第28.5話 ウェンスタラスト・クライエス3
「……んっ」
そう、『好きだった』のだ。昨日までは。今ではこの光景を見ると、柄にもなくオーエンに笑いかけたことを思い出してしまうようになってしまった。
「どんな女性よりも魅力的な、愛くるしいえが…………はっ!」
しかもそれだけなら『ちょっと恥ずかしいことしたなー』ってくらいで済むのに、オーエンがあんなことを言ったせいで……。異性に免疫がないのも手伝って、すっかり忘れられなくなってしまっている。まあオーエンは背も高いし、顔もいいからきっと故郷では女性に困ってないはず。女の子に慣れている男性はよくああいうことを言ってるから、あれはお世辞。他意はないんだ。うん。
そうやって自分を納得させ、熱くなった頬をぱちんと叩く。明日はいよいよ筆記試験本番。自身はないし、たぶん大して点数はとれないけれど、だからといって諦めるのはよくない。なので私はクラリア先生のいる研究室へと向かっていた。
寮から目的地までには中央広場を通らなければならない。屋台も店じまいしており、人通りもまばらな広場を通っているとどうしても掲示板に貼られた、グループ発表の紙に目がいってしまう。
「……」
オーエンには軽く話してはいるけど、コルネやバンガルドだけでなく他の生徒も中々に強敵だ。
アシアス・キュースが従えるは、『怪力』というオーエンよりも更に肉弾戦に特化した【ギフト】を持つミノタウロス。
ルクルス・プレ・リキス・クラウディアが従えるは、『毒霧』という近づくことすら難しい毒をまき散らす【ギフト】を持つコカトリス。
トリクエル・パンポードが従えるは、『精霊王・水』という【ギフト】を持つユニコーン。
スレナー・グラススが従えるは、『誘惑』という種の垣根を超えて情欲を刺激する【ギフト】を持つサーペント。
それぞれの【ギフト】は全て発現レベル2。レベル4のバンガルドや超越した強さを持つコルネほど脅威ではないけど、かといって無視できるほどではない。となるとやはり、一番与しやすいのは
相手の手札がわからないのに、標的に据えるのは不安がつきまとう。よって今のところは方針に変更はない。
と、そんなことを考えている間に、いつの間にか研究所の前に到着していた。私は思索にふけっていると、すぐに周りの景色が見えなくなってしまう。もう空は真っ暗で星が瞬いている。早めに用件を済ませないと。
時間帯を考え控えめに戸を叩き、ゆっくりと開いた。
「失礼しまーす……あれっ」
相も変わらず色々な分野の資料が乱雑に置かれているけど、肝心のクラリア先生がいなかった。おかしいな。昼に聞いた時はいるよって言ってたのに。お手洗いかな?
しかし、その直後に簡易ベッドの布団がこんもりと膨らんでいるのに気づいた。なんだ、仮眠をとっているだけだったみたい。
……でもそれにしては、まったくといっていいほど動いてないのはどうしてだろう。寝ている時も息を吸わないと死んじゃうことくらいは私でも知っている。もし布団で口と鼻が塞がれてしまっているなら、今すぐにでも布団から顔を出してあげないと。
そう思い、私はベッドに近づいて布団を剥いであげようとした時。
まるで初代皇帝の石像のごとく生気のない顔色で、瞳孔が怖いくらいに開いたセルリアンブルーの双峰が、瞬き1つせずに私を見ていた。
「ひっ……!」
死んでいる。直感でそう思い、喉を鳴らして後ずさった。私はこの瞳を知っている。あれはそう、久しぶりに実家へ帰った私を待っていた、両親の──。
「わー! 待った待った! クライエスさん私は生きてるから!」
「…………あっ、そう、でしたか」
だが頭の中が決定的な映像を再生する前に、クラリア先生が慌てて私の肩を掴んだ。さっきのが嘘のように血色の良い肌と、光を宿す水色の瞳。それを見てようやく私は浅い息を吐いた。
「いやぁ、私仮眠中はああなっちゃうからさ。驚かせてごめんね」
「いえ、私も少し過敏になりすぎました。申し訳ありません」
今度は深く息を吐いて、頭を下げる。
「それで、こんな時間に何の用──って、そういや昼に教えてほしいところがあるって言ってたね。どこがわからないの?」
「はい、実はここと……」
すっかりいつも通りな先生に内心安堵しながらも、私は持ってきたノートと教科書を取り出した。
◇
時間にしておよそ1時間ほど。先生のおかげで私は全ての疑問を解消することが出来た。これで実戦形式でのハードルが下がる……かもしれない。
「ありがとうございます。これで明日の試験に対する憂いはなくなりました」
「私も教師として、生徒の疑問を解決できて嬉しいよ」
追加で5,6ページほど埋まったノートを閉じ、軽く会釈をしてから立ち上がる。もう日が落ちてからかなり経つ。そろそろ戻らないと、またバンガルドに目をつけられてしまうかもしれない。
「では、失礼します」
「あー……ちょっといい?」
がしかし、先生に呼び止められてしまう。そちらへ振り向くと、なぜかばつが悪そうな顔をしていた。
「なんですか?」
「いや、なんというか、その。……間違っていたら、申し訳ないんだけど」
先生は言いにくそうに頭を掻いてから、肩をすくめて。
「クライエスさんの表情。たとえ今回で終わったとしても、仕方ないと受け入れているように見えちゃってね」
密かに覚悟していたことを言い当ててきた。
「……わかりますか」
「まあ、私は教師だからね。クライエスさんみたいな顔をしてる生徒を何人も見てきたからさ」
さっきまで座っていたイスに再び腰を下ろすと、先生は寂しそうに腕を組んだ。哀しげに口角を上げている。
「だけど、後悔はしてなさそうだね」
「……正直なところ、筆記試験では大した点が取れそうにありませんから。前の試験ならそれでも大丈夫だったんですけど、今回はバンガルドとコルネが同じグループにいます。私では彼らに狙われつつ、上位を目指すことは無理です。でも」
息継ぎをしてから口を開く。
「私は、今の実力に満足しています。やれるだけのことは、やりきったつもりですし。後悔はしていません」
この1か月。私はオーエンと共に、出来る限り努力してきた。結局目標としていた『対バンガルド』は未完成に終わったけれど。それでも私は、試験中であってもおだやかな気持ちでいられる。なぜか。今が自分のベストだと、自信をもって宣言できるからだ。
もちろん実戦形式ではあらゆる作戦を試すつもりだし、まだ諦めてはいない。ただ仮に150点取れなかったとしても、すんなりと許容出来るというだけだ。
「……そっか」
しばらく私の目を見ていた先生は、どこか納得したように頷いた。
「うん。諦めてないなら、いいんじゃないかな」
「もちろんです。試験は終わってませんしね」
「ふふ。そうこなくっちゃね」
先生は最後に柔和な笑みを浮かべて、まるで諭すように。
「だけど、忘れないで。召喚魔導士と幻獣の強さは、加法じゃなくて乗法だ。覚えておいてね」
そう言ってから、優しく私の肩に手を置いた。
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