◆一目惚れ◆

……あいつ、何してるんだ?

繁華街で初めて美桜を見つけた時、俺はそう思った。

もしかしたら俺はあの時、美桜に一目惚れしたのかもしれない……。

若い奴らがたくさんいるゲーセンの前。

その入り口の階段に座る女。

別に美桜が特別だった訳じゃない。

ゲーセンの入り口に座り込む女なんてたくさんいる。

そんな光景なんて見慣れている筈なのに……。

偶然なのか必然的なのか俺の視線は美桜に止まった。

周りを見渡しても友達や知り合いらしき人間はいない。

ぼんやりと行き交う人の波を見つめる女。

周りにいる人間の楽しそうな表情とは対照的にその女の瞳は悲しみと絶望感を含んでいた。

夜の繁華街はお世辞にも安全とは言えない。

女1人だったら、その危険度は増す。

別に知り合いって訳じゃねぇーけど……。

俺は、近くのガードレールに腰を下ろしタバコに火を点けた。そんな自分の行動に一番驚いたのは自分自身だった。

見ず知らずの女の心配をする事なんて生まれて初めてだった。でも、その時の俺は頭で考えるよりも先に身体が勝手に動いていた。

さり気なく女に向けた視線。

そのまま視線を逸らせなくなった。

栗色の長い髪。

人混みを見つめる大きな瞳。

ピンク色の頬と唇。

小さくて頼りない身体。

俺の周りにはいないタイプ。

その女がバックからタバコを取り出し火を点けた。

行き交う人の波を見つめたまま吐き出された煙。

宙に吸い込まれるように消えた煙。

その煙と同じように消えてしまいそうに儚げな女。

なんであんなに悲しそうな瞳をしてんだ?

頭の中に浮かんだ疑問。

答えなんて分かるはずもねぇーのに……。

彼氏と別れたとか?

友達とケンカしたとか?

親と衝突して家を飛び出してきたとか?

悲しそうな瞳の理由をひたすら考えている俺がいた。

眺めているだけで流れていく時間。

やる事はたくさんあるけど、そのどれもが急用って訳じゃない俺は結局、何時間もその場所にいた。

足元に落ちているタバコの吸い殻がもう一本増えた時、その女に親しげに声を掛ける男。

……なんだ……。

友達か彼氏と待ち合わせ中だったのか。

だったら心配はいらねぇーな。

俺は立ち上がった。

その場を離れようと数歩進んで何気なくゲーセンの方に視線を向けると……。

親しげに話し掛ける男と相変わらず悲しそうに人混みを見つめる女。

……知り合いじゃねぇーのか?

……っていうか、あれはナンパか!?

もしかして、あの女はナンパ待ちとか……。

もし、そうならこんな時間にこんな所にいても全然不思議じゃない。

だけど、俺のそんな予想を裏切る様に話し掛ける男をシカトする女。

しばらくすると、男は諦めたように女から離れて行った。

……ナンパ待ちじゃねぇーのか?

