騎士の誓い

 夜闇にも溶け合いそうなほど黒い瞳が不安げに虚空をさまよっている。

 眉は薄く、まつ毛の長い、まだ幼さを残す顔。

 男の子というより、女の子というほうが納得されるかもしれない。

 年のころは12ほどか。記憶のない少年にそれを求めるのは酷というものだろうが、無垢でしなやかな子猫のような少年も、すぐにただの野獣へと変貌する、その境目。

 子供と大人のはざまの、一瞬の美しさ。

 窓際のベッドのわきで、すがるように見つめられれば、そのはかなさにドキリと胸が高鳴ってしまう。例えば、雨に打たれて震える子猫は思わず抱え上げ、冷えた体を抱きしめて温めてあげたくなる。それと同じ。


「あなたはどうして、そんなに傷ついてまで?」

 日当たりのよい部屋で疲れて眠っていたはずの彼は、起きていた。

 自分の置かれた状況をまだ理解していないような、虚脱した顔。

 アルカディアさえ、一瞬トキリと小鳥のように胸が高鳴る。

「優しいな、やはり君は。でも、大丈夫だ、このくらいの傷など」

「ちがう。僕がいっているのは、あなたの心だ。そんなにまで傷ついて、ぼろぼろになって……」

 一瞬、アルカディアは息をのんだ。

 そして、微笑んだ。花がほころぶように。

「うれしいな」

「え?」

「君には間違いなく心がある。優しい心だ。疑いようがないじゃないか。他人の心の痛みを知り、しかもそれに共感できるなんて」

「僕のことなんて、どうでもよくて……」

 予想外の返しを受けて、少年は戸惑いを強くする。

 アルカディアは強くかぶりを振った。

 ひざまずき、ベッドに座る彼と目線を同じくする。神秘的な深い緑のまなざしをまっすぐ彼の目へ向けて放射し、真剣な顔で向き合った。

「どうでもよくない。私は君の騎士だ。君のことを一番に考えるのは当然のことだ」

「あなたは、どうしてそこまで……」

 それにはしかし、アルカディアは、

「いずれ、時が来れば答えよう」

「いま教えてくれないの?」

「私は教えないとはいわない。逆に君は知るべきだろう、私のことも。しかし、今はまだそのときではない。私のことを話せば、君のことへもつながる。それは今の君では荷が重すぎると思う。だから……」

「時が来れば?」

「ああ」

 アルカディアは力強くうなずいた。

 黒く渦巻く不安などかき消すように。

 

 <ひざまずき、自らの胸にこぶし当て、あなたにこの命捧げると宣言する>

 

 それは騎士の誓い。

 あなたに忠誠を誓うと、その宣言。

 あなたに命を捧げると、君のために死ねると。


「私は君の騎士になる」

 

 小刻みに震えている彼に、迷いのかけらもない断言。

 心強く包み込み、冷えたその体に熱を送り込む。


「誓おう」

 はっきり、アルカディアは騎士の誓いを立てる。


「私は君の騎士として、君のそばにいる。君を護る。決して離れない、裏切らない。たとえ君が何者であっても、たとえ君が君自身を否定することになっても」


 その言葉、息をのむほどに美しく、可憐で、神話の一節のよう。


「どうして、僕に、そこまで……」

 それはまるで愛の言葉。

 初めて会った人から?

 こんなにも美しく、こんなにも強い人から?

 熱く、まっすぐ、矢継ぎ早に浴びせかけられて、うろたえない人間こそ、おかしいだろう。


「ほどほどにしておきな。アルカディア」

 開け放たれたままの戸から、苦笑が漏れる。

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