。

「うん」

「そうか。もう晩飯食ったか?」

「ううん」

美桜は何かに気付いたように首を横に振った。

……もしかして、飯を食う事を忘れていたのか?

まさかな?

「腹、減らねぇーのか?」

「ん?そう言えば、ちょっと……」

「よし、飯食いに行くか?」

「……うん」

今までナンパ男の誘いを何度もシカトしてきた美桜。

俺の誘いを断っても全然おかしくねぇーのに……。

小さく頷いた美桜を見て俺は胸を撫で下ろした。

美桜が誘いを受けてくれた事で俺は油断していた。

もう少し一緒の時間を過ごせる事で調子に乗った俺はすっかり忘れていた。

美桜が声を掛けられやすいって事を……。

ゲーセンの入り口を後にして数十m歩いた時、俺は何気なく振り返った。

俺の後ろを着いて来ているはずの美桜の姿はそこには無かった……。

……!?

人混みの中、視線を動かすと少し離れた所で飲み屋のキャッチに腕を掴まれている美桜の姿があった。

美桜は面倒くさそうに溜め息を吐いている。

……失敗した。

俺は溜め息を吐いて来た道を数歩戻った。

……てめぇは誰の腕を掴んでるんだ?

キャッチの男に対してイライラ感が募る中、俺は小さく深呼吸をして冷静を装った。

「その子、俺のツレなんだけど」

「れ……蓮さんの知り合いの方でしたか……すみません……失礼しました」

そう言い残してキャッチの男は慌てたように足早に去って行った。

「お前、よく声掛けられるな」

その言葉に大きな溜め息を吐いた美桜。

どうやらコイツはナンパやキャッチを心底面倒くさいと思っているらしい。

そんな表情の美桜も可愛いと素直に思えた。

俺は当たり前のように自然と美桜の手を掴んで歩き出した。

美桜の柔らかくて小さな手がすっぽりと俺の手の中に治まった。

……この手を放したくねぇーな……。

時間が止まったりしねぇーかな。

そんな願いも虚しくあっという間にファミレスに着いてしまった。

◆◆◆◆◆

「好きなのを食えよ」

「うーん……何にしようかな……」

差し出したメニューを真剣な表情で見つめている美桜。

視線がグラタンとカルボナーラの写真を往復している。

……迷ってんな。

もしかして、優柔不断とか?

美桜が小さく頷いてメニューを閉じ視線を上げた。

「決まったか?」

「うん。カルボナーラ」

「それだけでいいのか?」

「うん」

近くにいた店員に注文をして、タバコに火を付けると美桜がぼんやりと俺を見ていた。

……こいつ、細いよな。

てか、全体的に小さくねぇーか?

顔は中学生には見えねぇーけど……。

「お前、飯ちゃんと食ってんのか?」

「へ?」

ボンヤリとしていた美桜が我に返ったようにすっとぼけた声を出した。

今どこから声を出した?

やべぇ。

耐えろ、俺。

「飯、食ってんのかって聞いたんだ」

俺は必死で笑いを堪えた。

「あぁ、まあ……ボチボチ……」

ボチボチってなんだ?

「ちゃんと食えよ。だから、そんなに細ぇーんだよ」

「……うん」

美桜が俯いてがっくりと肩を落とした。

強く言い過ぎたか?

そう思った瞬間、美桜が勢いよく顔を上げた。

……!?

「ねぇ、蓮さんって有名人なの?」

……有名人?

「あ?なんで?」

「だって歩いてるとみんなが蓮さんに頭を下げたり、挨拶したりしてたから」」

やっぱり違和感を感じるよな。

挨拶をしていたのはチームのヤツらや組関係のヤツらが殆ど。そいつらの共通点はガラの悪さと独特の雰囲気。

美桜と一緒にいれば俺の仕事や過去の事がバレるのも時間の問題。

でも、これは今話すべきか?

……やっぱ、もう少し時間が経ってからの方がいいよな……。

「そんな事ねぇーよ。俺がいつもこの辺をブラブラしてるからだろ」

時期を見てから話そう。

俺はそう決めた。

「それよりお前はいつも遅くまであそこにいるのか?」

聞かなくても知っている事をわざわざ聞いたのは話題を変えたかったからかもしれない。

「うん……まぁ……」

「なんで?家にいたくねぇーのか?」

「……っていうか、私は施設にいるから家はない」

「あ?」

施設?