深まる疑問を感じると同時に安心している俺がいた。

その日、その女がゲーセンの前を離れたのは空が明るくなり始める明け方だった。

その女は夜明けを告げるように明るくなり始めた空を確認するように見つめて、安心したような表情を浮かべて立ち上がり、駅の方に向かって歩き出した。

その背中が見えなくなるまで見送ってから俺も自分のマンションへと帰った。

◆◆◆◆◆

翌日の夕方、用事を済ませ事務所に帰る為に車で繁華街を通った俺は、助手席で仕事の報告をするマサトの話を聞きながら後部座席の窓から外の景色を眺めていた。

メインストリート沿いにあるゲーセン。

昨日の夜、あの女が一晩中いた場所。

そこに近付くにつれて高まる期待。

毎日いる訳がねぇーか。

高まる期待をそんなもっともな理由で誤魔化そうとしていた。それでも俺の視線はあの女の姿を探していた。

ゲーセンの前を通り掛かった俺は自分の目を疑った。

……いるじゃねぇーか……。

昨日と同じ場所に座っている女。

その瞳はやっぱり悲しそうに揺れていた。

その日から俺は時間を見つけてはゲーセンの前に通うようになった。

その女が夕方から夜明けまでゲーセンの前にいるように、車道を挟んだ駐車場の前のガードレールが俺の居場所になった。

話し掛けたい気持ちが全く無いと言えば嘘になる。

むしろ知りたい事の方が多いくらいだ。

名前や歳、ここにいる理由、悲しそうな瞳の訳。

だけど、俺が話し掛けたところであの女にとって俺はその辺りのナンパ男と一緒だ。

そう思われるくらいならただ見守っていられるだけでいいと思った。

そんな俺の行動が、チーム内の奴らの間で噂になるのに時間は掛からなかった。

それは仕方のない事。

チームの奴らは全員が俺の顔を知っているし、俺が繁華街にいれば必ず顔を合わせるんだ。

いつもとは違う俺の行動がケンの耳に入るのもあっという間だった。

初めて美桜を見た日から一週間も経たない日にケンから『話がある』と呼び出された。

待ち合わせのカフェで俺の向かいの席に座ったケンは落ち着かない様子だった。

「話ってなんだ?」

ケンは俺が問い掛けても何かを悩んでいるような表情を浮かべタバコに火を点け口を開こうとはしない。

それを見てケンの話の内容がなんとなく予想が出来た。

……多分、俺がいつも見ている女の事だな。

ケンはガキの頃から何をするにも俺の隣にいた。

誰よりも長い時間を一緒に過ごしてきたケン。

言葉が無くてもお互いの考えが分かる存在。

目の前に注文したコーヒーを置いた店員が立ち去ったのを確認してから、ケンが口を開いた。

「なぁ、蓮」

「ん?」

「お前、今好きな女とかいる?」

さりげない口調とは裏腹に真っ直ぐな視線。

こいつに嘘を吐く必要なんてねぇーな。

そう思った俺は答えた。

「あぁ」

一瞬にしてケンの表情が一変した。

……驚き過ぎじゃねぇーか?

まぁ、無理もねぇーか。

俺の過去や今までの女に対する態度を知っているケンが驚かねぇ方がおかしいよな。

「話ってそれだけか?」

俺は驚いた表情のまま固まって全く動かないケンに声を掛けた。

窓から見える外は陽が落ち薄暗くなっている。

……もう、そろそろあの女が来る頃だ。

俺は腕時計に視線を落とし、テーブルの上のタバコをポケットに入れた。

固まっていたケンが慌てて口を開いた。

「どんな女なんだ?」

……どんな女?

そんな事を聞いてこいつはどうするつもりなんだ?

……。

……てか、どんな女って聞かれても・・・。

名前も歳知らねぇーし。

話した事もねぇーし。

なんて説明すればいいんだ?

俺は一度ポケットに入れたタバコを再び取り出し火を点けた。そして、目の前に漂う煙を眺めながら答えた。

「……桜……」

「は?」

「桜の花みたいな女」

「……蓮、最近ケンカしたか?」

「あ?」

「誰かに頭を殴られたとか?」

「……」

「あっ!!綾さんだろ?綾さんにヤラレたんだろ!?」

「……。」

「病院に行こうぜ!俺も付いて行くから!!」

なんか、俺心配されてんぞ。

それより、いくら綾さんでも俺を病院送りにするほど殴ったりはしねぇーだろ。

ケンがそう考えるのも無理はねぇーけど。

「別にどこもなんともねぇーよ」

「……でも……」

まだ心配そうなケン。

俺はタバコを灰皿に押し付け、伝票を持って席を立った。

「おい、蓮!どこに行くんだよ?」

「……ちょっとな」

「俺も行く!!」

はぁ?

なんでそうなるんだ?

