老師と戦乙女
「先ほどはありがとうございました」
「なに、無益な戦いほどむなしいものはない。私とて、それは分かる」
「はい……」
もろ肌脱いで、戦乙女アルカディアは治療を受けていた。
滑らかな肌は、白い大理石の女神像を思わせる。重厚な鎧はそれを守ると同時に、隠す役割も与えられていたのか。治療は美を磨き上げる作業にも似ていた。
原始の森の、なお深く。
オオカミどころか魔物さえ
鳥の鳴き声さえ太古のそれと聞こえれば人は決して入り込まない。
澄んだ湖のわきには小さなログハウス。
絡まる太いツタに締めつぶされる寸前、それはまるでいにしえの神殿とさえ錯覚する。美しき戦乙女が純白の翼を休めればなお、神話の写し絵とも見まごうほどに。
「老師、
「礼はさっきいわれたよ」
「それ以前のことです」
「同じことさ。双方にとって利害があった、それだけだよ」
「そうかもしれません。いえ、実際そうなのでしょう。それでも、あなたの導きなければ、私は彼のもとにたどり着けなかった」
師と仰ぐ
相手は年端もいかない十ほどの童女と見えるのに。
フン……。
二人きりの狭い部屋が、瞬時に
威圧かとも思えるあざけりの冷笑は、アルカディアに対してではない。
「あの子を救えるのは兵士じゃない。護送? フン。それこそお笑いさ。安全な場所へといいつつ、果たして次はどこへやろうとしていたのか。そのくせ、まんまと敵国に情報盗られ、奇襲をかけられたのでは世話もない」
「はい……」
思うところはアルカディアにもあるのだろう、ぐっと唇をかみしめる。
「あんたはよくやってくれた。私の予想以上だったね、あれは。まさか駆けつけてすぐ、
アルカディアはゆっくり首を振る。
謙遜ではない。
「彼を奪い合う乱戦はすでに両者共倒れに近かったのです。私はいわば盗人のようなもの。懸命に戦った者たちこそ、
「よく迎え撃ったものだね、あんたの国の兵士も」
「はい。残念ながら生き残ったものはいませんでしたが……」
沈痛な面持ちのアルカディアだったが、治療を終えた師、
「アル、あんたが気に病むことはない。あんたは、あんたの役割を果たした。それでいい」
「はい……」
桃源老師。
その重々しい尊称とはまるで似つかず、彼女は童女と見えるほど幼く小さい。手足も細く弱々しく、黒々とした髪も目も一点の大人の汚れさえ見せない。その身をすっぽりと包むマントは、きっと相手に
彼女こそ、遠い東国から秘術を極めんと渡り歩く、不老の秘法をも会得したといわれる大いなる導師なのだ。各国はこぞって、彼女の知恵や力を求める。同時に、我がものにならないならと、他国に与えるくらいならと
「さて、次はこの鎧と剣のメンテナンスだね」
「何からなにまで、お世話になります」
「構わんよ。これからあの子を守ってくれる大事な鎧と剣だ。手を入れるのは当然のことさ。……あんたにもね」
「ありがとうございます」
老師の、そこは皮肉と冗談入り混じる言葉も、実直なアルカディアには通じなかったようだ。
桃源老師は鎧に向かい、アルカディアは服を着る。
「アル……」
「はい?」
ぽつりと、老師が背を向けたままつぶやく。
「あんたはあの子のこと、どう思っている?」
瞬間、アルカディアの深い翠玉の目が、鋭く、強く、光を放った。
「彼は私の命です」
「世界のすべてを敵に回す、そんな覚悟も?」
「世界が彼を敵とするなら」
決然と、アルカディアは意志を貫く。
頬も染めずに戦乙女が断言するのは、主君への忠誠にも等しい。
振り向いた老師は、微笑だけを返した。
「着脱と軽重さえあれば、あとは何とかするだろうが……」
「助かります。私では……」
アルカディアの苦い顔に、老師は、
「人には向き不向きがある。少なくとも私はそれを知る。出来ないことは無理せず、人に頼ればいい」
「その言葉をかけていただけるだけで、感謝しかありません」
今この場のことだけではないだろう、アルカディアが頭を下げる意味は。
幼いころの記憶がよみがえっていたかのように、アルカディアのまなざしは祖母への敬愛のようなものを見せて暖かい。
老師は破顔し、声を出して笑った。
「大げさな子だよ、いつまで経っても」
桃源老師もまた、孫の幼いころを透かし見て懐かしんだようだ。
「いろいろこれには付与しておいたが、それは私からのはなむけとでも思っておいてくれ」
「ありがとうございます」
「使いこなせるだろう、アルならな」
アルカディアは渡された鎧を確認するようにまずは着脱を繰り返し、剣も振るう。
着脱。
「よし!」
と、アルカディアが気合を入れたのは、体の調子も見たようだ。
「では、これからどうする?」
桃源老師は訊く。
「ここに
アルカディアはもう、足音も高くまっすぐ扉へと向かっていた。
「出ていってくれるなら、それはありがたいがね」
「お世話になりました」
「どこへ行く?」
「分かりません。ですが、彼が平穏無事に暮らせるところがいい」
「正解だね」
意地悪く、老師の目が光る。
「それを許してくれない
「だからこそ! 私が彼を護ります!!」
「せいぜい、がんばってくれ」
「はい。必ず、彼を護り抜きます」
丁寧にお辞儀したアルカディアは、まるで今生の別れを告げたようだ。
勇ましい足音が遠のいていく。
閉まった扉に、老師はつぶやいた。
「私も、あの子を放っておくつもりはないんだがね」
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