「私、親がいないって言ったでしょ?小学校入る頃に捨てられたから、それからずっと施設にいるの」

「そうか。悪ぃ……」

「なんで謝るの?」

「あんまり人に話したくねぇーだろ?」

「別にいいよ。本当の事だし」

「そうか」

平気って感じの口調で話す美桜の瞳が悲しみを帯びている。

その瞳を見て俺は胸が痛くなった。

その時、店員が注文していた料理を運んできた。

「おいしそう!いただきます」

嬉しそうに瞳を輝かせる美桜。

「たくさん食えよ。成長期なんだから」

「もう、ガキあつかいしないで!」

拗ねたような表情の美桜。

コロコロと変わる表情を見れる事が嬉しかった。

それから他愛も無い話をしながら食事をした。

満足そうな表情でフォークを置いた美桜がバックの中からタバコを取り出し慣れた手つきで火を点けた。

……。

……おい、おい……。

……お嬢さん……。

「……ったく、お前人の話聞いてねぇーだろ?」

「……?」

タバコを指に挟んだ美桜が不思議そうに俺を見た。

「タバコだよ」

俺は白い煙をあげているタバコを指差した。

「……」

やっと俺が言いたい事を理解したらしい美桜が手元のタバコを見つめている。

灰皿でタバコの火を消すのかと思っていると……。

なぜか俺に微笑み掛けてきた。

……。

「笑って誤魔化してんじゃねぇーよ」

どうやら、美桜は笑ってこの場を乗り切ろうとしたらしい。

「・・・」

「タバコばっかり吸ってると背伸びねぇーぞ」

「もう!うるさい!」

身長の事を指摘すると、美桜は顔を赤く染めて怒った。

身長が小さい事を気にしてんだな。

分かりやすい奴。

コイツは見ているだけでも楽しい。

俺は自然に笑みが零れた。

そんな俺を見て美桜も笑った。

今日、色んな表情を見たけど、やっぱり一番可愛いのは……。

「お前、笑ってた方が可愛いぞ」

俺の言葉に美桜は照れたように俯いた。

そんな美桜を見て思った。

……ずっと一緒にいてぇーな。

今まで見守れるだけでいいと思っていたのに……。

距離が縮まると今まで抑えていた欲が溢れ出してくる。

このまま家に連れて帰るか。

……。

……てか、俺は何を考えてるんだ?

そろそろ限界だな。

これ以上一緒にいると本当に連れて帰ってしまいそうだ。

……でも……。

こいつはまだ帰らねぇーよな。

俺とここで別れたら間違いなくいつもの場所に向かうだろーし。

……よし、こうなったら駅まで強制的に連れて行くか。

そうすれば、渋々でも帰るだろーし。

「帰り送ろうか?」

「大丈夫。今日は電車で帰。」

……よし、引っかかった。

「じゃあ、駅まで送って行く」

美桜の表情が強張った。

やっぱりあそこに戻るつもりだったんだな。

小さな溜め息を吐いた美桜が諦めたように頷いた。

「うん」

がっくりと肩を落とした美桜。

なんで、そんなに帰りたくねぇーんだ?

施設だからか?

……もし、コイツが自分の口で『帰りたくない』って言ってくれたら……。

すぐにでも俺は動けるのに……。

こいつが言わないなら俺はどうしてやる事も出来ない。

時計を見るともうすぐ終電の時間だった。

自分の欲望を全て振り払い、俺は口を開いた。

「そろそろ、終電の時間だ。出るぞ」

「……うん……」

小さく頷く美桜。

その顔にはさっきまでの笑顔は消え暗い表情が浮かんでいる。やっぱりそれって帰りたくねぇーからだよな。

……分かってるんだけど……。

今日は帰らせた方がいいよな。

俺は伝票を取り、席を立った。

慌てたように美桜もバッグを掴んで後を着いてきた。

レジの前で財布を出していると視界の隅に映った栗色の髪。

……?

視線を向けるとそこには美桜が立っていた。

手には財布が握られている。

ガキのくせに律儀な奴だな。

「ガキが、変な気使ってんじゃねぇーよ」

俺が2人分の金を出すと美桜はオロオロとしていた。

普通、金は男が払うもんだろ。

しかも、俺の方が年上なんだし……。

なんでこいつはこんなに動揺してんだ?

……変わった奴……。

店員が会計をしている間も俺は美桜から目が離せなかった。

◆◆◆◆◆

「ごちそうさまでした」

ファミレスを出ると、美桜は深々と頭を下げた。

「おう」

そう答えながら俺は左手を差し出した。

「……?」

不思議そうに首を傾げて差し出された手を眺めている美桜。

「また声を掛けられるだろ?」

差し出した手を見つめていた美桜がゆっくりと俺の手に自分の手を重ねた。

……やっぱりこいつは可愛い。

本当は美桜が声を掛けられて自分の感情を我慢する自信が俺にはなかった。

少なくともこの繁華街では、俺が連れている女にわざわざ声を掛けてくる奴はいないはず。

相変わらず、挨拶に来る奴はいたけど。

そいつらに視線を向けられた美桜はやっぱり怯えたように俺の腕の陰に隠れていた。

◆◆◆◆◆

駅に着いた俺は足を止めた。

「ここで大丈夫か?」

「うん。蓮さんありがとう」

「おう、気を付けて帰れよ」

「うん」

「じやあな」

俺は美桜の手を放した。

……なんだこの感じ……。

初めて感じる喪失感。

女と手を繋ぐのなんて初めてじゃねぇーのに。

こんなに喪失感を感じるのは初めてだった。

何かを言おうとした美桜がその言葉を飲み込んだ。

美桜が背を向けて改札口へゆっくりと歩き出す。

その足取りは重い。

「美桜」

振り返った美桜の顔を見て俺は尋ねた。

「明日お前ヒマ?」

「……?」

「ヒマならどっか遊びに行こうぜ」

「……うん!!」

嬉しそうに微笑んだ美桜を見てこのまま連れ去りたい衝動に駆られた。

俺は、その気持ちを飲み込むように押し殺した。

「明日、昼13時にここで待ってる」

「うん、分かった」

美桜は頷き手を振って駅の中に消えて行った。

最終の電車に乗るために慌ただしく人が駅に入って行く。

……あいつはちゃんと帰るよな?

俺は駅の改札が見える場所に移動してタバコに火を点けた。

戻ってきたりしねぇーよな?

ちゃんと帰って欲しい気持ちともう一度顔を見たい気持ちが交錯する。

そんな希望を含んだ考えが頭を過ぎり、結局2時間もその場を離れる事が出来なかった俺は、相当重症らしい……。

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