こいつが一緒だと面倒なんだよな。

「来なくていい」

「あ?なんで?」

「お前が一緒だと目立つんだよ」

ケンは何かを言いたそうな表情で俺を見た後、ケイタイを取り出しどこかに発信した。

「今日、俺と蓮を見掛けても絶対に話し掛けるな。それから、ゲーセンの周りに近付くな。チーム全員に伝えておけ」

ケンはそれだけ言うと一方的に電話を切った。

多分、電話の相手はヒカルだな。

……てか、こいつ俺が今からゲーセンの前に行くことを知ってんじゃん。

「これで大丈夫だろ?」

得意気な表情のケンに俺は溜息を吐く事しか出来なかった。

◆◆◆◆◆

いつものガードレールに腰を下ろすと、それまで黙って俺の隣を歩いていたケンが口を開いた。

「女を見に行くんじゃねぇーのか?」

「あぁ、そうだ」

「なんでここなんだよ?」

「ここからでも見える」

俺が視線をゲーセンの入り口に向けると、その視線をケンが辿った。

「……本当に桜の花みたいな女だな……」

ケンのその言葉に驚きながらも、俺の言いたい事を分かってくれて嬉しいと思った。

「だろ?」

こいつは口下手な俺の考えをちゃんと分かってくれる奴だ。

俺は改めてケンの存在をありがたいと思った。

「ここで見ているだけか?」

「あぁ」

「あの子、なにしてんだ?」

「分かんねぇ」

「……もしかして……」

ケンが言い難そうに言葉を濁した。

「なんだよ?」

「……ナンパ待ちか?」

……そうだよな。

そう思うよな。

俺も最初はそう思ったし。

だけど、今なら自信を持って言える。

「違う」

ケンが安心した表情を浮かべた。

「じゃあ、なにやってんだ?」

「分かんねぇ」

「……なぁ、蓮」

「んだよ?」

「お前、あの子の名前とか歳とか知ってんのか?」

「知らねぇーよ」

「は?なんで?」

「何が?」

「あの子と話した事が無いにしても……お前ならすぐに調べられるだろ?」

……確かに、ケンの言う通り調べようと思えばすぐに調べられる。

……だけど……。

「本人の口から聞かないと意味がない」

名前も歳も直接聞けないなら聞きたいと思わない。

第三者から聞く情報には真実の中に噂や事実と異なる情報が混じっている。

相手と話した事が無ければその情報を全て鵜呑みにしてしまう可能性がある。

そうなる位なら何も知らないままでいい。

「……そっか……」

ケンが小さな声で呟いた。

それからしばらく何かを考え込んでいたケンが突然、瞳を輝かせた。

「俺が話し掛けてきてやるよ」

その時、視界の端に映った光景。

……またか……。

ここに来るようになって幾度となく見てきた光景。

見たくねぇーのに、どうしても気になる。

見ると苛立つのが分かっているのに、視線を向けてしまう。

女に馴れ馴れしく話し掛けるナンパ男。

それは、今まで感じた事の無い感情だった。

寝た事のある女が違う男と腕を組んで歩いているのを見ても何にも思わなかった。

むしろその女の興味が他の男に向いてくれて安心さえしていた。

そんな俺が話した事も無い女を独占したいと思っている。

もし、許されるならあの女に話し掛けてくる男を片っ端から殴り倒したいとさえ思ってしまう。

唯一の救いはあの女が男に声を掛けられても一切見向きもしない事だ。

だから、何とか俺は冷静なフリをしていられた。

ケンは俺の事を考えて提案してくれたんだろう。

……でもな。

「無理だ」

「あ?お前、俺の事ナメてんのか?俺がナンパして着いて来なかった女はいねぇーんだ」

……そんな事知ってるし。

いつもお前がナンパしてる時近くに俺もいたじゃねぇーか。

この話は長くなると悟った俺はケンの言葉を遮り顎でゲーセンの入り口を指した。

話を遮られたケンが不満そうにゲーセンの入り口に視線を移して固まった。

「……あれ……ナンパされてんじゃねぇーのか?」

「あぁ」

俺の隣に腰を下ろしていたケンが立ち上がり、ゲーセンに向かって歩き出した。

俺はそんなケンの腕を掴んだ。

「なんで止めんだよ?蓮!」

ケンが勢い良く振り返った

……ったく……。

なんで、てめぇがキレてんだよ?

こいつは瞬間湯沸かし器か?

「あの男はもうすぐいなくなる」

「は?」

再び視線を移したケンはやっと状況が飲み込めたように呟いた。

「……マジで完全にシカトだな」

「声を掛けてもシカトされんだ。話し掛けて相手にされるならとっくに自分で話し掛けてる」

「……強敵だな……でも、どうするよ?いつまでも見ているだけって訳にはいかねぇーだろ?」

「……今は見ているだけでいい」

その言葉に偽りは無かった。

他の男に声を掛けられるのはムカつくけど……。

今はあの女が無事にいられる事を見守っていられればいい。

俺が軽はずみな行動を取れば余計にリスクを背負わせる事になるかもしれない。

俺の独占欲が原因で傷付けてしまうかもしれない。

「なぁ、蓮。“命令”を出せよ」

俺は思わずケンの顔に視線を移した。

「お前だってあの子がここにいる間ずっと見守っとく事なんてできねぇーんだ。目を離した隙になんかあったらどうすんだ?一生後悔すんじゃねぇのか?」

その言葉に俺は何も言えなかった。

……ケンの言う通りだ。

今日まで何も無かったのが不思議なくらいだ。

繁華街が居場所の俺やケンは、ここが“最高に楽しい場所”で“最高に危険な場所”だって事を嫌っていうくらい知っている。

しかもあれだけ男に声を掛けられる女なら尚更だ。

でも、ケンの言葉に甘えて“命令”を出してもいいのだろうか?

俺が作ったチームとは言っても今は引退した身だ。

あいつらの事だから俺が“命令”を出せば嫌な顔一つせずに動いてくれるはず……。

だからこそ、簡単に頼ってはいけない気がする。

こいつらだってチームを守る事で忙しいんだ。

……やっぱり“命令”は出せない。

俺はケンの提案を断ろうとした。

だけどそれより先にケンが呟くように言った。

「……少しは頼ってくれよ」

ケンの言葉は俺のくだらねぇープライドをブチ壊してくれた。「……ケン」

「ん?」

「……ありがとう」

「おう」

美桜の護衛はその日のうちに俺からの“命令”としてケンがチーム内に流してくれた。

そして、その翌日から美桜に警護が着くようになった。

その警護は一年以上も続いた。

時間が許す限り俺も駐車場の前に足を運んだ。

俺がそこにいると、どこからともなくケンが現われた。

手にはコンビニで買い込んだ缶ビールやツマミの入ったビニール袋を提げて。

真夏の暑い夜も真冬の雪が舞う夜も……。

そして、俺の隣に腰を下ろして必ず言う言葉。

『桜ちゃんは元気か?』

いつの間にか美桜には“桜ちゃん”というあだ名が付いていた。

ケンが付けたなんとも単純なあだ名に俺は思わず吹き出した。俺が笑った事でそのあだ名が確定となり、警護に付いていたチームの幹部達にも急速に広まった。

機転の利く幹部達のお陰で美桜が怖い想いをする事は一度も無かった。

◆◆◆◆◆

今、俺の腕の中で眠る美桜の顔を眺めながら思う。

こうして美桜を抱きしめる事出来るのはケンやチームの奴らのお陰だと……。

あいつらにはいくら感謝しても感謝しきれない。





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